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穴だらけの殺人  作者: 深月咲楽
4/7

第4章

(1)


「多恵ちゃん、今日のお昼、一緒にどこか食べに行かへん?」

 高田から声をかけられ、私は少し驚いた。

「高田さん、今日、お弁当は?」

 私が聞き返すと、彼女は小声でささやいた。

「今日は、持ってきてへんねん。実は、昨夜、木嶋刑事から連絡があってな」

 木嶋刑事が、波多野さんの事件を調べ直すと約束してくれたのは、一昨日のことだった。

「ええ」

 私は続きを促した。

「えらいことがわかったんやわ」

「えらいこと?」

 高田の顔を見ながら聞き返す。

「とにかく、お昼に話すから。綾子も来るって言うてるし」

 彼女が私の肩を叩いたとき、後ろから声がした。

「何の話をしてはるんですか?」

「あ、田野倉君、いつ帰ってたん?」

 高田が目を大きく見開いて言った。

「ついさっきですよ。ドア開けて、ただいまって言おうとしたら、お2人が深刻そうな顔で話してはったから」

「そうやったん。今、麦茶、入れるから」

 陽子の事件があって以来、アイスコーヒーから麦茶へと、冷蔵庫の中身も変わっていた。

「すんません」

 田野倉は、背広を脱いで背もたれに掛けると、椅子を引いた。

「ああ、外は暑いわ」

 どさっと座って、ネクタイを緩めたとき、高田がお盆に麦茶を載せて持ってきた。

「どうも」

 彼はそれを受け取って一口飲むと、井上所長を見た。

「営業報告、もう少し後の方がええな」

 その声に振り返ると、井上所長はまた、椅子の背にもたれ掛かり、気持ちよさそうにイビキをかいている。

「それはそうと、えらいことって、何ですの?」

 田野倉が、興味津々といった感じで、高田に話しかけた。

「ううん、別になんでもあらへんよ」

 高田は、パソコンの前に座りながら言った。

「事件のことでしょ? 木嶋刑事がどうとか、言うてはりましたやん。ねえ、昼飯、僕も連れていって下さいよお。何かの役に立てるかもしれませんよ」

 田野倉が、私達の顔を交互に見ながら微笑む。私は思わず、高田の顔を見た。彼女も、困ったような顔つきで、私の方を見つめていた。

「多恵ちゃん、どうしよ?」

 高田に聞かれ、迷いながらも軽く頷くと、田野倉は手を叩いた。

「おっしゃ。これで僕も、探偵団の一員や!」

「なんや、びっくりするなあ」

 井上所長が、田野倉の大声に驚いて目を覚ました。

「田野倉、帰って来てたのか。それで、どうだった、今日の共成工業との会議は」

「所長、それなんですけどね」

 田野倉は、書類を手に立ち上がる。私達は、平然と所長に会議の報告をする田野倉を、呆れ顔で見ていた。


(2)


