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不破の夏

 いささか生徒会に熱を入れすぎた所為だろうか。任期を終え、晴れて一生徒に戻った頃には、既に周囲は受験ムード真っ只中であり、雰囲気においても、学力においても僕は一歩出遅れた。夏休みに入り、予備校の夏期講習に参加して、少しでも遅れを取り戻そうと必死であるが、中々そう上手くはいかないものだ。気が緩むと、ついつい今までを振り返ることばかりをしてしまう。

 生徒会長として過ごした時間は、楽しかった。その中でも特に、資料室作成の提案はどんな仕事よりも印象に残っている。

 文芸部が潰れるのは、鷹成や雪吹さんだけではなく、僕にとっても辛いことだった。

 一切の過去を水に流して、鷹成と友達になろうと決めたあの日から、僕は自分にできることは、文芸部を存続させることだけだと考えていたからだ。

 各部活動からの反発は思った以上に強かった。実績を出さず、おまけに二人きりの部員が恋人という関係にある。叩く理由は幾らでもあったと言って良い。いくら生徒会長だからといっても、僕個人がどれだけ存続を唱えても、覆ることはなかった。

 『恋』というタイトルの小説を買った日。鷹成たちには秘密だったが、実はこっそり、僕自身が文芸部に入部していた。理由は至極簡単で、僕も感想文を提出するためにである。

 部員が賞を取ればいいのだから、頭数は多い方が良い。少なくとも、恋をはっきりと捉えることの出来ない二人よりも、多少なり自分の中に恋愛の定義を持つ僕のほうが、まともな感想文を書けるだろうと思った。僕が賞を取れば、それを文芸部の功績にしてしまえばいい。そんな単純な発想だった。

 しかしながら、やはり僕の感想文も賞を獲ることはできなかった。あわよくばと思っていた程度なので、さして期待していたわけでもない。出来ることは、全部しようと思っただけだ。

 他にも、部長連中の中でも、仲の良い人間に説得を試みたり、色々としてはみたが、芳しい結果は得られず、廃部は決定してしまった。思い切って即刻廃部にしたのは、勿論、相応の理由があった。

 体育祭の準備で生徒会、各部活動が忙しくなる時期。その時期に、文芸部の廃部の標準を定めた。運動部は軒並み手伝いに駆り出され、文化部の中でも活動が旺盛な放送部や写真部などは、体育祭のスケジュール進行と、撮影を頼んで封殺。

 資料室の作成に対して文句の出る環境を、徹底的に減らした。生徒会幹部も、それぞれに仕事を割り振り、ほぼ独断専行という形で、無理を通したのだ。

 協力してくれたのは、吉野先生。鷹成と雪吹さんをいたく気に入っている吉野先生は、僕の職権濫用とも言える行動を笑って許した。教師としてどうかとは思うが、先生の言葉を聞けば、成る程と納得してしまった。

「日本語の面白さを知る人、少なくなっちゃってるでしょう。私が国語の教師になった理由は、少しでも日本語を楽しんでもらいたいから。文章の素晴らしさに、気付いてもらいたいからなの。本を読む場所が学校しかないのなら、私は教師としてよりも、一人の読書家として彼らを応援したいのよ」

 資料室の管理を鷹成達に任せ、その指導役に吉野先生を推挙すると、こちらもやはり体育祭の進行に忙しかった教師達は、まるで面倒を放り投げるように、僕に任せてくれた。

 全ては、思惑通りだったと言って良い。最大の難点は、果たして鷹成と雪吹さんが甘んじて僕の提案を受け入れるか否かだったが、まったくの杞憂だった。

 あの二人は、あれで非常に貪欲だ。そもそも、鷹成は理想の読書環境を手に入れるためだけに文芸部を半ば私物化していたほどなのだ。

 流石に、他の部からは不平が漏れたが既に後の祭りである。僕の独断専行を罵られたが、図書室に収納しきれない本があったことも事実であり、慌ただしい時期ではあったが、きちんと正規の手順も踏んだ。僕の評価はかなり落ちたようだが、鷹成と雪吹さんは思っていた以上の本好きで、資料室の創設にあたっての各種作業を完璧にこなした。結果、人選に間違いがなかったことの証明になり、最終的にはマイナスを取り戻して釣りがくるほどになった。

 万事は、上手くいった。一時期とはいえど、鷹成に雪吹さんとの別れを決意させてしまった贖罪は、これで十分だったと思う。


 予備校の夏期講習は、言ってしまえば勉強なので面白いとは思えない。勉強自体は決して嫌いではないのだが、それはあくまでも、目的がない場合に限る。

 大学受験のため。輝かしい未来のため。そんなことを考えていては、勉強が単なる手段にしか思えず、そこに本来あるべきの知識欲や好奇心が軒並みかき消されていく。

 ノートを取りながら、昔のことばかりを思い返している僕は、おそらくは第一志望に合格することは出来ないだろう。元々、両親の希望という程度の大学なので、僕が困ることはない。むしろ、僕の中では第二志望こそが本命である。

