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フルル山攻防戦

二つ前の黒真珠のお話を読んでること前提的なお話になります。

 奇妙な天気であった。

 見上げると、雲一つない晴れ空。

 にも関わらず、それを薄い靄が遮っている。

 正面に目をやると、森は白い霧に包まれており、つまり晴天なのに濃霧という異常気象だった。この日、王都の郊外にあるフルル山は異界であった。

 濃霧の向こうには、無数の巨大な人影……土ゴーレムの姿がおぼろげながらも確認出来た。


「何てこった。ここは地獄だ」


 マスケット銃を調整しながら、木の枝に腰掛けた二十代半ばの短い金髪の狙撃手フランツは不機嫌そうにぼやいた。


「ぬー。フラン的には天国なのです……」


 フランツは可愛らしい声の主、フランツィスカを自分の懐から取り出した。人形サイズの小さな娘だ。猫の耳と尻尾を生やし、ミニサイズの軍服を着込んでいる。

 フランツの養女は、逆さ吊りになりながら寝ぼけ眼をこすっていた。


「……寝てるな、フラン。仕事しろ」

「にゃう。りょーかいです、とーさま」


 フランツの頭に乗り、フランツィスカは臭いを嗅ぐ。

 フランツからは見えないが、きっと尻尾が立っているだろう。仕事を命じれば、真面目なのだ。


「……にゃー、近くには誰もいないのです」

「気を抜くな。今回の連中の何人かは、気配を消せるんだぞ。畜生、『山の王』と『黒真珠』だけでも厄介だってのに……」


 そもそも、狙撃手に殲滅戦をさせるなんてありえないだろ、と霧の向こうのゴーレムを見ながらフランツは内心ボヤく。動きが鈍く、対人反応もよろしくないのがせめてもの救いだ。近付いてきたら、速攻逃げるつもりでいる。その辺は、騎士隊の隊長であるコルネリアの許可済みだ。


