希望という名の夢
なにがあっても朝は来る。
東京という街にも、アダムにも。
朝起きて見るテレビ。交通情報はいつも通りの日常を伝えている。
―――・・・分現在、JRは総武線、中央線、埼京線、上野東京ラインで。私鉄及び地下鉄は西武新宿線、東京臨海高速鉄道りんかい線、小田急線、京成線、都営銀座線、東京メトロ副都心線で人身事故が発生したため運転を見合わせており・・・―――
朝の東京は、人身事故ラッシュだ。人身事故防止のため、ホームドアがJR、私鉄問わず普及したが、超越的不景気のためか、全てに絶望した人々が、白い壁を飛び越え、悲鳴と警笛、ブレーキの奏でる狂騒歌の中へと消えていく。
それが、最後の救い、と。
地上通勤者は、嫌でも変形した電車に、事後処理に追われる駅員を見かけることとなる。
最近は、精神を病んで退社する鉄道マンが圧倒的に多いというし、人身事故が日常化したこの時代、遅延証明書が“人が電車にはねられた程度”で発行されることは無くなってしまっていた。
血と狂気の通勤。吐き気がする。
とりあえず、利用する路線で事故は起きていない。
地下鉄有楽町線で16分。アダムは永田町駅に立った。
ここからすぐの官庁街に、彼の職場がある。
国家最優先対策省。6年前に設立された、国家造成開拓事業専門の省庁である。
ガラス張りの近未来なビルに、アダムの勤める“シロアリ業者”のオフィスが入っている。
重い足並みの背広たちの横を、赤色灯を点灯させながらパトカーが次々と赤坂御用地方向へ去っていく。
方向からして新宿。昨日の暴動事件の後始末だろうか。
だが、六本木方向にもパトカーの車列が向かっていく。
「何かあるのか?」
そう考えていた時、1人の中年男性が近づく。
「これから出勤か?シロアリさんよ」
「ツヨシさん」
警視庁国際犯罪対策課のツヨシ警視。東大卒のキャリアだが、もう東大なんて何のブランド力も持っていない。10年前に起きた大規模な論文捏造事件以降、その信頼と名声は地に堕ちた。
その点、MIT卒の彼に、若干ジェラシーを持っている。
「気楽そうだな」
「そうでもありませんよ。
ところで、これは何の騒ぎです?昨日の暴動事件がらみで?」
すると、ツヨシは言う。
「これだから、最近の若い奴はダメなんだ。時代が変わっても、これは同じだな」
俺はエスパーじゃないんだから。朝から機嫌が悪い。
「脱法ホログラフの一斉摘発さ。もう最新バージョンまで出ている」
「そう・・・ですか」
「脱法ホログラフは、麻薬よりタチが悪い。
五感に訴える基本的プログラムを生かしたまま、違法な半永久バッテリーと依存性の高いプログラムを用いた別途カートリッジを搭載したマシンだ。
使ったら最後、空想と現実の区別がつかなくなり、こちらへ引き戻そうならば、禁断症状や凶暴性が現れる。その上、普通のホログラムの半分の値段ときた」
「どうしてだ?」
「別途カートリッジさ。こいつが今までに300種類以上作られている。
が、その値段は通常の別売りカートリッジの2倍さ。値段が上がるほど、その依存性は大きい。
裏社会の人間は、そいつで儲けているって寸法よ。
嘘か真か、大阪府知事の息子が、そいつのやり過ぎで水星から帰れなくなっているとか」
「あんな灼熱地獄・・・でも、そこまで深刻なんですか?」
「脱法ホログラムの顧客は主に、若者と高齢者さ。終末特養ホームで蔓延していたケースもあったさ。
特に若者の常習者は増加の一途を辿っている。ただでさえ超高齢化社会だっていうのに」
「なぜ、顧客がピンかキリなんです?」
すると、ツヨシは暗い目をする。
「中毒者になった若者は、口をそろえて言うんだ。
“今の世の中に、光が見えない。希望が見えない”って」
「希望・・・」
「この世の中は超高齢化社会だ。一つまみの若者が大さじ一杯の高齢者を支えているんだ。
その世界に生まれる若者は、重すぎる期待を背負われされて生きることになる。
貧困の中で生まれ育ち、小学生で微分積分が必修科目のハードな義務教育をクリアしても、将来は2つに分けられる。大学へ行きしっかりとした職を手に入れるか、日雇いを渡り歩く乞食になるか。必死に働いても給料は微々たるもので、それらは税金に消える。ようやく奴隷みたいな労働から解放されたところで待っているのは、もらえるか分からない年金と姥捨て山と変わらない終末特養ホームへの入所。
希望と夢を持って生きろって言葉なんて、それこそ夢になっちまったんだ。この日本は。
だから若者は必死こいて逃げているんだ。ささやかで虚構な桃源郷に」
「・・・」
「老人だって同じさ。こき使われて捨てられた、そんな事実から逃げたいんだ。
・・・おっと、高学歴なお前には関係ない話か。じゃあな」
そう言って、ツヨシは去った。
関係なくは無い。アダムは、自分の生い立ちを振り返らずにはいられなかった。
幼いころに両親を工場の事故で亡くし、親戚をたらい回しにされた。どこもかしこも貧乏で、彼を養うだけの余力は無かった。
結局施設に収容されたが、そんな彼を変えたのは、修学率78%の義務教育を優秀な成績で終え、MITに特待枠で受け入れられた幸運に他ならない。
あの時施設に入らず、ストリートチルドレンになっていたら。もし、自分にこんな能力がなかったら。
思うだけで、恐怖が体をすくませる。
だが、誰もそんなことを理解しようとはしない。人はMIT卒業という一点でしか、彼を見ない。
そして人々は期待と羨望、嫉妬と侮蔑の眼差しを向ける。
アダムは重い足並みで、勤め先の玄関を通り抜けるのだった。