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飛燕を見送って屋敷に入ると、丁香が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ」
いつも通りの、完璧なメイドさん。
「ただいま戻りました。厨房をお借りできますか」
私が飛燕に買ってもらった魚の入った籠を掲げると、委細承知している風に丁香は頷いた。
「承っております。主人は本日、夕過ぎには戻るとの事です。晩の食事に出されますか?」
「そうですね。あまり品数が作れないので、他のものと一緒に出してもらっていいですか」
「かしこまりました。厨房長にはそう伝えておきます」
丁香はそう言うと、さっさと籠を私から受け取り、奥に消えていった。
「……丁香さん。何か気づいてるかな」
丁香が見えなくなって、慶珂にだけ聞こえるように、呟く。慶珂は、私達のやりとりなんて知らないから、判断できるはずないのに。つい慶珂に聞いてしまうのは、私の弱さかな。
慶珂は少しだけ考えたようだが、
「さあ、どうだろう」
それだけ呟くと、肩を竦めて歩き出した。大人しく、慶珂の後ろに続く。ポツリと、言葉が漏れる。
「お礼と、お別れ、言いたかったな」
「仕方ないだろ。逃げ出すんだから」
慶珂が、私の未練をバッサリ断ち切る。
そう。私は、確かに拉致られてここに来たけど、ここに来てからお世話になった人達もいる。その人達にお礼も言えず、できず、逃げ出すのは、心苦しい。
戦を止められれば、多少の恩返しになる、と思う他ない。
いつもと違う事をして、色に気取られるのが一番まずいのだから。
「そう、だね。うん」
飛燕や、丁香、料理長。その他関わった人達。せめて、これからも無事でいてほしい。
私が頷いたのを見て、慶珂が苦笑していた。
「お嬢さんのそういう繊細な所、大姐お嬢さんに少しでもあればいいのにな」
「春陽は……それが無いから春陽なのよ、たぶん。良いところでもあるわ」
慶珂の苦笑につられて、私も苦笑していた。
「二哥坊ちゃんにはあるのに、不思議だよなあ。双子っていっても、別の人間なんだよなあ」
「そう、そうなのよ。あの二人は、同じ二人じゃなくて、別々の春陽と悠陽なのよ。どうしても周囲は一緒だと思いたいから、一緒に見えてしまうけど。それだけは、可哀想だと思うわ」
前世では、双子になる過程や一卵性二卵性の二種類ある、というのがわかっていた。
でも、ここではわからない。神の奇跡、に等しいのだ。
それを押し付けられているがために、特別な双子。
正直羨ましいと思う事もあるけど、私は、平凡で良かったのかもしれない。
勝手にやってる、開戦しそうな戦を止める、という自分のワガママですら、押しつぶされそうになる事があるから。今も、お礼を言えない、という自分だけの問題で、こんなにもウジウジしてしまう。
これじゃあ、ダメだな。しっかりしないと。
「……とりあえず。いつも通り、色さんのご飯、作りに行ってくる」
「ああ。わかった。気を付けて」
「うん」
私の様子が変なのに気づいているであろう慶珂に、苦笑だけ返して、いつも通り厨房に向かったのだった。
厨房では、いつも通り料理人の人達が後片付けと支度をしていた。
すっかり、顔なじみになってしまった料理長を見つけて、話しかける。
「こんにちは、料理長。今日もお願いします」
「おお、お嬢さん。今日は何を作るんや?」
道具の手入れを中断して、私の方に向き直る料理長。少し、わくわくしているような顔をしているが、今回は申し訳ない結果になりそうだ。
「今日は、魚の身に味をつけて、衣をつけてあげようと思ってます。ただ、飛燕に聞いたら、食べた事あるかもって言ってて」
正直に料理長に言うと、ふむ、とちょっと考え込んだ。
「そうやなあ。炸肉片っていう料理があるが、それに近いかもなあ。そっちは、山の肉で作るが」
「なるほど。……じゃあ、あんかけ風にしてみましょう。揚げた魚の上にとろみをつけたあんを乗せるんです。野菜も入れて、食感も足しましょう」
「へえ。相変わらず面白い発想してんなあ。よっしゃ、それでいこ」
「はい! じゃあまず……」
いつも通り、料理長に作りたいもののイメージと工程を説明する。すると、料理長が良いように役割を割り振ってくれて、作業が進む。いつもながら有難い。
着々と料理が進む。
