とっても残念な初夜
俺は、結婚式の最中に意識を失って倒れた――らしい。
「らしい」というのは、正直なところ、どこからが現実でどこまでが夢だったのか、自分でも判然としないからだ。
暗闇に沈んで、浮かび上がって、また沈んで。
何度も水の中に潜っては、肺が焼けるように苦しくなって――
そのたびに、どこか遠くから誰かの声が聞こえていた気がする。
……どれくらい時間が経ったのだろう。
意識は霧がかかったみたいにぼんやりしていて、
頭の中で思考がうまく形にならない。
ただ、不思議と――
あたたかい。
そして、柔らかい。
胸元あたりに、ふわりとした重みを感じる。
「……スヤスヤァ……スヤスヤァ……」
かすかな寝息が、頬にかかる。
温度を持った吐息が、一定のリズムで触れてくる。
……近い。
かなり近い。
ゆっくり、恐る恐る目を開けた。
視界に最初に入ったのは、見慣れた天井――いや、少し違う。
どこか豪奢で、天幕のような布が垂れ下がっている。
そして、そのすぐ下。
俺の胸に顔をうずめるようにして眠っている、エーコの姿があった。
「…………」
一瞬、思考が完全に停止した。
状況を理解する前に、心臓が限界まで跳ね上がる。
「……ん……」
エーコが小さく身じろぎして、ゆっくりと目を開いた。
「架様……?
あ、気がつきましたか……?」
まだ眠気を残した声。
潤んだ瞳が、すぐ目の前にある。
近い。
近すぎる。
――こ、これは。
まさか。
噂に聞いた、結婚初夜というやつでは!?
俺の脳内で、警鐘とファンファーレが同時に鳴り響いた。
落ち着け。
落ち着くんだ、俺。
状況を整理しろ。
俺は王になって、結婚式をして、倒れて……
そして今、ベッドの上で、エーコと一緒に寝ている。
……一緒に。
しかも、肌の感触的に――
「……え?」
視線を下げた瞬間、俺は自分が何も着ていないことに気づいた。
息が止まる。
頭の中で、前世の知識という名の薄っぺらな情報が必死に引き出される。
えっと、こういう時は……
まずキスから?
いや、自然な流れ?
段階があったはずだよな?
思い出せ、俺!!
インターネット!!
深夜の知識!!
そんなふうに内心でパニックを起こしていると、
エーコが、少し恥ずかしそうに視線を逸らしながら言った。
「……あの……とても、良かったですよ」
「……え?」
思考がフリーズした。
今、なんて?
「アタイの……はじめてを、
架様にあげることができて……とても、幸せでした」
「…………え?」
完全に理解が追いつかない。
「今日は、その……女の子の日だったんですけど……
でも、なんとかなりましたし……」
待て待て待て待て。
俺の脳内で、状況説明用のホワイトボードが音を立てて崩壊する。
女の子の日?
それって……祝日?
子供の日的な?
いや違う、絶対違う。
じゃあ、つまり――
「ま、まさか……」
俺が気を失っている間に、
エーコが一人で全部済ませた……?
それって、そういう意味なのか?
混乱と衝撃で、言葉が出てこない俺をよそに、
エーコはベッドからそっと起き上がった。
「少し汗かいちゃったので……
海に飛び込んで、体を清めてきますね」
「え?」
止める間もなく、エーコは窓を開け、夜風の中へ。
一瞬、月明かりに照らされたその姿が、
やけに現実味を失って見えた。
次の瞬間。
ドパァンッ!!
豪快な水音が響き渡る。
……静寂。
波の音だけが、遠くで繰り返される。
俺は、一人きりになった寝室で、
しばらく動けずにいた。
状況が、ようやく脳に染み込んでくる。
……待て。
……俺、何もしてない。
何もしてないのに――
終わってる?
俺は、ゆっくりと天井を見上げた。
胸の奥で、何かがポキッと折れる音がした気がする。
「…………」
そして次の瞬間。
「オレの初体験返せぇぇぇぇぇ!!」
魂の叫びが、夜の海に向かって放たれた。
波は何も答えない。
ただ、どこか遠くで、
楽しそうな水音だけが聞こえていた。
……この世界、やっぱりめちゃくちゃだ。




