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ガタン!
ハッと目が覚めた。
一瞬、何が起こったかわからなかった。が、どうやら馬車が大きく揺れたらしかった。
目を開けて回りを見回す。妙に身体が痛い。
「い、たい」
身体を起こそうとしたが、重力が違う方向に働いていた。
薬と酔いのせいで、働かない頭を一生懸命動かす。首も動かす。
「はん、たい?」
ようやく上半身を動かすと、座っていた筈の馬車の座席が、上にあった。つまり私は今、馬車の天井に手をついている事になる。
なんで??
周りには、散乱したクッションの数々。
ようやく、ぼんやりした私の頭でも理解できた事があった。
馬車がなにがしかの理由で横転したが、クッションで大事を免れたのだろう、という事。腕や肩、腰が痛いのが何よりの証拠のように思えた。
と、ここでようやくハッとした。
珊瑚は、どこ? みんなは?
痛む身体を鞭打って動かし、半開きになっている馬車の扉から外に出る。ここはどうやら、崖の下のようだった。水の音がする。
「たっ、助けてくれ!」
馬車が見事に横倒しになっている、と思う間も無く、切羽詰まった人の声がした。思わずそちらを振り向くと、
「お、俺たちは、遊山の帰りの貴族なんだっ。金目のモノは渡すから、見逃してくれっ」
慶珂が、何故か武装した十数人の集団に刀や槍を突きつけられて、必死に命乞いをしている所だった。
理解が追いつかない事が多すぎて、脳がフリーズする。そのせいで、隠れるのが一瞬遅れた。
「おい、女だ!」
「なんだと?」
その集団の一部と、目が合ってしまった。
慶珂が驚いたようにこちらを振り向き、私が立っている事に気づいたのだろう。慌ててその集団に大声で呼びかける。
「あの方が俺の主人なんだ! どっからどう見ても、貴族の娘だろ!」
何もわからなさすぎて、慶珂の言葉にうんうん頷く事しかできない。
武装した集団はお互いを見て、何やら戸惑っているようだった。
少なくとも、環の兵士じゃない。正規の環の兵隊なら、青色の物を身に着けているハズだ。
彼らは、目立つ何色も身に着けていない。それに、農民の武装だったり山賊や傭兵でもなさそうだった。整いすぎている。
彼らは仲間内でなにやら話し合いをし、どうやら私達を穏便に捕まえる事にしたようだった。
……もうやだ、何この捕虜体質。
などと寝言は言えないので、慶珂と、素直にその謎の集団に捕えられる事になったのだった。抵抗しても嫌な未来しか見えないからね、仕方ないね。
珊瑚や、瑞の兵のみんなはどうなったのか全くわからない。
今はただ、おとなしく従うしかない。
縄で身体をぐるぐるに縛られ、捕虜のようにして歩かされる。
ふと、後ろを振り返ると、結構な高さの崖と、凹んだ馬車が見えた。馬はとっくに影も形も無い。
良く生きてたな、とゾッとした。
私達が連れて行かれたのは、どうも野営地、のようだった。簡単なテントと、石で作った簡素な焚火、というかかまどかな?
馬もいるし、見た事無い物もいっぱいある。
でもそんな事より、身体痛いし酔い止めの気持ち悪さも残っているしで、正直フラフラで限界だった。
私達を囲んでいた集団が止まる。思わず、私はそこにへたり込んでしまった。今度は、口がふさがれなかっただけマシか。あ、尹に連れていかれた時の事思い出したら腹立ってきた。
「おい」
私の縄を持っていた男が、ぐいっと引っ張る。
「止めてくれっ。お嬢様は身体が弱いんだ」
慶珂が横から口を出す。
この集団、貴族の娘を扱いなれていないようだ。下っ端の人達なのかな。
慶珂の言葉で、縄が緩んだ。
「とりあえず、副を呼んでくる。見張ってろ」
バタバタと誰かが走り去る音。気持ち悪くて、しゃがんで地面しか見れない。吐きたいのに吐けない感じの気持ち悪さがずっとある。
一人蹲って唸っていると、こちらに来る数人の足音が聞こえた。
ああ、もっと酷い事にならなきゃ良いけど。
半ば祈るように黙っていると。
「で、その貴族っぽい娘ってどれ」
若い男の声……ん?
