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 しばらく、無言で進む、私達の小舟。


 顔が上げられない。

 今日は穏やかで水面も凪いでいる為、舟もゆっくり進み、あんまり酔う心配もないから、私も景色を楽しみたい。

 何かのタイミングで、顔を上げなければ。そう思うのに、なかなか勇気が出ない。

 そんな時、ようやく、


「それでは、右手をごらんください。栄河えいが三大奇景の一つ、巨大岩です。どうしてこの場所に一つだけ、このように大きな岩が残っているのか、誰も知らないそうです」


 船頭さんが、事務的にそう言った。

 まるで、観光案内のパンフレットを読み上げているかのような言い方が少し気になったが、見たかったし、丁度いい機会には違いない。

 思い切って顔を上げると、確かに、先の方に大きな岩がたっていた。

 私が舟の上で直立するより、さらに高くそびえている。

 これはたしかに、なぜこの岩だけここにあるのか、不思議だ。

 舟も、その岩になるべく近寄るようにして進む。


 近くに寄ると、遠くで見るよりもより巨大に見えた。

 その横を通り過ぎる時、その岩が何かに見えたが、何かはわからなかった。

 しばらく見つめ続けていると、不意に声がかけられた。


「その岩、横から見ると、人の横顔に見えるだろ」

「……ああ!」


 思戯の言葉で、ただの岩が、額と鼻と顎のある人横顔に見えて、胸にストンと落ちた。すっきりした。


「すごい」

「割と知られてないんだ。俺も教えてもらって、はじめて気づいたぐらいだからな」


 少し得意げに笑っている。くそう。やっぱり顔を見ると恥ずかしくなるので(コミュ障だから仕方ない)、視線を横に逸らせた。下を向くと、景色が見れなくなるのは、さっきので経験済みだ。


 また、無言のまま、舟はゆっくり進む。

 好奇心で、舟の外に手を出す。

 指先に水の流れる感覚。私の指が、水面に跡を残していく。その感覚を楽しんでいると、前方から、躊躇いがちに声をかけられた。


「……すまなかったな」

「え?」


 驚いて、思わず思戯を見ると、思戯は目元を伏せていた。長い睫毛が、目元に影を落とす。

 なんだろうと思い、思戯を見ていると、頭の後ろをかいて、何だか言いにくそうな顔で、私を見た。


「今までの事、すまなかった。色々と」


 そういうと、頭をガバっと下げた。あまりに急な事に、対応が出来ず無言でいると、頭を上げた思戯は、更に真面目な顔をしていた。


「あんたが、俺を許せないのはわかるし、許さなくていい。全部、俺のせいだから。こうなったのは、全部。だから、本当にすまないと思っている」


 そして、もう一回、頭を下げた。

 いったいなぜここで、あの時の事を謝られるのか、わからなかった。しかもそんな、本当に申し訳ないと思っているような、顔で。


「あの」

「あんたを、泣かせたかったり、困らせたかったわけじゃないんだ」


 そう言って、思戯は私から視線を逸らし、また目を伏せた。

 殊勝にしているこの男を見る事になるとは、思いもしなかった。しかもこんな、本当に悪いと思っているような顔で。そんな、そんな事言われたら、


「あの、違うの。ち、違うわけじゃないんだけど、泣いたのは、私の勝手だから」


 私も、あの時の事を告白せざるを得なくなるではないか。そうでないと、本気で謝ってきているこの人に、フェアじゃない。

 思戯は、私が気を使ってそんな事を言っていると思っている、ような顔をした。ので、少しだけ覚悟を決めて、私も言葉に出した。ここには、誰も、私や家族を知るものは、誰もいない。


「一番最初に会った時、確かに、酔っ払いだったし、絡まれたら嫌だなと思ってた。でも、絡まれたり環木を横取りされそうだったから、泣いたわけじゃないの。……私、可愛い、って言葉が嫌いで。いつも、私にその言葉をかける人達は、私と、美しい妹や姉を比較して、同情する為に使うから」


