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次に目を覚ました時には、辺りは薄明るくなってきていた。
何も考えず、ぐっと伸びをすると、腕がすんなり動いた。
欠伸をして、上体を起こす。ところどころ固まって痛い所があったが、許容の範囲内だ。石の上で寝た事に比べたら、なんて事無い。
きょろきょろと辺りを見渡すが、誰もいなかった。倭都ちゃん、本当に申し訳ない。
そろりと起きだすと、少しふらついたが、立てるには立てた。
「あー」
声も、まあ、出そう。
副作用は、だいぶ治まったみたい。
ゆっくり歩いて、扉を開ける。
眩しい、朝焼けの光が差し込んできた。今日も、良い天気みたい。
腕を上げて、朝日を遮りながら辺りを見渡すと、既に船員さん達は働いていた。掃除だろうか。威勢の良い声も聞こえる。あの二人も、見えないけどどこかで働いているのだろう。
その中で、何やら指示を飛ばす、幼い声が聞こえた。倭都だろう。
挨拶をしようと、真ん中で指示を出している倭都に近づく。彼女は私が声をかける前に、気づいてくれた。
「あら、おはよう。あんた、立てるようになったのね」
「おはよう、倭都ちゃん。ごめいわくおかけしました」
「別に、あんたの姉と従者が思ったより働いてくれたから、チャラにしてあげるわ」
ふふんと、笑う倭都。気を使ってくれたのかな。
「それに、あんたまだちょっと変よ」
「へっ」
「言葉っていうか喋り方が、変。だから、休んでなさいよ。どうせ、まだつかないわよ」
「そう、かな」
まあ、確かに今の私が、何か手伝えるかというと疑問が残る。朝ごはんでも、と思ったがこの人達がいつ、何を食べているのかわからない。船の上じゃなくて、陸地についてからかもしれない。私も本調子じゃないみたいだし。
大人しく、倭都の言葉に甘える事にした。
「ごめんなさい。それなら、お言葉に甘えて、もうちょっと休んでるね」
「そうして。着くころには、あんたの身内も解放してあげるわ」
倭都はそれだけ言うと、さっさと、指示と報告を聞きに向こうに行ってしまった。出来た子だなあ。
後ろ姿を見送って、元居た船室に戻ろうとしたら、後ろから声をかけられた。
「おじょう」
私の事とは思えなかったが、思わず近くから聞こえたので、つい振り向いてしまった。そこにいたのは、倭都の船をはじめて見たときタラップに居た、渋いおじいさん。確か、はやてさんって飛燕が言ってたっけ。
「はい?」
「あいつら、よく、はたらく。とくべつ、やる」
おじいさんが、節くれだっているがぎゅっと詰まった小枝のような指を、私に差し出す。反射的に、何かを受け取ったが、何だろう。
はやとおじいさんは、私にそれを渡すと、さっさと踵を返してしまった。
「ありがとうございます」
その後ろ姿に、慌ててお礼の言葉を投げた。おじいさんは片手だけ上げて、去って行った。クール。
とりあえず、掌の上に残ったものを見る。
紙片だった。
何か書いてあるが、じっと見ていると、薬が切れかけている私には、うっ、とくるものがあった。
やばい。油断したら、せっかくここまで来たのに、また体調を崩してしまう。
私はさっさと船室に戻り、また横になった。……起きたばかりで寝れなかったが、とりあえず目を閉じる。
目を閉じて、しばらく無心でいたら、扉がノックされた。どうぞ、と声をかけると、扉が開く音がした。
目を開けそちらを見ると、やっぱりというか、珊瑚だった。昨日はどこで寝たんだろうか。
「おはようさん。調子はどうえ?」
「おはようございます。だいぶ良かったんですが……」
珊瑚はちょっと首を傾げたが、何も言わずに側にきた。ので、ゆっくり上体を起こして、側の椅子に座った珊瑚に、さっきはやとおじいさんからもらった紙片を渡す。
