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肩の力が、一気に抜けた。
床に、へたり込む。
慶珂は既に私を解放していたので、すんなり床に座り込んだ。
私がそうなっている間にも、周りは慌ただしく走り回っている。
私も、何か、手伝わないと。
立ち上がろうとして、ぐらりと揺れた。
平衡感覚が、私が認識しているのと、実際の重力が違うような感じだ。
バターン! と派手に倒れたが、何とか頭は打たなかった。腕が痛い。
すぐに、近くに居た慶珂が来てくれた。
「お嬢さん?!」
「ちょっと、何やってんの」
指示で忙しいハズの、倭都の声が聞こえた。
「わからん。急に倒れたんだ」
慶珂が不安そうに言う。私はといえば、倒れて横になったまま、頭すら動かせない。重力は下に戻ったが、逆に下方向に凄く引っ張られる感覚になった。起きれない。あれ? 声、出ない?
「ああ、それ、薬の副作用ちがう?」
そんな私達の騒動に気づいたのか、珊瑚の声が近くでした。
「はあ?」
「たまぁにな、出る人がいるらしいねん。ほら、あの船酔い止めの薬。動けへんくなるんやってぇ」
珊瑚の声は相変わらず他人事のように、軽い。倭都の方が心配しているような声音だ。
「なにそれ。……仕方ないわね。船長室まで運んで、寝かせてやって」
倭都のその言葉で、人が集まる気配がした。沓も幾つか見える。
目は開いているし耳も聞こえるけど、身体が、動かない。口も身体の一部だからだろうか、うまく、開かない。
そうこうしている内に、床から引きはがされた。それでも私の身体の重力は、下に下に引っ張られ過ぎている。ぐったりと、背中に乗せられた。この背中、もしかして。
「大丈夫か、珠香」
春陽だ。姉である事に安心して、さらにくったりもたれかかる。重いだろうに、申し訳ない。その気持ちを込めてなんとか口を開く、が、
「あ、い、と」
やっぱりうまく口が回らない。これも副作用なのかな。副作用きつすぎない? 確かに、頭痛や吐き気はしないけど、代償重くない? 倭都に確認したい事もあったのに。
春陽が苦笑した気配がした。
春陽に運ばれ、私は無事に船長室なる所の寝床で、横になった。重力は未だに私を下に下に引っ張っている。
「あとは、私達がなんとかしておくから、ゆっくり休め」
優しい姉の声。
「あ、いあ、と」
お礼を言う口が、まだ回らない。
春陽は優しい顔のまま苦笑して頷き、出ていった。
微妙に揺れているのを感じる。
だんだん、下に引っ張られる感覚が、マシになっていく。
どれだけ横になっていたかわからないが、私はウトウトしていたようで、気付いたら寝入っていたらしい。
ハッと目を覚ましたが、船長室の明るさはあまり変わっていないように感じた。
一瞬でも寝たからだろうか。あの下に引っ張られる感覚と、口の中の苦さが薄らいでいた。今なら、多少まともに喋れるだろうか。
またウトウトしながら横になっていたら、扉が開いた。
「ちょっと、まだ死んでんの」
憎まれ口を言いながら入ってきたのは、倭都だった。そんな事を言いながらも、心配そうな顔をしている。優しい子なんだなあ。私の様子を見に来てくれたんだろう。
「ないう、いい」
「ないう? ああ、だいぶって事ね」
肩を竦めながら私の方に近寄ってきて、寝ている寝床の横の椅子に、主人のように座った。まあ、この船の主人か。この船長室だって、本当は倭都の部屋なのだろう。目に見える範囲には、大きな台と椅子と木箱ぐらいしかない。こざっぱりした部屋だ。
「あとひゃん」
「……なに」
倭都に呼びかけると、怪訝そうにしながらも私を見た。
「おのくらいえ、つく?」
「どのくらい? そうね。途中の小島で一泊するから、明日の昼ぐらいには目的地に着くわよ」
予想通り、というより、もっと早い。長永江を渡るのに三日もかかるって聞いたから覚悟していたのに。実際に来ないと真偽はわからないものね。
でも今は、少しでも時間が惜しい。
「あんえ、いっはく」
「なんでって、あんた、夜の海にはうじゃうじゃ獣が出るのよ。急ぎたいのはわかるけど、危険よ」
ふんっと、倭都が鼻を鳴らす。うう、ちゃんと喋れないのがもどかしい。
「ふら、ある」
「なによ、ふらって」
「えものよえの、ふら」
「はぁ?」
ああもう、ぜんぜん、伝わらない!
