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 ゲホゲホッ!


 急速に肺に満たされる空気に、思いっきりむせた。

 咳が止まらない。

 上半身を起こし、止まらない咳の苦しさと喉の痛みに涙ぐむと、大きな手が私の背中を優しくさすった。

 激しい咳は、割とすぐ治まったが、咳をし過ぎたせいで喉と胸が痛い。なお背中をさする、手。

 少し深呼吸して楽になってきた。ああ、こんなに気がきくのは、


「ありがとう、伯兄さ……思戯?!」


 そう、思わず伯景あにだと思って、何の疑いもせずに振り返ると、そこに居たのは、あの男だった。

 思わず呼び捨てにしてしまうと、向こうの方が驚いたような顔をした後、やれやれとでも言いたげに、手を離した。背中が、少し寒くなった。


「あ、違うの。ごめんなさい、私、寝ぼけてたみたいで。ありがとうございます、王さん」


 何が違うか自分でもよくわからなかったが、とりあえず頭を下げた。喉の痛みも一時的だったようで、声も問題なく出るようだ。良かった。

 思戯はふてくされたような顔をしていたが、何か良い事を思いついたように、二ィと笑った。


「礼には及ばんさ。ただ、そうだな、恩を感じるなら、俺の事を思戯と呼んでくれ。王、の姓は好きじゃないんだ」


 最後の方は、自嘲するように笑う、思戯。

 勝手に心の中で呼び捨てにしていたとはいえ、いきなり対面にいる人間を呼び捨てには、できない。どこのコミュ力強者だ。


「あ、あの」

「ま、王とさえ呼ばなければ、それでいいさ」

「oh……」

「だから、呼ぶなって」


 ちがう、誤解だ。と言いたいが、言っても理解されないだろうと思って、口をつぐんだ。


 ……っていうか、もっと重大な事、あった。


「ここ、どこ?」


 そう、落ち着いてくるにつれて、周りの様子が気になってくる。

 とりあえず目の前にあるのは、土。人工物は一切ない、土でできた空間。

 つまり、ここは、洞窟?

 それにしては、手が届かないほど上に、採光用と思える穴があいている。子供すら出られなそうな大きさの、穴が。

 自然物でできてるが、人の手が入っていないわけではない。そう分かる一番の理由が、


「さぁな。是非、俺たちを捕えた奴らに聞いてくれ」


 私の後方にある、太い木でできた、柵。

 牢屋のように、出入りができないよう閉じられた造りになっていた。


 思戯は私の後方を見て、肩をすくめた。私の記憶にあるような海外の文化なんて無いはずなのに、肩をすくめてやれやれ、みたいな動作はあるらしい。なんか、不思議だ。

 というか、そんな場合じゃないんだった。


「捕えた奴……?」

「ああ。俺たちは、現在捕まってる」

「なんで?」

「……」


 思戯は、無言だった。

 言いたくない、というような、言っても良いか迷っている、ような、微妙な顔。さてはこの人、こうなった理由、察しがついているな?

 私が疑わしそうに見つめていると、思戯は目を逸らし、私を見ようとしなかった。

 人と目を合わせられない私だが、こういう時そんな事されると、余計不安になるじゃない!


「っくしゅん!」


 と、突然くしゃみが出た。ブルッと身体が震える。

 急速に、身体にまとわりつく衣類が、濡れて張り付いている事が、不快に思えてきた。

 と同時に、溺れて一度死にかけた事を思い出した。

 違う意味でも、ブルッと身体が震えた。


 良かった、生きてて。まだ、死にたくない。まだ、生きていたい。

 一度死を体験したくせに、その時の記憶はおぼろげで、生き残った今の方が、強く死を意識し、恐怖した。


 もう一度、クシャミが出た。

 気温が上がる昼間で、この洞窟内も陽が当たっている所は寒くないが、確実に、気化熱で体温が奪われていく。

 濡れた袖を絞ると、勢いよく水が滴った。髪も、濡れて気持ち悪い。思戯を見ると、思戯も同じような感じだった。ただ、幾分最初より薄着になっている。


「大丈夫か」

「ええ。でもちょっと、寒くなってきたかも」

「そうか。火でも熾せれば良いんだが、あいにく方法が無くてな」


 そこで、思戯が私をジッと見た。なんだろう、私、火打石とか持ってたっけ? そう思って探してみたけど、無かった。

 クエスチョンマークを浮かべながら見返すと、思戯は苦笑しながら目線を逸らした。何、その態度。なんか馬鹿にされてる?


「……なに?」

「いや、なんでもない。とにかく、さっさと此処を脱出しないとな」


 聞いてみるが、なんだか楽しそうな声で、はぐらかされた。いったいなんなの?

 それにしても、ここから脱出するって、結構無理っぽい気がするんだけど、本気だろうか。


「助けが来たり、しない?」

「さあ、どうだろ。異変に気付く奴はいるだろうが、此処は分からないんじゃないか。俺も目隠しされて放りだされたから、どこかはわからねーし」


 思戯の顔をじっと見るが、悲観は見えない。

 この人、本気でここから自力脱出をしようというのだろうか。

 私があんまりにも疑わしそうに見ているからだろうか、ふと笑って、苦笑とも微笑みともとれない顔で、思戯は、


「心配すんな。あんただけでも、俺が、必ず助けてやるよ」


 そう、言った。


「一緒に捕まってるのに?」


 思わず私がそう返すと、ニッと、思戯は笑った。あの、楽しくなさそうな笑みではなかった。


「俺は、めちゃくちゃ凄いからな。機をうかがってんだよ」

「なにそれ」


 軽口にしか聞こえない言葉に、思わずふふっと笑ってしまうと、思戯も笑っていた。

 なんだか、ちょっとだけどうにかなるかもしれない、そんな気がしてきた。

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