「とーさま、まずいよ」


 頭上で、フランツィスカが緊張を孕んだ声を上げた。珍しい事だ。


「何がだ」

「敵、お空にいるの」


 フランツが空を見上げると、赤い炎をまとった鳥が彼方へと去っていった。




 その鳥、火炎鳥の雛鳥・フリーダは人の形を取って地面に着陸すると、洞窟へと入っていった。

 年齢は十代に満たない、一見きつめの顔立ちをした赤毛の幼女だ。

 洞窟の奥。

 後に『山の王と黒真珠の相談部屋』と呼ばれる広い空間では、何人かの女性と、薄汚れたローブを着た分厚い眼鏡の少年がいた。

 テーブル上の地図を見るには背丈が足りないため、椅子に直接足を乗せている。


「フリーダ。敵の位置は分かっただか?」


 少年、ヨハンが椅子から降りて尋ねる。


「ええ、大体は分かったわ。フィーネさん、地図を見せて」

「はい」


 フリーダは椅子に乗って、地図を眺めた。この山の全景地図だ。

 長い黒髪黒衣の女性フィーネがフリーダに銀色のピンを手渡す。

 この国の王女にして『黒真珠』の異名を持つ、ヨハンの弟子だ。

 フィーネから受け取ったピンを、フリーダは地図に次々と突き刺していった。


「こことこことここ。一番大きな部隊はここね。それと木の上に三つ。穴に二つ熱源があったわ」

「飛行能力と熱探知能力……大したモノですね。これで、相手の位置はほぼ完全に把握できました」


 フィーネは唇に指を当てながら、戦術の熟考に入る。

 フリーダはそれには興味を示さず、椅子に立つフリーダを見上げるヨハンを見た。


「思いついたのはお父さんよ。褒めるなら私じゃなくてお父さんにしてくれる?」

「分かりました。という事は先生を褒めるという事ですね」

「ええ」


 フリーダは、椅子から飛び降りるとヨハンの正面に立った。


「お父さん。私としては頭を撫でてくれるととても嬉しいわ」

「あー……わ、分かっただ」


 ヨハンの背丈が低いとは言っても、さすがにフリーダよりは高い。

 フリーダの育ての親であるヨハンは、彼女の頭に手を伸ばし、不器用な手つきで髪を撫でた。


「……」


 フリーダは目をつぶり、それを受け入れる。しかし尖った耳だけはピクピクと忙しなげに上下を繰り返していた。

 目を開いたフィーネが、ヨハンに顔を向けた。


「先生」

「は、な、何でしょうかフィーネ様」

「私も、頑張ったら頭を撫でてもらえますか?」


 顔を赤らめるでもなく、首を傾げるフィーネ。


「や、あ、えー、わ、分かりましただ。ただ、オラそろそろ準備しねえと」

「お父さん、もう少し駄目かしら。着替えるのなら手伝うわ」


 目をつぶったまま、フリーダが尋ねてきた。


「いや、オラ仮面着けるだけだし」


 いかん、とヨハンは思った。この言い訳なら、ギリギリまでフリーダの頭を撫で続けなければならない。


「先生、武器です」


 いつの間に立ち上がっていたのか、フィーネが大振りの鉈を両手で抱えていた。


「ありがとうだ」


 目の部分に二つの穴が開いただけの木彫りの仮面と、自分の背丈ほどもある大振りの鉈。

 これが、ヨハンの山での武器だった。

 仮面を被るのはまだ早いので、フィーネがヨハンの後頭部に装着する。


「こうしてると、新婚夫婦みたいですね」


 確かに甲斐甲斐しく良人の世話を焼く新妻っぽくはある。

 だが。


「……準備するモノがいささか物騒すぎるだが。では、オラは前線に向かうだ」


 フリーダの頭から手を離し、ヨハンはたどたどしく鉈を背負う。


「はい、いってらっしゃいませ」


「フィーネさん、私も出るわ」


 表情を動かさないまま、フリーダが宣言する。


「……」


 ……すると、これまで黙って椅子に腰掛けていた、豪奢なドレスを着た女が立ち上がった。

 頭には長い簪を挿し、白粉を塗った顔には鮮やかな青色の隈取り。

 ドレスもまた深い青色の極彩色と、何もかもが派手な女性である。オーラまで光を放っているように見える。

 それもそのはず、女ティティリエは海底都市の女帝という身分である。

 本来、こんな山の洞窟にいるなどありえない。まあ、実際、この場にいるのだが。

 そして彼女は背丈も相当あり、ヨハンとは大人と子供並の差があった。


「……」


 彼女は無言で、ヨハンを見下ろした。


「ティ、ティティリエ様自ら出るだか?」

「……」


 コクン、とティティリエが頷く。


「駄目ではないだども、何も御自ら出る事もないと思うだが」

「それは違うぞ、ヨハン」


 もう一人、椅子に座って酒を飲んでいた銀髪金目の女が笑った。

 丸眼鏡を掛け、身体には肌もあらわな羽衣を羽織っている。


「し、師匠?」


 ヨハンの魔術の師匠、仙女カヤはテーブル上の地図を叩いた。


「戦力の出し惜しみなぞ、愚の骨頂。敵の総数は知れている上、地の利もほぼ互角。別働隊が存在する可能性も皆無なれば、ただ一点、敵の本陣を迅速に叩きつぶすのみ。その点、ティティリエ殿は実に頼りになるだろう」