「ごめん、遅くなった」

 綾子が、急いで走り込んできた。事務所のすぐそばの喫茶店。

 高田と私と、そして田野倉は、既にサンドイッチを注文していた。

「あら? こちらの方は?」

 綾子がとまどいながら、田野倉を見る。

「あ、田野倉です。お母さんには、いつもお世話になってます」

「あ、いえ、こちらこそ」

 どういうことよ、という目で高田を見ながら、綾子は高田の隣に座った。

「すんません。僕が無理言って連れてきてもうたんです。犯人探しのお手伝いでもさせてもらえたらと思って」

 田野倉が頭を掻く。綾子は、しょうがないといった風に、溜息をついた。

「いらっしゃいませ」

 ウェイトレスが、綾子の前にお水を置く。

「私達は、サンドイッチにしたけど」

 高田が言うと、綾子は頷きながらウェイトレスを見た。

「私も、サンドイッチ」

 ウェイトレスが去るのを見て、綾子は口を開いた。

「田野倉さんでしたっけ、内部犯行説とか言うてはったの」

「ええ」

 田野倉は驚いた顔をして、頷いた。

「結構、いい線いってるでしょ?」

「さあ、まだそれはわかりませんけど。でも、初めに言うておきますけど、あなたも十分、容疑者の1人なんですからね。よく、覚えといて下さいね」

 綾子が、田野倉を見つめて言った。

「綾子、そんなん言うたらあかんよ」

 高田にたしなめられ、綾子はちょっと舌を出した。

「それで、お母さん、多恵さんにはどこまで話したん?」

「まだ、全然。昨日、木嶋刑事から連絡があったっていうことだけ」

「そう」

 綾子は私の顔を見た。

「ほら、おばちゃんが亡くなりはった当時の所長、他の会社に移らはったっていう」

「安永所長ですか?」

 田野倉が身を乗り出す。綾子はその様子を横目でちらっと見ると、続けた。

「亡くなってはったんよ。今年の1月に」

「何で?」

 私が尋ねる前に、田野倉が食いついた。

「ひき逃げやって」

「ひき逃げ?」

 田野倉が大きな声を出したので、サンドイッチを持ってきたウェイトレスが驚いた顔をした。

「大きな声、出さんといて下さい。――すみません」

 綾子は、ウェイトレスからサンドイッチのお皿を受け取ると、テーブルに順番に置いていった。伝票がテーブルに伏せられると、綾子がまた話し出す。

「安永さん、新しい会社の福岡支店に、支店長として派遣されてたらしいんよ。こちらに自宅があって、単身赴任って形やったらしいねんけど」

「ああ、あそこ、子供2人とも高校生やったしね」

 田野倉が頷く。

「で、仕事帰りに赤提灯によって、家に帰る途中でひかれたらしいんよね」

 綾子は、カバンから手帳を取り出した。

「えっと、福岡の中洲ってとこで」

「屋台がいっぱいあるとこですわ。僕も福岡に出張する時は、いっつも寄りますし」

 田野倉が言った。

「ひき逃げって、犯人は捕まったんですか?」

 私の質問に、綾子は、頬張っていたサンドイッチをお皿に置いて答えた。

「まだやねんて」

「でも、ひき逃げは、車の特定ができれば、犯人なんてすぐわかりますよねえ」

 田野倉が、サンドイッチを片手に言う。

「車は特定されたんやけど、盗難車やったんよ」

「盗難車?」

 私と田野倉が、同時に聞き返した。周りの注目が集まる。

「せやから、大きい声出さんといてって、言うてるでしょ」

 綾子が、顔をしかめて口の前で人差し指を立てた。

「盗難車ってことは、計画的に安永さんをひいたってことですか?」

 私が声をひそめて尋ねると、綾子は頷いた。

「その可能性が高いんと違う?」

「今回の事件に、関係あるんやろか」

 高田が、私達の顔を見回しながら言う。

「あるんとちゃいます? 当時、波多野さんと一緒に仕事をしていた7人の中で、5人が殺されたわけですよ。偶然ではないでしょう」

 田野倉が、指で数えながら言った。

「順番で行くと、安永元所長が最初ってことになるんよね」

 綾子が確認する。

「そうですね」

 私は頷いた。

「残ってるのは、僕と宮島さんだけか」

 田野倉が、改めて気づいたようにつぶやく。綾子は、高田の方を見た。

「お母さん、1月頃の社員の人達の勤務状況って、覚えてる?」

「勤務状況? どういうこと?」

 高田が聞き返す。

「せやから、誰が何日に休んだとか、誰がどこへ出張してたとか」

「そんなん、いちいち、覚えてるわけないやん」

 綾子に言われ、高田が答えた。

「多恵ちゃんは?」

 綾子がこちらを向く。

「私は、2月からなんで、1月のことはちょっと……。でも、営業の方達は、営業日誌を付けてはりますよねえ」

 私は、田野倉の方を向いて確認した。

「ああ、付けてるよ。半年分たまると、1つの営業所ごとにまとめて、支社の保管庫に移すんや。うちの山科営業所は、6月に出しましたわ。確か、3年間は保管してるって聞いてるけど。1月の分やったら、支社にあるはずやで」

 田野倉が説明する。

「手に入ります?」

 綾子が尋ねる。

「ええ。明日、支社の方へ行く用事がありますから、見てきますよ。1月何日ですか?」

「12日です。平成11年の、1月12日」

 田野倉は、手帳を出して書き留めた。

「で、誰の分を見てきたらいいんですか?」

 彼が尋ねると、綾子さんが聞き返した。

「誰の分があるんですか?」

「営業担当の人の分ですよ。竹本課長と宮島さん、そして僕。ああ、井上所長の分もありますけど、あの人は1月にはまだ、うちの事務所にいはらへんかったから、調べようがないですわ」

