過去から繋がる妙な縁
嘉納妙。小柄で、ふわふわとした亜麻色の猫っ毛が特徴的。ぱっちりとした瞳に、少し低い鼻。鈴が鳴るような愛らしい声に、ころころと変わる表情。可憐な美少女というイメージ通りではあるが、落ち着いた場所にいると、驚くほどに淡々とした口調になる。
それは裏表があるというわけではなく、気が抜けているだけなのだろう。どちらも嘉納の本当の姿であるし、どちらの嘉納も好きなのだから、さしたる問題には感じなかった。
それに、人間というのはそういうものだとも思う。鷹成にしても、普段は穏やかすぎるほどに大人しいのに、好きな小説について語らせると、こちらが億劫になるほど長々と喋る。雪吹さんは冷静沈着だが、逆鱗に触れると、眼光だけで気圧されるほどの怒気を孕む。
僕だってそうだ。落ち着いて行動が出来ると自分で思っているが、いざ取り組むとなると、ひどく不器用で、がむしゃらになってしまう。
嘉納は、オンとオフの切り替わり方が激しいだけだ。気性が激しいわけではなく、気の性質自体が切り替わるという、少々人とは違う変化であるから、そのギャップに戸惑う。それだけのことだと思う。
「デートをしたいと思うのだが」
「もう少し、雰囲気とか無いかなぁ。こう、ちょっとくらいキザでいいからさ」
「君といると、とても心が暖かくなるんだ。君を、一日中独占していたいとすら思う。この願いを、叶えてはくれないだろうか」
「文学的すぎて嘘くさいよ」
恋愛とは難しい。デートの誘い方一つにしても、言い回しが重要らしい。
自分でももう少し、さりげなく誘いたいのだが、ついつい堅い言葉か、くどいぐらいの言い回ししかできなくなる。
「次のお休み、ずっと一緒にいたいね。そんな言葉ぐらいでいいの」
「じゃあ、一緒にいよう」
僕の言葉に、嘉納はこめかみを人差し指で押さえて「なんで俊彦君に惚れちゃったのかなあ」と呟いた。何故と言われても困る。僕も嘉納に惚れるつもりは無かったし、惚れられるつもりもなかった。気付けば惚れていただけであり、それをそのまま告白したまでだ。それを受け入れたのは他ならぬ嘉納自身であるから、最早、自業自得としか言い様がない。
「諦めるしかないのでは?」
「……ほんと、諦めるしかないね」
また不味いことを言ったらしい。嘉納の表情は呆れるを通り越して、神妙なものになっていた。
「それで、デートなのだが。来週の日曜は丁度、予定が無い。そちらさえよければ、この日にしたいと思うのだが、どうだろう」
「だから、なんで会議の予定を決めるみたいに言うかなあ。もっとこう、理詰めじゃなくて感情的になっていいんだよ?」
今度は逆に、嘉納が笑い出した。僕が相当におかしなことを言ったようなのだが、生憎と恋人をデートに誘った経験など無いので、どこがどうおかしいかもわからない。嘉納のいうように、会議の日程を決める作業は僕の仕事だったので、割と得意だとは思う。ただ、感情に従って良いのであれば。
「やはり、今から出かけよう。喫茶店で喋るのも良いが、君と今すぐに手を繋いで歩いてみたい」
「……急に、ズルいよ」
不意に頬を染める嘉納が愛らしくてたまらない。
割と順調に進んでいる僕と嘉納の関係を、そろそろ鷹成あたりに報告しても良いんじゃないだろうか。そう思ったのは交際してから一月ほど経った日のことだった。
「友人に言おうと思うのだが、いいだろうか?」
「別に良いけど。なんでそんなこと、聞くの?」
「関係を隠したいという人間もいるからな」
「ふーん。そういえば、俊彦君の友達って、どんな人?」
何気ないやりとりだった。
「鷹成という親友がいてな。その恋人の雪吹さんという人もいるのだが、この二人が一番、仲が良い」
僕は二人との出会いを説明した。
