17
思戯が向かっている建物の向こうには、大きな河と、並んだいくつもの舟が見える。
後ろを振り向くと、慶珂が心配そうな目でこっちを見ていたので、ゆっくり頷いて、前を見た。思戯は私を待って、その建物の扉を開けた。
中は、活気あふれる待合室、のようになっていた。
扉を開けると、まず豪華絢爛な大きな衝立が置かれていて、横にカウンターのような所があった。そこにお店の人がいて、料金を支払うようだ。
思戯が、そのお店の人に近づくと、ベテランのようなお店の人は、ハッと気づいたような顔になった。
「お待ちしておりました。本日ご予約の舟をご用意いたしますので、少々お待ちくださいませ。二階でお待ちになられますか?」
「いや、今日は良い。下で待つ」
「かしこまりました。あいにく、本日は込み合っておりまして、他のお客様とお待ちいただく事になりますが、よろしいでしょうか」
「ああ」
流れるようなやり取りののち、思戯は私を振り返り、少しだけ申し訳なさそうに私を見た。
「少し、窮屈な思いをするかもしれない。すまないな」
「かまいません」
他のお客さんと一緒に待つ方が、逆に良い。沈黙はやっぱり、ちょっとしんどいから。気がまぎれる方が良い。
思戯が何か手続きを済ませ、店の人に案内されて、衝立の向こうへ歩き出した。慌てて後を追う。
待合室、という印象は間違ってなかった。
広い部屋に、いくつもの椅子、長椅子が置かれ、そこにめいめい人が座っている。庶民っぽい人から、金持ちのような人まで。たくさん。
……っていうか、女性多くない?!
周りの女性はみんな着飾っており、薄めの服に、細い飾りがたくさんついた、かんざしやブレスレット、ネックレスで飾り立てている。
貴賤は関係なく、女性はみんな、キラキラしていた。
私、もしかして、地味? ちょっと良い服着てきたんだけど、地味?!
そんな沢山の人の間をすり抜け、ちょっとした個室に入る。
そこにも、着飾った女性と、金持ちそうな男性。
いくら鈍くて、世間知らずな私でもなんとなく気づいた事があるんだけど、もしかして、ここってデートの定番みたいな所なのかな。映画館的な。
「それでは、準備できましたら、お呼びいたします」
そういって、お店の人は、出て行った。
個室には、八人程座れるのだが、すでに六人座っていて、思戯の隣に座るしかなくなった。立ってていいなら、立っていたい。そうとも言えず、促されるまま、座った。
すると、思戯は横には座らず、横に立った。座らないのかと思って見上げると、良い、と言ってそっぽを向いた。正直ありがたいんだけど、気を使っているのか、思戯も私の横に座りたくないと思っているのか。その想像には、ちょっと、胸の中がもやっとした。
「あらぁ、ごめんなさいねぇ。ここ、どうぞぉ」
私の左横に座っていたしゃなりとした若い女性が、甘ったるい声で、私達に声をかけてきた。化粧が濃く、服が薄い。
連れである男性に腕を絡ませ、持たれかかっていたが、私達にそう声をかけると、連れの男性の方に更に詰めてくれた。連れの男性も微笑んで、女性の腰に手を回し、もっと女性を抱き寄せるような形になった。
み、見慣れてないから、ちょっと恥ずかしいんだけど。
ちょっと困りながら、助けを求めるように思戯を見てしまう。思戯も、どうしようかと悩んでいるようだった。
女性がわざわざ詰めてくれたのだから、その好意を無駄にするわけにはいかない、よね。
「ありがとう、ございます」
私は一旦思戯から視線を離すと、女性の方に詰めて、右側の空間を広くした。
また思戯を見ると、思戯もちょっと困ったような顔をしていたが、耳の後ろをかいて、慎重に私の横に座った。
なるべく端の方に寄せて座ったが、なにぶん、椅子の幅は限られているし、この人は武人であるからか、普通の男性より少しだけ幅がある。細マッチョ、というより、普通とマッチョの間みたいな幅だ。
自分より質量のある物体が、横に座っている、という状況に慣れない。しかも、少し動けば触れてしまいそうな、距離。
周りは、ざわざわと楽しそうにおしゃべりをしている。
私達だけ、お互いの存在を感じながらも、沈黙している。
触れそうで、触れない距離。
二人だけの静寂。
どちらも、何のアクションもしない。
なのに、勝手に早まる鼓動。
緊張しているのだろうか。
わからないけど。
周りの音だけが、滑っていく感覚。
周りだけが、動いていく感覚。
お店の人に呼ばれ、一組、また一組と席を立って行く。
そうして、どれだけ沈黙していたかわからないけど、部屋の中には、私達二人だけになった。
「なあ」
「お待たせしました。お客様、こちらへどうぞ」
思戯が何か話しかけてきた瞬間、扉が開いてお店の人が入ってきた。思わず思戯を見ると、バツが悪そうに頭の後ろをかき、立ち上がった。私も、つられるようにして立ち上がる。
「……今日はえらく手間取ったな」
思戯が、お店の人に当たり前のように話しかける。話しかけられた方も、とくに驚くでもなく応える。
「申し訳ございません。予定していた船頭が急に……所用で来れなくなりまして。代わりの者を探しておりました」
「そうか」
思戯は、それ以上は興味がないといった風に、外を見た。
私といえば、お店の人が行った先、河の方へ通じる扉の、外を見たくてしょうがなかった。
思戯が、扉を抜ける。続いて、私も。
「わぁ!」
眼前には、広い河。太陽の光を浴びて、キラキラ輝いている。
そして、水面には、いくつもの水の轍。それぞれの舟の後を追うように、線となって複雑な模様を水面に描いている。
まさに、水の都。舟の街だ。見た事のない景色に、胸が弾む。
「下見て歩いた方がいいぜ、この辺危ないからな」
思戯の声も、耳を素通りする。
ゆったり行きかう、細い舟。屋台舟は、とどまるように揺蕩っている。向こう岸には、白壁の家や石造りの橋。
色んなものに気をとられていたせいか、足元が確かにお留守になっていたようだ。
どこからどうなっていたかわからないのだが、踏み出した右足が、地面を、踏まなかった。あろうことか、そのまま体勢を崩して、地面へーー、
「おい、大丈夫か」
倒れなかった。
がっしりとした腕が、私の上半身を、支えてくれたからだ。
その腕は、まさかと思っていたが、思戯から、伸びていた。
私が姿勢を立て直すと、さっと腕は離れて行った。
え? な、何今の?! っていうか顔近かったんだけど!?
