Eve's scar & Adam's first kiss ~SF~
湯煙のせいか天井が高く見える。
狭い湯船に膝を曲げて入るアダムは、狭い小宇宙の静寂を噛みしめる。
ホテルも家もユニットバスが主流で、シャワーを浴びる人が圧倒的に多い2048年のご時世。
お風呂と言う文化自体が、アダムには刺激的だった。
それに爆発音も銃声も聞こえてこない。
だが、不安も残る。
「この先、どうすればいいのか・・・」
自分はこの時代の人間じゃない。だが、何故だろう。この時代が肌に合う。
今なら、暗いニュースも、仕事も、東京の街も忘れられる。
不意に擦りガラスのドアの向こうから伊吹の声が。
「寝間着、ここに置いておきますね」
「ありがとうございます」
彼は湯船から出ると体をふき、茶色のパジャマに手を通す。
その瞬間、アダムに疑問が。
このパジャマは明らかに紳士ものだ。見る限り、彼女に男の影は見えない。父親や兄弟の可能性は薄い。じゃあ、このパジャマは?
アダムが戻ると、伊吹がこたつに座っていた。そこには2本の缶ビール。
「喉、乾いたでしょ?」
差し出してくれた缶は、見たことも無い口の形をしている。
伊吹の動作を見ると、持ち手をタブごと引っ張って切り離す形みたいだ。
アダムも真似て引っ張ると、勢いよく泡が噴き出す。
一口飲むと、いろいろと話した。
子供の頃のコト、地元のコト、仕事のコト。
「絵の勉強をしてるんだよね?どんな絵が好きなんだい?」
「明るい絵が好きかな。ビーナスの誕生とか、睡蓮とか・・・そう言えば、ゴッホのひまわりも。アレって最近、日本の企業が購入したんですよね?見てみたいなぁ」
「え?あの絵って、つい最近、欧州連続爆弾テロで焼失した筈じゃあ」
「はあ?」
「ん?いや、何でもないよ」
やはり時代が違うため、ギャップが。
「へえ、こんな薄い板で、連絡するの?」
伊吹はタブレットを珍しそうに見る。
「ここが、カメラになっていて、相手の顔を見て話すんだ」
「ってことは、テレビ電話なわけだ。ナウいねぇ!」
「な、ナウい?」
しばらくして、伊吹が話題を振った。
「ねえ、アダムさんってカノジョとかいるの?」
「いや、独身だけど・・・!」
アダムは自分の着ているパジャマを見た。
「そう、多分察していると思うけど」
「失恋か?」
彼女は静かに首を振った。
「亡くなったんです。半月前に、自動車事故で」
「・・・」
「居眠り運転でハンドルを切り損なって」
「ゴメン、変なこと聞いちゃって」
「ううん。いいの」
そこから沈黙が部屋を支配し始めた。
その時、アダムの目線が鏡台に写る。
男女が並んで移る写真がスタンドの中で笑っていた。
その顔はアダムにそっくりだし、写真の背景にはトヨタ ランドクルーザーが。そして、今日のシチュエーション。
「もしかして・・・」
そう言うと、伊吹は涙を流す。
「公園に突っ込んだ車とあなたを見て、天国から彼が戻ってきたと思ったわ。最愛の彼が亡くなってから、私の生活には穴が開いて・・・どんな絵を描こうとも、私の心は満たされなかった。全てが苦痛で仕方なかった」
彼女はアダムに近づく。
「あなたを助けたんだから、その見返りを貰ってもいいわよね?」
「見返り?」
「キスをして。私の開いた心の穴を満たして」
アダムは動揺する。
吸い込まれそうな潤む瞳は、期待の眼差しを彼に向けた。
同世代の女性に全く触れたことのない彼にとって、どうすればいいか分からなかった。
でも、同じような小説を、向こうの世界で見たような。小説通りだと、こんな時は。
「いいよ」
「愛した人の代わりに、キスをするのよ?それでも?」
「それで、あなたが満たされるなら。正直に言うと、僕も君には一目惚れしたところだ」
「アダム・・・」
伊吹は彼の腰に手を合わした。
「その彼は、君を何て呼んでたの?」
「イブ。伊吹だから、イブ」
「イブか。アダムとイブ・・・凄い偶然だ」
「偶然じゃないかもね。きっと、神様が与えてくれた奇跡?
夢でもいい。今夜だけは」
瞳を閉じ、唇が触れ合う。
混ざり合った体は、フレームアウト。
静寂、熱、切なさ。2人にとって部屋と言うカンバスは、情熱を描くには狭すぎ、時間が足りない。
ファーストキスの味。今のアダムは、頭も何もかもが真っ白になっていった。