1 プロローグその1
プロローグその1です。
俺の名前はユウキ サトシ。
やや、痩せ型。身長は175センチ。筋肉質では無いが、肥満体質でも無い。
タバコは吸わないが、そろそろ加齢臭が漂いはじめる仕事盛りの四十代だ。
昭和50年に生まれ、第二次ベビーブームのなかで受験戦争を戦い続け、何とか中学、高校、大学と進学し、就職先はバブルが弾けて色々と苦労したが何とか就職し、営業職として二十年のベテラン会社員だ。もちろん、妻も子供もいる。妻とは大学で知り合い、就職後3年して結婚。子供は小学生の娘が一人いる。
こういっては何だが、仕事はそこそこできる方だ。先週も大きな案件を受注できた。
俺の会社の創業は丁度俺が生まれた年だ。
会社名は日本電子電算工業。子会社に日本電子電算システム開発と、日本電子電算インフォメーションというただでさえ元々も社名が長いのにさらに長い社名の子会社が二つあり、他にも数社の買収した子会社やグループ会社がある。つまり、グループ全体で五千人くらいの従業員がいる。
業務内容は、いわゆるアプリやシステム開発の他に、システム保守や運用など、様々なコンピュータ周りの仕事を総合的に請け負う会社だ。わかりやすく例を挙げるならば、ビール会社のプロモーション用のサイトを作って、ツイッターなどの各種SNSを運用し、応募者プレゼントの発送などをする、というわけだ。
当然、メインクライアントは大企業や新興の企業でも、上昇志向の高い優良企業が多い。そして一応中間管理職として、八名の若手社員を取りまとめつつ、同時にプレイングマネージャーとして自らも足を運んで受注を取ってくるなどしているわけだが、営業だけでも本社に八十名。日本全国に支店は五箇所。海外にも支社があるこの会社で、今まさに俺は困惑しながら自社ビルの十五階、最上階に来ていた。
俺の会社では、辞令による転勤や配置換えなどの際は、基本的に前もって内示が本人とその部署に配置換えの一ヶ月前に提示される。そして、辞令は昇格、降格、転勤の有無に関わらず、社長が自ら紙に書かれた配属書を手渡しするのか俺の会社のルールになっている。東京オリンピックも終わった今の時代、メール一本で済ませることも業務の効率化という名目でできるとは思うのだが、社長はこれだけは先代から変えずに守っている。
内示が出てない状態で呼ばれる時は、大抵が降格人事か始末書的なお叱りの時だ。正直心当たりが無いが、呼ばれている以上行かないわけにはいかない。
十五階は、エレベーターホールからすぐに秘書室と役員会議室があり、トイレや給湯室、非常階段の反対側に事業戦略室と社長室が並んでいる。
俺は秘書室の受付で社長に呼び出されたことを告げると、受付に座っていた叶さんから、かなり「かわいそうなヒト」を見る憐れみの目で見られながら内線をとって社長室に連絡をしてくれた。
「社長、ユウキさんがお見えです」
涼やかなアニメ声の叶さんの声が響いて、一言二言話した後、内線が置かれて俺の方に振り返る。
「お待ちだそうですので、どうぞ」
受付奥からも、秘書室の面々から「かわいそうなヒト」を見る憐れみの視線が送られながら、俺は軽く礼を言って社長室に進んだ。
「失礼します、ユウキ入ります」
社長室のドアはよく見ると開いていた。
なので、開いているドアに軽くノックをして声をかけると、窓側のデカイデスクの向こう側の社長が顔を上げた。
ちなみに社長は俺よりたしか三つ年下だ。先代が引退されてその息子が跡を継いだわけだが、アメリカの大学卒業のイケメン秀才だ。オマケに結構ガタイも良い。たしかアメフトか何かやってたはずだ。
俺とはあまりにスペックが違いすぎて賞賛の気持ちしか湧いてこない。
今日も高級ブランドのグレーのスーツに紺のネクタイをキチッと着こなしていた。
え?俺の服装?ヨレヨレでは無いけど、某数字のマークの大手量販店の半額セール品ですけど、何か?
「お、ユウキさんか。そこのソファに座って、あと一人くるからちょっと待ってね」
会社のルールとして、従業員を呼びあうときは年齢や性別、入社歴に関係なく「〇〇さん」と、「さん」づけがルールだ。
俺は会釈して示された応接用の豪華な革のソファに腰をかけた。
するともう一人、広報担当の永山さんがノートパソコンを抱えて入ってきた。
自分も会社から支給されているタブレットパソコンの電源を入れる。
「揃ったな」
そう言って社長と永山さんは俺の向かいに座った。
広報担当というポジション柄か、キビキビした動作とスタイルの良い美人さんだが、俺は数えるくらいしか会話を交わした経験がない。
あら?やっぱ対象者は俺一人か?
