黄泉のはじまり
遠い、遠い昔。
私はたくさんの子を産み、最後に火の神を産んだ時、その熱に焼かれて死んだ。
そして黄泉へ来た。
その頃の黄泉には、まだ何もなかった。
空は暗く、地は痩せ、風は冷たい。
ただ亡者の魂が、次の転生まで静かに留まるだけの、殺風景な休憩所のような世界だった。
私は、暗い洞窟の奥にいた。
誰の声もない。
誰のぬくもりもない。
ただ、自分が死んだという事実だけが、じわじわと胸の内側を冷やしていく。
寂しかった。
どうしようもなく、寂しかった。
だから私は、そこに何かを生みたくなった。
まず、草木の魂に肉体を与えた。
小さな芽をいくつも作り、枯れた地面に植えてみた。
だが、それらはすぐに萎れ、力なく枯れてしまった。
ならば土が悪いのだろうか。
そう思い、今度はミミズや微生物たちの魂に肉体を与えた。
それまで死んでいた土の中に、小さな命を流し込む。
土はたしかに蘇った。
柔らかさを取り戻し、植えた草木も少しだけ伸びた。
けれど、それでも元気がない。
葉は薄く、茎は細く、どこか怯えるようにしおれている。
何が足りないのか、わからなかった。
私は土を燃やした。
砕いた。
混ぜた。
埋めた。
また植えた。
何度も何度も試した。
そして、黒焦げの土まみれになった体のまま、今度は雷を大量に落としてみようと、洞窟の奥でバチバチと稲光をまとっていた。
その時だった。
現実世界にいるはずの夫が、洞窟の入口に現れた。
私は思わず振り返った。
やっと来てくれたのだと思った。
死んだ私を、迎えに来てくれたのだと。
けれど夫は、私の姿を見るなり顔を引きつらせた。
「ヒッ……! ヒィーッ! 化け物!!」
そう叫んで、逃げた。
私は、しばらく何が起きたのかわからなかった。
化け物?
誰が?
……私が?
妻に向かって、化け物とは何事だ。
胸の奥で、じわじわと怒りが湧き上がる。
今度会ったら、絶対に引っぱたいてやる。
私はぷんぷんと怒っていた。
その最中、現実世界の方から、見知らぬ力を感じた。
三つ。
新しい、命の気配。
……増えている。
子が。
私は眉をひそめた。
旦那、男なのに子供を産んだの?
何それ。
気持ち悪い。
もう黄泉に来るな。
鳥肌が立った。
心底ぞっとして、身震いした。
だが、その三つの命の一つに、私はふと足を止めた。
暖かい。
あまりにも強く、まっすぐな光。
ああ、この子は太陽だ。
太陽神の力を持っている。
その瞬間、私は悟った。
足りなかったのは、これだ。
土でも、水でも、雷でもない。
草木が育たなかったのは、陽の光がなかったからだ。
私はすぐに動いた。
子をまるごと連れ去れば、流石に気づかれる。
だから、ほんの一部だけ。
その光の欠片だけを、そっと黄泉へ引き寄せた。
すると、洞窟の奥に、光り輝く赤ん坊が現れた。
小さな体。
けれど、その身に宿る輝きは眩しく、暗かった洞窟の壁を一気に照らし出した。
赤ん坊の光を浴びた草木が、ぴんと立ち上がる。
葉が開く。
茎が伸びる。
さっきまで萎れていた命が、嬉しそうに息をし始める。
私は思わず声を上げた。
「おお……!」
やはり、陽の光が足りなかったのか。
これなら、この黄泉を緑で覆い尽くせる。
私は赤ん坊を抱き上げ、何度も頬ずりした。
暖かい。
柔らかい。
生きている光そのものみたいだった。
「なんて美しい赤ん坊」
そう囁く。
「私と一緒に、この世界を幸せで満たされた理想郷にしましょう」
光が、洞窟の奥まで満ちていく。
その時、私は初めて気づいた。
洞窟のずっと先に、外へ続く出口がある。
そしてそこまで、草木はすでに伸び始めていた。
まるで、この世界そのものが、外へ出たがっているようだった。
私は決めた。
この世界を育てる。
この黄泉を、ただの死者の休憩所では終わらせない。