 田野倉の答えに、綾子は頷いた。

「ああ、そうか。でも、井上所長って、おばちゃんとの接点はなさそうですよね」

「そうですね。ずっと東京にいはったらしいですし。この際、犯人候補から除外しますか?」

 田野倉が尋ねる。

「今の段階では、そうなりますよね。それじゃあ、井上所長を除く3人分。お願いします」

 綾子が軽く頭を下げた。

「はい、了解いたしました」

 田野倉は、微笑みながら敬礼のポーズをとった。

「それから」

 綾子が、私の方を見る。

「多恵さんも、田野倉さんと一緒に行って、確認してきてもらっていい?」

「私も……ですか?」

 私は驚いて聞き返した。

「せやかて、田野倉さんが犯人やったら、自分に都合のいい報告をしはるかもしれへんでしょ」

「綾子」

 高田がたしなめる。

「いえ、お嬢さんの言わはることは、もっともなことですわ。――わかりました。ほんなら、星野さんも一緒に行ってくれるか?」

 田野倉が、笑いながら言った。

「ええ。――明日って、急ぎの用事はないですよね」

 高田に尋ねると、彼女は困ったように、微笑みながら頷いた。

「ごめんなさいね。――綾子、あんまり無理言うたらあかんのよ」

「悪いとは思ってるわよ。でも、私、どうしても俊ちゃんへの疑いを晴らしたいし、おばちゃんの死の真相も知りたいんよ」

 綾子の目は真剣だった。

「気持ち、わかりますよ。僕かて、自分への疑いを晴らさなあかん。きちっと調べてきますから、安心して下さい」

 田野倉の言葉に、高田はまた、すまなそうに頭を下げた。


(3)


 私は、いらいらしながら田野倉の到着を待っていた。時間は、約束の9時を15分ほど過ぎている。

 支社の入っている河原町ビルのロビーでは、スーツを着た男性や制服を着たOLが、忙しそうに動き回っていた。

「ごめんごめん」

 田野倉が、表口のガラス戸を開け、走り込んできた。

「車、めっちゃ渋滞してて。待たせてもうたなあ」

 彼は肩で息をしている。私は微笑みながら言った。

「田野倉さん、怖じ気づいたんかと思いましたわ。自分が犯人やって、ばれるんが恐くて」

「うわー、きっついこと言うなあ。最近、高田さんに似てきたんちゃう?」

 田野倉が苦笑いする。

「保管庫、5階やねん。エレベーターで行こか」

 背広の上着を脱ぎながら、田野倉がエレベーターを指さした。

「はい」

 私は頷くと、そちらに向かって歩き出す。

「何かわかるとええけどな」

 エレベーターの前まで来て上に向かうボタンを押すと、田野倉がつぶやいた。


「ええと、山科営業所の平成11年1月から6月……。あ、あったあった、これや」

 田野倉が、棚のガラス戸を開けて1冊の冊子を取り出した。表紙には、うちの事務所の名前と、営業日誌という文字が書かれていた。

「誰から調べようか」

 その冊子には見出しが付けられており、それぞれの名前が記されている。

「そやな。やっぱり僕からやね。まず、身の潔白を証明しとかなあかんやろ?」

 田野倉は、笑いながらそう言うと、自分の名前が書かれた見出しの部分を開けた。

「ええと、1月12日。おう、大阪の陽盟企画と話し合いをやってるわ。そういえば、この時、竹本課長も一緒やったはずやぞ」

 彼は私に、その日の営業日誌を見せて言った。私が内容を確認して頷くと、彼は竹本課長のページを開いた。

「ほら、やっぱり。課長も陽盟企画との会議に参加って、書いてあるわ」

 田野倉は、嬉しそうに言った。

「なんなら、陽盟企画に確認してみてもええで」

「わかりました。信じます」

 私が微笑むと、彼は大きく息を吐いた。

「ああ、よかった。――ほんなら、宮島さんの分、調べるで」

 彼はそう言いながら、ページをめくっていく。

「えっ! 嘘やろ?」

 1月12日のページを見て、彼は驚いた顔をした。

「何ですか?」

 私が尋ねると、彼はそっと指でそのページを示す。私はのぞき込み、そして目を疑った。

「これは……」

 そこには宮島自身の字で、「福岡支社に出張」と書かれていた。


(4)


「どうやった?」

 私達が着くや否や、綾子が尋ねてきた。昨日と同じ店で、私達は報告会を兼ねて昼食をとることになっていた。

「まず先に、注文させてあげなさいよ。全く、せっかちなんやから」

 高田が、綾子をたしなめる。

「昨日はサンドイッチやったから、今日はピラフにでもしようかな」

 田野倉が、こちらを見て言った。

「私もそうします」

 私が頷くのを見て、田野倉が手をあげる。気づいたウエイトレスが、お水とおしぼりを持ってきた。

「ピラフ、ふたつ。高田さん達は、もう注文しはったんですか?」

「ええ。スパゲティをね」

 高田が答えた。

「じゃあ、それだけで」

 田野倉が言うと、ウエイトレスは伝票を手に、奥へと下がった。

「営業日誌、見てきました。今年の1月12日の分でよかったんですよね」

 田野倉が、手帳を取り出しながら確認する。

「そうです。1月12日」

 綾子が答えた。

「まず、僕から行きましょうか。――僕は、竹本課長と一緒に、陽盟企画の会議に参加してました。新しいビルを建てるということで、その電気系統の打ち合わせでした。会議自体は、7時に終わってますけど、後でみんなして食事に行きました。何なら、確認してもらってもいいですよ」

