第28話:学食バトル! 茶色い発酵弁当 vs 完全栄養サラダ
6月中旬。 梅雨の晴れ間。湿度が上がり、カビたちも嬉しそうに胞子を飛ばす季節。 今日は高校の創立記念日で、私――菌田きのこは休みだった。
「……チャンスだわ」
私は早朝のキッチンで、腕まくりをしていた。 最近、LINEで神木先輩がこぼしていたのだ。 『大学のレポートとバイトが重なって、ちょっとバテ気味だよ。コンビニのおにぎりばかりで力が出ないな』と。
これは、私の出番以外の何物でもない。 疲れた宿主に活力を注入し、再び元気に菌糸を伸ばしてもらう。それが共生菌の務めだ。
「待っていてください、先輩。最強の**『菌活弁当』**を持って駆けつけます!」
私は冷蔵庫から、秘蔵の保存食たちを取り出した。 自家製の塩麹に漬け込んだ鶏肉。 味噌床で熟成させたゆで卵。 そして、数種類のキノコを醤油と味醂で煮詰めた佃煮。
ジュウウウウ……。 キッチンに、醤油と発酵食品の焦げる香ばしい匂いが充満する。 完成したお弁当箱の中身は、見事なまでに**「茶色」**一色だった。
「ふふふ……。彩りなんて軟弱な概念は捨てたわ。重要なのは『旨味』と『菌の力』よ!」
私は仕上げに、ご飯の上にカリカリ梅を乗せ、保冷剤代わりの「冷凍ゼリー(キノコエキス入り)」と共に風呂敷に包んだ。 いざ、決戦の地――大学の学食へ!
お昼時。大学のカフェテリア。 学生たちで賑わう中、私は少し離れた席に座っている先輩を見つけた。 教科書を広げながら、ペットボトルの水を飲んでいる。背中が少し丸まっていて、確かに疲れているようだ。
「せーんぱい!」
私が駆け寄ると、先輩が顔を上げて、ほっとしたように笑った。 「あ、菌田さん。お疲れ様。……今日は高校、休みだっけ?」 「はい! 先輩が栄養失調で枯れかけているという噂を聞きつけ、救援物資を持ってきました!」
私はドン! とお弁当をテーブルに置いた。 「わあ、ありがとう! ……もしかして、手作り?」 「もちろんです。愛と菌糸を詰め込みました」
先輩が嬉しそうに蓋を開ける。 目に飛び込んでくるのは、圧倒的な茶色のグラデーション。
「……おお。相変わらず、色彩感覚が『土』だね」 「大地の恵みと言ってください。さあ、食べてください!」
先輩が割り箸を割ろうとした、その時。
「神木くん。ここにいたんだ?」
爽やかな風と共に、あの人が現れた。 純白のブラウスに、清潔感あふれるまとめ髪。 私のライバル――真白サラさんだ。
「あ、真白さん。お疲れ様」 「お疲れ様。……あれ、きのこちゃんも? 久しぶりね」
サラさんは私を見つけると、ニッコリと微笑んだ。 その笑顔には一点の曇りもない。だからこそ、直視すると目が潰れそうになる。
「さ、サラさん、こんにちは……」 「元気そうね。……神木くん、顔色が悪いと思って、私もお昼を持ってきたの。よかったら食べて?」
サラさんが手提げ袋から取り出したのは、スタイリッシュな透明のランチボックスだった。 中に入っているのは、キラキラと輝く**「完全栄養バランス弁当」**。
・低温調理された鶏むね肉。
・赤、黄、緑のパプリカとレタスのサラダ。
・全粒粉のサンドイッチ。
・デザートのカットフルーツ。
綺麗だ。 雑誌の表紙みたいに洗練されていて、何より清潔感がすごい。 私の「茶色い塊」の横に並ぶと、その対比は残酷なほどだった。
テーブルの上に並ぶ、対極的な二つのお弁当。 サラさんは、私の弁当の中身を見て、一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに優しく眉を下げた。
「きのこちゃんのお弁当、すごく……ボリューム満点だね」 彼女は言葉を選びながら言った。 「唐揚げに、味噌漬けかな? ……一生懸命作ったのは伝わってくるけど、今の神木くんには、ちょっと味が濃すぎるかもしれないな」