私は、お礼も何も言えないままだ。言ったら台無しになるから、せめて行動でと思ったけど、何も思いつかない。つらい。
もやもや考え事をしてる間にも作業は進み、料理が仕上がった。甘酢あんかけ風味で中々美味しかった。料理長やみんなのおかげだ。
ここでの作業は、もちろん料理長の計らいのおかげだけど、とても楽しくて、充実感があった。誰かの為の料理が楽しいものだと、思わせてくれた。まあ、相手はあの色だけど、作ったものみんなで食べたし、みんなの為でもあったようなものだ。
きっと、ここの人達ならいつかは思いつくような料理ばかりだったけど、少しでも、何か残ってくれたらいいな。
勝手な私の感傷だけど。
いつものように丁香たちメイドさんが、料理を運んでくれる。
私も、少し後片付けをして、厨房を出ようする。と、料理長に呼び止められた。
「お嬢さん」
「はい? なんですか」
「いや……、その、ありがとうな。色々面白い料理法を教えてもらって、刺激になるわ」
ちょっと驚いてしまった。
偶然だろうか。それとも、私がわかりやすく挙動不審だったのだろうか。それだったらマズいのだけど。
「あ、いえ、良かったです」
驚いたコミュ障にしては、言葉が出た方だと思った。料理長は、私が固まっているのに気づいたのか、苦笑した。
「それだけや。ほれ、旦那様の所に顔出して来ぃ」
そう言うと、笑って私の背中を押した。軽く押されただけだったが、つんのめったように一歩、足が出た。
ふと、足を踏み出したのと同時に、心が軽くなった気がした。たたらを踏むように、さらに二、三歩足が前に出る。
「あの、私こそ、ありがとう。楽しかった、です」
ペコリと頭を下げて、顔を上げたら、苦笑しているような料理長の顔が見えた。それはどこか、親愛の情のようなものを感じて。ああ、この人も、私に味方してくれようとしているのだと、ふと、思った。勘違いかもしれないし、そう思いたいだけかもしれない。
だけど、それでも、私は嬉しかった。
はにかむように笑って、もう一度軽く料理長達に会釈をして、私は、振り返らず厨房を出た。
人の優しさ、というのは、どこにでもあるんだ。私も、誰かに優しくなりたいな。……今のところ、自分の事で手一杯だけど。いつか、そうなりたい。
決意を新たにして、廊下を歩いたら、いつも食事する部屋にすぐ着いた。もうちょっと余韻が欲しかったけど、仕方ない。
いつも通り声をかけて戸を開けて入ると、出された料理を食べている色と、律儀に待っている慶珂がいた。
「お疲れ、お嬢さん」
「お待たせ、慶珂。色さん、お帰りなさい」
「ただいまやで」
色はいつも通り、私達の作った料理を食べている。機嫌は良さそう。
私が席について、ようやく慶珂が食べ始めた。
「今日のは、なんや普通っぽいなあと思ってたけど、これぐらいの方がほっとする時もあるやんなぁ」
色が、お皿を半分平らげながら、私を見ていった。うんうん、そういう時もあるよね。アッと言わせたかったけど、時間とレパートリーが足りなかった。
「お口に合ったみたいで、良かったです。この前のが、ちょっと奇抜すぎたみたいだったから」
苦笑しながら、色に合わせる。この前というのは、もちろんあのクレープもどきの事だ。手巻き寿司みたいで楽しいと思うんだけどなあ。
「せやなぁ。おっさんには、これぐらいがちょうどええみたいやわ」
色も、苦笑しながら私に言う。今の言葉、飛燕が聞いたら嬉しそうにおじさんおじさん言いそう。飛燕の前では、若ぶりたいのかしら。
なんだかんだ会話も少し弾み、色は完食した。
丁香たちが片付けにくる前に、そそくさと席を立つ。
「ほなな、珠香ちゃん。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
はて、寝るには早い時間だが。と、思ったが色に合わせておく。
色が出ていって、少しもしないうちに、丁香たちが入ってきて、片付けをはじめた。
いつも通り、お茶を出してもらって、慶珂とまったりする。
お茶を飲んで一息ついていると、ふと、慶珂の様子が変な事に気づいた。どこがどう、という感じではないのだが、なんとなくそう思った。
「どうしたの? 慶珂」
ので、素直に聞いてみる。と、慶珂はちょっと驚いたような顔をした後、苦笑した。
「いや……。あの、丁香って人の事、考えてた」
「えっ?!」
それは禁断の恋的な意味で?!
