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「……あんたはさ、そうやって笑ってる方が、良いと思うよ」
バチン、と目が合った。
どうしよう、視線が、外せない。その、とろけるような目線に、絡めとられてしまう。この表情を、人は何というのだろう。外せない目線を、なんと呼べばいいのだろう。
「前にさ、俺が、なんで面白くなさそうに笑うのか、って聞いたよな」
ふと目を伏せて、思戯は声のトーンを落とした。目線が外れて、良かったような、良くなかったような。
「う、うん」
私を見ずに思戯は、あの、つまらなさそうな、口角を上げた顔になった。
「昔から、面白くない事が多くてな。貧困層、のガキなんて人間扱いされねーんだ。笑えるだろ」
貧困層のガキ。今の思戯と、全く結びつかない単語だった。
私が知ってる思戯は、あの戴の貴族の息子で、武将で、それなりの地位にいる人。その人が、子供時代を貧困の中で生きていた?
私が何も言えずにいると、何故だか、ちょっと面白そうに私を見る、思戯。
「俺、実は、物心ついた時には貧困層で暮らしてたんだ。俺の母親が、あばずれだなんだと言われてあの糞親父に捨てられたから、貧困層で暮らすしかなくてさ。燎とは、そん時からの友達っつうか戦友なんだ。あんたみたいな生粋のお嬢さんには、まるで別世界の話だろ」
またちょっと目を伏せ、目線を逸らす。
「どうしようも無い事しかなくて、毎日毎日面白くなかった。そしたら、燎が、面白くなくても、笑うんだって。そしたら、ちょっとだけこのしけた世界が楽しくなる気がするんだ、って。ふーん、と思って俺もやってたら、なんか癖みたいになっちまっててな。抜けねーんだ」
そう、自嘲するように言う思戯。
「笑ったら、少しは楽しかった?」
突然挟まれた私の言葉に、思戯はちょっとびっくりしたような顔をした後、口角を吊り上げたまま、
「ああ。少しだけな」
そう言った。
その顔に浮かんだのは、たぶん、懐かしさ。思い出、のようなものだと思う。
きっと、世界は子供だった彼らにとって優しくなくて、辛い事が多かったのだと思う。そんな世界で、二人でそうやって、意地でも笑いながらここまで生き抜いてきたのだと思うと、なんだか自分が浅い人間のようで恥ずかしかった。
楽しかったら、笑う。悲しかったら、泣く。そんな当たり前の事しか、今世はやってこなかったから。
「そっか。……ごめんなさい。私、あなたに対して、失礼な事を聞いたのかもしれない」
自分の恥ずかしさに耐え切れず、ぽろりと謝罪をこぼすと、思戯は驚いたように目を見開いた。そのすぐあと、プッと吹きだした。
「なんだよ、いきなり。あんた、やっぱり変わってんな。普通、こんな話聞かされたら、同情するとか、軽蔑するとか、見下すんじゃねーの?」
「そうかな?」
「そうだぜ。えぇ~、かわいそー、思戯ちゃん。でも今は良い暮らししてるじゃなぁ~い、ってな」
急に始まった、オネエみたいな声音に、こっちがビックリした。この人、少し低めな声なのに、そんな甲高い声だされると、とたんにギャクっぽくなるの、凄いわ。茶化したいのか、笑わせたいのか。
「なにそれ、言われたの?」
「ああ、遊郭でな。鉄板の話なんだぜ」
うわ、遊郭とかやっぱり行ってるんだ、という顔をしてしまったのだろう。思戯は苦笑した。違うの、そういう商売がある事も、そうするしかない人も、そこに行くしかない人も、いる事は理解してるし、差別したいわけでもないの。でもね! やっぱりね! 喪女には刺激が強いネタなの!
「ま、それは置いといてさ。そういうわけで、俺は楽しくない時ほど、笑ってんのさ」
この短い間で、この人の、笑顔の種類、というものがだいぶ見分けがついてきたと思う。本当に笑いたくて笑ってる時と、笑おうとして笑っている時。今は、後者だと思う。
「そっか。大変だったんだね」
「今は、贅沢で楽な暮らししてるからな。そんなガキの頃の記憶なんざ、どうでも良いのさ」
あ、また、自嘲するような、笑おうとして笑ってる顔だ。
ううん、聞いていいのだろうか。
深入りするようで気が引けるけど、気になるし、聞いてしまおう。
「思戯は、武将なんだよね? でも、あの王さんは、どう見ても文官だった。思戯だけ、武将なの?」
戴の国がどういう制度になってるかまでは聞いてなかったから知らないけど、貴族はいわば重要な官僚だ。
自身で軍事力を持っているし、有事の時はそこから兵も出すけど、貴族自身が戦に出向く事は少ない。
武官という、軍事の専門家達が全面的に戦を仕切るはずだ。瑞の家のように、貴族で武官という家筋もあるが、少ない。誰も、わざわざ死にに行きたくないのだと思う。
私の言葉に、思戯はぴくっと眉を寄せた後、なんでもない事のように話し始めた。
「ああ。貧困層でガキ大将みたいな事して暮らしてたが、立ち行かなくなってな。食い扶持を稼ぐために、燎と一緒に軍に入ったんだよ。軍でなんか手柄を立てたら、どんどん昇進していってさ。そしたらある日、あの親父の使者が、やっと見つけた、お前は時期的に王氏の子だ、とか言ってきたわけよ。笑えるだろ? 一度は捨てた子供を、後継ぎが全滅したから必死に探したんだと」
そう言う思戯の顔には、なんの感情も浮かんでなかった。淡々と、面白くない事を話している、みたいな顔。
「もちろん最初は反発したが、貧困層から、いっきにお貴族様だ。軍を辞めたく無いなら、将軍にもしてやるって言われてな。乗らねえ手はねえって、最終的にはその地位を手に手に入れ、それで、今ここに居るのさ」
思戯は、笑う。楽しくない事ほど、口角を吊り上げて、笑う。
貧困層から、貴族。
確かに、それだけ聞けばシンデレラストーリーだ。でも、ちっとも楽しそうじゃないこの人を見てると、色々思う事があった。
「……私ね、まわりから、一人だけ顔が違うとか、何もできない子だとか、本当の子供じゃないんじゃないかって、いろいろ陰口を言われてきたよ。もしかして、思戯も?」
子供であっても、精神年齢が高くても、傷つく言葉、というのはあるものだ。自分の出自というデリケートな話題を陰口で言われるのは、かなり堪える。思戯も、そうじゃないかと、ふと思った。
貴族だろうが、平民だろうが、口さがない人というのはいるのだ。
思戯は、ちょっと目を見開いた後、二ィと笑った。それは、予想外の顔だった。
「そういう奴は、どこいでもいんだな。俺の出自は、公然の秘密ってやつで、色んな奴らが想像を膨らませ、いろいろ言うんだ。だがな」
今まで見た中で、一番楽しそうな、そして、一番凄みのある笑顔で、思戯が囁いた。




