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最終話 影と友と画家

 六年目の春に入ったばかりの頃。その日はいつもよりも気温が高く、雲もあまり出ておらず日差しが温かい日和だった。浅葱はリビングで暖炉に火をつけ、ラジオを聞きながらスケッチブックに落書きを描いて過ごしていた。

 リビングの絨毯に窓から差し込む光がある。視界の端でその上を動く影がちらりと見えた。

 鳥かな。と思いそちらをなんとはなしに視線を向ける。影は、絨毯の窓の位置にうろうろとさ迷っていた。それも鳥などではない。魚の群れの影だった。絨毯から窓の方を見ると魚ではなく、魚影そのものが窓の外をうろついていた。それはそのまま玄関の方に回り込んでいき、少しして玄関のノッカーを鳴らす音がした。


「失礼、ここは不二エジェオ様のお屋敷であられるか」


 玄関を開けた先に居たのは、頭の部分に魚の魚影を泳がせ、服装はブータンのゴに似た縦縞の明るい色使いの前に打ち合わせたもの、さらにその上に白い羽織を着た人外だった。

 驚きは有るものの、あまりにも絵になる姿に呆気に取られていると魚影の人外に「もしもし」と低く渋い声をかけられた。はっ、と我に返る。


「エジェオの屋敷ではあってますが、今本人は就寝中で」

「そうか。貴方様はエジェオ様の囲っている画家様か?」

「囲われている……まあ、部分的に……?」


 人外は魚影を浅葱の周りに漂わせ、くるくる様子を見る様に回る。特に動かずその動きを見ていると人外は魚影から声を出した。


「貴方様にご依頼がある。私の絵を描いてほしい」



「で、私が起きるまでここに一緒にいたわけか」


 エジェオが起きてから浅葱は魚影の人外エイダを紹介し、事情を説明した。

 エイダ曰く、エジェオの噂は人外界隈で徐々に広がっているらしい。その噂というのが幻想画にて自分たち人外を描く画家を囲い、絵を描かせているというもの。その画家は人外を次々描いており、人外であれば誰であれ描いてもらえると噂されているようだ。

 去年の秋にエジェオが浅葱に人外専門の画家になることを提案してきて、やってみようと始めたばかりに噂として聞きつけやってきた者は彼が初めてだった。エジェオに聞けば「知り合いの数人に絵の自慢はした」と返ってきたので恐らくそこからだろうと浅葱は判断する。


「エイダ、寝泊まりする場所は?」


 エジェオが訊ねるとエイダは魚の群れの魚影で×(ばつ)を作った。


「睡眠は要するが今現在、寝宿はない」

「もしここで私が出て行けと言ったら?」

「山の中の川で眠るだけだ。明日改めてアサギ様にご依頼させてもらう」


 それを聞き、エジェオは特に態度を変えたわけではないが一度頷き、


「よし、分かった。部屋を用意するから少し待っていてくれ。食事はどうする」


 と泊まることを承諾する返事をした。食事についてエイダは「水をくれ」とだけ簡潔に言った。のちに分かったことだが、エイダの言う水の量は風呂の洗面器一杯分の水のことであった。

 エジェオが起きる前に浅葱とエイダは浅葱の部屋にてエイダの絵、肖像画を描くために彼のスケッチをしていた。浅葱としては絵を描くのは問題なく、エイダも対価として白く光沢のある真珠や鮮やかな真っ赤の珊瑚をいくつか持ってきてくれた。エジェオが知り合いを通して、アクセサリーに加工しお金に変換するだろう。

 晩御飯のためにテーブルの浅葱の隣にエイダが座り、浅葱の正面にいつも通りエジェオが座り。用意した料理と一緒に洗面器をテーブルの上に置くと、エイダの頭の魚影がゆっくりと水の中に入って少し狭そうに泳いでいた。


「すまないな、家にある洗面器がそれくらいしかなくて」


 エジェオが謝るとエイダは水面から顔を出し低い声で返す。


「構わない。我儘を言ったのはこちらだ。エジェオ様には感謝する」

「タオルとか持ってきた方がいいですかね」

「問題ない。水には浸かるが影ゆえに実体はなく、濡れることもない」

「あ、実体はないんだ」


 やはり影は影らしい。

 食事が終わると食器と一緒に洗面器の水も片付ける。皿洗いをしている合間に暖炉の前のソファに座って、エジェオとエイダは話をしていた。ソファに行く前にエジェオはエイダにコーヒーを飲むか確認したら、意外にもエイダはアイスコーヒーを頼んできた。冷たい液体ならいいのだろうか。

