魔術師ヨハンと黒真珠
宮廷魔術師という大層な名前がついていても、魔術師は魔術師。
別に金造りの部屋で仕事をする訳ではない。
巷にいる魔術師の工房と同様、
材料の保管の保存を第一に考えられた石造りの部屋は冷たく、やや狭い。
それでも、王城内では四元素と地脈の流れの中で最もよい場所なのだ。
と言っても、一般人からすればなんだって魔術師ってのはこんな窮屈な場所に住みたがるのかと、理解は出来ないだろうが。
そんな工房で、一週間ほど薬草採取に出掛けていたヨハンと諸事情で王城に居残っていた弟子は、同じテーブルを囲んで昼食を取っていた。
端から見ると、茶色い塊と漆黒の滑らかな彫像が小さな丸テーブルを挟んで動いているようにも見える。
「……フィーネ様」
パッと見には茶色い塊である、分厚い丸眼鏡を掛け土に汚れた茶色のローブを羽織った宮廷魔術師・ヨハンは、額の脂汗を拭った。
「何でしょうか」
問いかけられた弟子、フィーネは箸を持つ手を止めた。
漆黒のと同色の切れ長の瞳、陶器のような白い肌を覆う漆黒のドレス。
年齢は十五、国内外で『黒真珠』の異名を持つこの国の王女である。
弟子にジッと見つめられ、ヨハンの発汗は更に増した。
「た、確か、オラが国王様から聞いた話では、今日は隣のサザン国の武芸使節団との昼食会があるんじゃなかっただか? こんなトコでオラと飯食ってていいだか?」
そのヨハンの昼食も、王城に勤める者としては一見質素なモノだ。
白米、焼き魚に大根おろし、だし巻き、納豆、漬物、味噌汁。
フィーネが箸で切っただし巻きをヨハンのごはんの上に載せてから、自分は漬物をつまんだ。
「ご心配なく。ちゃんと断って参りました。……先生の漬物は相変わらず絶品ですね」
「ありがとうございますだ。……えっと、一応聞くだが、どういう断り方した
だ?」
だし巻きを口に運び、ヨハンは不安に駆られながらも尋ねる。気がつけば、魚はすべてフィーネの箸によってほぐされてあった。
「先生が久しぶりにお戻りになられましたので、ご一緒に昼食を取るのが最優先ですと……先生、大丈夫ですか。お茶です」
思いっきりむせた。
ヨハンは湯飲み茶碗を一気に煽ると、大きく息を吐いた。
「げほ、ごほっ……! フィ、フィーネ様! 優先順位が違うだ! それ外交問題に発展するだよ!」
「そこなのです、先生。私、罠に掛けられました」
「わ、罠?」
二人揃って納豆をかき混ぜ始める。
「はい。昼食会というのは表向き。影に調べさせたところ、あの使節団の中に、隣国の王子がお忍びで紛れ込んでおりました」
「……フィーネ様、オラ、話が逆に、物凄いオオゴトの方に発展してきてるよ
うな気がするだが」
納豆掛けご飯を掻き込みながら、ヨハンは考える。
どうやら隣国の王子様は、ドラマティックな演出が好きのようだ。
おそらくは昼食会で、フィーネ様と派手な演出で接触する気でいたのだろう。
でなければ、わざわざ使節団に紛れ込んだりせず、堂々と謁見を申し込むはずだ。
もっとも、フィーネ様は普段はあまり人前に姿を現さないし、そういう点も考慮に入れたのだろうが……逆効果でしかない。
一方フィーネは、やたら滑るはずの納豆ご飯を掻き込み食らうような真似をせず、いつもと同じように食べていた。
「先生、彼らは騙し討ちで私に結婚を申し込もうとしているという話です。不作法ではありませんか? こういう事はキチンと手順を踏んでいただかなければなりません。先にルールを破ったのはあちらです。という訳で、私はその仕返しに、居留守を使っただけです。問題ありません。体調不良で先生に診てもらっていると、伝えてあります」
「……オラ、めっさまずい立ち位置にいないだか?」
王子様に逆恨みされてそうな気がするヨハンであった。
フィーネが差しだしてきた手に、空の茶碗を預ける。
「そうでしょうか? 長らく先生に会えなかったため、私の気力は日に日に痩せ衰えて行っておりましたし、こうして先生とお話する事でその体調不良も癒されているのです。嘘はついていません」
どうぞ先生、とやや少なめに飯を盛った茶碗が戻ってきた。どうやら、フィーネも二杯目はお茶漬けにするようだった。
それにしても、これが最後の晩餐になるかも知れないのである。熱い緑茶をご飯に掛けながら、ヨハンは切なくなった。
「ううううう、国王様、助けて欲しいだ……オラ、斬首刑は勘弁願いたいだ」
「お父様は私の味方ですし、先生が打ち首獄門の刑に会う事もございません。ご安心下さい。心配なさらずとも、先生はここでいつもの日課をこなしてくだされば、問題ありません。もちろん、弟子である私もお手伝いいたします」
さらさらとお茶漬けを胃に流し込んだ二人は、同時に「ごちそうさま」と手を組んで農耕神に感謝した。
一拍おいて、一旦目を閉じたフィーネがヨハンを見据えた。
「もしくは、本当に体調を調べていただくのもいいかもしれませんね」
そう言って、フィーネは胸元に手をやろうとする。
「って、ドレスに手を掛けちゃ駄目ですだ!」
慌ててヨハンが制止すると、フィーネは素直にその手を止めた。
そのまま、再びヨハンを涼やかな視線で見つめてくる。
「先生」
「な、何だ、フィーネ様」
