19
ゲホゲホッ!
急速に肺に満たされる空気に、思いっきりむせた。
咳が止まらない。
上半身を起こし、止まらない咳の苦しさと喉の痛みに涙ぐむと、大きな手が私の背中を優しくさすった。
激しい咳は、割とすぐ治まったが、咳をし過ぎたせいで喉と胸が痛い。なお背中をさする、手。
少し深呼吸して楽になってきた。ああ、こんなに気がきくのは、
「ありがとう、伯兄さ……思戯?!」
そう、思わず伯景だと思って、何の疑いもせずに振り返ると、そこに居たのは、あの男だった。
思わず呼び捨てにしてしまうと、向こうの方が驚いたような顔をした後、やれやれとでも言いたげに、手を離した。背中が、少し寒くなった。
「あ、違うの。ごめんなさい、私、寝ぼけてたみたいで。ありがとうございます、王さん」
何が違うか自分でもよくわからなかったが、とりあえず頭を下げた。喉の痛みも一時的だったようで、声も問題なく出るようだ。良かった。
思戯はふてくされたような顔をしていたが、何か良い事を思いついたように、二ィと笑った。
「礼には及ばんさ。ただ、そうだな、恩を感じるなら、俺の事を思戯と呼んでくれ。王、の姓は好きじゃないんだ」
最後の方は、自嘲するように笑う、思戯。
勝手に心の中で呼び捨てにしていたとはいえ、いきなり対面にいる人間を呼び捨てには、できない。どこのコミュ力強者だ。
「あ、あの」
「ま、王とさえ呼ばなければ、それでいいさ」
「oh……」
「だから、呼ぶなって」
ちがう、誤解だ。と言いたいが、言っても理解されないだろうと思って、口をつぐんだ。
……っていうか、もっと重大な事、あった。
「ここ、どこ?」
そう、落ち着いてくるにつれて、周りの様子が気になってくる。
とりあえず目の前にあるのは、土。人工物は一切ない、土でできた空間。
つまり、ここは、洞窟?
それにしては、手が届かないほど上に、採光用と思える穴があいている。子供すら出られなそうな大きさの、穴が。
自然物でできてるが、人の手が入っていないわけではない。そう分かる一番の理由が、
「さぁな。是非、俺たちを捕えた奴らに聞いてくれ」
私の後方にある、太い木でできた、柵。
牢屋のように、出入りができないよう閉じられた造りになっていた。
思戯は私の後方を見て、肩をすくめた。私の記憶にあるような海外の文化なんて無いはずなのに、肩をすくめてやれやれ、みたいな動作はあるらしい。なんか、不思議だ。
というか、そんな場合じゃないんだった。
「捕えた奴……?」
「ああ。俺たちは、現在捕まってる」
「なんで?」
「……」
思戯は、無言だった。
言いたくない、というような、言っても良いか迷っている、ような、微妙な顔。さてはこの人、こうなった理由、察しがついているな?
私が疑わしそうに見つめていると、思戯は目を逸らし、私を見ようとしなかった。
人と目を合わせられない私だが、こういう時そんな事されると、余計不安になるじゃない!
「っくしゅん!」
と、突然くしゃみが出た。ブルッと身体が震える。
急速に、身体にまとわりつく衣類が、濡れて張り付いている事が、不快に思えてきた。
と同時に、溺れて一度死にかけた事を思い出した。
違う意味でも、ブルッと身体が震えた。
良かった、生きてて。まだ、死にたくない。まだ、生きていたい。
一度死を体験したくせに、その時の記憶はおぼろげで、生き残った今の方が、強く死を意識し、恐怖した。
もう一度、クシャミが出た。
気温が上がる昼間で、この洞窟内も陽が当たっている所は寒くないが、確実に、気化熱で体温が奪われていく。
濡れた袖を絞ると、勢いよく水が滴った。髪も、濡れて気持ち悪い。思戯を見ると、思戯も同じような感じだった。ただ、幾分最初より薄着になっている。
「大丈夫か」
「ええ。でもちょっと、寒くなってきたかも」
「そうか。火でも熾せれば良いんだが、あいにく方法が無くてな」
そこで、思戯が私をジッと見た。なんだろう、私、火打石とか持ってたっけ? そう思って探してみたけど、無かった。
クエスチョンマークを浮かべながら見返すと、思戯は苦笑しながら目線を逸らした。何、その態度。なんか馬鹿にされてる?
「……なに?」
「いや、なんでもない。とにかく、さっさと此処を脱出しないとな」
聞いてみるが、なんだか楽しそうな声で、はぐらかされた。いったいなんなの?
それにしても、ここから脱出するって、結構無理っぽい気がするんだけど、本気だろうか。
「助けが来たり、しない?」
「さあ、どうだろ。異変に気付く奴はいるだろうが、此処は分からないんじゃないか。俺も目隠しされて放りだされたから、どこかはわからねーし」
思戯の顔をじっと見るが、悲観は見えない。
この人、本気でここから自力脱出をしようというのだろうか。
私があんまりにも疑わしそうに見ているからだろうか、ふと笑って、苦笑とも微笑みともとれない顔で、思戯は、
「心配すんな。あんただけでも、俺が、必ず助けてやるよ」
そう、言った。
「一緒に捕まってるのに?」
思わず私がそう返すと、ニッと、思戯は笑った。あの、楽しくなさそうな笑みではなかった。
「俺は、めちゃくちゃ凄いからな。機をうかがってんだよ」
「なにそれ」
軽口にしか聞こえない言葉に、思わずふふっと笑ってしまうと、思戯も笑っていた。
なんだか、ちょっとだけどうにかなるかもしれない、そんな気がしてきた。