「多恵ちゃん、ちゃんとそう書いてあった?」

 綾子が、微笑みながら私を見た。

「ええ。会議が7時まであったことは、書かれてました。食事まではどうかわかりませんけど」

「その会議、どこであったんですか?」

 田野倉の方を見ながら、綾子が尋ねた。

「京橋の方です」

 田野倉は答える。

「大阪と福岡か。安永さんがひかれたんは、午後9時過ぎ。どんなに急いでも、間に合いませんね」

 綾子が言った。

「そうですね。これで、俺はシロってことになりますよね。竹本課長も」

 田野倉が笑うと、綾子はすました顔で言った。

「安永さんのひき逃げに関してはって、ことですけどね」

 ちょうどそこで、お昼ご飯が到着した。私が受け取り、みんなに回す。全員分揃ったところで、綾子が口を開いた。

「あとは、宮島さんですね」

「ええ」

 田野倉は一瞬ためらったが、言葉を続けた。

「実は、当日、福岡支社に出張されていたことがわかったんです」

「福岡支社?」

 綾子が尋ねる。

「確か、天神にあったんと違う?」

 高田が私達の方を見た。

「ええ。ホテルも、天神にあるビジネスホテルを使ってはります」

「1月12日に?」

 高田が確認した。

「ええ。午後6時には、会議は終わってます。それで、翌日の13日に、こちらに戻って来はったみたいですね」

 田野倉が、営業報告に書いてあったことを伝える。

「中洲と天神って、近いの?」

 綾子が尋ねた。

「ええ、目と鼻の先ですわ」

 田野倉が、手帳を置いて答えた。

「そうか……」

 綾子がフォークを弄びながら、つぶやく。私は口を開いた。

「天神にいたからって、安永さんをひいたのが宮島さんとは限りませんよね? 偶然ってことかてあるんやし」

「まあね」

 綾子が、ためらいがちに言葉を続けた。

「多恵さんと宮島さんのことは、母から聞いてるわ。せやから、これは教えようかどうしようか、さんざん迷ったんやけど……」

「何ですか?」

 私は続きを促した。

「木嶋刑事から、今朝、電話があってね」

 代わりに高田が答えた。

「竹本課長と道子ちゃんが殺された日、そのホテルから宮島さんを乗せたっていう、タクシーの運転手さんが見つかったらしいねん」

「え?」

 私は、スプーンを置いて、聞き返した。

「2人の死亡推定時刻は午後9時頃。その30分くらい後に、ホテルから宮島さんを乗せたって。えらい青い顔をしてたから、タクシーの運転手さんも印象に残ってたらしいねん。写真を見せたら、間違いないって証言しはってんて」

「それやったら、例の若い男の方は、どうなったんですか?」

 私は食い下がった。

「ああ、エレベーターの前で目撃されたっていう、若い男ね。それが、顔ははっきり見えなかったらしいんよ。でも、同じグレーのスーツを着てたって。背格好も似てるし、恐らく同一人物やろうという、結論が出たらしいで」

「つまり、宮島さんってことですか?」

 田野倉が尋ねる。

「そういうことやろうね」

 高田が頷いた。

「それでね、多恵ちゃん。お節介かもしれへんけど、あなたのためやと思うから言わせてもらうわ。――今夜、宮島さんの家に家宅捜索がはいるらしいねん」

「家宅捜索、ですか?」

 私は、小声で聞き返した。

「そう。せやからね、宮島さんにきちんと話をして、警察に隠していることがあるんやったら、全部話すように説得してほしいんよ」

 高田が、私を気遣うように言った。

「でも……。宮島さんが犯人って、まだ決まった訳じゃありませんよね」

 私は、高田をまっすぐに見つめた。

「せやけど、宮島さん、その日は行きつけの料理屋の店員さんに、ここにいたことにしてくれって、アリバイ工作を頼んではったそうよ。何もないのに、そんなことする?」

 高田の言葉に、私は唇を噛んで下を向いた。

「今日は、宮島君はどうしてるの?」

 高田が田野倉に尋ねる。

「外回りやって言うてはりました。今日は、そのまま直帰するから、事務所には顔を出さへんって」

「そう」

 高田は鎮痛な面持ちで頷いた。


(5)


