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 首を傾げたままの飛燕に、血の気が引いたまま、言葉をかけた。


「色さんというのは、そんなにも尹の中で、重要な人物だったの? かんのむすめを懐柔出来たから、利用できるって、中心人物たちに進言できるぐらいに」


 それは、問いではない。確認だ。飛燕はぎょっとしたような顔をしたあと、申し訳なさそうに、眉を下げた。


「……ごめんね。僕は、尹の人間として、その問いに答えてあげられない」


 その辺はまだ、義理を通すらしい。

 尹に来てから、誰もが色の素性を隠して教えてくれない。それはつまり裏を返せば、それだけ有力な人物だ、という事。確実に、尹国の重要な役職についている。将軍としてか貴族としてかは知らないけど。

 ちょっと考えてちょっとつつけば、わかりそうなあの色という人間の正体と、こういう事態になるかもしれない、というのを考えてもいなかった。のほほんと、ご飯のレシピだけを考えていた今までの自分を殴りたくなる。


「そうね、ごめんなさい飛燕。……倭都ちゃん」


 飛燕にとりあえず謝り、倭都に向き直る。倭都は、怪訝そうな顔で私を見た。


「なによ」

「いつ、出航できる? 明日や明後日には無理なのはわかる。でも、なるべく急いでほしいの。尹が、私を監禁する前に、穏便に脱出したい」


 先ほどまでの、のんびりした雰囲気を全て捨て、倭都に真摯に語り掛ける。

 はぁ? と呆れたような声を上げた倭都だったが、私がさっきまでのように謝ったり目を逸らしたりしないのを見て、違いを感じ取ってくれたらしい。腕組みをしながら少し考えて、手のひらを上げた。


「三日。三日あれば、仕入れに行くという名目で、船を出すところまでいける。でも、三日より前は無理」


 三本指を立てて、私を見る。その顔は、さすがボスの一人娘だと思った。すでに頭領としての威厳がある。


「わかったわ、ありがとう。無理させてごめんね。……飛燕。さっきの話、私が気づいていなければ、おそらく今まで通り市に買い物に行ったりできるよね」

「たぶんね」

「そう。わかったわ、ありがとう。出航は、三日後。いつも通り、市に買い物に行くふりをして、倭都ちゃんの舟に乗るわ」


 私のいつにない素早い判断に、三人ともただ私を見つめていた。

 慶珂が、溜息を吐いた。


「全く。昔っからお嬢さんは、こうと決めたら早いよなあ。決めるまでが遅いんだけど」


 苦笑して、肩を竦めている慶珂。その動きで、他の二人もちょっと息を吐いた。


「あと、言い忘れてる事があるぜ、お嬢さん。俺たちの他にあと二人、乗せて欲しい人がいるんだが、良いか?」

「ウチとしては、構わないわ。例外なく働かせるけど」

「それなら、期待しててくれ。体力お化けが一人いる」


 慶珂が茶化すように笑うと(たぶん春陽の事だと思うけど)倭都は鼻を鳴らして、じゃあこき使わないとね、と笑っていた。

 さすが慶珂。出来るこ。完全に、二人も乗せて欲しいというのを言い忘れていた。


 気ばかり、焦る。

 早く、尹を脱出しなければ。

 綜へ、舜へ行かなければ、すべての決意が間に合わなくなってしまう。

 急に、黙り込んでしまった私を不審に思ったのだろうか、


「お嬢さん、大丈夫か」


 慶珂が、声をかけてくれた。


「……慶珂。私、ここで何してたんだろう。急いで、行かなきゃいけなかったのに」


 慶珂には、つい弱音を吐いてしまう。私の言葉を聞いた慶珂は、驚いたような顔をした後、苦笑していた。


「ここで、いろいろ飯を作ってたから、飛燕経由で、倭都に会えたんだろ。結果良ければすべてよし、じゃないか」


 慶珂の優しさが、沁みる。私が、環に帰らないと我儘を言っているのに、それに付き合うどころか、励ましてくれる。有難い。慶珂がいなかったら、困難にめげて心が折れていた事が、何回もある。


「そう、そうね。ありがとう、慶珂」

「どういたしまして」


 悪戯っぽく笑って、私のお礼を受け入れる慶珂。慶珂がいてくれたら、なんでもできる。そんな気にすらなってくる。

 