そのために、私は自分の魂を二つに割った。
半分は、洞窟に残す。
草木と土と、そこに生まれる命を見守り、育て続けるための“もう一人の私”。
私はその分身に役目を与えた。
この地に生まれるすべての命を守り、増やし、絶やさぬこと。
土の中の小さな命も。
地に根を張る草木も。
やがて生まれるであろう動物たちも。
すべてを愛し、育てよと。
残る半分で、私は赤ん坊を抱き、洞窟の外へ出た。
外に出た瞬間、赤ん坊の光はさらに強くなった。
黄泉の空が照らされる。
地が色を帯びる。
冷たく黙っていた世界が、ゆっくりと目を覚ましていく。
その時から、私の第二の世界は始まったのだった。
それから、長い時が流れた。
ここは、私が創ったスルガ天空の塔、その頂にある女神殿。
黄泉はもはや、かつての荒野ではない。
光が差し、草木が広がり、一つの世界として形を持っていた。
けれど――少しだけ、行き過ぎていた。
洞窟に残した“もう一人の私”は、あまりにも優しかったのだ。
生まれた命を、ただ守るだけでは足りなかった。
より強く。
より生き延びられるように。
傷つかず、滅びず、何ものにも脅かされぬように。
そう願うあまり、動物たちを少しずつ変えていった。
牙を鋭くし、爪を硬くし、力を増し――
やがてそれは、ただの動物ではなくなった。
魔物。
それは悪意から生まれたものではない。
守りたいという愛が、過剰な力へねじれた結果だった。
だが、どんな理由があろうと、強くしすぎた命は世界を壊す。
黄泉に満ちた魔物たちは、ついに太陽神の国にまで溢れ出し、手に負えなくなりつつあった。
ちょうど、あれを試すいい時期かもしれない。
そう思った時だった。
「母上! 貴方の息子です、会いに来ましたのじゃ!」
やけに大きな声が、神殿に響いた。
振り向くと、一人の男が立っていた。
がっしりとした体つき。
無駄のない立ち方。
そして、場の空気ごと押し込んでくるような、強い気配。
「ワシは生まれてこの方、母上の顔も知らず、会いたくてたまらなんだのじゃ! 父上には止められたのじゃが、それでも黄泉まで来てしまいましたのじゃ!」
……なんて聞き取りにくい喋り方をする子なのだろう。
私は少し呆れながら、その姿を眺めた。
だが、その奥にある力はすぐに見抜けた。
強い。
しかも、ただの力ではない。
戦うことに慣れすぎている。
まるで、生まれながらにして戦うために在るような――
「戦神、か」
思わず、そう呟いていた。
男はぴたりと動きを止める。
一瞬だけ、空気が張り詰めた。
だがすぐに、嬉しそうに顔をほころばせた。
「おお! 母上、やはり分かるのじゃな!」
……扱いやすそうだ。
私は静かに微笑んだ。
「よくここまで来ましたね、我が息子よ」
甘く、やさしい声で告げる。
「けれど、私の愛が欲しいのならば、黄泉にのさばる魔物達を退治してみせなさい」
男は、迷いなくうなずいた。
「母上! 承知いたしましたのじゃ!」
その返事には、一切の疑いがなかった。
真っ直ぐすぎる。
だからこそ、使いやすい。
「死んでしまっては困りますから、不死の力――【無限転生】を授けましょう」
「おお! ありがたいのじゃ! 必ず魔物達を討ち取ってみせますぞ!」
そう言って、男は迷いなく塔の縁へ向かった。
足を止めない。
振り返らない。
そのまま、躊躇なく外へ飛び出した。
重力をものともせず、地上へと一直線に落ちていく。
私はその背を見送りながら、静かに目を細める。
私が授けた【無限転生】は、ただ死なない力ではない。
神気を封じる。
行動を監視する。
そして、少しずつ、私の思想へと寄せていく。
それでいい。
あの子は戦う。
何度でも。
終わることなく。
そしていつか――
私の望む形へと、たどり着く。