「宮島さんのこと、少し考えてみない?」

 綾子の提案に、私は顔を上げた。

「安永さんと、竹本課長の事件に関しては、今話したとおり。祖父江さんの事件の時は、どうやったんかな?」

「祖父江さんが亡くなりはったとき、宮島さんはうちに泊まってました」

 私は答えた。

「ほんまに? アリバイ工作、頼まれたんと違うんか?」

 田野倉が言う。

「ほんまです。嘘なんてついてません」

 思わずムキになる私を、綾子が制した。

「わかったわ。詳しい話、聞かせてくれる?」

 私は、お水を飲んで気分を落ち着かせると、あの日のことを話した。

「お寿司屋さんで夕食をとった後、タクシーでうちに向かいました。部屋に入ったのは、10時半近かったと思います」

 確か、いつも見ているバラエティー番組が終わった後だった。私は思い出しながら、慎重に話を進めた。

「部屋に入ってから、私はビールを宮島さんと私のグラスについで、テーブルに出しました。彼がビールを飲んでいる間に、私は冷凍の枝豆をゆがいて……。それを持っていった時には、彼はビーズクッションに座って、グウグウ寝ていました。私、タオルケットを出して、彼のお腹にかけたんです」

「それから?」

 高田が、優しい笑顔で続きを促す。

「私は、ビールを飲んだり枝豆を食べたり、テレビを見たりしてしばらく起きてたんですけど、いつの間にか眠ってしまって。――朝方かかってきた、陽子さんからの電話で、目が覚めました」

「いつ頃眠ったか、覚えてる?」

 綾子が、身を乗り出す。

「さあ……。11時半からやってるお笑い番組のオープニングを、見た記憶はあるんですけど……」

「多恵さん、お酒は弱くないわよねえ。――いつも、何時頃寝るの?」

 綾子に聞かれ、私は答えた。

「いつもは、1時くらいですね」

 綾子は、何か考える素振りで頷いた。

「宮島さん、ほんまに寝てもうたんか? おかしな話やなあ」

 田野倉が首を傾げる。

「お寿司屋さんで、日本酒をたくさん飲んではったんです。あの頃、宮島さん、忙しかったそうですし。――それで、眠ってしまいはったんと違いますか」

 私が答えると、田野倉が苦笑した。

「まあ、男の立場から言わせてもらうとやね」

 彼は、一口お水を飲むと、続けた。

「宮島さんは、星野さんに気があった訳や。僕にもよく、君と付き合いたいって言うてはったわ。それがやで、君の家で2人っきりや。宮島さんにしてみたら、願ってもないチャンスやんか。そこで、寝るかな、普通」

「私が、嘘をついてるって言わはるんですか?」

 声が大きくなり、ウエイトレスが振り返った。

「そういうわけやないのよ。ただ、私も宮島さんの行動は、腑に落ちへんねん。多恵さんも眠ってしまったって、言うてはったわよね」

 私は黙って頷いた。

「お酒も弱いわけやないし、普段よりも早い時刻やったのに、何で寝てしまったんかな」

「――睡眠薬か」

 綾子の問いかけに、田野倉が少し考えて答えた。

「恐らく宮島さんは、星野さんが枝豆をゆがきに行っている間に、君のグラスに睡眠薬を入れたんや。せやから、君は眠り込んでしまったというわけや」

「でも、宮島さんも、イビキかいて寝てはったんですよ」

 私が言うと、彼は私の顔を見た。

「狸寝入りっちゅうやつやろ。宮島さんは寝たふりをして、君が寝付くのを待ってたんやで、きっと」

「そして、多恵さんの部屋を出た」

 綾子が口を挟む。

「ランニングシャツを着て、左の頬につけぼくろを付け、俊ちゃんの自転車にまたがって。河原町ビルを目指したというわけやね」

 綾子の方を向いて頷くと、田野倉は言った。

「宮島さんやったら、入館カードも持ってはるし、祖父江さんも何の警戒もなく、電気室に招き入れたやろ。容易に、青酸カリ入りのコーヒーを飲ませることができる」

「そして、俊ちゃんの犯行に見せるために、わざと裏口から出て警備員さんに姿を目撃された」

 私は黙ったまま、2人の説に聞き入っていた。

「西ノ京円町で自転車を乗り捨てて、北野白梅町の星野さんの部屋まで徒歩で戻った」

 田野倉の言葉に、高田が聞き返す。

「西ノ京円町から北野白梅町って、結構あるわよ。その前に、自転車にもさんざん、乗ってはるわけでしょ。宮島君みたいな華奢な子が……」

「いえ。あの人、ああ見えても、学生時代、バレーボールで日本代表に選ばれかけたほどの、スポーツマンなんです。今でも、ジムに通って体鍛えてるって、言うてはりましたよ」

