第7話:お見舞いは密室で……愛の培養は粘り気たっぷり!
9月の長雨。それは「秋雨」と呼ばれる、物悲しくも美しい季節の到来を告げるものだ。 しとしとと降り続く雨は、夏の熱気で乾いたアスファルトを冷やし、空気中に再び芳醇な湿度をもたらしてくれる。 私、菌田きのこにとって、この湿気は最高の美容液であり、生命力の源だ。
しかし、人間という脆弱な生物にとっては、季節の変わり目は脅威らしい。 夏の疲れが出たのか、あるいは先日の林間学校での心労(主に私への恐怖)が祟ったのか。 神木先輩が、学校を休んだ。
朝のホームルーム。担任の先生が「神木は風邪で欠席だ」と告げた瞬間、私の脳内にはファンファーレが鳴り響いた。 心配? いいえ、歓喜だ。 弱っている宿主。無防備なテリトリー。そして、誰にも邪魔されない密室。 これはもう、看病という名の「植菌」を行う絶好の機会ではないか!
「ふふふ……待っていてください、先輩。私の特製『菌活ケア』で、細胞レベルから作り変えて(治して)あげますから……!」
◇
放課後。私は一目散に学校を飛び出し、先輩の自宅へと向かった。 手には、ずっしりと重い保冷バッグと、怪しげな風呂敷包み。中身は当然、スーパーで買った「おかゆセット」などではない。私の部屋の培養棚から選りすぐった、最強のキノコたちだ。
先輩の家は、閑静な住宅街にある一軒家だ。 インターホンを押す。 ピンポーン。 「はーい」 出てきたのは、優しそうなお母様だった。 「あ、あの、神木先輩の後輩の菌田と申します! 先輩が風邪でダウンされたと聞いて、お見舞いに参りました!」 私は「健気で心配性な後輩」の仮面を被り、深々と頭を下げた。 「あらあ、わざわざ来てくれたの? 嬉しいわあ。あの子、熱が高くてうなされてるのよ」 「それは大変! 私、家庭科部(大嘘)なので、滋養のあるものを作ってきました。お母様の手を煩わせるわけにはいきませんので、私が看病します!」 「まあ、しっかりしたお嬢さんね。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら」
チョロい……いえ、理解のあるお母様で助かった。 こうして私は、合法的に「神木邸」という聖域への侵入を果たしたのである。
◇
通されたのは、二階の神木先輩の部屋。 ドアを静かに開ける。 薄暗い部屋の中、カーテンの隙間から雨の日の鈍い光が差し込んでいる。 ベッドの上で、布団の盛り上がりが苦しそうに呼吸していた。
「……うぅ……熱い……頭痛い……」 先輩だ。 顔は赤く火照り、額には汗が滲んでいる。 普段の爽やかさはどこへやら、弱りきった小動物のような姿。 尊い。 免疫力が低下し、菌糸を受け入れやすくなっている今の先輩は、まるで栄養たっぷりの培地そのものだ。
「……先輩、失礼しますね」 私はベッドサイドに荷物を置き、そっと先輩の額に手を当てた。 熱い。38度はありそうだ。 「う……ん……? お母さん……?」 先輩がうっすらと目を開ける。焦点が合っていないようだ。 「いいえ、菌田です。貴方の専属ナースですよ」 「……きんだ……? なんで……幻覚……?」 「幻覚じゃありません。現実です。さあ、まずはこの熱を冷ましましょう」
私は保冷バッグから、とっておきのアイテムを取り出した。 一般的には、氷枕や冷えピタを使う場面だろう。 だが、私の選択は違う。 「ほら、見てください。ひんやりして気持ちいいですよ」 私が取り出したのは、白くてプルプルとした、巨大なゼリー状の塊。 『シロキクラゲ』の巨大子実体だ。 たっぷりと水を吸わせ、冷蔵庫でキンキンに冷やしておいた特大サイズである。
