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第8話:文化祭準備、教室は巨大な培養槽!

10月下旬。  校庭のイチョウ並木が鮮やかに色づき、乾いた秋風が吹き抜ける季節。  高校生活最大のイベント「文化祭」まで、あと数日と迫っていた。


 放課後の校舎は、熱気に包まれている。  どこからか聞こえる吹奏楽部の練習音、廊下を走る生徒たちの笑い声、そしてペンキやダンボールの匂い。  青春の輝きそのもののような光景だが、私――菌田きんだきのこのフィルターを通すと、世界は少し違って見える。


「ふふふ……素晴らしいわ。全校生徒が放つ熱量、密閉された教室内の二酸化炭素濃度、そして大量に持ち込まれる木材や紙類……。この校舎全体が今、巨大な『コンポスト(堆肥箱)』になろうとしているのね!」


 私は自分のクラス(1年B組)の展示「キノコの生態パネル」の作成を早々に切り上げ、廊下へと繰り出した。  目的地は一つ。  2年A組。愛しの神木かみき先輩のいるクラスだ。


          ◇


 情報網(生物部の後輩という名の菌糸ネットワーク)によると、先輩のクラスの出し物は『ファンタジー・カフェ ~森の癒やし~』に決定したらしい。  「森」。  「癒やし」。  このキーワードを聞いて、黙っていられる菌類オタクがいるだろうか?  これは私への招待状だ。神木先輩が、無意識のうちに森の支配者(私)を求めている証拠だ。


「失礼しまーす! 生物部から、森のスペシャリストとして助っ人に来ました!」


 私が2年A組の教室に入ると、そこは戦場だった。  ベニヤ板を切る音、模造紙を広げる音。  その中心で、新聞紙で作った帽子を被り、ジャージ姿で奮闘している神木先輩を発見した。  首元にはタオルを巻き、額に汗を浮かべている。  尊い。労働に従事するオスの汗は、極上のフェロモンだ。


「あ、菌田さん!」  先輩が私に気づき、少し驚いた顔をする。 「どうしたの? 自分のクラスはいいの?」 「はい、私の仕事は胞子を飛ばす速さで終わらせました。先輩のクラスが『森』を作ると聞いて、居ても立ってもいられなくて。本物の森を知り尽くした私が、監修して差し上げます!」


 私は胸を張った。  先輩の顔色が一瞬曇る。 「えっと……気持ちは嬉しいけど、僕らのは『おとぎ話の森』だから……。菌田さんの好きな『ジメジメした原生林』とは違うというか……」 「遠慮しないでください。ファンタジーこそ、圧倒的なリアリティの上に成り立つものです。このチープな緑色のビニール紐や、段ボールの木を見てください。これでは『癒やし』どころか『工作の時間』ですよ」


 私は教室の飾り付けをバッサリと切り捨てた。  周りの実行委員たちも「うーん、確かに安っぽいんだよねぇ」と頭を抱えていたところだったらしい。 「じゃあ菌田ちゃん、どうすればいいと思う?」  委員長女子が食いついてきた。  かかった。 「お任せください。まずは『土台』からです。森の空気感は、足元から生まれるんです」


 私は持参した風呂敷包みを解いた。  ドサッ、ゴロン。  床に転がり落ちたのは、黒ずんで苔むした本物の「丸太」と、湿った黒土が入ったビニール袋だった。


「……なにこれ?」 「『原木げんぼく』と『完熟腐葉土』です。裏山から拾ってきました」  先輩が後ずさる。 「拾ってきたって……それ、虫とかいないよね?」 「当然いますよ。樹皮の下にはクワガタの幼虫や、無数のダンゴムシ、そして目に見えない菌糸がびっしりと詰まっています。それが『命』です」 「いやぁぁぁ! 捨ててきて!! カフェだよ!? 飲食店だよ!?」 「大丈夫です、表面にニスを塗れば出てきません(たぶん)。この丸太を部屋の隅に置くだけで、フィトンチッド(森の香り)が充満し、お客様は深呼吸したくなるはずです」


 私の熱弁と、女子たちの「えー、なんか本格的!」「映えそう!」という無責任な賛同により、原木の設置が決定してしまった。  先輩だけが「絶対なんか出てくる……」と涙目で遠巻きにしていた。


          ◇


 翌日。文化祭2日前。  私の侵食プロデュースは加速する。  放課後の準備時間、私は再び2年A組に入り浸っていた。


「次は壁ですね。この模造紙の木、平面すぎて面白くありません」 「でも、立体にするには予算が……」 「予算なんていりません。自然界にあるものを利用すればいいんです」


 私はカバンから、採取してきた大量の「ツタ」と「サルノコシカケ(乾燥済み)」を取り出した。 「これを壁や天井に這わせましょう。無機質な教室の直線的なラインを消すんです。曲線こそが自然の造形美ですから」  私は脚立に登り、天井の蛍光灯付近にツタを絡ませていった。  下で支えてくれているのは、もちろん神木先輩だ。 「菌田さん、気をつけてね……。っていうか、そのツタ、どこから採ってきたの?」 「秘密の場所です。少し触るとかぶれる植物も混ざってるかもしれないので、先輩は素手で触らないでくださいね」 「ヒィッ! なんでそんなの持ってきたの!?」  先輩が脚立を揺らす。 「嘘です、冗談です。愛のムチですよ」


 私が作業をしている間、先輩の顔がすぐ近くにある。  上から見下ろす先輩のつむじ。うなじ。  ふふふ、このアングルも悪くない。 「先輩、そこのガムテープ取ってください」 「はい」 「ついでに、そこのサルノコシカケも」 「……はい」