 田野倉が答えた。

「そうなの……」

 高田が、私を気遣いながら頷く。

「私は、アリバイ工作に使われたって、そう言わはるんですか?」

 私は、田野倉の顔を凝視しながら続けた。

「それやったら、あの脅迫状の件も、宮島さんの自作自演やって言わはるんですか?」

 田野倉は頷いた。

「ああ。恐らくね。脅迫状だけやない。稲垣さんの時も、今考えれば宮島さんの自作自演ってやつやったんやろ」

「どういうことですか?」

 私は聞いた。

「僕、えらいこと思い出してもうたんや」

「えらいこと?」

 聞き返す私をちらっと横目で見ながら、彼は話を続けた。

「事務室の電気や」

「電気?」

 今度は、綾子が聞き返す。

「犯人は、宮島さんが1人で表口から出はったのを見て、残業してるのは宮島さん1人やと勘違いしたって、僕らそう思ってたやないですか」

 私達は頷いた。

「でも、違うんですよ。宮島さんが出ていかはったとき、事務室の電気はつけっぱなしやった。僕と稲垣さんは部屋に残ってたんやから、当たり前ですよね。で、陽子さんもコンビニに行きたいってゴネはって、僕ら、宮島さんの後を追ったんです。その時に初めて、事務室の電気を消したんですよ」

「電気がついているかどうかは、表口の側からも十分確認できるわよね」

 高田が、腕組みをしながら言った。

「宮島君が出ていった後に事務室の電気が消えたわけだから……。たとえ表口から出たのが宮島君だけやったとしても、犯人は彼1人じゃないことを判断できたってことになるんやね」

「そうなんですよ。それにね、今思い出すと、宮島さん、ちょいちょい流しの方に行ってはったんですわ。その度に換気扇が回ってたし、てっきり煙草を吸ってはるんやとばかり思ってたんですけど。よう考えたら、その時にフレッシュをすり替えることくらい、ちょろいでしょ」

「それやったら、陽子さんは人違いで殺されたんやなくて、宮島さんに意図的に殺されたって言わはるんですか?」

「そういうことやな」

 私の質問に、田野倉が頷いた。

「全部、状況証拠やないですか。それに、動機かってわかれへんし」

 上ずった声で反論する。

「そうよね、動機がね。――竹本課長の事件の時に見つかった、道子さんの筆跡で書かれた遺書とか、俊ちゃんの筆跡の脅迫状、あれも、どういう方法で書いたものなのか、全然わかれへんし……。今の段階で宮島さんと断定するわけには、いかんわね」

 綾子が私をかばうようにそう言うと、田野倉が答えた。

「宮島さん、亡くなった波多野さんとは、本当に親しくしてはったんですよ。もしも、波多野さんの横領事件が誰かのでっち上げやってことを知ったとしたら、きっと腹を立てはったと思うんです」

「そういえば、宮島さん、おばちゃんのこと母親みたいに思ってたとか、調書に書いてあったわね。――横領事件の真相を知った上に、おばちゃんの死が自殺やないことに気づいたとしたら」

 そこまで言うと、綾子は口をつぐんだ。

「自殺やないとしたら、圭子さんは、誰かに殺されはったってことよねえ」

 高田がつぶやく。

「そうや。そして、その横領事件に関わった人達に殺されたって可能性が、高いやろ?」

 綾子が、高田の顔を見ながら答えた。

「安永元所長に、竹本課長と横山さん、祖父江さん、それから稲垣さん。彼らがもし、その横領に関わっていたとしたら……」

 田野倉が目を閉じる。

「彼らがおばちゃんを殺したってことになるわね」

 綾子が結論を出した。

「つまり、その5人を殺害した動機は、圭子さんの復讐ってこと?」

 高田が尋ねる。

「ええ。多分」

 田野倉の答えに、綾子が頷いた。

「それなら、俊ちゃんの名前を使った理由もわかるわ。おばちゃんの事件を蒸し返すことで、真相をもう一度調べさせようとしたってことなんちゃう?」

「俊介さんの筆跡は?」

 私が口を挟むと、田野倉はちらっと綾子の方を向き、言いにくそうに言った。

「こんなん言うたら、怒られるかもしれませんけど……。僕は、俊介さんも共犯なんやないかと思うんです」

「共犯?」

 綾子が聞き返す。

「はい。せやから、脅迫状も本人の字で書けたんやと思うんです。自転車もですわ。青酸カリも、俊介さんが大学で手に入れたもんを、宮島さんが使いはったんと違うかなって」

 田野倉の言葉に、誰も口を開こうとはしなかった。

「高田さん、携帯、貸していただけます?」

 私は、高田の方を向いて言った。

「いいけど、何で?」

 彼女はカバンから携帯を取り出すと、渡しながら尋ねた。

「宮島さんから直接、きちんと話を聞きたいんです。もし、皆さんの話していることが真実やとしたら、今夜、警察が入る前に自首してもらいたいと思って……。夕食にでも、誘ってみます」

「宮島さんの携帯の番号、知ってるか?」

 田野倉が、優しく声をかけてくれる。

「いえ」

 私が首を振ると、彼は自分の携帯を取り出し、メモリーナンバーの中から宮島の番号を選び出した。私は、そこに並んだ数字の羅列を指で押しながら、これから起こるであろう出来事を考えていた。