 さすが仙人になる前は、軍師だけだった事はあるなぁとヨハンは思う。


「……」


 表情を動かさないまま、ティティリエの顔がカヤの方を向いた。

 うんうん、とカヤは頷く。


「ふむ、海ではないので本来の力からはほど遠いのか。何、大した問題ではない。むしろ全滅させないように気をつけたまえ」

「……」


 そしてティティリエは再び、ヨハンを見下ろした。

 基本的に恐ろしく無口なので、ほとんどティティリエの考えは勘で察するしかないヨハンである。


「ヨハン、ティティリエ殿から質問だ」


 酒を瓶から直接あおり、カヤがティティリエを指差す。


「は、何ですか?」

「頑張ったら我の頭も撫でてもらえるか、との事だが」

「……」


 コクン、とティティリエが頷く。


「や、ややっ! そ、それはまあ、その程度で済むならば全然オーケーだども」

「……?」


 ティティリエは、何故かカヤの方を向いた。


「うん、ティティリエ殿。それ以上の褒美というのはだな、接吻であったり全身への愛撫であったり……」

「師匠ーっ!? ティティリエ様に、そんな事教えては駄目だー!」

「……っ!」


 ティティリエは洞窟の天井を見上げると、力強い拳を作った。


「頑張るそうだ」

「師匠ー……」


 ヨハンは、地面に突っ伏した。


「まあ、そう凹むな。戦意高揚には充分な効果があった」

「は! 師匠はその為に……?」


 ヨハンが顔を上げる。


「そうだな。とはいえこの場合、口先だけの約束にならないように、ヨハンの実行も伴うが」

「ちょっ!?」

「何、接吻ぐらい問題なかろう。私ならいつでも練習相手に使って構わないぞ」


 傍から聞けば冗談っぽいが、ヨハンは経験上知っていた。カヤの言葉は、どうしようもなく本気である。


「私も立候補しとくわ、お父さん」

「では、私も」


 フリーダとフィーネが同時に手を挙げた。


「……」


 本気を出せば、ちょっと遠いけど海の方から大津波を呼べる、とティティリエが提案した。


「津波なんて起こしたら、山そのものがなくなっちまうだよ!?」

「いや、むしろこの国が滅ぶかな」


 さすが、元・虐殺女帝、とカヤが補足した。


「最悪だ!」


 などと話している内に、時間はあっという間に過ぎてしまっていた。


「……そ、そろそろ行くだよ。これ以上ここにいたら、どんどん約束事が増えるだ」




 霧の中、ヨハン達一行の前に人影が下りてきた。

 今まで木の枝に昇っていたらしい。

 獣の耳と尻尾を生やした、蒼いショートヘアの女性だ。

 腕や太ももにはいくつもの呪術入墨が施されており、服装もボタンを使わず布を折り重ねる民族風である。

 世界樹を守護するコ族という種族の娘、ラウラだった。


「ラウラさん、様子はどうだ」


 表情を動かさないまま、ヨハンの問いにラウラは頷いた。


「問題はない」

「んだか」

「しかしヨハン様が現れる事により、問題が発生した」

「ぬ、オラ油断しただか?」


 どこかに潜む敵に感づかれでもしたか。その気配はないが。


「そうじゃない。私の動悸に異常が生じ、集中力が散漫になってしまう。ヨハン様の事しか考えられず、監視に支障をきたす」

「……それは大問題だよ。オラ、早く場所移動するだ」

「否。予測される敵の行動は、当面拠点からは動かず。ヨハン様がここにいる事に、問題はない」

「いや、さっき問題があるって」

「問題があるのは私の心だ。戦局にはない。むしろすぐに去られる方がより大きな問題を生じる事になる」

「お、大きな問題というと?」

「今、ここにヨハン様が存在する事により満たされている私の感情が、一気に霧散してしまう。それは大きな士気の低下だ。永久にとは言わないので、数分の猶予の許可を求める」