チラリと横目で入室してきたドアを見るとすでに閉じられていた。
いつの間にかお茶と御茶請けが目の前のガラスのテーブルに出されていた。
永山さんは持ってきたノートパソコンをチョコチョコいじると、社長室の壁に埋め込まれた六十インチくらいの液晶画面にノートパソコンのデスクトップを映し出すと、すぐに一つのプレゼンテーション資料をクリックして立ち上げた。
タイトルページにはこう書いてあった。
仮想化社会における日常とゲームの融合
『Second Earth Projection Online』
資料には見覚えがあった。
何せ俺がでっち上げた資料だ。社内公募で新規事業募集に応募した時に、部下に提出するよう強制した手前、自らも企画しないといけない雰囲気が課内に流れて仕方なく書いた企画だ。
会社は社内から新規性の高い、そして利益性の高い事業を検討するアイデアとして、社内公募で事業計画を年に一回募集している。部分採用でも、該当年のボーナス査定に大きくプラスになる。ただ、俺の作った企画は、会社が比較的お堅い事業を選ぶ傾向にあるから、まず採用されることはないだろうと、たかを括っていた面もあった。
「この事業計画ですが、私に言わせると荒唐無稽としか言いようがありません」
涼しい顔で美女に完全否定された。
嗚呼、さすがに酔っ払って適当にでっち上げた事業計画じゃだめだよな。でも、酔いがさめてから何回も見直しして、意外といい線いってるようなきがしてたんだけどな。
「一番の問題点は、資料中に述べている『セカンド・レイヤー』というコンセプトです。確かに近年のインターネットを使ったゲームコンテンツは、人気のコンテンツを作り出すことができれば爆発的な収益を得ることができます。ゲームとしてのコンテンツの詳細はこの際どうでもよいのです。一番の問題点は常にゲームを行っているプレイヤーが常時接続しながらコンテンツを起動し続けることです」
おや?全否定されてるんじゃないのか?
俺が不思議そうな顔をしているのに気づいたのか、永山女子はさらに言葉を続けた。
「まずは物理的な部分で完全接続を続けるのは、ハードウェア的に従来のものでは難しいといわざるを得ません。2016年のVR元年から、画期的なハードウェアの革新はありませんし、ゲームコンテンツとしても対極化がますます進んで、携帯端末によりいわゆるタップゲームと、ハードウェア的な負荷のかかるパソコンやコンシューマーゲーム機のオンラインコンテンツとでその中間がありません」
「そうだね」
社長が永山さんの断言を引き継いで言葉を重ねた。
メガネがきらりと光ってちょっと凄みを感じさせる。
「そこで、まだこの情報は極秘事項なんだが当社はグラスノーツ製薬会社の子会社で医療機器ハードウェア部門を統括しているグラスノーツインストゥルメンツを買収することにした。この会社の主な事業は2つ。一つはグラスノーツ製薬グループ全体に対するシステム開発とその運営、サポート。今までは競合だったわけなのに、これからは同グループということで、弊社が今までグラスノーツを担当していた営業部門と制作部門はグラスノーツインストゥルメンツに席を移すことになる。つまり、君はこの買収が発表されると出向決定だ」
ニヤニヤしながら社長は一度言葉を切って俺の表情をみる。
「そしてもう一つの事業なんだけど、医療機器ハードウェアの開発というのがある。グラスノーツは製薬会社だけど、薬をつくる創薬の分野では正直に言ってほかに比べると遅れているけど、義手や義足の開発の他にも面白い技術がある。それが『網膜投影』という技術だ。もともとは弱視や乱視などの視覚に対する補助の目的で開発されている技術なんだけど、たとえばこのメガネ」
そう言って社長はメガネをはずした。
よく見るとアメリカメジャーリーグの選手がかけているおしゃれなサングラスのようなフレームだが、いくつか小さなスイッチがついている。
「君もかけてみるといい」
社長に手渡されたメガネをかけてみて俺は驚いた。
かけた瞬間に自分の視界の中にパソコンの画面が見えたからだ。もちろん壁に映されているプレゼンテーション資料ではない。ソフトは起動していなかったが、誰かのパソコンのデスクトップに見えた。おそらく社長のパソコンなのだろう。
「こ、これは」
「そうだろ、おもしろいよね」
俺は社長にお借りしたメガネを返した。社長も苦笑しながらうなずく。
「ブルートゥースと音声認識を使うと、結構いろいろなことができるんだ。スマートフォンの機能を一部移した腕時計も悪くないけど、腕時計は手元を見ないといけないからね。ただ、これだと車の運転は危ないと思う。これが本格的に普及したら恐らく法律で規制をうけるだろうね。そういうわけで、君の新たなお仕事はこのメガネを使った新規コンテンツの開発だ。ハードウェアの方は僕が直接指揮をとっている。なので君は明日からどんなコンテンツを用意するか検討してほしい。」
どうやら俺は抜擢された、ということのようだ。