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 夜になって、少し経った頃、色が帰ってきたと連絡があった。

 わざわざ教えにきてくれた丁香と共に、色のいる部屋に行く。


 いつも通り丁香がノックすると、中からいつもより上機嫌な色の声が聞こえた。……もしかして、酔ってる? うう、嫌だなあ。

 丁香はいつもの事なのか、気にせず扉を開き、中に入っていった。ので、慌てて追いかけるようにして、中に入った。


「あれ? なんやぁ、お嬢さん。どないしたん、こないな夜に。俺の酒の相手でもしてくれるん?」


 ケタケタと笑いながら、酒臭い息を吐く、色。座っている長机の上には、瓶子が1本と小さな杯が置いてあるが、明らかにそれ以外に飲んでいる。うっわ。現代なら絶対セクハラで訴えるタイプのやつ。勘弁してくれ。

 私が口を開けずにいると、横から、凛とした声が聞こえた。


「紅維様。こちらのお嬢様が、荷物の中にある本に、参考にしたい料理法があるとの事です。どうしても手元に置きたいそうなのですが……」


 ちょっと困ったように私を見る丁香。

 目が合う。

 あ、わかった。


「そうなんです。どうしても! あの料理法を調べたいんです。そしたら、もっと珍しい料理をお出しできると思うんですっ」


 熱意たっぷりに説得してみる。

 いま私の横に、おそらくこの状態の色に慣れている丁香が居てるくれるの、めちゃくちゃ心強い。

 色は、特に疑問にも思わなかったのだろう。またケタケタ笑った。


「ほんっま、自分、真面目やなあ。別にええのに。まあ、それで気が済むっていうんなら、ええよ。丁香。物置の鍵の場所わかるやろ。連れって行ったげ。ただし、持ち出すんは本だけやで」


 酔って、思考能力が低下しているだろうに、ちゃんと釘を刺せるのは、流石だと思った。


「はいっ。本さえあれば、十分です。ありがとうございますっ」


 頑張って、可愛らしく熱意を持ってお礼を言う。色はにんまり目を細めたまま、うんうんと頷いていた。


「礼なら、俺の酒の相手でもええんやで~」


 ちょっとだけ、背中に悪寒が走った。冗談だとわかっていても、こういう酒に酔ったおっさん、前世でも今世でも苦手だ。


「紅維様。お酒の相手は、私が後で……。今は、お嬢様をご案内してきます」

「はいはい。はよ行っといで」


 私が困っていると、丁香さんがちょっと色気のある声で、助け船を出してくれた。それを、軽くあしらう色。

 愛人。飽きた感じ。ほっとく。

 あの二人の会話が、唐突に頭のなかでリフレインする。……複雑な心境だ。


 そんな私の心境などどこ吹く風で、丁香は私に部屋を出るように促した。

 ありがたく色の部屋をさっさと出る。

 丁香はその後、色と少しだけ言葉を交わして、部屋の外に出て来た。


「それでは、参りましょうか。すぐそこですので」


 そう言って、なんでも無い風に歩き出す丁香。

 その少し後ろを歩く、私。複雑な気分。




 色の部屋から出て、一旦別の部屋、おそらくメイドさん達の仕事の為の部屋に丁香だけ入って、鍵を持って出て来た。あと、一回り大きな提灯を持ってきてくれた。明るい。


「お待たせいたしました。こちらです」


 そういうと、また丁香はさっさと歩き出した。慌ててついていく私。ちょっとだけ、気心がしれた気がするけど、気のせいかもしれない。

 丁香はそのまま無言で歩き、廊下の角を曲がると、急に止まった。

 ふいに、外というか庭に面している廊下というか、縁側に辿り着いた。その庭の向こうに、一つ小さな蔵のようなものが見える。ちょっとした階段があり、小さな高床式倉庫のようだ。あれが、色が言う物置だろうか。

 この場所から、あの物置まで、それなりに往復するのだろう。

 外履きのくつが置かれていた。沓というより、サンダルに近いけど。何足か並べられており、丁香は迷わずそのうちの一足に足を通した。私も、適当に合いそうな沓をひっかける。


 私の足元を照らしてくれていた提灯を前に向け、丁香が歩く。

 五、六歩も歩けば到着した。庭の周りは高い生垣で覆われており、外から隔離している場所に思える。

 建物自体も、そんなに大きくはないが、かけられている錠は立派だった。そういえば、丁香が持っている鍵も大きめだ。

 丁香はそのちょっとした階段を上り、扉の横の出っ張りに提灯をかけた。そして、持っていた大きい鍵を、太い鎖に繋がった錠に差し、回した。

 あっけなく錠が開く。

 その奥の扉も、少し重い音をたてたが、難なく開いた。


 建物の中は、夜の星空の光も届かないようで、真っ暗闇だった。窓も無いらしい。

 丁香は扉の横にかけた提灯を再び取り、中を照らしてくれた。


 思ったより、整頓されているようだ。こまごました行李はこが隅に積まれており、真ん中に、見た事ある袋が見えた。慶珂が持っててくれた、私の荷物だ。おそらく、慶珂から取り上げて、そのままここに放り込んだのだろう。

