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 朝日が昇る前に、外が騒がしくなった。

 その物音で目が覚めた。もう一度寝ようとしたが、目が冴えてしまったみたいで眠れなかった。もそもそと粗末な寝具から起きだして、顔を洗おうとテントの外に出る。この頃にはもう、私達には見張りもついていなかった。

 朝日が山の端から差し込んできて、思わずその眩しさに目を閉じた。


「しゅ、か?」


 誰かに名前を呼ばれた。慶珂じゃない。

 眩しい光に恐る恐る目を開けると、そこには。


「し、ぎ?」

「っつ」


 もはや懐かしさすら感じる人影が、そこに居た。

 思わず走り寄ると、逆に相手は後ずさりした。な、なんでよ。失礼な。


「ちょ、ちょっと待て。汚れ、落としてくるっ」

「へっ?」


 私から顔を逸らせて、焦ったように水場に向かう思戯。……思戯、だったんだよね?

 私が独り、そこでポカンとしていると、声がかけられた。


「おっはよー、早いね、珠香ちゃん。どしたの?」


 燎だった。振り向くと、欠伸をかみ殺している所だった。


「おはよう、ございます。あの」

「っていうか、今思戯がこっちに来なかった? どーこ行ったんだよあいつ」

「あの、汚れ、落としてくるって……」


 私の言葉に一瞬理解が追いつかなかったのだろう。はあ? と言ったそのすぐ後、ハッとして燎は大笑いしはじめた。朝一だというのに、元気な事だ。

 腹を抱えてひとしきり大笑いして気が済んだのか、燎が口を開く。


「あいつ、マジかよ。珠香ちゃんに小汚ぇ所見られたくなかったんだねえ」

「小汚い?」

「あー、いいのいいの。そっか。じゃあ、俺たちの用事は逢瀬おうせの後にしようかな。ごゆっくり~」

「え? え?」


 燎は独りで納得して、どこかへ行ってしまった。また取り残されてしまった。どうしたら良いの?

 わけもわからず、しょうがなくそこに突っ立っていると、ザリッと足音がした。そちらの方向を振り向くと。


「ま、待たせたなっ」


 思戯だった。さっきと何が変わったのかよくわからなかったけど、まぎれもなく、思戯だった。以前見た時より、やつれているような気がするのだが、気のせいだろうか。


「う、ううん」


 私の方に歩いて来ていた思戯が、人一人分開けて、ピタリと止まる。

 微妙な空気が流れる。ど、どうしよう。コミュ力、こんな時にコミュ力があれば。


「その、元気にしてたか?」


 思戯もなんだか歯切れが悪くて、私も緊張しているしで、まるで久しぶりに会った親戚のような事を言い出す思戯を笑えない。


「うん、元気だったよ。ちょっと、乗り物酔いとかしてただけで」

「そうか。……あの後無事だったみたいで、本当に良かった」

「思戯こそ。春陽の伝言……嬉しかったよ。あの後怒られなかった? 大丈夫だった?」


 お互いにお互いの心配を口にした事で、つい、目が合って苦笑してしまった。と、思戯の目がゆっくり細められる。そして、おもむろに人差し指で自分の瞳を指さした。なんだろう?


「目、ちゃんと合わせられるようになったんだな」


 ハッとした。急に恥ずかしくなって、キョロキョロ視線をさ迷わせてしまう。


「い、今そんな事言ってる場合じゃないし」


 つい憎まれ口が出てしまった。……でも確かに、私は人と目を合わせる事ができるようになっていた。いつからだろう。自分で、何とかしないとと決意した時からかな。そんな場合じゃない、って。

 思戯は今度、口角も上げた。微笑んでいる、のだと思う。こうやってマジマジと見ると、ちゃんと整った顔立ちなのにな。ニヤニヤ笑うから歪んで見えるのだろう。


「そうだな。でも、本当に良かった。ほら、これ」


 思戯を見つめていると、おもむろに首の後ろに手をまわし、何かを首から外した……それは、もはや懐かしさすら感じるあの約束した時に私が渡した、玉、だった。ちゃんと、大事に持っててくれたんだ。胸の奥がじんわり熱くなる。

 片手で玉の紐を握り、もう片方の手も私に差し出してくる。

 ーーわかっている。

 あの時約束の印として渡した、短剣を返せと言っているのだ。

 でも。


「どうした?」

「思戯」


 不思議そうな思戯。私は目線を地面に落とし、短刀を差し込んだ帯がある胸の辺りをギュッと掴んだ。


「死なないでって、約束だったよね」

「ああ、そんな感じだったな」

「じゃあ、返せない」

「なんで」


 思戯の不思議そうな言葉に、握った手がさらに強まる。


「だって。……だって、私、思戯に死んでほしくない。思戯だけじゃない、みんなに死んでほしくない」


 鼻の奥がツーンとした。泣かない、泣かないぞ。

 目線を下に向けたままだから、思戯がどんな顔をしているのかはわからない。だけど、戸惑った雰囲気だけは伝わってきた。

 ふーっと、息を吐く音が聞こえた。


「燎に何を聞いたか知らんが、俺たちは大丈夫だ。今までもこういった状況はあったからな」


 思戯のその言葉に、キッとキツイ視線を向けてしまった。


「嘘っ。綜軍を相手にした事無いでしょ。今一番強くて、一番最新の軍隊なんだよっ」


 思わずそこまで言って、慌てて口を閉じた。彼らの状況が絶望的なのなんて、彼らが一番よくわかってるハズなんだ。それでも、思戯という神話を信じてついて行く彼ら。そしてその想いを引き受ける思戯。

 しんどい。何故か無関係の私がしんどい。

 私の言葉に、思戯は驚いたような顔をした後、また、微笑んだ。なんでそんな顔ができるのだろう。


「知ってる」


 それだけ言う思戯の、想いや覚悟、いろんなものを私は知らないのだと、不意に思い知らされたようだった。眉が寄った衝撃で、ポロっと涙がこぼれた。

 途端に、思戯の顔が悲しそうになる。


「すまん。また、あんたを泣かせちまったな」


 スッと手が伸びてきて、私の頬を流れる涙の一筋を掬い取った。ごつごつして、硬くて、戦う為の手。


「私が、勝手に、泣いた事、だから」


 このやり取り、前もしたなって、ちょっとだけ自嘲がもれる。思戯も苦笑していた。


「変わんねーなぁ」

「変わった、よ。私、綜の宰相にも、会って来たんだからっ」

「はっ?」


 驚いたような顔をした思戯に、涙を乱暴に拭ってちょっと勝ち誇った顔をする。


「戴と尹が戦するって聞いたから、その戦を止めてください、って言いに行ったの。でも、無理だった」


 わざと何でもない風に言ったが、思戯は驚愕の顔を崩さない。しばらく驚いた後、急に気が抜けたように苦笑する。


「マジかよ」

「まじよ。……本当に、止めたかったの。止められていたら、双子が軍に戻る事も、今思戯とこうして泣きながら会う事も、無かった、のに」


 思戯の言葉に答える中で、また勝手に涙が落ちた。笑おうとした私の意思をちっとも反映してくれない。

 戸惑ったような思戯に悪いと思って、また強引に目を拭っていると、おそるおそるといった風に思戯の腕が伸びてきた。なんだろうとぼんやり眺めていると、


「?!」


 そっと抱きしめられていた。

 軽い、触れるか触れないかぐらいで回された腕、身体。ぽすんと、思戯の胸のあたりに顔を押し付けられる。

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