僕が、雪吹さんに思い焦がれていたことも、鷹成が恋敵だったことも。
嘉納は少し眉をひそめたが、僕が既に雪吹さんに未練などないことがわかったのだろう。最後には笑顔だった。
「興味あるなあ、その二人」
「だろう。この二人の馴れ初めを聞けば、尚更面白い」
隠すことでもないだろうと思い、鷹成と雪吹さんが恋愛感情を知らず、それを知るために交際に至ったことから、順に聞かせてやった。
『恋』という一冊の小説からはじまった、妙な恋愛譚。僕とてその全てを知っているわけではないが、一番冷静に、それでいて多くを知っているのは僕だけだった。この物語を語らせる人間としては、おそらく僕が一番相応しいと思う。
最初は興味津々で聞いていた嘉納だったが、やがて神妙な顔になり、無事に資料室を彼らの根城に据えたところまで話すと、思い詰めたような顔になっていた。
「嘉納?」
つまらない話ではなかったと思う。嘉納の恋愛観にはそぐわなかったのだろうか。
それにしては、最初の方は随分と楽しそうに聞いていたように思えたが。
「……『恋』から、その二人が付き合うことになったんだよ、ね?」
「ああ。前にも言ったろう。色々な縁で手に取った本がある、と。ひょっとして、嘉納も読んだことがあるのか?」
「読んだことは、そりゃまあ、あるけどさ」
どことなく歯切れの悪い嘉納に、僕は訝しんだ。『恋』を読んだことがある人間自体は、さほど珍しくはない。読書好きなら尚更である。中には、肌に合わなかった人間もいるだろう。
「あまり好きな話ではなかったのか?」
「……んー、嫌いなわけはないんだけど。何て言うか……」
ひどく狼狽える嘉納に、僕も少々混乱した。さては、不味い話をしてしまったかと思い、どう打開すべきかと焦る。しかし、そんな僕を尻目に、嘉納はぽろりと一滴の涙を、瞳から伝わせた。
「ど、どうした!?」
「な、なんでもないっ……」
言葉とは裏腹に、嘉納の涙は止まらなかった。僕はもう、何がなんだかわからなくて、ハンカチを彼女に渡して、黙っているしかなかった。
やがて落ち着いた嘉納は、真っ赤な眼を擦りながら、ぽつぽつと語り始めた。
「感想文の企画を聞かされたときは、正直、驚いたんだよね。けっこう評価が高いって言われてることは知ってたけど、まさかそんな企画が立ち上がるとも思って無くて」
『恋』の感想文企画のことだろう。嘉納も提出したのだろうか。今の口ぶりからすれば、『恋』を前々から知っていたようではあるが。
「手紙、けっこうもらってたんだけど、それだけでけっこう怖かったんだ。恋愛について深く知っているみたいに思われていて、相談を受けたり。年齢も、性別も伏せていたから、割と男の子から多く相談を受けたの。ときには、自分よりも年上の人からでさえ」
ちょっと、待ってくれ。
口からその言葉が出ずに、僕は手で話を遮った。
今の話は、何なのだ。一体、誰の話だ。
彼女の言葉が、彼女自身の体験であるとするならば、まるでこれは。
「……改めて自己紹介をするね。『恋』の作者で、伊達倭です」
嗚呼、なんという偶然なのだろう。
僕は驚くことすら忘れて、ただただ呆然とするばかりだった。
「私、これでもけっこう人気があったんだ。えっと、小説じゃなくて……要するに、モテてたの」
ぽつぽつと語る嘉納は、決してそれを自慢しているわけでもなく、ただ単に事実を述べているだけのようだった。
実際、嘉納の容姿は魅力的だと思う。人当たりも良い。モテないと言われた方が嫌味になる手合いだ。