 洗い物を終え、自分の分の砂糖なしのカフェオレを作って二人のもとへ行くと、エジェオは少し難しそうな顔をしていた。


「どうした、エジェオ」


不思議に思って訊ねると「私のお願いが困らせてしまったらしい」とエイダが代わりに答えた。


「このリビングに飾られてある白い龍の絵を譲ってほしいと言ったんだ」

「白い龍の絵って、あれか」


 後ろを振り返って飾られている白い龍の絵を見る。それは浅葱が二年前の冬に見た浜辺で見た初日の出と白龍の海に飛び込む瞬間を切り取った絵だ。あの絵を描いてから、エジェオがリビングに飾りたいと言って額縁に飾って置いてある。

 飾ろうと言い出したのはエジェオだから、彼にとっては思い入れのある絵なのだろう。たしかに譲ってくれと言われて素直に「はいどうぞ」とは言えないだろう。


「あれはエジェオにとって大事な絵なんです。エジェオにとっても譲るのは難しいかと」

「そうか。白い龍は私の住んでいる場所では幸運のシンボルだから、住処のみなのために持ち帰りたいと思ったんだ」

「そうは言いましても、ねえ……」


 何も言わないエジェオをちらりと見るが、彼は黙考している。浅葱は切り替えようと手を一拍叩いてエイダに声をかけた。


「絵の続きを書こう。エイダさん、一緒に部屋に来てくれますか」

「ああ。エジェオ様、すまない」

「……ああ」


 心ここにあらずといった返事に不安になりながらも、浅葱はエイダを自室にまた招いた。


 大まかなラフはできてるが、描けているのはバストアップのエイダの姿だけだ。肖像画だからそう描き込みが多くなくてもいいんだが、あまりにも寂しい。


「エイダさん、何か自分と一緒に描いてほしいモチーフとかはありますか」

「なんでもいいのか」

「大体のものは描けますよ」

「……白い龍、と思ったが。実物を見て描いてもらうわけじゃないから縁起がいいとも言えないな。あの絵は実に引かれるものがあった」

「ありがとうございます」


 お礼を言うと魚影の頭が一斉に浅葱の方を向く。「うん? あれはアサギ様が描いたのか」


「実際に白龍を見て、描いたものになります。龍神様自身から描いてほしいと依頼されまして」

「それなら尚更頼めないな。そのうえ大事なものだな。エジェオ様には悪いことをした」

「それで、何か描いてほしいものとかは」と再度尋ねると、魚影をその場でぐるぐる泳がせ、何かを思いついたのか、エイダは魚影を花の形にした。

「赤い花、あれは確か、ツバキと言ったか」

「椿?」

「私が住むのは海の側だが、その海の中でツバキが咲くのだ。真っ赤で綺麗な花だから、それがいい」


 椿と一緒に描くとなればエイダは水中にいる様に描く方がいい。しかし海の中の椿、というのは梅花藻のようなものなのだろうか。

 湧いた疑問に、確かめる答えが浮かぶ。いつの間にかベッドの上に鎮座する海の石を見つけ、手に取り石を覗いてエイダを見た。


「む、なんだ?」

「すみません、ちょっと確認したいことがあって」


 不思議に思うエイダに簡素に伝え、見たいものが見えるまで待ってもらう。

 覗いた先にあったのは、神社だった。海の中に、椿の木が植えられた神社だ。そこへ向かってエイダが歩いている。魚影の頭が椿の周りを遊泳していた。

 鮮やかな赤の鳥居と椿は目に痛いほど綺麗だった。


「アサギ様?」


 エイダに声をかけられ、浅葱は石から目を離す。

 浅葱は力強く笑顔を作り、


「大丈夫です、絵が見えました」


 と告げた。


               〇


 浅葱とエイダがリビングから去った後、エジェオは考えていた。リビングの壁から白い龍の絵を外し、膝の上に置いて睨むようにじっと眺めていた。

 エイダからこの絵が欲しいと言われ、酷く動揺してしまったのだ。エジェオは確信していることがある。あの龍が大昔に離れ離れになった人間の親友であることに。

 二人で日本からいろんな場所に旅をした。治安の悪い町にも言ったし、漁村で美味しい魚介類を食べさせてもらったり、何もない場所で野宿をして満天の星空を眺め星座を探したりもした。行く先々で教会を見かければ、親友白(しら)(みね)(たき)はマリア像に祈りをささげていた。それに嫌悪感を持ったことはないし、彼の信仰を尊重しようとも思った。瀧もエジェオが絵を好んでみることに嫌な顔はしなかった。