「これ、さっき貰ったんですが、何でしょう。わかりますか?」
「なんえ?」
船酔いなんてなんのその、な珊瑚に渡すと、珊瑚はその紙片をよくよく観察していた。
しばらくして顔を上げた珊瑚は、にんまりしていた。こ、こわい。
「これ、人の名前みたいやわ。綜に船を出してくれはるかも、って」
「本当ですか。でも、なんで私達が綜に行くって知ってたんでしょう」
「さあ? なんにせよ、道が見つかって良かったなあ。陸路で行くより、早よう着くと思うえ」
「良かった」
「着いたら、この人訪ねてみよか]
「はい」
何にせよ、早く着くにこしたことはない。
気分は上がったが、珊瑚とこれからの事を話している少しの間に、またちょっと気持ち悪くなってきた。
普通に言葉が出てきはじめていたから、もしやと思っていたが、どうやら薬が切れはじめているようだ。だけど、またあの薬を飲んで、副作用で平衡感覚がおかしくなって倒れたくない。困ったな。
わかりやすく、顔が青ざめてきていたのだろう。珊瑚が私の顔を覗き込んだ。
「あらぁ、珠香ちゃん、顔色悪ぅなってきたなぁ。大丈夫? 薬が切れてきてるんやろか。無理せず寝とき、起こしてあげるし。船から降りる時は、あの坊ちゃんかお姉さんに頼むしな」
「すみません。動けなくなった時は、お願いします……」
どんどん、気にならなかった船の揺れが、気持ち悪くなってくる。むかむかというかじりじりというか、気持ち悪さが胸を圧迫してくる。
「お大事にな」
起こしていた上体を、再び横にして蹲る。
珊瑚の言葉に手を上げたあとは、ただひたすら気持ち悪さと頭痛との戦いになった。
が、戦いは割とすぐ終わった。
珊瑚が出て行ってそんなにしないうちに、船がガクンと大きく揺れたのだ。碇を下ろしてスピードを下げたらしかった。
揺れがだんだん小さくなっていったと思ったら、もう一度大きくズンと揺れて、止まったようだった。私の感覚が追いついてないので、まだ揺れているように思えたが、船は動いていないようだった。
バンと、急に扉が開いた。
ノックもせずに入ってくるのは、おそらく。
「珠香、着いたぞ」
「お嬢さん、おはようございます……あ」
船でこき使われていたのだろう二人だった。
一日ぶりに見たが、ろくに反応が返せなかった。慶珂は察してくれたようだが、春陽は心配そうにこちらに近寄ってきた。後ろから、慶珂、そして珊瑚も部屋に入ってくるのが見えた。
「おい、大丈夫か、珠香」
「うぅ……」
「大姐お嬢さん、二姐お嬢さんは乗り物酔いされてるみたいです」
「あの、馬車とかでよくなってるやつか。大変だな」
二人とも、慣れない仕事を手伝わされて疲れただろうに、ねぎらいの言葉一つかけられず、迷惑ばかりかけてしまい申し訳なさいが凄い。
「ご、め」
だが、口を開いたほうがもっと迷惑をかけるのが今判明してしまったので、色々言いたいことは、後ほどに回そうと思う。
今は、一刻も早く、船から下りたい。それか、あの薬を副作用込みでもいいから、飲みたい。
私のいっぱいいっぱいの様子を、これまたいつも近くで見ていた慶珂が察してくれたみたいだ。
「早い所、二姐お嬢さんを陸地に降ろしてあげた方が良さそうです。倭都には、私から礼を言っておきますので、大姐お嬢さん、お願いできますか?」
慶珂からの提案に、春陽は快く頷いた。
春陽のそういう分け隔てない所、本当に凄いと思う。生粋の貴族の娘なのに、偉ぶらないというか、偉そうなのは素というか。
春陽は私の側まで来て、背中を向けた。おんぶの体勢だ。気持ち悪さを押し殺して、何とか身体を起こそうとする。珊瑚が側で手伝ってくれて、何とか無事に春陽の背に乗れた。乗ったというか、寄りかかったというか。
とにもかくにも、何回目かわからない姉の背中に背負われて、私は倭都の船を降りたのだった。




