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「いえ。あんなもので良ければ、いくらでも」
燎に対しては、警戒心なのかただ単に喪女のひがみなのかわからないけど、硬い態度を崩せないでいた。
燎はいつもの事なので、ニヤニヤ笑ったまま気にせず私に近づく。
「あいつら、美味かったって喜んでたぜ。良かったら、また作ってやってよ」
「ええ、喜んで。明日もまた作りますね」
「おお、本当に? 助かるよ。料理当番みんな嫌がるんだよな。……っと、そうだった」
燎が不自然に言葉を区切る。何だろうと見上げると、ニヤリと笑っていた。
「珠香ちゃん、長らく待たせちゃったけど、明日、思戯と会えるよ。今度は間違いないから」
思っていた通りの内容で、少しだけ弾む胸と重くなる気分。
「そう、ですか」
「え、なになに、嬉しくない? もう野営地生活飽きちゃった?」
茶化すように聞いてくる燎に、なんと言うべきか悩んでしまう。
燎も、彼らも、悪い人達では無かった。ただ、生まれた国が違うだけ。それは、みんなそうだ。だから出会ってしまって、交流してしまえば、もう厭うたり嫌ったりできなくなるんだ。
「燎さんは」
「ん? なに?」
思わず呼びかけてしまった。
私の次の言葉を聞くまで、彼はその近づけたニヤニヤ顔を引っ込めはしないだろう。
キュッと、ちょっとだけ唇を噛んで、緩めた。
「怖く、ないですか?」
私の唐突な言葉に、燎は驚いたような顔をした。そんな顔もできるんだ。
「えっと、何に対して? それって、貴族の会話の仕方なん?」
純粋に戸惑った様子の燎は、助けを求めるように慶珂を見た。慶珂はふるふると首を横に振る。
「ごめんなさい、戸惑わせて。……私の、勘違いなら、ごめんなさい。でも明日、思戯と合流したら、あなたたちは戦いに行くんですよね。無謀ともとれる戦いをしに」
私の言葉を、燎は咄嗟に否定しようとした。だけどそれは言葉にならなかったようで、困ったように眉を下げていた。
乱暴に結った髪をガシガシとかく。そして、どかっと座り込んで、私を見た。
「えっと、誰かに聞いた? 誰が言った?」
「その反応で、いま確信しました」
「へっ、吹っ掛けてきただけって事?」
「部下の人から、援軍を止める為にいる部隊だというのは聞きました。それ以外はすべて、私の妄想です」
「あいつら……まぁいいや、聞いたなら仕方ない。そ。俺たち、援軍を止めなきゃいけないんだよね」
「援軍、止められる人数で来られましたか? 綜はおそらく、万単位で援軍を出しますよ」
「……珠香ちゃん、君、なんでそんな事知ってんの。俺、君の方が怖いわ」
「教育を、受けてきたので。あとは妄想です。ここでの状況などを考えると、あなた達が止めたい援軍は、綜軍。そして、綜が援軍を出すとしたら、尹より環。環は、巴に宣戦布告を受けて……私の兄弟も軍に戻りました。だから、私は綜軍にたどり着いて欲しい。だけど……」
堪えていた目頭の水が、勝手に落ちた。
「だけど、あなた達と言葉を交わしてしまったから、死んでほしくない。誰も。あなたも、みんなも、思戯も。うちの家族も。どうして、こうなるんだろう」
最後はもう、独り言だった。次から次に流れ出す水を止めようと思うのに、全然言う事を聞かない。
「思戯の軍は、遊軍のような扱いを受けていると以前聞きました。本来なら尹と戦っているはずなのに、こんな所で、綜の援軍を止めろなんて。死ねって言われてるようなものじゃないですかっ」
あとはもう、言葉にならなかった。震える喉が、怯える胸が、言葉を生み出せない。水は、涙は次々にあふれる。いくら拭っても、ぬぐい切れない。
「……このお嬢さん、こんな切れ者だったん?」
「いえ、いつもは普通なんですけど、たまにめちゃくちゃ鋭くなる時があるんです。一人で勝手に想像して、勝手に落ち込んでおられるんです」
「はぁ、変わった子だと思ってたけど、本当に変わってんなぁ」
二人の会話が、耳を素通りしていく。慶珂にけなされたのだけはわかった。
「なあ、珠香ちゃん」
思ったより、柔らかい声が聞こえて。
ふと顔を上げると、苦笑している燎と目が合った。ズズッと鼻を鳴らして、次の言葉を待つ。
「実質敵なのに、俺たちにも泣いてくれて、ありがとな。でも、申し訳ないんだけど、俺たちも黙って死にに行くつもりは無いんだわ」
ニカッと笑う燎。それは、虚勢を張っているという風でもなくて。ちょっと首を傾げてしまった。
「俺たちの大将を、見くびってもらっちゃ困るぜ。今までも、同じような無理難題を出されてきたけど、そのつど大将は活路を切り開いてきたからな。今回も、そうなる。絶対に、俺たちの思戯は負けない」
それは、信仰にも似た祈りで。
きっと、この人達は本当にそうやって生きてきたのだ。死地を一緒に乗り越えてきたのだ。思戯と。思戯を中心に据えて。
また、私の涙腺に水が一気にたまったのがわかった。
だけど、私の口は酸素を求める金魚のように、パクパクと開閉しただけで、何も音を生み出せなかった。
「だから、俺たちの心配をするより、自分の心配をしなね。思戯の事だから、珠香ちゃんの事逃がすって言うと思うけど、その後の事は俺たち面倒見てあげられないからさ」
思戯についての見解は、おおむね一致していたようで良かった。そこだけは、本当に。
「王さんが一番上の人なんですか?」
「そ。こんな所に来たがるお貴族様は居ないからさ」
「じゃあ、王さんが本当にそう言えば、確実にここから出られますね?」
「本当にそう言ったら、な。俺たちの大将は思戯だけだから、あいつが言うなら誰も異義を唱えないだろ」
二人の会話を聞いていると、少しずつ落ち着いてきた。涙も、気持ちも。
「ま、そういう事だから、明日には色々決まると思うし。もうちょっとだけ我慢しててな。じゃ」
燎は軽くそれだけ言うと、さっさとテントから出て行ってしまった。
私はといえば、落ち着いたとはいえ未だにグズグズ涙が落ち続けていた。
「大丈夫か、お嬢さん」
燎が出て行ってしばらくして、慶珂が声をかけてきた。だいぶ涙も治まっていたので、頷く。
「うん」
「あんまり泣いてばかりいると、明日会う男に、腫れぼったい顔で会う事になるぜ」
わざと明るく慶珂がそう言う。それに乗っかるように、私も笑う。
「そのせいで、私だってわからなかったりしてね」
「ありうる」
「無いわよ!」
あはは、と明るい笑い声が響いた。
結局、その日はあんまり眠れなかった。
不安と、少しの期待。そして、未来への恐怖。
私が何としても止められていたら、こんな風にドミノ倒しのように悲しい事が連鎖しなかったのかな。
目を閉じる。
瞼の裏は、真っ暗だ。
こっからだいたい毎回泣く(泣かせた)