「……なに……それ……? クラゲ……?」 「美肌効果もあるシロキクラゲです。保水力はヒアルロン酸以上。これを額に乗せれば、熱を吸い取りつつ、お肌もプルプルになります」 私は有無を言わさず、冷たいキクラゲを先輩の額に「ベチャッ」と貼り付けた。 「ひぃッ……!? 冷たい! ヌルヌルする!」 「動かないで。密着させないと熱が逃げません」 キクラゲの独特の弾力と粘り気が、先輩の顔の形に合わせて変形し、吸盤のように張り付く。 「うぅ……なんか……海の匂いがする……いや、土の匂いか……?」 「森の恵みのアロマです。リラックスしてください」
◇
次は栄養補給だ。 私は一階のキッチンを借り(お母様は「ご自由にどうぞ~」と買い物に出かけてしまった。最高のシチュエーションだ)、持参した食材を広げる。
風邪の時は、消化に良く、精のつくものが一番。 つまり「おかゆ」だ。 だが、ただの白粥では意味がない。私が作るのは『究極・免疫活性化ポタージュ』だ。
鍋に水を張り、まずは出汁を取る。 使うのは『サルノコシカケ』と『カバノアナタケ』。どちらも抗がん作用があると言われる強力な薬用キノコだが、煎じると泥のような色になるのが特徴だ。 グツグツと煮出すにつれ、キッチンに土と漢方薬を煮詰めたような、重厚な香りが充満する。
「よし、ベースは完成。次は具材ね」 私は刻んだ『ナメコ』を大量投入し、とろみをつける。 さらに、滋養強壮の王様『冬虫夏草』を粉末にして加える。 そして隠し味に、発汗作用を促すために、少し刺激のある『チチタケ』のエキスを垂らす。
鍋の中身は、深緑色からドス黒い紫色へと変貌を遂げた。 ボコッ、ボコッ……。 魔女の大釜のような音を立てる鍋。 味見をしてみる。 「……んッ! 苦い! そして土臭い! でも、後味に強烈な旨味が残る!」 完璧だ。これぞ「良薬口に苦し」の極み。 これを飲めば、先輩の体内のウイルスなど、私の菌類のパワーで駆逐されるに違いない。
◇
私はお盆に「暗黒のおかゆ」と「キノコ茶」を乗せ、先輩の部屋へと戻った。 先輩は、額に乗せた巨大キクラゲの重みにうなされながらも、少し眠っていたようだ。
「先輩、ご飯ですよ。起きてください」 優しく揺り起こす。 「……ん……あ、菌田さん……。なんか、夢で巨大なナメクジに襲われる夢を見たよ……」 「正夢にならないように、栄養をつけましょう。特製のおかゆを作りました」 私は先輩の上半身を起こし、背中にクッションを当ててあげた。 そして、ドス黒い液体が並々と注がれた丼を差し出した。
「……えっ?」 先輩の目が点になる。 「……これ、なに? 墨汁? それともセメント?」 「おかゆです。薬用キノコをふんだんに使った、命のスープです」 「おかゆって、白かったよね? 僕の記憶が確かなら、白くて優しい食べ物だったはずなんだけど……」 「固定観念は捨ててください。さあ、あーん」
私はレンゲで黒いドロドロを掬い、先輩の口元へ運んだ。 先輩は拒絶しようとしたが、高熱で抵抗する気力がないのと、私の笑顔(圧力)に負け、震えながら口を開けた。 「……いただきます……」
パクッ。 先輩が一口食べる。 その瞬間、先輩の眉間に深い皺が刻まれた。
「んんッ……!? 苦っ……え、土!? 完全に腐葉土食べてる味がする!!」 「飲み込んでください! その土っぽさこそが、大地のミネラルなんです!」 「うぐッ……!!」 先輩は涙目で飲み込んだ。 すると――。 カッ!! 先輩の顔色が、青白さから一転、真っ赤に染まった。 「……あ、熱い! 胃が! 胃の中で何かが燃えてる!!」 「効いてきましたね! 冬虫夏草とチチタケの成分が、代謝を爆発的に上げているんです!」 「熱い熱い! 汗が止まらない!!」
