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「本当に、止めたかったの」


 思戯の服に頬を預けたまま、涙が次から次にあふれて、思戯の服に吸い込まれていく。背中に回った腕が、微かに強くなる。


「……あぁ、頑張ったんだな」


 上から降ってきた想いもしなかった優しい言葉に、たまらなくなった。もう我慢ができなくなる。思戯のお腹あたりの服を、ギュッと掴んでしまった。


「わ、私はっ、誰にも、みんなにも、戦って欲しくなかったっ。だって、どっちかは死んじゃうかもしれないっ。私、どっちにも、知り合いがいるのよっ。どっちが死んだって、誰が死んだって悲しい。みんな、みんな良い人なのに!」


 それ以上は、言葉にならなかった。ああぁ、とうめき声のような嗚咽を上げる事しかできなかった。

 思戯は何も言わず、ただ抱きしめてくれた。その暖かさが、今は救いのようで……絶望する未来しか見えなかった。

 労るように背中を撫でる手の優しさ。

 暖かな腕、胸の中にいるという安心感。

 そして、離れていく温もり。


「……そういうもんだ。仕方ない。だから、お前は自分の一番大事な物を守れ、珠香。お前は必ず、環に逃がすから」


 私の嗚咽が少し落ち着いた所で、思戯は優しくそう言いながら、私の身体を離す。スース―する身体がさみしい。


「いちばん、だいじ?」

「そう。生きてりゃなんとかなるからな。自分の命だけは、何としても守れ」

「あなたがそれを言うの?」


 春陽と話した時と同じ絶望感が、ドクドクと私を満たし、言葉が入ってこない。

 泣きながら、怒りながら、笑ってしまう。

 

「自分の命が一番大事なら、あなたはどうなの? 私にそんな事を言うあなたは、これから何をしに行くの? 命が一番大事って言うなら、大事にしてよ! 一緒に生きてよ!!」


 吐き捨てるような言葉に、しまったと思った。だけど、かまうものか。唇を噛み締め、胸の辺りをギュッと握りしめていると、


「……っ。俺の一番大事は、おもしろおかしく生きる事、だからな。愉しく生きてきたから、それでいいのさ」


 思戯の声。思わず見上げると、あの、楽しくなさそうなニヤニヤ顔に戻って、どこか明後日の方向を見ていた。

 そんな思戯に、また涙が溢れてきた。自分でも、なんでこんなにも悲しいのかわからない。


「うそ」

「本当だ。燎や、ここの奴らと好き勝手生きてきたからな。ガキの頃には思いもしなかった贅沢もしたし、沢山遊んだし、俺は満足してんのさ」


 ああ。

 この人は、私とは、根本的に生き方が違うのだ。常に死と隣り合わせで生きてきたであろうこの人に、私ができる事なんて、やっぱり何も無かったのだ。あの牢屋で交わした約束で、少しでも変わったと思ったのは、私の方だけだったのだ。

 その無力感で、泣いているのだろう。


「……そっか」


 自分でも思った以上に、諦めた声が出てしまった。一旦鼻をすする。

 一回だけギュッと目を瞑り、ゆっくり開く。

 スッと、常に帯に挟んでいた短刀をとりだした。ほんのり暖かいが、すぐに冷めてしまうぐらいの温もり。

 それを、思戯に向けて差し出す。

 おやっという顔をするが、疑問の声はあげず、思戯も私に向かって私の玉を差し出してきた。


「それは、あげる」


 だが、その輪っか状になった玉を受け取るのは拒否した。首を傾げる思戯。


「いや、悪いだろ。これ、結構高い良いやつなんだろ」

「うん。だから、あげる。持ってて」


 私がかたくなに受け取りを拒否するものだから、思戯もちょっと困ったようだった。


「じゃあ、俺もその短刀、やるよ」


 その言葉にはすぐに首を横に振った。


「これは、私には重すぎるから」


 私の言葉の意味を、どうとらえたかはわからないけど。思戯は、そっか、とだけ言って素直に私が差し出した短剣を受け取り、玉を自分の首に戻した。ちょうど、心臓の所に石がくる長さ。


「くれるってんなら、有難く貰うぜ。貧困層のガキだったから、意地汚くてな」


 わざと茶化すように言う思戯に、頑張って笑顔を作る。


「売らないでね」

「おっと、その手もあったか。だが、あいにく金には困ってなくてな……大事にするよ」

「うん」


 思戯を見る。

 少し、微笑むような、愛おしむような顔。

 もう、見てしまったから。言葉を交わして、交流してしまったから。

 この気持ちに嘘をつくのも、この目の前の男性がこちらに向ける感情を知らんぷりするのも、もう、出来ない。


 思戯が、好きだ。

 このどうしようもない……優しい人が。


 今度は涙だけでなく鼻水まで盛大に出てきそうだったので、急いで服で顔を拭って、視線を逸らす。


「そうだ。燎さんが、思戯の事探してたよ」

「まじか。どこ行ったんだあいつ」


 燎と同じ事をつぶやく思戯に、自然と虚無が混じった笑いがもれた。思戯も自然に私に笑いかけてきて、頭をぐしゃっと撫でられた。


「ちょっと、燎を探してくる。お前を逃がす算段はあとでちゃんと伝えるから、待ってろ」

「うん」


 パッと離れて行く手を、引き留める術を私はもたない。

 遠ざかる命を、繋ぎ止める言葉を知らない。


 そのまま、虚無の入り混じった笑顔で遠ざかっていく思戯の後ろ姿を見送り、私はテントの中に戻った。


「おはよう、お嬢さん。外で声がしてたけど、何かあったか?」


 いつものようにテキパキと後片付けをしている慶珂を、ぼんやり眺めてしまう。


「ううん、なにも」

「?」


 私の反応に、思戯が不思議そうに私を振り返った。そして、マジマジと私を見て、眉を寄せた。


「何があった?」

「なにもないよ」


 私の言葉を聞いて、ますます険しい顔になる慶珂。何度か口を開閉させて、どう言おうか迷っているようだった。


「わかった。お嬢さんがそういうなら、聞かない。でも、いつでも、何でも聞くからな」


 その言葉にまた泣きそうになるが、今度は涙は流れなかった。代わりに、感謝の言葉がこぼれ落ちる。


「ありがとう、慶珂。いつも、本当に」

「何度でも言うけど、俺は俺がやりたいからやってんだ。気にすんな」


 ああ。

 慶珂が、一緒に居てくれて、本当に良かった。

 ぎりぎりの所で、精神が保てている気がした。


珠香、渾身の告白(無意識)を、華麗にスルーする思戯(優しさ)

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