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鵺の哭く夜  作者: 長谷川
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闇に惑う

 かくしてシギは目下、夜の山を下っている。

 先導役は弓を担いだクマタカ、そのすぐ後ろをシギが歩き、杖持ちのキク、ヤトリと続く。キクは目が見えない上、今は足も不自由なので、足取りはかなり遅い。

 哨戒も兼ねて先を行くクマタカは、やや焦れているようだった。もう少し早う歩けぬのかと、口にこそ出さないが、振り返り振り返りしつつ先を行く姿に僅かな苛立ちが見て取れる。


 他方、鵺祓いのヤトリは最後尾から、シギとキクをじっと見張っているようで気味が悪かった。あのさぶらいもどきは喋り方に抑揚がなく、顔も常に無表情で、はらの内がさっぱり読めない。


(やつは、おれかキクが鵺であると睨んでいるのか)


 表向きは里人全員を疑っているようなていでいるが、背中に刺さる眼差しはどう考えても鋭い疑念を孕んでいた。仮令たといそれが仕事柄、半ば習慣として染みついているものだとしても、睨まれる方は全く不愉快で仕方ない。


(このままゆけば、間もなくあの場所・・・・へ差し掛かるが……)


 そしてヤトリの視線も然ることながら、何よりシギの心を蝕むは、この夜の暗さだった。一行の頭上には叢雲むらくもを従えた満月が懸かり、玲瓏れいろうと地上を照らしている。されどシギには、山を濡らす蒼白い輪光が今はかえって不気味に思える。

 あの月は里の夜が明けなくなってからと云うもの、欠けることを知らずに其処に在った。里人たちは新月でないのが唯一の救いだなどとのたまっていたがとんでもない。


 シギにとって満月は呪いだ。見上げるだけで総毛立ち、からだから血の気が引いていく。


(これじゃあまるで、山があの日のことを忘れさせまいと、おれをわらっているようじゃないか――)


 と肌が粟立ったところで俄然、ギャアッ、ギャアッと山が騒いだ。

 鴉らしき影がやにわに梢から飛び立ち、シギは羽音に身が竦む。喫驚しすぎて提灯を取り落としそうになり、慌てて両手で握り締めた。

 かと思えば前方から風が吹き、黒い山をザアッと撫ぜてゆく。シギはその音が恐ろしくて恐ろしくて、ついに動けなくなってしまった。全身が汗で濡れ、鞠の如く息が弾む。


『――シギ!』


 刹那、何処どこからともなく、己を呼ぶこえがした。

 シギは立ち竦んだまま目を見開き、月に照らさるる山を仰ぎ見る。


『シギ、戻っておいで! アンタ、鈴を忘れとるよ――』


 あの日の情景が脳裡に甦った。

 今宵と同じく、月の明るい夜だった。

 当時、猟師見習いだったシギは月光がっこうを頼りに、とびきりの獲物を追っていた。

 獲物はこの山のぬしだった。

 今なら狩れる。そんな確信が芽生えた晩だったのだ。

 其処へ姉がたったひとり、提灯を手にシギを追ってきて――


「あ、ぁ、あぁ」


 過去の幻影に呑み込まれ、シギはきつく頭を抱えた。

 ザワワ、ザワワと鳴る木ゝが、シギを嘲笑い、おどかし、かどわかそうとしている。


「シギ」


 たれかが己を呼ばわっていたが、シギにはもう聴こえなかった。

 頭を抱え、耳を塞ぎ、山道にうずくまる。


 消えろ消えろ消えろ消えろ。


 山が見せる幻影に、心の中で吼え立てた。


 消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ。


 あの日以来、シギはずっとこうなのだ。

 山へ入ったが最後、決して拭えぬ過去の幻に囚われて――


「シギさん……!」


 狂乱しかけたシギの着物の袖を、その時後ろから掴む者があった。

 我に返り、振り向いて、直後にシギは戦慄する。

 何故なら其処で己を見つめるは血塗れの……。


『どうしてわたしを置いて逃げたの、シギ』


 違う。


「触るな……!」


 恐怖のあまり、シギは影を突き飛ばした。

 おれは悪くない。そう信じたかった。

 答えなどうに分かっている。なれど、それでも――


「キク殿……!」


 瞬間、闇を裂くように響いたヤトリの聲で、シギは漸く己を取り戻した。

 はっとしておもてを上げた先で、シギに突き飛ばされたキクが、斜面を転がり落ちていく。


「あ――」


 其処に至って、シギはやっと気がついた。

 己の袖を引いたのが、亡者などではなかったことに。

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