番外編 一方その頃、瑞の人々は 後編
風伯と伯景に廻廊で別れを告げ、(さすがに部屋に入るのは躊躇われた悠陽が止めた)とりあえず、報告の為に司馬の所に戻ることにした。
指令室に着くと、なんと劉勇は環公に呼び出されており、不在だった。しかも、戻ってきたばかりの二人、悠陽と伊芝にも呼び出しがかかっているという。
心当たりが無いので首をひねるしかないのだが、環公の呼び出しであれば、行かないわけにはいかない。
二人は、再び並んで歩き出した。
呼び出された場所は、環公が臣下を集めて政策を決める朝廷という部屋ではなく、個人的な執務室の方だった。
二人が、緊張しながら名を告げ、扉を開けるとそこには、
「あ、来られましたよ」
「おお。ようやく来たか」
玉雲と、劉勇、そして、環公その人が居た。
入った二人は、最上級の礼をして、その人の前に進み出た。
「よくきたな、二人とも。悠陽と、伊芝と言ったな。顔を上げるがよい」
その声は、まだ幼く、高い。
そう、環公、本名を環姫という女性は、珍しい女侯主であるというだけでなく、幼い少女だったのだ。まだ、十になったばかりである。顔にあどけなさの残る少女だが、その態度は堂々としたものだった。
入ってきた二人は、環公の声に顔を上げた。
顔を上げて見た環公の表情は、どこか不安そうだった。
おほん、と劉勇が咳払いをした。
「二人とも、苦労かけたな」
「いえ、とんでもありません。ところで、瑞司馬。私達は、何故ここに呼び出されたのでしょうか」
伊芝の丁寧な問いかけに、劉勇は疲れた顔を見せた。そして、環公を見る。見られた環公は、まるで叱られる前の子供のように、首をすくめた。
「春陽の行方がな、わかったのだ」
「ほう。それはもしや、戴ではありませんか?」
確信めいた声で伊芝が尋ねると、劉勇は驚いた顔をした後、どこか納得したように頷いた。
「さすが、伊芝殿だな。そこまで察しがついているとは」
「滅相もありません。聞いた話を繋ぎ合わせたら、そう結論付けるのが自然だと思っただけです。それで、どういう経緯で戴に行ったのでしょうか?」
さらっと謙遜し、伊芝は劉勇を見た。見られた劉勇は、どこか怖い顔で、環公を見た。首をすくめていた環公は、言い訳をするように大人たちを見た。
「だ、だってな、司馬。春陽が、了承してくれなかったら独りで行く!
と言うて聞かなくてな。行くであろう、春陽なら。だから……」
「あンの馬鹿娘!!」
劉勇の怒声が執務室内に響き、窓や戸を揺らした。直接怒られたわけでなく関係無い伊芝ですら、ビクッとした。
「陛下も陛下ですぞ! 春陽を甘やかすのはお止めくださいと、あれほど申し上げたでしょう」
さっきの、自分の娘に対する怒声よりは、幾分落ち着きを取り戻した声だったが、劉勇の雷が、驚く事にこの国で一番偉い筈の、環公に落ちた。ビクッと身を竦める、瑞の兄妹と、環公。
その様子を、伊芝は驚いたように見ていた。
瑞の一族が、環公と親しくしているというのは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。
環公は首をすくめたまま、小さく消え入りそうな声で、すまぬ、と言った。
「まあまあ、瑞司馬。起こった事は仕方ありません。これからの対策を考えましょう。環公、春陽はどういう道のりで旅するのか、お聞きになりましたか?」
優しい声で、環公に尋ねる伊芝。瑞の兄妹は、先ほどの父親の怒りのせいで使い物にならないので、仕方ない。
優しく声をかけられた環公は、ちょっとホッとしたように、伊芝を見た。
「それならば、大丈夫だ。心配ない。珊瑚を付けたからな」
「黄の奥方をですか?! よく承知しましたな、あの女人が」
先ほどのまでの怒りはどこへやら、劉勇が純粋に驚きの声を上げた。環公は、どこかドヤ顔をしている。事情がわからない伊芝が、劉勇を見て。
「瑞司馬は、その方をご存じなのですか?」
「ああ、知ってるもなにも……そうか。伊芝殿も話には聞いておるだろう、隠密という者達を。その隠密達の、頭領の奥方だ。隠密としても、かなり優秀な人だと聞く」
一人、劉勇だけが意外そうな、そして安堵したような顔をしていたが、他の三人には意味がわからない。きょとんとしている三人に、環公が補足をしてくれた。
「珊瑚は、家庭を大事にすると言って、滅多に任務に参加しないのだ。腕は確かだが、性格がその、独特でな。今回は、春陽の妹を心配する気持ちに感動して、自ら志願してくれたのだ。珊瑚がいれば、黄とも連絡を取れるであろう? 良い案だと思ったんだが……」
最初の方は、どこか自慢げに説明していた環公だが、最後の方は劉勇にお伺いを立てるように、消え入りそうな声をして劉勇を見上げた。
劉勇は、見られた最初こそ、怒っているような顔をしていたが、そんな風に泣きそうになっているのを見続けられるほど、鬼ではない。