先輩の全身から、湯気が立ち上るほどの汗が噴き出した。 デトックス効果だ。ウイルスごと水分を出し切る勢いだ。 「いい感じです! 全部食べて、毒素を出し切りましょう!」 「もう無理! 味が凄まじすぎて脳がバグる!」 「ダメです、残したら『口移し』で食べさせますよ?」 「食べます!!!」
先輩は必死の形相で、暗黒のおかゆを完食した。 食べ終わる頃には、先輩のパジャマは汗でびしょ濡れになっていた。
◇
「はぁ、はぁ……。死ぬかと思った……」 荒い息をつく先輩。しかし、顔色は先ほどよりも良くなっている(ような気がする)。 「さて、汗をかいたので着替えましょう。そして、仕上げの『ネギ巻き』ならぬ『キノコ巻き』です」
昔から、風邪の時は「首にネギを巻く」という民間療法がある。ネギの成分が揮発して殺菌効果があると言われているが……私に言わせれば、ネギなんて甘い。 私は風呂敷包みから、細長くて白いキノコを取り出した。 『エノキタケ』だ。 スーパーで売っているような可愛いサイズではない。野生に近い、長さ30センチはある巨大なエノキタケの束だ。
「……え、ちょっと、何持ってるの?」 先輩が後ずさる。 「首に巻きます。エノキタケの成分が、喉の炎症を鎮めてくれますから」 「嫌だ! 絶対に嫌だ! 首元がヌルヌルするのだけは勘弁して!」 「問答無用! 菌糸の抱擁を受け入れて!」
私は逃げる先輩を取り押さえ、巨大なエノキタケの束を、マフラーのように先輩の首に巻き付けた。 そして、落ちないように包帯でグルグル巻きにして固定する。 「ひぃぃ……うなじが……冷たい……キノコの軸が当たって気持ち悪い……」 「我慢してください。このまま一晩寝れば、エノキの生命力が先輩に移って、明日の朝にはシャキッとしてますから」 「シャキッとするのはエノキだけで十分だよ……」
先輩は涙目で天井を見上げた。 額には巨大キクラゲ。 首にはエノキのマフラー。 胃袋には暗黒のキノコ粥。 まさに全身キノコまみれ。菌田きのこ特製・人間苗床の完成だ。
「ふふ……素敵です、先輩。今の先輩は、森で朽ちていく倒木のように美しい……」 私はうっとりと先輩を見つめ、濡れたタオルで顔を拭いてあげた。
「……ねえ、菌田さん」 先輩が消え入りそうな声で呟く。 「……はい?」 「……これ、早く治さないと……殺されるよね? 僕、菌類の養分にされて終わるよね?」 「あら、人聞きが悪い。私はただ、先輩と一つになりたいだけですよ。生物学的に」 「それが一番怖いんだよ……」
先輩は観念したように目を閉じた。 キノコの成分が効いたのか、それとも恐怖による防衛本能か、先輩はすぐに深い眠りについた。 寝息に合わせて、首元のエノキタケがカサカサと揺れる。
◇
翌日。 神木先輩は奇跡の復活を遂げ、学校に現れた。 熱は完全に下がっていた。 私の特製おかゆとエノキ巻きの効果だ! ……と私は信じているが、先輩曰く「一刻も早くあの部屋から逃げ出して、普通の空気を吸いたくて、気力だけで治した」とのこと。
ただ、一つだけ副作用があった。 先輩の首元に、エノキタケの形をした赤い跡がくっきりと残ってしまったのだ。 体育の着替えの時、クラスメイトに「おい神木、その首の跡どうした? まさかキスマークか!?」と冷やかされた先輩は、真っ赤な顔で叫んだという。
「違う! これは……キノコだ! キノコの呪いなんだ!!」
その必死な否定は、逆に周囲の誤解を深める結果となった。
教室の隅でその噂を聞きながら、私は一人、満足げに微笑んだ。 「ふふふ……先輩の首筋に、私の所有印を残せたわ。これで悪い虫も寄ってこないはず」
私の愛の菌糸は、確実に先輩の日常を侵食している。 次は文化祭。 人混みの中で、どんな胞子を飛ばそうか。