(6)


 宮島と2人で夕食をとった後、彼に家に来ないかと誘われ、私は頷いた。

 私達は今、三条京阪のそばにある居酒屋の前に立っている。結局、事件の話はできないまま、食事を終えていた。

「嬉しいなあ、星野さんがうちに来てくれるなんて。――今日は市役所の方を回ってたから、車、家に置いてきたんや。バスでもええねんけど……。タクシーで帰ろうか」

 宮島は、近づいてくるタクシーに向かって、手をあげた。タクシーが停まり、2人して乗り込む。

「錦林車庫まで」

 宮島が行き先を告げると、車は走り出した。私は、耳にぶらさがっているイヤリングを触りながら、居酒屋での会話を思い出していた。


++++++++++


「星野さんの方からお誘いがあるなんて、嬉しいなあ」

 ビールのジョッキを傾けながら、宮島は上機嫌だった。

「ええ、たまにはいいかなと思って」

 私は、うつむき加減で答える。

「このところ、嫌なことばっかりやん? お得意先でも、なんか反応が悪うて。でも、星野さんがそばにいてくれるって思うだけで、俺、めっちゃ元気出るわ。――ちょっと、生、もう1つ!」

 宮島が、ビールのおかわりを頼んだ。

「星野さんも飲んだら? さっきから、あんまり食も進んでないみたいやけど」

「ああ、いえ、結構いただいてますよ」

 私は、笑顔を作って言った。

「そうや、そうや。俺、君に渡したいものがあったんや」

「渡したいもの?」

 私が聞き返すと、彼はカバンの中から、リボンのついた小さな箱を取り出した。

「開けてみて」

 言われるままに、その包みを開けてみる。宮島はにこにこと、その様子を見ていた。

「わあ」

 私は声を上げた。箱の中には、ルビーとメレダイヤを花びらのようにあしらった、可愛らしいイヤリングが入っている。

「ほんまは指輪にしたかってんけど、サイズがわかれへんし。イヤリングやったら、間違いないかなと思って」

「ありがとうございます」

 私はそのひとつを手に取り、耳につけてみた。

「うん、よく似合うで。もう片一方もつけてみてや」

 宮島は、本当に嬉しそうにしていたが、私が両方のイヤリングをつけ終わると、急にまじめな顔で私の方を見た。

「実は、お願いがあんねん。――今度、うちの両親が京都に遊びに来るんや。俺の実家、堺の方やねんけど」

「ええ」

「その時に、君のこと、紹介させてもらってもいいかな」

「紹介?」

 意外な展開にとまどう。

「気が早いと思われるかもしれへんけど、俺はそれくらい本気で君のことが好きなんやってこと、わかってほしいねん。――あかんかな?」

「からかわんといて下さい。まだ、お付き合いしてるわけでもないのに」

 私は、苦笑いしながら答えた。

「でも、今日、食事に誘ってくれたってことは、少しは脈があると思ってええんやろ?」

 すっかり勘違いされてしまったようだ。どう答えたものだろう、そんなことを思っていると、彼は私の手を握って言った。

「詳しい日程が決まったら教えるから。ちゃんと予定、開けといてや」

 私は無理矢理微笑みながら、その手をさりげなくどけた。

「お待たせしました!」

 ちょうどその時、おかわりのビールが届いた。

「お、来た来た。――かー、やっぱり夏はビールやな」

 宮島は、よく冷えたビールを美味しそうに喉に流し込む。今晩中には、家宅捜索が入る。――高田の言葉を思い出しながら、私は宮島の横顔を見つめていた。


++++++++++


「そこの角を右に行ったところで、停めて下さい」

 宮島の声で、はっと我に返る。タクシーは、こぎれいなアパートの前で停まった。宮島がお金を払い終わるのを待って、外に出る。

「ここの2階やねん」

 宮島が階段を上ろうとしたその時、数人の男性が彼の前に現れた。

「宮島直人さんですね」

 彼は驚いたような顔をしながら、小さく頷いた。

「家宅捜索令状です。家の中を調べさせていただきます」

 1人の男性が、白い紙を宮島の前で広げた。よく見るとそれは、綾子の天敵、横溝刑事だった。その後ろには木嶋刑事の姿もある。目があった私は、軽く会釈をした。

「どういうことですか? 何で俺が家宅捜査なんて」

 宮島は、落ち着かない様子で言った。

「竹本課長の事件があった日、あなたを嵯峨野のホテルから乗せたというタクシーが見つかりましてね。あなた自身が主張されていたアリバイも、にせのものやったということが、わかりました」