「どうせ、早いか遅いかの違いですよ」
「一体何の話だーっ!?」
「ですから、私の裸体を見る時期に関してです。しかしやはりここは、手順を踏んで初夜まで待つべきなのでしょうか……」
その時、工房の入り口が大きく開いた。
「……何をしている!?」
そこに立っていたのは、長身の若者だった。
服装からして、隣国の使節団の人間だ。金髪碧眼で、まるで……そこで、ヨハンは気付いた。
しかしそれより先に、フィーネが口を開いていた。
「見ての通り治療行為ですが、サザン国使節団警護部門師範代のクリスト様……いえ、第二王子クラウス様」
「私には、薄汚い魔術師が貴女をたぶらかしているようにしか見えないが」
「……薄汚い」
ボソリと。
そう、フィーネが呟いた声に、ヨハンの背筋が凍えた。
「あ」
「何だ、魔術師」
「……その、あまりそういう事は言わない方がいいだ。大変危ないだよ」
フィーネは依然、無表情のままだ。
が、ヨハンには、さっきまでより数倍機嫌が悪くなっているのが、雰囲気で分かった。
これでも、長い付き合いなのだ。
しかし、クラウス王子はそんな空気はまったく読まない若者であった。
「事実を言って何が悪い。さあ、フィーネ王女。早くここを出ましょう。確かに騙していたのは悪かったが、だからと言ってこんな狭くて薄暗い場所に籠もる事はないでしょう」
そう言いながら、クラウス王子はズンズンと工房に踏み込んできた。
「ええと、狭いのも薄暗いのも、材料の保存を優先した結果なのだが……聞いてないだよね?」
「聞いていますよ、先生。それでは、お茶を入れ直しましょう。食後の一杯は重要です」
「いや、しかしだな」
「フィーネ王女!」
クラウスが、テーブルを叩いた。
そこでやっと、フィーネはクラウスに視線をやった。
う、とクラウスが気圧される。
薄い唇を開きフィーネは、
「まだいたのですか」
そんなことを口にした。
「……え」
「私が結婚してもいいというお相手の条件は、申し込んでくる方全員に伝えております通り、煎じて飲めば万病に効くと言われる『虹の宝珠』を持って来れた者だけです」
感情の一つもない説明口調で、フィーネはクラウスを諭す。
ぬぬ、とクラウスは唸った。その話は知っているのだ。何せ実際、フィーネに結婚を申し込んだ王族や貴族全員が、同じ条件を提示されているのだから。
だが。
「赤島の龍神が守ると言われているアレですか。だが、あんな話は御伽噺でしょう? それを取ってこいなどとは……」
暗に、相手をする気がないと言っているだけなのではないだろうか?
そう思わざるを得ない。
もちろん、この国の中心部には、龍頭湖という湖が厳然として存在し、なおかつ赤島もちゃんとある。ただし、火山から吹き上がる毒煙で人の生きられる土地ではないし、様々な魔獣が生息している。
……ちなみに、火山の溶岩の中に龍神が眠っており、彼が守っているのがその『虹の宝珠』と言われているのだが、ここはあくまで噂の域でしかない。確かめた者など……少なくとも、クラウスの知っている限り、誰一人としていない。
「神霊山の滝の水、鬼魚の肉、巨大蔓の豆、火の鳥の卵、世界樹の葉でも結構ですが」
「難易度は変わりませんな」
「でしたら、お話はここまでです。お疲れ様でした」
フィーネの言葉は、素っ気なかった。
「私は、サザンの王子なのですよ!?」
「でしたら、正式な手順を踏んでください。これは騙し討ちですし、条件を提示しただけでもかなりの譲歩のはず。私は今、とても忙しいのです」
「そこの男と、茶を飲むのがか」
「はい、最優先事項です。私の命に関わりますから。……先生、お茶、熱すぎましたか?」
「……いや、この雰囲気で茶を飲むのはちょっと難しいだよ普通」
どうしたものだかなーと思う。
ひとまず、場を改めて話し合うべきだな。
などと、ヨハンが考えていると。
「そうですね。……お引き取り下さい」
フィーネは、隣国の王子に向かって問答無用だった。
「待ってください。私はまだ」
「お引き取りを」
決して威圧的ではなかったが、有無を言わせぬ口調だった。
「くっ……失礼する!」
クラウスは身を翻し、工房を出て行った。
扉が派手な音と共に閉まる。
「では先生、お茶の続きと参りましょう」
「いや、それよりも先に、国の一大事かも知れないので、ちょっと確認したい
だよ」
ヨハンは席を立った。
さすがにこれでは、落ち着いて茶を飲めという方が無理だ。
「問題ないですよ」
「うん、フィーネ様がそうおしゃられるならそうなのだろうけど、やっぱり心
配だ」
「心理的にですね。分かりました。お供させていただきます。ですが、お茶は
あくまで中断です。確認次第、ここに戻ります。何せ、私の命に関わりますから」
「まあ、事実ではあるが、そんなすぐ死に至るという訳でもないだど?」
「そこは先生、心理的に不安なのですよ。では、参りましょう」
フィーネがヨハンの後ろに控える。
しかし、ふとヨハンは思い出し、足を止めた。
「あ、と、忘れてただ。漬け物石、ちゃんと乗せ直さないと駄目だ」
「はい、先生」
特に慌てず騒がずフィーネは工房に引き返し、虹色の少し端が欠けた漬け物石を樽の石に乗せた。
素直クールスレからサルベージ&若干手直しです。