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ことり、と静かに酒杯を置く音がした。
顔を伺い見ると、きたか、みたいな顔をしていた。打算と計算が混じったような、貴族というより商人に近いような印象を受ける、表情。この人、仕事としては城壁を作ったり直したりする土建屋さんのはずなのに、不思議。
「お願い、ですか。はて、当家のように、吹けば飛んでしまうような家の者に、叶えてさしあげられるものであれば良いのですが」
謙遜するが、抜け目なくこちらを観察しているのがわかる。
私は落ち着いて、夕方に切り分けておいた、環木を包んだ布を取り出した。もとの3分の1ぐらいの大きさがあるだろうか。
丁桔は成り行きを見守っていたが、布がゆっくり開かれ、中に入っていた物に気が付いた瞬間、驚いたような顔をした。価値がわかる人にかかれば、これは、同量の金より価値がある。
「こちらは、お近づきの印に差し上げます」
横にいた女僕さんに渡そうとすると、慌てて丁桔が口を開いた。
「いえ、そんな大層な物を頂くわけには……」
ので、私は間髪入れずに畳みかける。この人には、賄賂がきくと確信したから。
「どうぞ、ご遠慮なさらずお受け取りください。これは、これからお願いをするのに、必要な量だと思っています。どうか、私の願いを聞き届けてはくださいませんか」
この小娘は、思った以上の面倒ごとを引き連れてきたのかもしれない、とようやく気付いたのか、丁桔の顔が少し引きつっていた。
構わず、女僕さんに環木を押し付けて、口を開く。
「お願い、というのは一つだけです。この国の宰相、郭 仲様になるべく早く、直接会ってお話がしたいのです。どうしても、早急に。謁見する為に、正式な手続きがどれほどかかるか存じませんが、その時間がありません。どうか、お願いします」
頭を下げる私の、お願い、に今度はハッキリ顔が歪むのがわかった。
「それは……」
「とても難しい事をお願いしてるのは、重々承知しています。でも、どうしても必要なんです。少しの間でも構いません。どうにかなりませんか」
私が必死な顔でさらに頭を下げると、困ったように丁桔は、一言も発しない春陽の方をちらりと見た。
「環の双子、の名声に頼る事はできません。今、片割れは環にいて、動く事ができません」
おそらく、双子を利用すれば、綜侯に会える可能性はあがる。が、お父様が悠陽をすんなり環から出してくれるとは考えにくい。
双子はおそらく、私が思っている以上に、政治的な存在のはずだ。はずなのだが、ここに一人いるのは、本当になぜなのだろうか。行動力が鬼すぎるよ、春陽。おそらく悠陽、環で泣くか怒ってると思うよ。
一方、私と丁桔から見られた春陽は、落ち着いて口いっぱいに頬張ったものを咀嚼し飲み込み、私達を見返した。
「私はいま、公務としてここにいるわけではありません。妹を心配する姉として居ます。それだけの人間ですが、姉として、妹の願いをお聞き届けいただけると、嬉しいです」
真面目な雰囲気で、真剣にそう言う春陽には、何かいつもと違う説得力、のようなものがあった。
丁桔も静かに春陽の言葉を聞いていた。
「そうですか……」
発した言葉は、どこか残念そうで。
一つ息を吐き、丁桔は慎重に口を開きはじめた。
「その願いというのは、難しいとも、簡単とも言えます」
「どういう、事でしょうか」
考えながら喋る丁桔に、こちらも自然と慎重に尋ねる。
私の問いに、コホンと一つわざとらしく咳払いをして、丁桔は話しだした。
「まず、難しい理由ですが、宰相はとても忙しいお方です。仕事を一手に引き受けておられるので、新しい案件、というのはかなり待たされます。実際、面会する機会を得られず、未だに待たされている案件があるのに、それを押しのけて割り込むというのは、かなりの労力を要すると思われます」
忙しい方、というのは予想の範囲内だが、聞きしに勝る仕事の鬼具合だ。ただ、一人で仕事を抱えてるというのは、組織の上の人間としてどうなんだろう。この時代ならまだそれで回るのだろうか……回ってないから、こうなってるんだろうか。天才、というのも辛いものらしい。
「次に、簡単な理由ですが、ほんの少しの間なら、確かに宰相が空く時間があります。なぜなら、昼と夕の間に必ず、一服いれるからです。その時間はまちまちですが、その間は絶対に仕事をされません。その時間に割り込めれば、少しばかりですがお話できるでしょう」
簡単、と言いながら全く簡単ではなかった。確かに、正式な手順を踏むよりは簡単、か。
まあ、時間がたくさんあれば宰相を説得できるかというと、そうとも言いきれないので、何はともあれ話を聞いてもらわないと始まらない。
舜王に会うのが恐れ多くて、宰相に来たわけじゃない。
実質、今の天下を動かしているのが、この綜の、この宰相だから、こちらに来たのだ。このチャンスを、逃してはいけない。
少し考えたが、私の心は決まっていた。
「……お願いします。その、宰相が一服する時間に、私を宮殿に入れて頂けませんか」
丁桔はしたり顔で頷いた。
「わかりました。いくつか、あてがあるのでそちらに打診してみましょう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げた。
ふと影が動いた気がしてちらりと見てみると、春陽も慶珂も珊瑚も、同じく頭を下げてくれていた。なんだか、それだけでじーんとして胸がいっぱいになった。
丁桔は、観念したように頷いていた。
「そうだ。珠香は料理ができるんです。一服するなら、そっち関係で入れないですか」
「ちょっと、姉さん!」
この料理食べた後に、それ言う?!
ここで出された料理と、私の料理なんて比べたら、おままごとみたいなものだよ。慌てて口を塞ごうとしたが、時すでに遅し。
丁桔が、不思議そうな顔で私を見ていた。
「瑞家のお嬢さんが、料理をなさるのですか?」
良い事思い出したみたいな春陽の、純粋な家族擁護に、嬉しいが恥ずかしいし、今は逆にピンチになった感じすらある。
丁桔の不思議そうな視線に耐え切れず、
「め、珍しい料理を、作って、みたくて」
そう、口走っていた。目を合わせられない。
「ほう。そうでしたか。良かったら、私もぜひ見てみたいものです」
うう、後に引けなくなってきた気がする。
「菓子で、あれば、なんとか」
「一服するのに、宰相は甘いものを好むそうです。丁度良いのではないでしょうか」
「そうなんですね……」
丁桔も追い打ちをかけてくる。
「では、近日中にでも見せて頂ければ、私の方も方針が固まります。必要な物があれば、うちの侍女に用意させますよ」
「……ヨロシクオネガイシマス」
返事がすごく硬くなったのは、仕方ないと思う。
場は、良かった良かったみたいな和やかなムードになってるけど、私は良くない!
勢いで頷いてしまったが、絶対に、良くない!
下手なもの作れなくなったけど、菓子って分量とかが絶対必要なのに、どうすんの、私!
うんうん唸りだした私をよそに、この日の晩餐は、和やかに幕を下ろしたのだった。
どうしよう、マジで!