「え、えっと?」


 難しい(っぽい)言い回しが多いため、ヨハンとしては頭の中で整理するのに若干の時間を要した。

 その後ろに控えていたフリーダが説明する。


「つまり、数分ここにいてくれって言っているのよ、お父さん。確かにまだ、敵は動いていないわ」

「問題は、ないだろう」


 ラウラの問いに、ヨハンは頷くしかない。戦意の維持も必要な事だ。


「……りょ、了解しただよ」

「ヨハン様、効率化を図らせてもらう」


 何かが肌にまとわりつく感触。気がつくと、ヨハンの全身にロープが巻き付いていた。


「へ? や、ちょ、ちょっと何だこのロープ、いつの間に!? や、ラウラさん抱きつくのは勘弁だ」

「問題は、ないはずだ」


 正面からラウラはヨハンに抱きつき、頭に自分の顔を当てた。


「何で臭いを嗅ぐだー!?」

「肺をヨハン様で満たす事で、さらなる戦意の向上が望めるからだ。かつ、ヨハン様滞在の時間の短縮にも役立つ」

「なら、仕方がないわね」

「……」


 ヨハンの後ろで、フリーダとティティリエが頷いているのが見ないでも分かった。


「は、早く終わってくれだよー!」


 ラウラの胸にヨハンの顔が押しつけられていた。


「そろそろ動くわよ。ティティリエさん、準備して」

「……」


 遠くで鐘の音が鳴る戦闘開始の合図だ。

 同時に、ティティリエは薄く唇を開いた。




 鐘の音と共に、霧はますます深まっていった。

 気のせいか潮の臭いすらする。

 馬鹿な、ここは山の中なのに、と騎士隊員ベネディクトは首を振った。

 二十になるかどうかの優男である。その背後には何十人かの騎士隊員がいる。ベネディクトは彼らのリーダーだった。


「旦那様、来ます!」


 ベネディクト専属のメイド・カロルが緊張を孕んだ警告を放つ。髪をアップにまとめた十代半ばの少女だ。だが、戦地に濃紺のメイド服は、致命的に似合わなかった。


「おう、来るなら来やがれ! 敵は野犬かコウモリか!?」


 剣を抜きつつ、ベネディクトが尋ねる。


「いえ、大本命です旦那様……」

「……大本命?」


 ベネディクトの端正な顔が引きつった。


「この気配は『山の王』かと」

「……嘘」

「本当、です」


 その時、霧の奥から声がした。


「らりほー」


 間の抜けた声。

 次の瞬間、霧の向こうから鉈を大上段に構えた怪人が飛び出してきた。


「出たああぁっ!!」

「旦那様、危のうございます!」

「うおっ!?」


 突然背後から、カロルに首根っこを引っ張られ、ベネディクトは草の生えた地面に仰向けに倒れた。

 鈍い音と共に、巨大な鉈が地面に突き刺さる。


「らりほー」


 奇妙な声と共に、木彫りの仮面を着けた薄汚れた茶色のローブの怪人『山の王』は鉈を地面から引き抜いた。

 地面と水平に振るわれた鉈が、大きく弧を描く。

 ベネディクトはとっさに剣を前に突き出したが、遠心力の加わった鉈の威力の前に、剣は放物線を描きながら彼方へと弾き飛ばされてしまった。

 尻餅をつくベネディクトを庇うように、カロルが前衛に立つ。


「た、助かった、カロル」

「いえ、それが全然助かっておりません」

「らりほー」


『山の王』は唐突に間抜けな声を上げると、そのまま霧の中へと去っていった。

 に、逃げた……?