 横溝刑事の言葉に、宮島は真っ青になった。

「あの、それには訳が……」

 しどろもどろで弁解する宮島の腕をとり、木嶋刑事が言う。

「話はあとから、署の方でお聞きします。とりあえず、お宅の捜索に立ち会って下さい」

 そして、私の方を振り返った。

「あなたも、よろしいですね」

 優しいが厳しい木嶋刑事の口調に、私は黙って頷くしかなかった。


(7)


 2時間後、私は高田の運転する車の助手席に座っていた。

「すみません、迎えに来ていただいて」

 私も一緒に任意の聴取を受けさせられたことを聞き、高田が捜査本部まで来てくれたのだ。

「ううん、あれからずっと気になってて……。どうやったの? 宮島さん」

 高田が、心配そうに尋ねた。

「それが、家宅捜索では何も事件に関係するものは、出てこなかったらしいです。本人も否定しているらしいですし……」

 私が答えると、彼女は頷いた。

「それで、多恵ちゃんには何て言うてはったん?」

「実はあの……」

 私はうつむきながら答えた。

「何も、聞き出せなくて。言い出すきっかけを失ってしまったっていうか……」

 言い訳をする私をちらっと見ると、高田は微笑んだ。

「その、イヤリング、どうしたん? お昼はつけてなかったわよねえ」

 耳に手をやると、宮島からもらったイヤリングがついたままになっている。私が黙っていると、彼女は言った。

「宮島さんからもらったんやろ?」

 高田はすべてお見通しのようだ。私は小さく頷いた。

「そら、そんなプレゼントもらってしまったら、事件のことなんか切り出されへんわねえ」

「すみませんでした」

 私が頭を下げると、高田はまじめな顔で首を横に振った。

「違うんよ。別に責めてるわけやないの。多恵ちゃんの気持ちも考えんと、辛いことを頼んでしまったなって、ちょっと後悔してたんやわ。――きっと警察の方が、何か探り出してくれはるやろ。私らみたいな素人が、首を突っ込むべきではなかったんやわ。ごめんね、多恵ちゃん」

 私はそっと、首を横に振った。

「疲れたやろ? 眠たかったら寝てたらええわ。多恵ちゃんの所についたら、起こしてあげるし」

「すみません」

 言われるままに目を閉じる。これで全てが終わるのだろうか。そんなことを思いながら、私はいつしか浅い眠りについていた。


(8)


「ちょっとみんな、聞いてくれるか」

 井上所長の声に、私達は顔を見合わせた。

「何ですか?」

 田野倉が尋ねる。宮島は、今日の昼頃、証拠不十分で釈放されたが、事務所には来ていなかった。

「実は、この事務所が――山科営業所が、今週一杯で閉鎖されることになった」

「何ですって?」

 高田が立ち上がる。井上所長は、溜息をつきながら上を見上げた。

「事件続きやし、会社のイメージに差し障るということになってね。田野倉は、河原町の京都支社の方へ転属になる。高田さんは、大津営業所に行ってくれ。宮島は、沖縄の作業所に決まった」

「沖縄の作業所……」

 高田がつぶやいた。言うならば、これは左遷だ。

「それから、星野君なんだけど」

 井上所長が私の方を見た。

「君は、この事務所のアルバイトということで来てもらっていたね」

 私は頷いた。

「僕も、方々当たってみたんだが、どこも今はあまり景気がよくなくてね。――今週一杯で、解雇ということになってしまった。また、何かあったらお願いすることもあると思うから、気を悪くしないでほしいんだ」

「はい。お気遣いありがとうございます」

 私は素直に頭を下げた。事務所がなくなるとなれば、バイトも打ち切られるのは当然だろう。

「所長は、どうしはるんですか?」

 田野倉が尋ねた。

「僕は、高槻営業所の方に行くことになったよ。副所長としてね」

 山科営業所で、色々な事件が起こった責任をとらされたのだろう。格下げという厳しい処分だった。

「来週の金曜日に、備品などを運び出す。翌週の月曜日から、解体工事が始まる予定だからね。月曜日から残務処理なんかで忙しくなるから、明日からの土日は、ゆっくり体を休めておいてくれよ」

 井上所長が淋しそうに微笑む。私達はうつむいて、黙り込んだ。

「来週の金曜日は、みんなの激励会をやりましょう」

 高田が、わざと明るい声で言い出した。

「みんなの新しい出発を、お互いに励ましあいましょうよ、ねえ」

 私の方を向いて、同意を求める。

「はい」

 私は頷いた。

「そうですね。所長も一緒に、ぱあっとやりましょう。ちゃんと予定、開けといてくださいよ」

 田野倉も、顔を上げてわざと明るく言う。

「わかった。そうしよう」

 井上所長が、私達の顔を見回しながら頷いた。

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