太陽神の国作り
ワタシが気づいた時には、母上とともに、この世界――黄泉を治めていた。
黄泉は、美しかった。
花は風に乗って絶えず舞い、川には酒が流れ、木々には甘い果実が実る。
空気はやわらかく、光は穏やかで、どこを見ても満ち足りていた。
まるで天国だった。
現実世界からやってきた魂達は、ここで次の転生まで静かに時を過ごす。
争いもなく、飢えもなく、ただ幸福の中に身を置いていた。
彼らから聞く現実世界の話は、いつも過酷だった。
長く生きることすら難しい。
奪われ、傷つき、理不尽に命を落とす。
それに比べれば、この黄泉はあまりにも優しかった。
母上は、肉体を望む魂に体を与えた。
やがて肉体を持つ者達は増え、群れをなし、暮らしを築き始めた。
ワタシはその者達をまとめ、国を作った。
人々はそれをヤマト国と呼び、背中で束ねたワタシの長い赤髪を見て、太陽の女王と呼んだ。
母上は世界全体を見渡すために、天へ届くような塔を築いた。
その頂の女神殿に住み、そこから神託を下すようになった。
ワタシは地上に残り、その言葉を人々に伝えた。
母上から預かった一枚の鏡を通して、ワタシはいつでも母上と話すことができた。
政治のこと。
争いのこと。
日々の出来事。
ささいな喜び。
ワタシは、ほとんど毎日のように母上へ語りかけた。
母上は、いつも応えてくれた。
それが、何よりも嬉しかった。
――その頃はまだ、この世界に何の疑いも持っていなかった。
ある日のことだった。
一人の国民が、傷だらけでワタシのもとへやってきた。
服は裂け、血に濡れ、目には恐怖が焼き付いている。
話によれば、村の近くに龍が現れたという。
山を八つ並べたほどの巨体。
そして、村娘を襲い、食らっている。
ワタシは息を呑んだ。
この楽園のような世界で、人が食われるなど、あってはならない。
すぐに母上へ相談した。
数日後。
母上は一柱の神を遣わした。
ワタシの弟だという――戦神。
「お主が、母上の言っていた姉上の分身か」
開口一番、それだった。
「現実世界の姉上は、恐ろしく強い力を持っておったが……お主は弱そうじゃな」
意味が分からなかった。
ワタシが、分身?
だが問い返す間もなく、戦神は背を向けた。
「では、さっさと龍退治を済ませてくるのじゃ。現実世界で一度倒したことがある相手じゃ。楽勝じゃろう」
軽く笑う。
「母上から授かった不死の力もあるしの」
そう言って、地を裂くような勢いで駆けていった。
その背を見送りながら、ワタシは違和感を覚えていた。
神のはずなのに、神気が感じられない。
何かが、違う。
それでも数日後、戦神は戻ってきた。
「ただいまなのじゃ! なぜか神気が使えなくて五十回も死んだが、ゴリ押しで勝ったのじゃ!」
五十回。
思わず言葉を失う。
楽勝と言っていたのに、五十回も死んだのか。
やはりおかしい。
神なのに、神気がない。
なのに、不死。
ワタシの中に、小さな疑問が残り始めていた。
「それより、これを見るのじゃ」
戦神は一本の剣を差し出した。
龍の尾から現れたというそれは、雲が流れるような波紋を持つ、美しい両刃の剣だった。
「天叢雲剣。神を斬る剣じゃ。我らにとっては危険すぎる。厳重に保管せよ」
ワタシはそれを受け取り、母上へ報告するため祭壇へ向かった。
鏡を通して、剣を見せる。
その時、鏡がかすかに光った。
「それは、私の分身の神気が結晶化したもの――ゴッドコアのようですね」
母上の声は静かだった。
「私が創った鏡も同じです。悪用されれば危険です。誰にも触れられぬよう、共に保管しなさい」
ワタシはその言葉に従い、祭壇に封じた。
そのときだった。
鏡が、以前とは違う弱い光を帯びた。
その表面に、月のような紋章が一瞬だけ浮かぶ。
その日、黄泉に夜というものが生まれた。
その少し前
暗い洞窟の奥深くーー
もう一柱の神が、この世界に呼び出されていた。
夜を見守る者――月神。
巫女装束をまとい、長い黒髪に月光の様な淡い光を宿していた。
その足元には、数体の小さな影が付き従っていた。
長い耳と、丸い尻尾を持つ者達。
それが、後に兎人と呼ばれる存在だった。
月神を現世から呼び出したのは邪神だった。
戦神や太陽神に対抗するため。
均衡を保つため。
邪神は、もてなすためにミミに料理を用意させた。
ミミは口から、温かく見事な料理を吐き出す。
香りは良く、見た目も美しい。
だが、その光景を見た瞬間。
月神は、わずかに眉をひそめた。
「穢れている」
それは、料理に向けられた言葉ではなかった。
死なず、循環せず、増え続ける命。
与えられた力によって歪められた存在。
「これは理を外れている」
静かな拒絶だった。
邪神が何か言い返そうとした時には、すでに遅かった。
月神の姿は、ゆっくりと薄れていく。
「この世界には関わらない」
それだけを残し、消えた。
その場に残されたのは――
数体の兎人だけだった。
彼らはしばらくの間、ただ立ち尽くしていたが、やがて散り散りに動き始めた。
それから、月神を見た者はいない。
代わりに、兎人達がこの世界に現れるようになった。
彼らは様々な悪戯をしては、人から魔物まで困らせた。
だが、その悪戯が世界の寿命をわずかに引き延ばしていたことに、誰も気づかなかった。
それから、長い年月が流れた。
あの日を境に、世界はゆっくりと変わり始めた。
動物達は凶悪な魔物へと変わり、
人々は不死の化け物と化した。
あの楽園は、もはや楽園ではなかった。
その時になって、ようやくワタシは気づく。
あの鏡の光。
あの月のような紋章。
兎人達が必死に守っているものを。
――すべては、あの時すでに始まっていたのだと。