 一瞬、安堵する。

 だが、ふとベネディクトは自分の動きが鈍くなっているのに気がついた。

 篭手やブーツを見ると、無数の蔓が巻き付いていた。


「うおっ、な、なんだこの蔓!? ちょ、切れないって!」


 周囲でも他の隊員の悲鳴が上がる。

 同様に蔓に巻き付かれながら、カロルが評した。


「どうやら、山の王の術のようです。私達の負けのようですね」

「冷静に言うなー!」

「死ななかっただけ、御の字ではないかと」


 確かにその通りではあるのだが。




 数刻後、別地点。


「らりほー」


 仮面の怪人『山の王』が振るった鉈を、かろうじて剣で受け止める。


「わわっ!」


 鉈を受けるたびに、少年騎士マッツと『山の王』の間で派手な火花が散った。

 農作業で鍛えた『山の王』のとてつもなく重い剣撃は、そう何合も受けきれるモノではない。剣を手放さないよう手に必死に力を込めながら、マッツは相棒に声を掛けた。


「ニコラ、いつまで寝てやがる! こっちだ! さっさと立ち上がれ!」

「マッツなのか!? 助かった!」


 霧の向こうから、柔らかな髪の少女騎士・ニコラが現れる。まだ、最初の鉈の一撃で弾き飛ばされた衝撃が残っているのか、頭を振っていた。

 まだ、他にも中間は残っているはずだ。マッツは霧の向こうに叫んだ。


「敵は一人だ! 全員総掛かりでぶつかれば、勝てる!」


 だが。


「らりほー」

「らりほー……」

「らりほー……」


『山の王』の声が、四方から聞こえ始めた。

「何だ、この声……」


 目の前の『山の王』ではない。

 少女騎士ニコラがハッと気がついた。


「呪文詠唱! でも、『山の王』からじゃない! これは……木霊(コダマ)だ!」


 不意に、背筋に冷たいモノが走った。

 振り返ると、そこには冷めた目をした赤毛の幼女が立っていた。

 服装は軽装で、とても戦地の人間とは思えない。


「それが正解。声を『置いて』同時に発動させる多重式の魔術よ。それも通常の数倍の威力を発揮する複合詠唱式。早く逃げないと全滅するわよ」


 ズルッと、足が滑りそうになった。


「あ、足下が……」


 見ると、いつの間にか固かった地面がぬかるんでいた。


「……まずは地面の泥化」


 しかもかなり深いのか、足首近くまで沈み始める。


「ちぃっ、まだ足場が悪くなっただけじゃねーか!」


『山の王』と打ち合いながら、マッツはまだ諦めていないようだ。

 彼に構わず、ニコラの傍でさらに幼女が呟く。


「次に渦状に動く流動魔術」


 途端に、泥の地面がまるで生きているかの如く、騎士達を飲み込みつつ蠢き始めた。


「ぬおおっ!? な、なんだこの回転……っ!」


 さすがに立ってもいられない。たまらず泥の中に尻餅をついた。

 マッツもニコラも泥に飲み込まれながら、その流れに身をゆだねるしかなかった。

 ふと見ると『山の王』は幼女と共に、泥の有効範囲から逃れていた。

 泥は蠢きながら次第に持ち上がり、円柱状に姿を変え始めていく。霧の空へと泥が上り始める。


「竜巻状に、巻き上がっていく……!?」

「本当に、早く脱出する事ね。でないと大変な事になるわ」


 幼女が円柱に飲み込まれているマッツ達を見上げながら、言う。


「……と言われても」


 マッツとしても困る。


「もう、無力化されちゃってない、僕達?」


 だよなぁ、とニコラの言葉に賛同してしまう。

 しかし本当の地獄はこれからだった。


「お父さんは容赦ないわよ。これは陶器を作る時の魔術」

「だから?」

「次の木霊で『焼かれる』のよ」

「わーーーーーっ!?」


 何とか泥の円柱からもがき逃れようとする騎士達を見切り、『山の王』とフリーダは先に向かっていった。




 更に数刻後の別地点。

 騎士隊員達は、霧に紛れる粉に息を詰まらせていた。


「こ、この粉は一体何だ……花粉か……?」


 小さく咳を繰り返しながら、彼らは隊列の維持に努めていた。


「オレ、花粉弱いんだけどなぁ……」

「待てよ、これ花粉じゃないぞ」


 のっぽの騎士が呟いた。隊の中でもインテリで通っている男だ。


「じゃあ何さ」


 騎士の一人が彼に尋ねる。


「茸の胞子……待て。火を点けるな」


 のっぽが、ランタンに火をともそうとしている騎士を制した。


「だって、視界が悪いだろ? 霧もどんどん濃くなってきてるし……」


 空ももはや真っ白だ。かすかに白い霧の向こうに、丸い太陽が見える。


「違う! 図鑑で見たんだ! この茸は」


 騎士が火打ち石をこすった。

 それと同時に。


「らりほー」


 声。

 そして、隊列を完全に吹き飛ばす衝撃と爆発音が発生した。

 高い木の枝に引っかかったのっぽの騎士が、誰にともなく火気厳禁の理由を答えた。


「バクハツタケって言ってな……胞子に可燃性があるんだ」

「……もっと、早く言ってくれ」


 戦線が崩壊していくのを、フランツとフランツィスカ親子は木の枝の上から見守っていた。戦術の総指揮を執っているのはいつものように『黒真珠』だろう。それにしても今回はいつもにもまして攻めが苛烈だった。