心臓が、一拍遅れて、早鐘を打つ。
「だから、危ないって言ったろ。階段」
思戯が、ふと笑いながら、下を指さす。確かに、そこから階段が始まっていた。
恥ずかしさと、何やらわからない感情が、胸の奥からこみあげてきて、顔が熱くなる。
「あ、の、ありがとう」
「どういたしまして」
思戯はそういうと、また少しだけ笑って、さっと顔を前に戻した。スマート…! ,慣れてる感じがすごくて、なんか逆に嫌だ。
それからは、おとなしく足元に注意しながら階段を降りて、階段から続く桟橋を歩いた。
桟橋には、色んな舟が泊められていて、ところどころ歯抜けになっていた。今いない舟は、使っているのだろう。だとしたら、結構な数の舟を所有しているようだ。
このお店、大きなお店みたい。
お店の人が先導してついたのは、一つの小舟の前だった。船頭さんらしき男性が、一人待機している。
小舟といっても、丈夫そうな木でできているみたいで、座る所に布がかけられていたりと、ただの舟とは少し違うようだ。
「それでは、ごゆっくりお楽しみくださいませ」
「本日はよろしくお願いいたします」
お店の人と、船頭さんがそれぞれ挨拶し、お店の人は来た道を戻っていった。
どうしよう、私、舟乗った事ないから、乗り方がわからないんだけど。
ひとりであたふたしていると、思戯がさっさと、縦に長い棒を掴み、軽やかに舟に乗り込んだ。
そうやって、乗るものなのか。私も、見よう見まねで乗るしかない。
そう思って、長い棒の方に手を伸ばすと、すっと、別方向から手がのびてきた。
ビックリしてその手の方を見ると、既に乗り込んでいた思戯の手だった。驚いた顔のまま固まっていると、思戯の方もえ? みたいな顔で止まった。
しばしの沈黙。
伸ばされ、差し出され続ける、手。
私の方が、根負けしてしまった。船頭さんを待たせるのも、悪いよね?
覚悟を決めて、棒の方に伸ばしていた手を、思戯の方へ、おそるおそる伸ばした。
手を、重ねる。大きい。そして、ちょっと冷たい。固いのは、剣を持つからだろうか。
私のほうが緊張して、変な汗出て来た。
さっさと乗ろう。
重ねた手に力を込めると、向こうもグッと踏ん張るように手がこわばった。そのまま、トンっと桟橋を蹴り、舟の上に降りる。私が下手くそに乗ったせいで、舟が揺れる。それを、思戯と船頭さんがうまい事して、治めてくれた。
怖かった! でも、ちょっとドキドキして、楽しかったかも。
と、手がすっと離れていった。離して、はじめて強い力で握ってしまっていた事に気づいた。冷たいと思った手も、離れてみれば、暖かったのだと、思う。
その思考に恥ずかしくなって、うつむいた。
「それでは、危険ですので、お座りください。今日はどのようにいたしましょう」
船頭さんの言葉で、ハッと我に返って、自分の後ろにある座れる所に座った。椅子ではなく、柱のような所だが、布というか、座布団が置いてあるから、ここが座る所で間違いなさそう。
座ると、ちょうど思戯と向かい合う形になる。やっぱり、うつむいてしまう。顔を見たら、こっちの顔が真っ赤になりそうな気がしたから。
「任せる。適当に、有名所を回ってくれ」
「かしこまりました」
思戯の言葉で、ゆっくり舟が動き出した。
ゆらゆらと揺れながら、川面に水の轍の線を引く。
せっかく舟遊びが始まったというのに、私はしばらくの間、顔も上げられずに、、足元の板ばかり見つめる事になった。