「不破君、消しゴム貸して」

「ああ」

 隣の席で、懸命にノートを取っている嘉納妙かのうたえに小声で話しかけられて、僕は意識を現実に戻した。

 筆箱から消しゴムを取りだして渡すと、嘉納は嬉しそうに頷いてノートにそれを擦りつけた。仕草のひとつひとつがちまちまと小動物のようであり、小柄な体躯に可愛らしい顔つきも相俟って、中々魅力的な女性である。

 比較するのも極めて失礼であるが、雪吹さんとは正反対の女性だと思う。如何にもクールビューティーという言葉が似合いそうな雪吹さんと、小柄で愛くるしい、敢えて横文字であらわすならば、キュートな嘉納。

 たった一つ、共通することと言えば読書好きということぐらいだろう。夏期講習には多くの人間が参加しているが、休憩時間に参考書ではなく小説を読んでいるのは、嘉納と僕だけだった。


 チャイムが鳴る。今日の授業は全て終わりとなる。

「不破君。喫茶店寄って帰ろ」

「ああ、そうするか」

 最近は嘉納と一緒に帰ることが多くなった。この見かけによらない文学少女はアルバイトでもしているのか、喫茶店を読書の場としているらしい。週に四度は通っているというが、よくも小遣いが保つものだと思う。

 挙げ句の果てに、僕の分までいつも払うのだから、アルバイトなどではなく、単に金持ちなのかもしれなかった。甘んじて僕が彼女に珈琲を奢って貰い続けているのは、金が無いからだ。今月は小説を買いすぎて、金欠なのだった。

「毎度、すまないな」

「いいからいいから」

 嘉納が行きつけにしている喫茶店に入ると、大体そんなやりとりがはじまる。しかし、その後は続かない。僕も嘉納も鞄から小説を取りだして、しばし読書をするためだ。そして大抵は、そのまま帰ることになる。

 これでは、鷹成と雪吹さんと同じだ。そんなことを思わないでもないが、彼らの理想的な読書環境が資料室であることに対し、僕や嘉納は喫茶店であるだけだ。特に、夏場は冷房の効いた喫茶店ほど心地よいものはない。

 小一時間ほどお互いを完璧に無視する形で本を貪るように読んでいた僕たちだったが、小休止にと、珈琲に口を付けたところで、嘉納も顔を上げて、僕を見てきた。

「どう、その本。面白い?」

「ああ。以前、色々な縁で手に取った本があって、その作者が最近書いた本なのだけどね。重厚な文章であるにも関わらず、非常に小気味の良いテンポで読める」

「ふぅん」

 嘉納は僕の手元に目をやり、文庫本の表紙をじっと見つめた。

 彼女は、僕が勧めた小説を読んだことがない。尤も、二度ほどしか勧めていないので、勧められるのが苦手なのか、好みではないと判断したのかはわからない。それでも、改めて勧める気にならないのも確かである。

「嘉納は、どんな本を読んでいる?」

「今は夏目漱石。すごいよ、現代でも違和感のない文章で、すごく鮮やかに読めてしまうの。それって、それだけ綺麗な日本語ってことで、なんだか悔しい」

 中々、不思議な言い回しだ。綺麗なことが悔しいと言う嘉納は、自分自身が綺麗な容姿をしていることに、多分気が付いていない。

「君は興味深い人だな」

 そう言うと、嘉納は呆れた表情で僕を見た。


 僕と嘉納はいつも、隣の席に座って夏期講習を受けていた。

 友達だからというシンプルな理由は、いつの間にか建前になっていたのだが、それに気付かないフリをした。読書好きで、どこか飄々とした嘉納は、まったく正反対であるはずの雪吹さんに、何故かだぶってしまったからだ。

 別に、自分が気の多い人間だとは思わない。ただ、思春期を抜けきらない年頃であり、身近に可愛らしい女の子がいて、どうやら彼女もこちらを憎からず思っているらしい。

 そこまでお膳立てされている状況では、意識してしまうのは仕方のないことであり、一旦意識してしまうと、今までとは違う意味で受験勉強に手が着かなくなってしまった。

「どうやら、君に惚れているようだ」

「下手くそな告白だね」

「よく言われるよ」

 そんな短いやりとりが交わされたのは、夏期講習の最後の日だった。

 連絡先の交換ぐらいは済ませており、まさか二度と会えないわけでもなかったが、嘉納に会う最も大きな口実が無くなってしまうことに違いはなかった。

 無くなるなら、別を作ればいい。

 文芸部は潰れたが、資料室ができた。ならば、夏期講習が終われば――否、友達の期間が終われば、恋人になれるかもしれない。最後になるかもしれない喫茶店での会話は、自分でも呆れるほどに唐突な愛の告白だった。

「あれだけ本を読んでて、そんな言葉しか出てこないって、不器用だねえ」

「不器用というか、これでも緊張しているんだ」

「そうは見えないけど」

 けらけらと笑う嘉納の頬に朱がさしていることには気付いていたが、僕は何も言わなかった。緊張していることを隠すことに必死だったし、指摘すると多分、怒る。

「……私も、惚れてるよ」

 やがて呟かれた彼女の言葉を、僕は一生忘れないと思う。

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