「デ、デタラメだ……」

「とーさま、弾つめおえたよ!」


 おう、と応え、フランツはマスケット銃を構えて引き金を引いた。


「こっちはこっちで、使い魔倒すので手一杯ってか!」


 土ゴーレムの一体が、倒れる。

 だが、波のようなゴーレムの戦隊は、徐々にこちらへと近付いてきていた。


「身動きとれないねー」

「時々、矢がとんでくるしねっ!」


 フランツィスカが、小さいが鋭い爪で、霧の中から飛来してきた矢を両断する。

 この霧の中で、これほど正確な射撃を出来る人間なぞ、そうはいない。

 おそらくはコ族の少女ラウラのモノだろう。




 かろうじて生き残っている騎士隊の中でも、リーダー隊は健在だった。


「さすがヨハン。……ウチの部隊も形無しだ。だが今回は、こちらにも頼りになる助っ人がいる。……さあ、どうする?」


 甲冑に身を包んだ銀髪の乙女『銀剣』のコルネリアは、斜面を見下ろした。

 そこから爆発音が発生した。

 二発、三発と爆裂が生じる。

 それは『山の王』の仕業ではない。むしろ逆だ。


「らりほー」


 彼の今いた場所を、ポニーテールの少女の拳が貫いた。赤い着物を羽織った十代前半の女の子だ。


「噴っ!」


 地面が陥没し、そのたびに派手な爆音が発生していた。

 もう一発。


「らりほー」


 避けきれないと判断したのか、『山の王』は鉈でその拳を受け止めた。呪術が刻まれているのか、鉈の刻印が光を放つ。

 爆発音と共に、ポニーテールの少女と『山の王』の間合いが離れた。


「ほう、流石だな、兄者。今の一撃を受け切るなぞ、そう出来るモノではない」


 ポニーテールの武道少女、エルヴィンは快活に笑った。

 爆発に仮面が持たなかったのか、『山の王』の仮面に亀裂が生じ、次の瞬間砕け散った。


「う、ルヴィだか」


 その下から現れた分厚い眼鏡の少年・ヨハンが、顔をしかめた。


「トランスモードは残念ながらこれまでだな。兄者。悪いが、このまま捕まってもらうぞ。某が兄者を一週間占有する為に、ここは覚悟してもらおう」


 左足を前に突き出し、エルヴィンが拳を固める。

 目こそ真剣だが、その表情は凶暴に笑ったままだ。戦いに悦びを感じる少女であり、本性である龍神の本能でもあった。生身の少女が拳で爆裂など撃てるはずがない。


「なるほど、それがコルネリア様についた理由だか……」


 エルヴィンに応え、ヨハンも鉈を両手で構える。


「左様。では、兄者、いざ尋常に」

「しねえだよ」

「何?」

「一騎打ちならともかく、今回のオラの目的はチームの全滅だ。故に、優先度が違うだ」

「ふむ、それも道理。しかし、某の事情には関係ないな」


 言葉を交わしながらも、お互い身動きする事はない。


「来るか……」


 どちらが先に動いたか。そんな事は問題ではない。

 ほぼ同時に二人は地面を踏みしめ、一気に間合いを詰めていた。

 ヨハンが鉈を振るい、エルヴィンが腰溜めの拳を撃ち放とうとする。

 その時だった。


「……大丈夫」


 涼しげな声と共に、二人の身体が反発するように弾け飛んだ。


「何だと!?」


 エルヴィンが宙返りをして、体勢を整える。

 自分とヨハンの間に、一人の少女が立っていた。


「……ヨハンは、私が守る」


 ショートカットの、半透明の女の子だった。身体には何も羽織っておらず、凹凸は少ないが確かに女性だと分かるシルエットだけが浮かんでいた。明らかに人間ではない。


「エレオノーレ! 汝、一体どこに潜んでいた!」


 エルヴィンが、半透明の少女エレオノーレを思わず呼び叫んでいた。

 神霊山の水霊であり、ヨハンの幼馴染みの少女だ。


「この世界は水に満ちている……それに、これだけ大気に水分が含まれていれば、私はどこにでも存在が可能」

「ティティリエ殿の秘術か。してやられたな」


 エルヴィンが、眉をしかめた。


「本当は、ヨハンの中に潜みたかった」


 鉈から手を放さないまま、ヨハンが顔を引きつらせた。


「……それは、ちょっと御免願うだよ」

「ヨハンと一体化すれば、戦闘力は数倍に上がる。この状況の打破は容易」

「ふっ、だが兄者に拒まれてはな。汝一人で某を相手にするつもりか」