「俊彦君に喋りかけられたときも、またかって感じだったの。けど、自己紹介されて、不破って名前を、どこかで見かけた気がしたの。まさか、自分の書いた小説の感想文に、応募してたなんて思わなかったけどね。数百も来た感想文を、一つずつ読んでたから、名前まで一々覚えていなかったし、一年も経ってたし……それでも、印象に残った感想文だったから、微かに覚えてたのかもしれない。いきなり小説のことばかり話すこともあったけど、不破って名前が、心に残ってたから友達になったのかもしれない」
ふと、一年前に提出した感想文の内容を省みる。
思春期の恋愛というテーマに真っ向から取り組んだ小説の感想文は、得てして自分の恋愛との比較や、主人公への共感が大半を占めると見て、少々奇をてらった。
僕が書いたのは、鷹成と雪吹さんについてだった。恋を知らない二人が、この小説を契機に恋に取り組むようになったことを、少しだけ色づけして、書いた。
『恋』には、誰かを幸せにする力がある。そういうことを書いたことを覚えている。
「随分と面白い感想文だったよ。特別賞か何かを用意してって、お願いしたぐらい。まさか、本当にそんな二人がいるなんて思わなかったから、きっと創作なんだろうなって思ってた」
「……ところが、何の偶然か、本当のことだと、今知ってしまった、か」
「だって、信じられないじゃない。私が書いた本が、すごく幸せな恋人達を生み出したなんて……それは、一人の小説家として、特に恋愛小説を書く人間にとっては、もう夢に見ることさえ憚られるほどの、すごいことなんだよ?」
なるほど。だから、嘉納は泣いたのだ。
悲しかったわけではない。自分の書いた小説が、人を幸せにした。そのことが、彼女にとっては涙を流すほど嬉しいことだったのだ。作者冥利に尽きる――否、そんな生ぬるい言葉では言い表せないほど、嘉納は二人の存在に打ち震えた。
「その感想文を書いた人間が、まさか付き合うことになった人っていうのも、もう、出来すぎた運命にしか思えないよ……」
嘉納はそれだけ言って、再び涙を零した。
出来すぎた偶然なら解るが、出来すぎた運命という表現を聞いたことはない。
そもそも、出来すぎている偶然を運命と呼ぶのだから、運命の中でもさらに出来すぎているともなれば、最早、それは御都合主義という陳腐なものになってしまう。
あまりにも、鷹成と雪吹さんは出来すぎた偶然の末に、恋人になった。ならば、僕たちは、出来すぎた運命の果てに、今立っている。
「……嘉納。妙と呼んで良いか。いや、そうだな、お妙と呼びたい」
「ふぇ……いきなり、だね」
「運命論者ではないのだけど、運命という響きに憧れの気持ちが無いわけでもない。ここまでの運命に出会ってしまったからには、少しはその運命に翻弄されたくもなる」
「……それで、なんでお妙なの?」
「今まで、そんな呼び方をしたのは僕だけだろう。僕は、呼び方一つだけでも、君の特別な一人になりたい」
熱に浮かされた言葉というのは、後から思い出すと恥ずかしいのだろうなんて思いながら、それでも僕は真顔で呟いていた。
「……お妙、か。いいね、なんだか町娘みたいで、かわいいし」
嬉しそうに笑うお妙を見て、僕はつい理性や状況を省みずに、彼女を抱きしめ、唇を奪っていた。何故、そうしたのかはわからない。ただ、僕たちは不思議な運命に負けないぐらいに、大きな絆で結ばれているんだと、そう思いたかったのかもしれない。
結局、鷹成達にお妙のことを伝えるのは、先送りにした。
お妙が止めたのだ。できれば、報せないでいてほしい、と。理由までは教えてくれなかったが、お妙にとって、二人はあまりにも大きい存在だったのだろう。
ふと、回想を終えて、目を開く。鷹成と雪吹さんの新居。隣にはお妙がいる。
「そういえば、嘉納さんも小説が好きなんだよね。どんな本を読むの?」
沈黙が少々気まずかったのだろうか。鷹成は話題転換とばかりに、お妙に話を振った。