 だけどあの日の出来事はそれらをひっくり返すものだった。耳鳴りがし、頭痛がし、光に包まれ吸血鬼になったあの日。浅葱には言わなかったが、あの時神様に言われたのだ。

『信仰深い彼は、神のもとに連れて行きます』と。

 目が覚めたとき、焼かれる痛みに苦しみながら瀧を探した。彼はいなかった。どこを探しても。長い月日をかけて探しても見つからなかった。諦めて、でも諦めきれなくて、画家を囲うようになった。彼が神のもとに行ったのなら、彼が神になって信仰され絵に描かれることもあるだろう。そうやって手あたり次第画家を囲い込んだ。

 もはや目的を忘れかけ、ただ絵が好きだった昔の感情で共に暮らして絵を描いてくれる画家を探していた結果、その先で行きついたのが月見里浅葱だった。

 浅葱は、エジェオの探していた親友と自分を引き合わせてくれた。あの白い青年、白い龍。龍として姿は変わり、髪や目の色は変わってしまっていたけれど確かに彼は親友の白嶺瀧だった。

 だから、彼を描いたこの絵はエジェオにとっては大事な一枚だ。こうやってまた一緒に居られると。自分は日の下に居られないからこの絵を見て彼を懐かしむことしかできない。

 手放したくない。でも、本当にいいのだろうか、とも思う。

 前に浅葱に海の石を譲った際に言った言葉。


『物の巡りはちゃんとそうなる様になっているものだ』


 引き取りたいと思う者に、譲るのも物の巡りではないだろうか。

 ぐるぐると考えているうちに頭が重くなっていく。気が付けば真っ暗闇の中だった。



 視界の先の先に、小さい、星のような光が見える。それは次第に大きくなり、人の姿を模していく。

 ああなんだ。また、神様か。

うんざりとした思いでその光を眺める。しかし光ははっきりとした姿へと変わっていく。それは白い袴を着て、浅葱色の襟巻、白い髪に青い瞳の青年だった。あの冬、浅葱と一緒に出会った彼だった。


「久しぶり、エジェオ」


 遠く忘れていた瀧の声。エジェオは驚きで声が出ず、懐かしさに視界がぼやけていく。


「おいおい、泣くな。お前会わなくなってから涙もろくなったのか?」

「っ、感情を、揺さぶられるのが、久しぶりなだけ、だ」


 必死に口から出た言葉は涙声になっていた。自分でも情けない。


「瀧、なんで、今更」

「本当にな。あの絵に込められた思いの残滓がこうして会わせてくれたんだろうさ」


 エジェオ、と瀧は呼ぶ。吸血鬼は涙を拭い、正面からしっかりと神様の青年を見る。


「俺は絵があれば、お前に見つけてもらえると思っていた。それはもう、あの画家さんに描いてもらって、お前がその絵を大事にしてもらったからもう叶ってる。だからさ、もう手放してしまえよ」

「は……?」


 何を言っているんだと耳を疑った。理解できないという顔のエジェオに、瀧は少年のような笑顔を向けて笑う。


「俺とお前の縁はまた結ばれた。なんならあの日何も言えず別れたときから今にかけても、ずっと繋がっている。大丈夫、もう俺がどこにいるか分かるだろ?」



 ゆっくりと瞼を開ける。視界が暗転したときと同じ姿勢でどうやら眠っていたらしい。真っ先に目に入った白い龍の絵が、朝日と龍の鱗の反射が今まで見て来た時よりも眩しく見えていた。


               〇


 エイダは睡眠をそんなに必要としない存在らしい。眠るには眠るが、長くても三時間程度らしく、寝る時間はいつも周りにいる者に合わせているそうだ。

 そういうわけで、浅葱は今考えている構図をすぐに描き上げたい気持ちが湧いていたのでエイダに付き合ってもらうことにした。ラフを描いていたスケッチブックの端に石を通して見た椿の絵を描き、一番頻繁に見るエイダに確認を取りながら同時進行で下描きを描いていた。エジェオが起きる前から分かっていたが、浅葱側が話しかけない限りエイダはあまり話を振ってくることはない。だが、代わりに頭部の魚影は感情をよく表しているようで、エイダから目を離しキャンバスに向かっていると、覗き込むように魚影が浅葱の後頭部を泳いでいる。エジェオと話しているときはよく会話のラリーが続いていたように聞こえていたので、エジェオが話し上手だったのだろうなと、改めて彼のコミュニケーション能力が高いことを実感した。