ノロノロと、言う事を聞かない腕を動かし、着物の合わせの中に入れていた本をようよう取り出す。倭都は、私の行動を訝し気に見守っていた。のでその眼前に取り出した本を置き、上に手を置いた。
「ひあいえ」
「なに? 開けって? どこを」
「かん」
「かん、ってどこよ」
そう言いながらも、倭都は素直に私が手を置いた本を取り、適当にめくった。すると、前に私がそうなったように、あるページが自動的に開き、何かが落ちた。
一瞬倭都は、何が落ちたかわからなかったようだったが、手に取り、何が落ちたのか認識すると驚いたような顔で私の方を見た。あの、環のページに挟んだままだった獣避けの札を手に持って。
「あんたこれ、オマジナイサマじゃない。どこで、いや、そういえば、貴族の娘って話だったわね、あんた。これ、ありがたく使わせてもらうわよ」
私達とは呼び方が違うみたいだが、どうやら札の効能はわかっているようだ。倭都に鷹揚に頷くと、本だけ顔の横に置いて返してくれた。再び懐に入れる気力が出ないので、そのままにしておく。
つと、立ち上がった倭都を見上げた。
「おめんれ」
「……なによ、おめんって」
今にも、札を手にして出ていきそうな倭都に、一生懸命呼びかける。倭都は、表情が読めない顔で、私の方を振り返った。
「いえんのおと、おめん」
「なによ、おめんって。喋れないなら、無理して喋らないでよ」
一生懸命言いつのろうとする私を一瞥して、ふいと顔を逸らす倭都。
「えも」
「でもじゃない。……別に、あんたのせいじゃない。あいつが、自分の意思で選んだ道よ。それは尊重されるべき事だわ」
倭都はそれだけ言うと、外に通じる扉に手をかけた。と、扉を向いたまま、倭都が止まる。
「ねえ。あんたが飛燕の事気にかけるのは、同情? それとも同族意識? あんた達って、簡単に自分の価値を投げ出すわよね。そういうところ嫌になるくらいそっくりだわ。ほんっと馬鹿ね」
八つ当たりだ、と感じた。でも私は、言葉が出ない。
「何しようとしてるか知らないけど、自分ばっかり犠牲にして、それで良いって思ってるんでしょ。まわりの事、もっと考えてあげなさいよ。あんたにとっては良い機会になったでしょ」
言い捨てるようにして、倭都は部屋を出て行った。
いったい、倭都の何に気に障ったんだろう。わからない……ううん、本当はちょっと、わかる。
飛燕は恐らく、なんらかの影響で、自分に価値が無い、と思っている。私も、そうだ。私は、環境というか、性格や見た目や能力の無さの方が大きいけど。
自分に価値が無く、周りには価値があると思っているから、簡単に自分を投げ出せる、ように見えるのだと思う。私にはそこまでの自己犠牲精神は無いと思っているけれど。
飛燕のやりようを見て、倭都の言葉は確かに、思った。
自分を簡単に捨てないでほしいと願った、私。
それはブーメランのように、私、に刺さっているのだと、倭都は言っているのだろう。
「おめんね」
呟いた言葉は、誰に聞かれるでもなく、消えていった。




