トンネルの向こう
朝焼けが部屋に差し込む。
シングルベッドで寝転ぶアダムの眠気を覚ましたのは、甘い匂い。
目覚めると、そこには湯気の立つマグカップを手にした伊吹。
「おはよう。あったかいアップルティーよ」
起き上がると、マグカップを手にする。
仄かなリンゴの香り。温かいものが喉を通る。
「申し訳ないんだけど、駅まで送ってくれないかしら?」
「そうか、大学に・・・で、何時のリニア?」
「は?」
「いや、何でもない」
マグカップを置くと、服を着替える。
「今から30分後、S台行きの急行」
「ここから駅までは?」
「車で約15分」
「昨夜のお礼には軽すぎるかもしれないけど、分かりました」
2人は身支度をすると車に乗り込んだ。
住宅街を抜け、昨日の事故現場を抜けると街の中心部を走り、駅に止まった。
昨日見た様子とは雲泥の差、ピカピカでレンガ造りのモダンな駅舎にバスや電車が乗り入れ、サラリーマンや学生が行き来する。
ロータリーに停車。
「間に合ったな」
「昨日はありがとう。
ずっと、彼の残した跡を引きずっていたけど、あなたとキスをして、どこかに吹っ飛んじゃった」
「こんな恋愛に不慣れな男で、本当に良かったのか?」
そう言うと、伊吹はアダムの顎をこちらへ引っ張り、口付けを交わす。
「これは、アダムに。自信を持っていいわ。
経験者が言うんですもの。合格よ」
朝口にしたアップルティーの味が、かすかにした。
「なあ」
「ん?」
「俺が、この時代の人間じゃないって言ったら?」
「今なら、何でも信じてしまう気がするわ」
再びKISS。
「もし、もう一回会えるとしたら・・・」
伊吹は微笑んで
「先に待ってるわ」
ドアを開け、彼女は一目散に駅へと走って行った。その言葉の意味を告げずに。
先に待ってる?
「もしかして、あの公園かな?」
その前に、アダムには問題が残っている。
これからどうするのか。
ここから東京に戻ったところで、そこは2048年の東京ではない。かといって、伝手無しの彼の放浪はいつまで続くのか分からない。
駅にあった、緑色の固定電話の入ったガラスの箱に入り、仕事場に電話をかけるも繋がらない。
とにかく、今日の夕方まで待つことにした。
車は再び中心部へ。
小売店が並ぶ商店街はシャッターの降りた場所など一つも無く、ネオン輝くゲームセンターに、洒落た喫茶店。
レンタルビデオなるものを扱う店を覗いたり、湾岸地区を走ってみたり。
アダムは、この時代が勝手ながら気に入っていた。
ここに住む人間には元気がある。空も海も街も明るい。
「どうして、あんな未来になっちゃったんだろう・・・」
埠頭に停めたランドクルーザーの車内で、カーラジオをかけながらアダムは呟くのだった。
旧型車が幸いした。ステレオからは、2048年から見れば懐メロすら生温い、クラシックなJ-POPが軽快に流れる。
これからどうするかを、ポジティブに考えてみる。
「まあ、いいさ。帰れないのなら、ここの工場にでも就職してやる。
歴史が正しいなら、この街がだめになるまでまだ長い。
その間に、彼女と・・・」
だんだんアダムは、期待を膨らましていった。未来に帰れない期待に。
時刻は正午。大体街の中心部は見て回ってしまった。
「隣の市に戻ってみたらどうなるんだろうか?」
ふと思った彼はエンジンをかけ、初めてこの街に入ってきた時に走った道路へ。
交通量が多く、ゆっくり慎重に南下する。
初めて通った時のトンネルに差し掛かる。変わらないオレンジのナトリウムランプ。
周囲に霧が立ち込めてきた。
と同時に、前後を走る車のランプが消え、ラジオもノイズだけになる。
「あれ?変だな・・・どうして?」
ひとまずトンネルを出ることを先決に、アクセルを踏む。
いくら走っても出口が見えない。募る不安。
どれくらい走ったのだろうか?トンネルの出口が見えてきた。
「良かった」
しかし、向こう側から差し込む光は、日光とは違う。
「あれは・・・」
トンネルの向こう―――曇天の空の下、道路を封鎖する3台の小型車と、マシンガンで武装した男たち。
「貴様、シロアリ業者のアダムだな?」
停車した車に、1人が走り寄る。
「そうだが?」
「過激派に拘束されていたわけでは無いのだな?」
「何なんだ!」
「北関東自警団のスカイだ」
自警団。信頼も検挙率も地に堕ちた警察機構に変わって治安を守る、民間自治組織。
戻ってきてしまったのだ。2048年に。
「向こうで、同僚がお待ちです」
アダムは車を降りると、男たちに連れられて歩き出す。
トンネルを振り返って見ても、何も変わることは無い。
白い霧に、ナトリウムランプが空しく消えていった。