「ヨハンが駄目なら、それでいい。私と貴方の力は五分と五分。足止めする事で、私の目的は達成する」

「……してやられたか」


 ヨハンが霧の向こうへと駆け出す。

 だが、エルヴィンはそれを追わなかった。

 今、戦うべき相手は、目の前の水精だった。




 空を見上げると、赤い鳥が飛んでいた。


「らりほー」


 霧の向こうからの声に、コルネリアは振り返る。


「来たか」


 そこには大きな鉈を背負った泥まみれのヨハンの姿があった。

 周囲の隊員達もその姿を認め、ざわめく。


「……今回のタイムはどうだっただか、コルネリア様?」


 コルネリアは隊員達をなだめ、懐中時計を取り出した。


「さすが、いつもよりも早かったな。全員が五連封印を施されていても、この強さか。……とはいえ、我らも常人としてはそれなりに善戦した方ではないだろうか。協力に感謝するぞ、山の神。いや、ヨハン」

「お力になれて、何よりですだ。では……」


 ヨハンは、背負っていた鉈を持ち上げた。

 コルネリアも、自分の腰から銀の剣を引き抜く。


「最後の勝負といこうか。さすがに私達だけ何もしないのでは、立場がないのでね」

「分かっただよらりほー」

「ではコルネリア隊参る!」


 ヨハンに向かって、コルネリアと部下の隊員達が殺到した。




 ……数日後。

 訓練所の端を、薄汚れたローブを羽織った眼鏡少年がヨタヨタと歩いていた。


「うー、腰が痛えだ……やっぱ戦闘はオラには向かねえだ」


 腰をトントンと叩きながら、水で満たした如雨露を抱えて花壇へと向かう。

 その姿に気付くことなく、王国の騎士隊員達は先日の訓練で倒れたという同僚達の噂を囁き合っていた。


「また、あの部隊は全員施療院行きか? 一体、どんな演習してるんだ?」

「さあな。とはいえあんな部隊、合同演習なら即脱落だろうな」


 などと、あまりいい内容とは言えない、笑い合っていた。

 その顔が引きつるのは今から一ヶ月後に行われる、合同演習の事となる。




 ……花壇に水をやり終えたヨハンは、施療院へと足を運んでいた。

 で。


「ヨハン、次はスープだ」

「……コルネリア様、オラ思うんだが」


 ちぎったパンを皿に戻し、ヨハンはスプーンを手に取った。

 コルネリアはというと、片足を吊った状態でベッドに横たわっていた。身体のあちこちに包帯が巻かれ、割と重傷である。なお、他の部屋も、騎士隊員達の呻き声でいっぱいだったりする。


「何だ?」

「……毎度毎度、わざとやってないだか?」


 スープを掬い、コルネリアの口元へ運ぶ。


「失礼な事を言うな。ヨハンが強いのだ。もしヨハンが負けていれば、私がヨハンの手当をしているのだぞ?」


 スープを飲みながら、コルネリアが睨む。

 そのヨハンの裾がひっぱられた。

 振り返ると、そこには包帯だらけのポニーテール少女・エルヴィンが椅子に腰掛けていた。なお、包帯の下の切り傷は水霊エレオノーレの水圧カッターによるものだ。


「兄者。某にも肉を頼む」

「わ、分かっただよ」


 骨付き肉を手に取り、エルヴィンの口元へと近づける。

 骨ごと食われた。


「それに、私的にはそっちの方がよっぽど羨ましいしな。看護ぐらい大目にみてくれ」


 後ろで骨を砕く音を聞きながら、ヨハンはコルネリアの指差した先を追った。

 扉を叩いたのは、赤毛の幼女フリーダだ。


「お父さん、そろそろ行くわよ。馬車に乗り遅れるわ」

「……目的地の温泉は混浴」


 さすがに街中の施療院だけに、エレオノーレも人の形を取っている。

 これから勝者の特典、二泊三日温泉旅行へと向かう一行であった。

 その背後に、この国の衣装に珍しく着替えたコ族の少女ラウラが控えていた。


「という事は、風呂の中でもヨハン様の世話が出来るという事か」

「うむ。私としては温泉よりも酒が楽しみだな」


 いつものように酒をラッパ飲みする仙女カヤ。


「……」


 空気を読まないいつも通りの派手なドレスのティティリエが、無言でヨハン

を見ていた。

 引率役でもある黒髪黒衣の少女フィーネは、スカートの両端をつまみ上げ、

優雅に一礼した。


「では、コルネリア様ごきげんよう」

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