私の心の声が聞こえたのだろうか、慶珂はちょっと怒ったような顔をして、否定した。
「言っとくけど、惚れた腫れたじゃないからな。……あの人と、色さんの事だよ。俺、さっき色さんに妓楼に誘われたんだよ」
「ええ!?」
ちょっと今晩は刺激的なワードが多すぎやしないだろうか。
私の驚いたような声に、慌てて手を振る慶珂。
「もちろん断ったけどな! でもそういうの、女の人はあんまり良い顔しないだろ。だから、さっきそそくさと出ていったんだろうし。どう思ってるんだろうな、丁香さん」
それは、難しい問いだと思った。
好きな男が居る。その男が、お金で女性の接客や身体を買う。そして、まあ、そういう事をすることもあるんだろう。……なぜか、思戯の顔が思い浮かんで、眉が寄るのがわかった。あのひと、いつぞや妓楼の話し、してたよねぇ?
「そんな嫌そうな顔しないでくれよ、俺は断ったからなっ」
「あ、うん、慶珂の事じゃないの。慶珂はそんな事しないってわかってるから、大丈夫よ」
っていうか、慶珂にはまだ早いだろう。少年と言っても良い年頃だ。色さん何してくれるんだウチの子に。全く。
私の言葉に、慶珂は何故か微妙な顔をしていたが、やがて肩を竦めた。
「まあ、普通なんらかの反応がある筈だよな。丁香さんが行き先を知らないはずないし。関係自体はもう冷え込んでるって事なんだろうなあ」
お茶をすすりながら、慶珂が呟くように言った。
私より色んなものが見える慶珂の言葉に、昨日丁香にかけられた言葉の意味が、なんとなくわかる気がした。
願わくば、彼女自身が幸せになる選択をしてほしい。
その夜、色はおそらく屋敷に帰って来なかったようだ。
次の日の朝。
丁香はいつも通りだった。
これが、いつもの普通だったのだろう。しんどい思いをしてきたんだろうなあ。
私がぼんやり丁香を眺めていると、ちょっと気味悪いように見られてしまった。いま不信に思われるわけにはいかないのに、危ない危ない。
この日は結局、色が戻ってきたのは、お昼を過ぎてからだった。
やけに上機嫌で、気味悪いぐらいだった。帰ってくるなり、自室で寝たらしい。
夜は夜で、会合に出かけるそうなので、今日は料理はお休みだ。
変な行動をして不信に思われないように、今日部屋に引きこもることにした。あの先生から借りた本も、まだまだ読み込んだとは言えないし、丁度良い。これを読もう。
飛燕にも久しぶりに自由時間ができるし、一石二鳥だ。
飛燕に今日は出かけない旨を言付けしてもらい、慶珂にもその事を告げると、じゃあ自分もちょと出かけてくる、と言って出て行った。
そうよね。慶珂も自分の時間って無いものね(私のせいで)なので、今日は自由にしてもらう事にした。
この日は、各自自由に過ごした。
ここにはじめて連れて来られた時のようだ。もうずいぶん昔の事のように思える。
慶珂は、夕方には帰ってきた。
私にお菓子のお土産を忘れない、できた子だ。
しかし、お金はどこから出たのだろう。
不思議に思って聞くと、どうやら飛燕と二人で遊びに行ったらしい。……う、羨ましい! だけど、男の子だけで遊ぶのも大事よね。
ちょっと拗ねそうになったけど、そう思い直して素直にお菓子を受け取った。するめみたいな味がした。お菓子とは?
そして、今日は、三食料理人の人達のご飯を食べたけど、やっぱり美味しかった。これだけの物を作れる人達だからこそ、私のうろ覚えレシピでも食べれるものができるんだよなあ。環境って大事だなあ。
結局、色に会う事無く、この日は眠りについた。
明日が終われば、いよいよ、出発の朝だ。
何事も無い事を祈るしかない。