「あの蹲っている娘と、その横がお付きの従者だと」
「へえ。……あれ、お前なんか見た事あるような」
「あ、あなたは!」
戸惑うような男の声、と、慶珂の明るい声。
何が起こっているのかと、頑張って頭を上げると、そこには。
「へっ、なんであんたがここに居んの?」
「周、燎、さん?」
そう。
はじめは環で遭い、一緒に戴に行き、少しだけお話した事があるコミュ力モンスター、周燎、(よね名前確か)、だった。思戯の小さい頃からの友達で、部下なんだっけ。
今は、戴の時のようなラフな格好ではなく、ちゃんとした武官の服を着て、あのパサパサの長髪をまとめていた。
お互い、驚いたように見つめ合ってしまう。
「良かった、助けてくださいっ。俺たち山賊に襲われて、仲間とはぐれただけなんです」
慶珂が必死に燎に話しかける。と、燎はハッとしたような顔になって、
「おい、縄を解け。丁重に扱えよ、環の貴族の娘さんだぞ。……ごめんね、珠香ちゃん。俺の部下たち、ちょっと荒っぽい奴が多くて」
ニコッと笑って、わざわざ手ずから私の縄をほどいてくれた。思わず、ホッと息をついてしまった。
覚えていてくれて、良かった。……と、同時に、良くない事が起こっている予感に、胸がザワザワする。なんで、こんな所に居るの? 武装して。
「あり、がとう」
「どういたしまして~。っていうか、具合悪そうだね、珠香ちゃん。むさくるしい所だけど、良かったら休んでいく?」
人の良さそうな笑顔のまま燎が言う。が、その提案には首を横に振った。
「仲間を、探したい、ので。帰り、たくて」
今までさんざん帰りたくないって言って来たのに。とちょっとだけ心の中で自嘲した。
ふと、燎の顔が曇る。
どうしようかと思案しているような顔だった。ちょっとだけ斜め上を見た後、何かを思いついたようだった。
ニヤニヤと、あの見慣れた薄笑いで私を見る。
「ねえ、珠香ちゃん。ここで会えたのも何かの縁だし、思戯に会いたくない?」
「思戯?!思戯がいるの?」
燎の言葉に思わず反応してしまった。クソデカボイスに恥ずかしくなる。
「あ、あの、ちがうくて」
恥ずかしさのあまり否定しようとしたら、ニヤニヤ顔のままの燎が口を開く。
「すぐにでも会わせてあげたいんだけどぉ、思戯は別の野営地にいるんだよねー。多分、明日にはこっちに戻ってくるしぃ、待っててくれたら会えるよ~?」
口がわなないて、うんともいいえとも言えなかった。
思戯に、会いたい。これは、理屈抜きにすぐさま思い浮かんだ事だった。
でも。
会って、どうするの? そして、この人はなんで私達を会わせたいの?
わからない。判断材料が少なすぎる。
さっきの慶珂の言葉で何が起こったのか、大筋の事はわかったが、まだわからない事がある以上、この、戴の武装集団の元にいるより、仲間を探した方が安全なハズだ。
頭では、わかるのだ。
さっさと逃げるなりなんなりして、ここを離れたほうがいいと。
でも。
心が私を引っ張るのだ。
会うだけでも、会いたい。思戯に、大事に持っていたこの短刀を返したい、ありがとうって一言お礼が言いたい、って。
私が逡巡している事に、意外そうに燎が首を傾げた。
「あれ? 珠香ちゃん、もしかしてまだ思戯の事苦手だった? ごめんね、てっきり思戯の話し方から、珠香ちゃんも思戯の事好きなんだと思って」
「なっ、ななな!?」
驚いた。それはもう純粋に驚いたような奇声しか上げられなかった。
頬どころか体中が熱く火照る。恥ずかしさでいま多分、耳まで真っ赤なんじゃないか。
「ち、ちちちがいます! 思戯には、助けてもらった、礼をっ」
私がどもりながら否定すると、一瞬遅れて、燎が爆笑した。遠慮のないその大きな笑い声に、ビックリしてしまう。
「あーははは! そっか、そっか。うんうん、わかった。思戯にはなるべく早く戻るように伝えておくな。周りは山賊や獣も出るし、今日はゆっくりしていきなよ。できる限りもてなすぜ」
それ以降は、私がどんなに否定の声を上げても笑って拒否され、半ば強制的にココに留め置かれる事になってしまったのだった。