はあ、と軽く溜息を吐き、もう怒ってないという顔して、環公と向かい合った。
「まあ、今回は不肖の娘が暴走した事です。その身勝手なわがままに、最大限の保険をかけて頂いた事には、感謝致します。が! これより後は、このように春陽を甘やかす事が無いよう、何かあった時は私を通して頂くよう、強くお願い申し上げます」
環公はその言葉にしょんぼりしていたが、頷いた。
環公は、聡明な少女だ。
一人の家臣に執着し溺愛してしまうと、そこから腐敗の手は伸びてくる。誰か一人ではなく、全員を平等に扱う必要があるのだ。それが一番難しいのだが。
その事もあって、こんなに怒っているというのをわかっているから、素直に司馬の叱責を聞いている環公。自分の為と思ってくれている事が、わかるから。怖いけど。
「すまぬ、司馬。これからは気を付けるようにする」
「わかってくだされば良いのです。それにしても、不肖の馬鹿娘です。すぐに珊瑚と連絡を取って、連れ戻さねば」
「おそれながら、瑞司馬。それはちょっとお待ち頂いた方が良いかと」
今日何度目かの、溜息を吐いて劉勇が言った言葉に、伊芝が待ったをかけた。驚いたように伊芝を見る、劉勇と環公。
「ほう、それは何故だ?」
「師匠が、言っていました。春陽の行動力は、きっと珠香殿を助けるだろう、と。連絡が付くというなら、そして既に環に居ないのならば、珠香殿の近くに置いておかれた方が良いのではないですか」
「風の……太史が、か。だが」
「それに、強制的に連れ戻しても、春陽ならまた出て行ってしまうのではないですか? 今度は、本当に誰にも言わず独りで行ってしまう事も考えられます。それこそ、最悪の事態になるのでは?」
「しかしだな」
伊芝の言葉に、あと一歩の所までは納得しかけているのだが、劉勇は頷かない。
これには、理由があった。
双子は、瑞兆の印とされているが、それだけでは無い。一部の者しか知らないが、正しき王が生まれる先駆けとして、この世に産まれてくるといわれているのだ。
この環で産まれたこの双子の後に、環姫が誕生した。それこそが、正当な継承権の証になる。なりうるのだ。
先代の環公は子供ができにくく、生まれた子も病死などで既におらず、直系の後継ぎは環姫しかいなくなっていた。
幼子、しかも女児である。普通なら揉めに揉め、侯位の簒奪だってあったかもしれない。それが無かったのは、ほかならぬこの双子のおかげだった。
今、環姫の脆い公の椅子は、双子が支えている。双子が双子で無くなったら、意味が無いのだ。
その為、劉勇は万が一の事を考えて、春陽を連れ戻したいのだ。それを知っているのは、劉勇の他は環公ただ一人。
「……良いのだ、司馬。こたびの事、わらわの力不足が原因じゃ。環が、わらわが下に見られなければ、珠香も戴に行かなくて済んだじゃろう。春陽は強いし、珊瑚も付いて行ってる。心配なかろう。だから、今回は春陽の気が済むようにさせてやれないだろうか」
環公の顔は、泣きそうだったが、微笑んでいた。それは、本当に友を心配しているようでもあり、自分のふがいなさを噛みしめているようでもあった。
十の少女に、そんな顔までさせてしまった劉勇は、困ったように眉を下げた。そして、諭すように口を開いた
「陛下。いつも申し上げている通り、陛下のせいで見くびられるという事はありません。そのような事があれば、それは私達、臣下の力が及ばなかったせいであります。その事で気に病む必要はございません。ですが、そこまで仰るのであれば、今回は! 帰ってくるまで、様子を見る事に致しましょう」
「司馬!」
「父上!」
劉勇の言葉に、一方は歓喜の声を上げ、一方は絶望の声を上げた。
「そんな、春陽ばっかり!」
悠陽だった。僕も行きたかったのに、という言葉は何とか飲み込んだが、言いたい事は山ほどある、という顔を父に向けた。それを見て、父はさらに困ったような、憐れむような顔になった。
「すまんな、悠陽。お前まで環から出すわけにはいかぬのだ。後で、何か一つ我儘を聞いてやるから、ここは堪えてくれ」
ふてくされたようにしてる悠陽だったが、父の最後の一言にグッと心の中で拳を握った。しかし表情はあくまでも、渋々しながら、
「わかりました。その約束、忘れないで下さいね」
そう、物分かりが良い風に頷いたのだった。
「でも、姉さま達、いつ帰ってくるのでしょうね」
今まで、黙って事の成り行きを見守っていた末妹が、ふと呟いた。
「さぁなあ。戴の気が済むまで、とは思うが、あまりにも長くなったら苦情を入れねばならんだろう。瑞司馬が心労で倒れる前に、な」
伊芝が笑いながらそう言うと、そんなに酷いか? と劉勇は恥ずかしそうに頭をかいた。否定はしないらしい。
その様子を、皆、朗らかに笑って見ていたのだった。
環公が幼女なのは、完全に趣味ですw