「エイダさんは、どういった存在なんですかね」


 浅葱のなんとなく口から出た疑問に、エイダは魚影を浅葱の頭上でぐるぐる回り泳いで淡々と解説した。


「私には色々な記憶がある。海で泳ぐ魚の記憶、遊泳する人の記憶、海で溺れていく人の記憶。色々だ、本当に。それらは忘れられていった記憶だ。その記憶の塊が私だ」

「住処にいるみんなって言うのは?」

「海に散らばる、忘れられた記憶は私一人が抱えきれる量を越している。私も自然に生まれた存在だが、同じ住処にいる同じ記憶の影の存在も自然に生まれる。また私より先に生まれた同存在もいる。そのみなが住む住処があるのだ」

「なるほど」


 浅葱はなんの疑問も持たずに海の石で彼を覗いたが、話をよくよく聞けばあの石の中に見えた記憶は彼らを通した海の記憶なのだろう。海は色んな生き物が存在する場所だ、そこに集まる人間の記憶も海に置いていかれるものがあるのだ。


「じゃあ、今回肖像画を描いてもらいに来た理由は?」

「私たちはいつ消えるかも分からない存在だ。いつか消えたときに私たちの跡を見つけた人間に私たちを知ってもらうために描いてもらいに来た。私はその代表で来た」


 思ったよりも理由が重い、が、俄然やる気が湧く。もともと彼のシルエットに描いてみたい好奇心はあったが、そうと言われたら筆を握る手に力が入る。


「最高の作品を完成させます」

「よろしく頼む」



 一晩かけて下描きからアクリル絵の具で描き終えた。エイダは根気強く(本人としては興味深く)付き合ってくれ、出来上がって早速目にしたその絵に感嘆の声を上げた。

 水中の椿に囲まれ参道を歩くエイダの絵は、海の少し薄暗い青と椿と鳥居の赤に魚影の単純な黒ではない、いくつかの色を合わせた複雑な黒いに近い色、民族服のような暖色に近い色合いが複雑に絡み合った絵になった。浅葱は内心少しやりすぎたようにも思えたが、依頼人が満足そうに見てくれたのでとりあえずこれでよかったと安堵の息を吐く。

 いったん二人は日の出前に起きるとして、睡眠をとる。

 五時前に目覚ましが鳴り、寝巻の上にカーディガンを着てリビングに行くちょうど朝御飯を用意していたエジェオと昨日と同じ席に座っているエイダがいた。


「おはよう、浅葱。早いね」

「おはようアサギ様」

「おはよう、二人とも。エジェオが起きてる間に見送りまでしようってエイダさんと話になって。朝御飯食べる前に渡して見送りまでしていい?」

「私は構わない」

「ああ、じゃあ。私も渡したいものがあるから用意しようかな」


 エジェオは出来上がった朝食にフードカバーをかけて、リビングの隅に行く。持ってきたのは、リビングに掛けてあったあの白龍の絵だった。


「え。いいの、エジェオ」


 驚いて思わず浅葱が訊ねると、エジェオは穏やかな表情で頷いた。


「いいんだ。この絵に縋っていたけれど、よくよく考えれば私はもう本人に会いに行けるからな」

「……本当にいいのだな」


 エイダが真剣に確認する。エジェオは深く、しっかりと首を縦に振った。


「おれも絵を持ってくる。風呂敷に包んだけどあまり濡らさないようにしてください」


 浅葱も小走りに部屋に戻って絵を持ってくる。エイダは「たしかに。お代はアサギ様に渡している。のちほどエジェオ様も確認してくれ」と受け取ってエジェオに告げた。

 エイダを玄関まで見送りについていくと、「此度は世話になった。もし仲間が来たら、また私のように受け入れてくれ」とエイダは言って屋敷を出て行った。バタン、と玄関の扉が閉まるとやっと一息付けたかのように浅葱が軽く息を吐く。


「やりたいがためにやったけど、さすがに徹夜まがいはしんどかったな。寄る年波には勝てないね」

「君はまだまだ若いだろう。だが、あまり無茶はしないようにな」

「うん。ところで今日の朝御飯なに? おれがいつも作ってるやつとは違ってそうだったけど」

「クロワッサンとコーンポタージュ、いつも通りの生野菜のサラダだ。コーヒーも私が用意しようか?」

「いい、いい。自分でやる。エジェオはこのまま寝る?」

「いや、今日は私も一緒に食べよう」


 二人並んでリビングに戻る。朝御飯の料理を食卓であるテーブルに並べて、二人いつもの席に座った。


「それじゃあ、いただきます」

「いただきます」


 二人の生活が、また始まる。


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