それがまた小説のことなのだから、いよいよ鷹成は小説馬鹿だ。もはや、書痴と言っても差し支えないほどに。
「うーん。読むのも好きだけど、本当は書く方がメインなんだ。そうだ、よかったら読んでもらえないかな。持ってきたんだ」
お妙は軽い調子で言いながらも、表情を少し堅くしていた。
がさがさと分厚い紙の束が鞄から取り出されて、鷹成の手に渡る。
「へえ、文芸部にいたけど、書いている人に会うのははじめてかもしれないなあ。えぇと……ん?」
鷹成が小説を受け取って、首をかしげる。見やると、一番上の紙にはタイトルがなく、ただ、伊達倭という著者名だけが書かれていた。その名前は、二人にとってあまりにも大きな存在だろう。
「ふむ……まさか、とも思うが。いや、やはり偶然か、或いは洒落の類だろうか」
雪吹さんも表紙を覗き込み、見慣れすぎたであろう名前に首を捻る。
なるほど、報せてしまうのか。そう思いながらも、続いて出てくるお妙の言葉に、僕ですら少々、面食らった。
「二人に、タイトルを決めてもらいたいの。全部読まなくてもいいよ。ぱらぱらと流し読みしてくれれば、どんな話か、わかるはずだし」
小説家は奇人揃いだと聞くが、なるほど、その通りらしい。
訝しげな顔をしながらも、言われたとおりに流し読みしていく鷹成と雪吹さんの表情が、みるみる真剣なものになっていく。
内容など、見なくともわかる。そこに書かれていることは、二人にとってはあまりにも身近というか、二人そのものなのだから。
「『恋』っていう小説の、感想文の中に、恋を知らない二人のエピソードを綴ったものがあったの。それを読んで、お話にしてみようと思ったんだけど、本人の許可はいるかなっと思って」
お妙の言葉に、鷹成と雪吹さんの視線が僕に向く。
「賞を取るために、感想文の数は多い方が良い。お妙と出会ったのは、偶然さ」
それだけ言うと、二人は揃って神妙な顔になり、再び小説に目を落とした。
しばらく、鷹成達は無言だった。ただ、最後のページをめくった後に、お妙に向かって、二人揃ってぺこりと頭を下げた。
「どう言えばいいのかな。自分たちが小説になるなんて、思ってもいなかったから」
「そう、これは不思議な感覚だ。まったく、妙はいつも、私たちを不思議な感覚にさせてくれる」
二人は、決して嫌がっているようではなかった。お妙はほっと胸をなで下ろし、笑顔になった。
「二人に、小説のタイトルを決めて欲しいの」
なるほど。そういうことだったのかと、僕が一人で得心した。
お妙が、今になるまで鷹成達に会おうとしなかったのは、この小説を書いていたからだったのだ。受験もあるだろうに、こればかりを書いていたのだろう。
二人へのプレゼントになるのだろうか。御礼と言えばいいか。いや、ただ書きたかっただけなのかもしれない。何にせよ、お妙らしいと思ってしまった。
「ふむ。名付け親か。本来ならば苦心して考えるべきなのだろうが」
「うん。あのときの言葉しか、出てこないね」
二人は示し合わせたかのように、微笑んだ。
お妙の表情がぱっと色づいていく。僕もきっと笑顔なのだろう。
少し間をおいて、鷹成と雪吹さんは同時に、この出来すぎた運命の物語の名前を言った。
「本からみつける恋の文字」
「本からみつける恋の文字」の外伝。不破を主軸に据えた恋物語にしようと思ったのですが、色々と考えた結果、こういう形になりました。
ちなみに、繋がりを持たせようとして、少々恥ずかしいながら、嘉納妙のペンネームを伊達倭と、私のモノにしましたが、流石に一緒というのもアレなので、読み方だけを変えました。
嘉納妙→ダテシズカ
作者→ダテヤマト
まったくの余談ではありますが、作者は男で、正伝も恋人の親友の話を元にしたわけではありません。
遊び心と受け取って頂ければ、幸いで御座います。