3話
これから二年間暮らすことになる新しい部屋に手持ちの荷物を置く。
宿に置いてあった荷物もすでに運び込まれている。
備え付けの水差しを手に取ると壁に嵌め込まれ、板で固定された青い魔法陣の前に置く。
そして魔法陣に手をかざして魔力を送る。
すると何もない空中に水が現れ、水差しの中に入っていく。
魔法。
それは誰にでも使える力であり、今ではどこの家庭でも使っている、生活に欠かせない力である。
しかし誰にでも使える一方で制限も多い。
だからこそ便利な力でありながら軍事面、特に戦闘技術としては発展してこなかった。
十分な量の水がたまったら水差しを机に移して椅子に座り、背もたれに身をあずけて今日のことを振りかえる。
魔法兵。
そんなものを本気で作ろうとしている。
それも国家の事業としてだ。
この国の上の連中は頭がおかしくなったとしか思えない。
そんなことよりもやらなければならないことは他にたくさんあるだろうに。
「おーい、ちょっといいか?」
扉の外から声をかけられてとりとめない思考が終わる。
あぶないあぶない、今の俺にはこの国の未来とか考える余裕なんかない。
上にどのような思惑があったとしても俺がやらなければならない事は変わらない。
「もしもし? もしかしてもう寝たとか早すぎない?
お隣同士一緒におしゃべりしようぜ」
やれやれ、あまり待たせるのも悪いな。
これから二年間隣に住むんだ。
仲良くしておくにこしたことはない。
「今開ける」
廊下にはつい先ほどまで教室で見た顔の一人がいた。
背丈は俺と変わらないが赤みを帯びた茶髪やこのあたりでは珍しい褐色の肌がよく目立つ。
確か名前はレントだ。
「ヤッホー、ヤエト君、一緒にお茶しようぜ」
「誘ってくれるのは嬉しいがあいにくお茶なんて立派な物は持っていないんだ」
「マジかよ!?」
残念ながら本当だ。
そんな嗜好品の類に手を出せるほど裕福な生活はしていない。
「まあ今回は気にしないでいいぜ。これから談話室で親睦会をやるから呼びに来たんだ。
主催はあのハウスウッドのお嬢様だから俺らが出す必要はない。
もしかしたら普段お目にかかれない物が出るかもな」
なるほど、そういうことなら俺もご相伴に預かるとしよう。
それにしてもハウスウッド家のお嬢さんってさっきやたらと自信を持って可能だと言い切った奴だよな。
いくら貴族だからといってもあそこまで自信を持って自分を信じれる物なのか?
「うん? ああ、ハウスウッド家は貴族じゃないよ。
シエル王国内はもちろん、諸外国にも多くの販路を持つ大商人さ。
実際国内の流通の六割は大なり小なりハウスウッド家に関係がある言われているぐらいだ」
家名を与えられているのは貴族ではなく豪商か。
家名は功績によって王家より与えられる名誉だ。
王家より領地の管理を任される貴族たちはもちろん、国に対して大きな貢献をした一族に与えられる。
箔はつくし、領地がなくとも格としては貴族相手でもひけはとらない。
「なんでもあのお嬢さんはあの歳で経営に口出しできるだけの権限を持っているらしいし、あの自信も単なる自惚れでもないんだろうな」
「それにしたってなあ……」
いくらなんでも魔法兵は無理だと思う。
それについて訊いてみると
「期待三割ってところだな」
と返ってきた。
「俺は卒業しても軍人になるつもりはないっていうのもあるけどおもしろそうじゃん。
もし本当に御伽噺みたいなことができたらすげえじゃん」
「あの『魔王ノルス』みたいにか?」
「いーや、俺は『魔法剣士クリストファー』派」
「そっちか」
思わず苦笑する。
どれも昔から語られ続ける御伽噺だ。
俺の挙げたのは千年以上前、まだこの国ができるより前の話でレントが挙げたのは建国時代、六百年は昔にいたとされる英雄の話だ。
もちろんどれも実在しない人物だ。
しかし昔から吟遊詩人たちに好んで語られ続けている。
俺は真っ当な軍人になるための教育を受けにきた人間だ。
しかしレントの話を聞いて何も感じないわけではない。
たしかにもし本当に彼らのように魔法が使えたらと思うと心が昂ぶる。
そう思うとたしかにわずかばかりの期待はしてみてもいいかもしれない。
俺みたいな人間が持つには分不相応であることは重々承知の上だが、その考えには夢があるのだから。