 何の疑問も持たず、その荷物に近づく。

 夜の暗さに少しは慣れてきたが、まだまだ良く見えない。


「すみません、私の手元を照らしててもらえますか?」


 そう、私は、本を、探しにきたのだ。他にも思惑はあるけど。

 とりあえず、提灯を持っているのは丁香なので、そうお願いして、自分の荷物を開く。丁香は何も言わず、言った通りに照らしてくれた。


 正直、荷物は戴から慶珂が持ち出してくれたものだから、何が入っていて何が無いのか、わからない。

 おそらく、本は無事だろうと思って口実に使ったけど、無かったらどうしよう。私は内心冷や汗をかきながら、その袋の中を手探りで探した。提灯の明かりだけでは、まだはっきりとは見えない。布の感触と、木と、何か。

 うーん、と思いながらも手を袋に突っ込んで探していると、ふと、上から声が降ってきた。


「ありがとう、ございます」


 最初、聞き間違いかと思った。

 なんだろうと思って顔を上げたら、いつも通りすました顔の丁香がいた、ので、やっぱり聞き間違いだったのか、と思った。ら、


「お嬢様のおかげで、主人が邸宅に戻る日が増えました」


 やっぱり、丁香が喋っていた。すました顔で、口を動かしている。その言葉と、表情がちぐはぐな気がして、口を半開きにしたまま見つめていると、ふと、微笑まれた。うーん、やっぱり丁香は笑った方が可愛いと思う。


「これは、独り言としてお聞き流しください」


 つい、見惚てしまう。と、その丁香に探すように促された。ので、急いでまた俯いて本を探し始めた。


「いろいろと、感謝、しているのです。だから、どうぞご自身のなさりたいようになさってください」


 丁香の声は、あくまで静かで優しくて、何だか、泣きそうだと思った。だから、顔を見る事が出来なかった。一生懸命、先生から借りた本を探す。


「私自身も、踏ん切りがつきました。これも、お嬢様のおかげです」


 やっぱり、我慢しきれなくなって、丁香を振り向いてしまった。そこにいたのは、静かに微笑む、女性だった。


「……なんで、あんな人を?」


 つい、口からこぼれ出てしまう言葉。丁香は静かに微笑んだままだった。


「誰かを好きになる、のに理由なんて無いのかもしれません。……でも、好きでい続けるには、理由がいるのかも、しれませんね」


 口を半開きにした、呆けた顔のまま丁香を見上げていたが、手に、何かが当たった。紙の感触のようだった。思わず、丁香の顔から、自分の荷物の方に目をやってしまった。取り出して明かりに翳す。そこには確かに、風伯先生にお借りした、あの本があった。


「探し物は見つかりましたね。それでは、屋敷に戻りましょう」


 いつもの完璧なメイドさんの、丁香がそう言った。振り返ってみても、さっきのは夢だったのかと思うぐらい、いつも通りの丁香だった。

 私は、その本を大事に抱きしめると、開いた荷物の袋を丁寧に、しっかり閉じた。


「お待たせしました」

「いいえ。足元お気をつけください」


 立ち上がり、先に入り口で私を待っている丁香を振り返る。

 私が扉をくぐると、丁香は、あの重たそうな鍵でしっかり扉の錠を閉じた。

 そして何事もなく、いつもの部屋の前に戻ってきた。


「それでは。失礼いたします」

「あのっ、丁香さん」


 いつものように、一礼して去って行こうとする丁香を、思わず呼び止めてしまった。怪訝そうに振り向く丁香。


「ありがとうございます。色々と、私の方こそ」


 私の計画は、色家に不都合をもたらすから何にも言えないけど、感謝の気持ちだけは、どうしても言っておきたかった。怪訝そうにしていた丁香だったが、ふっと、笑った。


「おやすみなさいませ」


 そういうと、丁香は今度こそ、一礼してさっと去って行ったのだった。


 できた人だ。

 礼を、拒むことも、受け取ることもせず、ただ微笑みだけを残して去る。

 こいう事が、さらりとできるには一体どれだけの経験を積んだら良いのだろう。

 もとからのコミュ力が違うのかしら。だとしたら、絶望的だ。


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