 初めて、他人に吐露する気持ちというのは、なんでこんなにもドロドロに濁っているのだろう。聞かされた方も迷惑だろう。

 知らずに落としていた目線を、反応が無いのでおそるおそる上げる。

 思戯は、微妙な顔をしていた。どういう反応だ。

 頭の後ろをかいて、微妙に私と視線を合わせず、思戯は口を開いた。


「……そうか。それは、本当にすまなかった。その言葉を言われて、傷つく女性がいるなんて、考えた事もなかったんだ」

「普通は、そうだと思う。だから、あの時泣いたのは、私の勝手で。そんなに謝る事じゃない。あ、でも、着替え見たのは許さない」

「あ、あれは! 違うんだ、用意が出来たから呼びに行こうと思って……勝手に入ったのは、悪かったよ」


 なんだか、妙に慌てふためく思戯が面白くて、少し、笑ってしまった。私が笑った事で、思戯もなんだか肩の荷が下りたように、苦笑した。


 少しだけ、穏やかな空気が流れる。

 初夏のような爽やかな風が、二人の間を吹き抜ける。

 水の涼しさや、遠くで魚が飛び跳ねた音。

 木々のさざめき。

 昼のあたたかな陽光。

 

 先ほどまでまったく気付かなかった、周りの気候や音が、一気に私の中に入ってくる。さっきまでの重苦しい緊張が、少しずつほどけていくのを感じる。

 ふと、思戯と目が合う。思戯が先に、目を逸らした。

 私、人に先に目を逸らされたのって、はじめてかもしれない。

 目を逸らされるのって、思っていたより、傷つく。そんなの、はじめて知った。

 私が、胸の奥の小さな痛みに気づいたのと同時に、思戯が口を開いた。視線は逸らしたまま、遠い所を見ているようだ。


「俺も、同情されるのは、好きじゃない。だから、少しだけ、あんたの気持ちわかるよ」

「そう……あなたも、色々あったのね」


 聞かないのも、優しさだろう。

 私は、ふと水面に目をやった。

 流れる川面に、私の影が揺れる。何気なく水面を辿れば、思戯の影も揺れている。

 こうやって、二人だけで乗っているのに、穏やかに過ごせるなんて、最初の時は思ってもみなかった。

 思戯も、水面に目を落としていたらしい。顔を上げると、目が合った。

 はじめて、この人を、ちゃんと見たかもしれない。


「ねえ。なんで、はじめて会った時、楽しくなさそうだったのに、笑ってたの?」


 あの時、はじめてこの人を見た時、酔っぱらっている、ということと、なんで笑ってるんだろう、楽しくなさそうなのに、と直感的に思った。それが、不思議だった。

 笑顔を浮かべるなら、ちゃんと笑ったらいいのに。

 ここにきて、世話になってからは見る事が無かったから、あの時だけ、何かあったのだろうか。

 今なら聞けるとなんとなく思って、口から言葉がこぼれた。

 思戯は、ハッとしたような顔の後、自嘲するような笑みを浮かべた。


「それは、昔から……危ない!」

「きゃっ!」


 急に、手を引っ張られ、体勢を崩した。

 そのまま顔面から舟底にぶつかるかと思ったが、何か物体に当たった。それが、人間の身体だと気づくのに、少しかかった。

 ビックリして離れようとするが、背中に腕がまわされ、ガッチリホールドされていた。な、なに?!


 そのすぐ後、高い金属音がした。

 まるで、真剣で双子が斬りあっているかのような、音。剣? なんで、ここで剣が出てくるの?

 もぞもぞと動いて、顔だけ、思戯の肩から出した。出した瞬間、向こう岸で人影が動いた。

 アウトドアしてます、という動きじゃなかった。明らかに、攻撃し攻撃されていた。誰かの足元に、一人倒れた。


 と、ぐりんと、抱きしめられたまま身体が半回転した。そして、腕が離され船底に手をついた。

 だから、何事?!

 剣同士を打ち鳴らすような音は、続いている。

 バッと顔を上げると、思戯の後ろ姿が、私の目の前に立ちはだかっていた。

 その向こうには、知らない男たち。何か、液体がかかった。バッと拭うと、それは、真っ赤な液体。


「?!」


 声にならない声を上げる。それに、思戯が気を取られたようで、私を振り返った。

 なんでも無いと、首を急いで振ったが、後ろから思戯に迫る剣が見えた。とっさの事に、思戯をかばうように立ち上がり、思戯の方に手を伸ばした、瞬間、舟が大きく揺れた。

 それは、別の何かが、この舟に思いっきり飛び乗ったかのような衝撃だった。

 中途半端に立ち上がってしまった私は、そのまま足をもつれさせ、舟の縁につまづき、思いっきり重力に引っ張られた。


 バシャン!!


 ど派手な音と共に、私の身体は一気に水に包まれた。

 私、前世泳げなかったんだけど、今世はワンチャン泳げたり……しませんでした!!


 もがいたせいか、急速に肺から空気が抜け、息ができない苦しい。


 水泡と水の圧力が私を包む。


 あ、これ、死んだかも……。 











完!


※ウソです

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