 まるで新婚夫婦のDIYのようだ。  私が森を作り、先輩が住む。これぞ愛の巣作り。  教室は着々と、私の理想とする「薄暗く、湿度のある空間」へと変貌を遂げていた。窓には緑色のセロファンが貼られ、外光が遮断されているため、昼間でも鬱蒼としたジャングルのような雰囲気が漂っている。


          ◇


 そして、文化祭前日。  準備の最終段階。  教室内は、カフェのテーブルや椅子が並べられ、完成形に近づいていた。  しかし、何かが足りない。  委員長が腕組みをしている。 「うーん、なんか壁が寂しいんだよね。もっとこう、神秘的な感じが出せないかなぁ」 「イルミネーションとか?」 「でも電源がないし……」


 来た。私の出番だ。  私はこの瞬間のために、とっておきの「生きたアート」を温めてきたのだ。


「私にいい案があります」  私は自信満々に挙手した。 「電気を使わず、しかも時間とともに模様が変化する、究極の有機的アートです」 「えっ、なにそれ凄そう!」 「菌田ちゃん、お願いできる?」


 私はカバンから、厳重に密閉されたタッパーを取り出した。  中に入っているのは、鮮やかなレモンイエローの、ドロドロとしたペースト状の物体。 「……なにそれ? ペンキ?」  先輩が怪訝そうな顔で覗き込む。 「似たようなものです。これを壁の四隅や、天井のはりに少しずつ塗るんです。そうすると、明日の朝には……魔法がかかっていますよ」


「へえー! 特殊塗料なんだ!」  クラスメイトたちは目を輝かせている。  しかし、神木先輩だけは本能的な危機感を察知したのか、後ずさりをした。 「……菌田さん。それ、動いてない?」 「気のせいですよ。流体だから垂れてるだけです」 「いや、今『脈打った』気がしたんだけど……」 「先輩、疲れてるんですよ。カフェイン摂りすぎじゃないですか?」


 私は先輩の指摘を笑顔でかわし、筆を使って黄色いペーストを壁に塗りつけた。  ペタッ、ペタッ。  これは『モジホコリ』。  真正粘菌しんせいねんきんと呼ばれる、アメーバ状の生物だ。  動物でも植物でも菌類でもない、不思議な生き物。  普段は目に見えない微生物を食べて移動するが、湿気と餌を与えると爆発的に増殖し、網目状の美しいネットワークを形成する。


 私は、ペーストの中にこっそりと、彼らの大好物である「粉末オートミール」と「砂糖」を混ぜ込んでおいた。  さらに、仕上げとして部屋の四隅に加湿器を設置し、スイッチをオンにする。 「森には霧がつきものですからね。湿度を高く保つのが、マイナスイオン発生の秘訣です」 「なるほどー! さすがスペシャリスト!」


 蒸気がシュウウウ……と吹き出す。  密閉された教室。  遮光された窓。  豊富な栄養源オートミール。  そして最適な湿度と温度。  これだけの条件が揃えば、私の可愛い粘菌ちゃんたちは、一晩でどれくらい成長するだろうか。  想像するだけで、私の脳内にも幸福な胞子が舞い散るようだ。


          ◇


 午後6時。完全下校時刻。  生徒たちがぞろぞろと校舎を出て行く。  前夜祭の放送が流れ、どこか浮足立った空気が漂う中、私と先輩は昇降口で一緒になった。


「お疲れ様でした、先輩」 「うん、お疲れ様。……菌田さん、本当にありがとうね。あそこまでやってくれるとは思わなかったよ」  先輩がはにかんだような笑顔を見せる。 「正直、最初は『変なもの持ち込まないでよ』って思ったけど……完成してみると、すごく雰囲気のある教室になったよ。やっぱり菌田さんの知識はすごいね」


 ズキュン。  不意打ちのデレ。  夕日の逆光で輝く先輩の笑顔は、致死量の可愛さだ。  ああ、やってよかった。  私の「森」の中で、先輩が明日、カフェの店員として微笑む。  それはまさに、森の精霊エルフのような尊さだろう。


「……ふふ、喜んでいただけて光栄です。明日の朝、教室に入ったら、もっと驚くと思いますよ」 「え? 何か仕掛けがあるの?」 「はい。自然の生命力が、教室全体を包み込んでいるはずです。楽しみにしていてくださいね」


 私は意味深に微笑んだ。  先輩は「サプライズかな?」と無邪気に笑っている。  ああ、罪深い私。  でも、これは愛のアートなのだ。  粘菌の黄色いネットワークは、私と先輩を繋ぐ運命の赤い糸のメタファー。  明日の朝、教室中を埋め尽くす幾何学模様を見て、先輩はきっと腰を抜か……いいえ、感動の涙を流すことでしょう。


「じゃあ、また明日。頑張ろうね」 「はい! おやすみなさい、先輩!」


 私たちは校門で別れた。  先輩の背中を見送りながら、私はポケットの中で小さくガッツポーズをした。


 ――今頃、暗闇に包まれた2年A組では、壁に塗られた黄色いスライムたちが目覚め、触手を伸ばし始めているはずだ。  ドクン、ドクンと脈打ちながら。  壁を這い、天井を覆い、机の脚を絡め取り……。


 文化祭当日の朝。  その扉が開かれた時、そこには誰も見たことのない『生命の神秘』が広がっている。  私の仕込んだ胞子は、もう止められない。

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