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 馬車は、ほどなくして色邸についた。


 少しふらっとしながらも、慶珂の手を借り、降りる。

 いつも通り、飛燕はその馬車で自宅まで戻るようだ。少しふらふらになりながらも、振り向いて、飛燕を見る。


「飛燕。今日は、ありがとう」


 馬車を出そうとしていた飛燕が、驚いたような顔で私を見た。そして、ちょっと微笑んだ。


「いいよ。気にしないで。……それじゃあ、また明日」

「ええ。また明日」


 それだけ言葉を交わすと、さっさと飛燕は馬車を出して、行ってしまった。

 あの子にだけ、辛い思いをさせてしまうな。

 でも、この、おそらく名門の色家の傍系なら、それなりに貴族なのだろうし、バレてもすごく酷い目には合わないんじゃないだろうか、と踏んでる。

 どこの国でも、貴族は特権階級だ。罰する機関、というのが成熟していないから、罰するのも難しい、はず。


「なあ、お嬢さん。大姉お嬢さんと、連絡はつくのか?」


 屋敷の中に入る前に、慶珂がこそっと聞いてきた。なので、少しだけふふんと鼻を鳴らし、答える。


「あの二人が、どこにいるかはわかってる。飛燕も計画に巻き込んだから、会いに行くのはたやすいハズよ」


 そんな私の得意顔が気に入らなかったのか、慶珂は呆れた顔ををして、鼻をならした。


「なあ、お嬢さん。もしもの話だか、飛燕が俺たちの計画を密告して阻止するかもしれない、とは考えないのか?」

「え?!」


 思わず、邸宅の軒先で大声を出してしまった。ハッとして口を押える。

 ざわりと、心に嫌な風が吹く。


「な、なんて事言うのよ、慶珂」

「まあ、可能性だよ、可能性。あんまり、人を信用しすぎても良くないんだぜ。飛燕を信じたい気持ちはわかるが」


 そういうと、慶珂は苦笑した。……本当に、できた子だ。私なんかよりも、よっぽど。


 私は、飛燕に対して一方的に親近感をいだき、一方的に信用した。あの子の雰囲気もあるだろうけど、年下だというので、警戒を怠っていたのかもしれない。それを、思い出させてくれた慶珂。気をつけよう、とは思ったが、やっぱり飛燕を疑う事は難しかった。

 あの子には、たぶん、深い傷と闇がある。それは、倭都に縋る事で、かろうじて自分を保っていられる程の。なら、倭都が私達の味方である限り、あの子も裏切れない。そう、狡くも判断してしまったから。あと普通に、飛燕は良い子だと思った。そのカン以外に信じるものは、無い。


「あら、お嬢様でしたか。お帰りなさいませ。いかがいたしました?」


 馬車が止まったのに、一向に中に入ってこない人間に不審を覚えたのだろう。丁香が玄関の扉を開けて、私達を見つけた。


「あ、丁香さん。いま戻りました」


 ちょっとビクッとしてしまったが、平静を装えただろうか。

 丁香は、少し怪訝そうに首を傾げたが、なんでも無い風に、


「日が暮れると、危のうございます。さあ、中へ」


 そう、自分が立っている位置をずらして、私達を中へと促した。


「お夕食は取られてくるとの事でしたので、お茶をご用意しております。洗う物がありましたら、お申しつけください」


 私達を先導しながら、完璧なメイドさんが言う。

 ……この人が、ここの主人でモテるであろうあの色の、愛人。なるほど、この屋敷の中で発言が強くなるわけだ。まあ、この人の場合、有能だからというのもありそうだけど。綺麗な人だしね。飽きるなんて信じられない。正妻は身分的に難しいのだとしても、ほったらかしなんて。やっぱり女性の敵だな、あの男。


「お嬢様?」


 などと、とりとめもなく考え事をしていたらしい。丁香が怪訝そうに私に問いかけてきた。


「は、はいっ」


 思いっきり思考中に話しかけられたので、声が上ずってしまった。うう、もうこの性格やめたい。


「……具合でも悪いのですか? もしお辛いようでしたら、主人に医者を呼ぶように」

「だっ、大丈夫、ですっ。あっ、あっ、あの、本、本を、読みたくて」

「?」


 丁香が少し心配そうに言うので、声が上ずったまま、めっちゃどもりながら、口から出まかせを言ってしまった。こういう時、本当になんでそんな事言っちゃうかな、って自分で自己嫌悪する。

 もっと言い方あっただろう、自分。ほら、丁香がさらに不思議そうな顔をしているよ…。


「ほ、本が、環から持ってきた、本があるんです。どうしても調べたいレシピ、料理方法がそれに書いてて。だから、あの」


 ああ~。もう完全に悪手。しゃべればしゃべるだけドツボにはまるし、悪い方向に向かっていく。

 終わった。

 これは、終わった。珊瑚に何とかしてもらう(窃盗的な意味で)しかなくなりそう。

 そう絶望しながら丁香を見ると、不思議と、丁香は静かな面持ちで私を見つめていた。な、なんだろう。


 少しの沈黙。

 こちらを伺うような、丁香の表情。それは、完璧なメイドさんではく、丁香、という女性の顔に見えた。


「……かしこまりました。ご自身の本を、ご所望なのですね。今晩、主人も帰ってまりますので、お聞きしてみましょう」


 想像していた反応とは全然違った。むしろ、良い方向に転がったようだった。なんで、あんなきょどった言動で、そんな風に言ってくれるんだろう。普通、もっと疑うのではないだろうか。この完璧で有能なメイドさんが、そんな簡単な嘘を見逃すとは思えない……あっ、と思った。

 なぜか、急に感じた。

 この人は、今、私に味方しようとしてくれている、と。

 職務以外では喋った事もない、本当はどういう人なのかもわからないこの女性の、急な好意。はじめて会った時に感じた少しの悪意も、今はもうほとんど感じられないし、いったいこの人の中で、何があって、今私に味方しようとしてくれるのだろう。

 わからない。

 わからないけど、今はそれに乗っかるしかない。


「あ、りがとう、ございます。お願いします。大切な本で、私にしか読めないんです」


 話を合わせるように、言葉を発する。丁香は引き受けたという風に、軽くお辞儀をした。




 その後は、いつもの部屋に案内されて、お茶を出された。その時に、慶珂に持たせていた食器類の片付けをお願いした。丁香はいつものように完璧なメイドさんの顔で、それを引き受けてくれた。


 あの時の丁香は、少し雰囲気が違った。

 いったいどうしたんだろう。

 考えても、わからない。

 でも、こちらの計画にとっては好都合だ。乗っかれるだけ乗っかろうと、それだけ心に決めた。

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