「でもあんた達、荷物はどうすんの。大荷物持ってたら、目立つでしょ。アタシたちも尹の警備兵に目をつけられたく無いんだけど」


 慶珂とのやり取りでジーンとしているところに、倭都ちゃんが現実的な問題を提起してくれる。ハッとした。


「あっ。忘れてた。色さんの屋敷のどこかにはあるハズなんだけど……飛燕知らない?」

「知らない。おじさんの屋敷の事なんて……そうだ。丁香さんに聞いてみたら? あの人、屋敷の事ならなんでも知ってるから」


 飛燕に尋ねると、良い事思い付いたみたいな感じで言われた。でもたぶん、それが一番難しいと思うの。あの、忠心の塊のようなメイド長に聞いても、教えてくれるわけないのだ。

 私が黙り込んでしまったのを見て、飛燕が察してくれた。


「ああ。そうか、丁香さんおじさんの愛人だもんね。おじさんを裏切れないか。そしたらどうしよう」


 飛燕の何気ない、ともすれば聞き流してしまいそうな抑揚の途中で、ブフッと、変な息を吐いてしまった。


「あっ、あああ、あい…っ?!」

「えっ? そうだよ。珠香さん、気づかなかった?」


 なんでもない顔で、小首を傾げながら飛燕が聞いてくる。……ぜんっぜん! 気づきませんでしたけど?!

 慶珂が、あちゃー、みたいな顔で見てくる。


「ぜんぜん、わからなかった」

「そっかあ。あ、でも、珠香さんが気づかないぐらいお屋敷に帰ってきてないなら、丁香さんも愛想つかしてるかも。そこつついて、聞いてみたら?」


 この子、ぼんやり可愛らしい顔しながら、えげつない事提案してくるな。


「俺はわかったぞ。ただまあ、確かにいい人にしては、なんというか、ちょっと飽きてる感じだよな」


 そうだったの、慶珂。良い人って、そういう意味だったのね……全然気づかなかった。空気読めない喪女をなめてもらっちゃ困る。

 慶珂の言葉に、飛燕はちょっと考える。


「そう、だねえ。丁香さん、確かにおじさんの愛人の中では長い方かも。側室にぐらいしてあげたら良いのに、あの色情魔いろぼけ、遊びたいからって放ってるんだよねえ。だから、あの人に関わって幸せになった女の人って知らないんだよね、僕」


 結構、毒吐くよね、この子。おじさんもとい色さんの事に関してだけだけど。


「と、とりあえず、丁香さんに聞くだけ聞いてみるわ。わからなかったら、また別の手を考えましょう。三日あるし、なんとかなるでしょ」


 私の言葉に、飛燕が苦笑のような表情をする。なんだろう。


「珠香さんって、結構前向きな人だったんだね」

「まさか。やる事が見えた、ってだけ。手伝ってくれる人も見つかったから、自分を追い詰めてるだけなのよ」


 前世でも、前向きとは言われた事無かった。実は、ちょっとだけ嬉しいけど、そこまで言う必要は無いだろう。飛燕は変わらず、苦笑していた。なぜか、慶珂も苦笑していた。なんで?




 その後は、少しだけ話をして、倭都と別れた。私達はまた馬車で戻り、倭都は倭都で帰るらしい。頭領の一人娘だから、おそらく護衛のような人がどこか近くに居るのだろう。

 馬車は憂鬱だけど、やる事が、一気に見えてきた。


 まず、帰ったら丁香に荷物のありかを聞くだけ聞き、珊瑚や春陽に連絡を取る。場所が分かれば、おそらく珊瑚が何とかしてくれると思う。

 そして、倭都の船に乗る事を言う。さらに、漁村から舜に行くルートを調べないといけない。他国の地図なんて手に入りようが無いけど、もしかしたら先生の本にヒントがあるかも。……風伯ふはく先生、元気かな。

 そして、実際にどう動いて、何日かかるのかの試算。そこまでの旅費。


 やる事は、山積みだが、時間は有限だ。……が、馬車の中は無理。屋敷に帰って考えよう。

 馬車の中で横になって死んでる私の前では、男の子ふたりが、何やら話をしているようだった。



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