「え?」 「疲れてる時は、内臓の機能も落ちてるから。……揚げ物や塩分の多いものは、消化にエネルギーを使っちゃって、かえって胃腸の負担になっちゃうかも」
サラさんの指摘は、医学的にも栄養学的にも正論だった。 彼女は意地悪で言っているんじゃない。本気で先輩の胃腸を心配しているのだ。
でも、私は反論せずにはいられなかった。 「ち、違います! 発酵食品は、酵素の力で消化を助けるんです!」 私は身を乗り出した。 「それに、疲れている時こそ、強い旨味と塩分を摂取して、代謝のスイッチを入れるべきです! 菌の力で細胞を叩き起こすんです!」
「細胞を……叩き起こす?」 サラさんがキョトンとする。 「うーん……考え方はユニークだけど、やっぱりバランスが大事だよ? 私のは、ビタミンとミネラルを中心に、消化に良い調理法で作ってみたの」
サラさんが蓋を開ける。 フワッと香る、フレッシュなハーブとレモンの香り。 私の弁当から漂う、醤油とニンニクの匂いとは大違いだ。
先輩は、右の「白いお弁当」と、左の「茶色いお弁当」を交互に見て、冷や汗をかいている。 「えっと……二人とも、ありがとう。……ど、どっちも頂くよ。お腹ペコペコだからさ」
先輩はまず、サラさんのサンドイッチを手に取った。 パクッ。 シャキシャキとした野菜の音。
「……うん、美味しい。鶏肉もしっとりしてて、野菜が瑞々しいよ。……なんか、体が浄化される感じだ」 先輩がほっとした顔をする。 サラさんが、嬉しそうに微笑む。 「よかった。ドレッシングもノンオイルだから、安心してね」
くっ……。 やっぱり、弱っている時には優しい味が勝つのか。 私は膝の上で拳を握りしめた。
次に、先輩は私の唐揚げに箸を伸ばした。 塩麹に一晩漬け込み、二度揚げした自信作だ。見た目は焦げ茶色で無骨だけど。
ガリッ。 ジュワァ……。
先輩が噛み締めた瞬間。 その表情が、劇的に変わった。
「…………」
目尻が下がり、肩の力が抜け、深く息を吐き出す。 それは、「美味しい」という感想を超えた、深い安堵のため息だった。
「……あぁ、これだ」 先輩が呟く。 「……しょっぱくて、脂っこくて、旨味が濃い。……なんか、実家に帰ったみたいに落ち着く味だ……」
先輩の手が止まらない。 唐揚げをおかずに、玄米ご飯をかき込む。味噌漬け卵を頬張る。 先ほどの上品な食べ方とは違う、本能むき出しの食べっぷりだ。
「……え?」 サラさんが、驚いたように目を見開く。 「神木くん……? そんなに急いで食べたら、胃が……」
「あ、ごめん。でも……箸が止まらなくて」 先輩は、口の端に米粒をつけたまま笑った。 「真白さんのは『頭が良くなる味』なんだけど、菌田さんのは『生き返る味』なんだよ。……疲れてる時って、こういうガツンとくる味が、無性に恋しくなるんだ」
勝った。 私は心の中でガッツポーズをした。 栄養バランス? 彩り? 知ったことか。 この1年間、私が先輩に植え付け続けた「菌の記憶」は、確実に先輩のDNAに刻まれていたのだ。
「ふふん! 菌の旨味は理屈じゃないんです! 本能に訴えかけるんです!」 私が勝ち誇ると、先輩は「はいはい」と私の口に唐揚げを一つ放り込んだ。
結局、先輩は二つのお弁当を綺麗に完食した。 「ふぅー、食った食った。ありがとう、二人とも。午後も頑張れそうだよ」 先輩の顔色には、すっかり赤みが戻っていた。
サラさんは、空になった私のお弁当箱を、じっと見つめていた。 怒っているわけではない。 ただ、不思議そうに、分析するように。
「……すごいわね、きのこちゃん」 サラさんが、静かに言った。 「栄養価も、消化吸収率も、彩りも……理論上は私の方が完璧だったはずなのに。神木くんの体は、そっちを求めてたみたい」
「えへへ。伊達に1年間、先輩の胃袋を実験台にしてませんから!」 「……実験台?」 「あ、いえ、言葉の綾です!」
サラさんは、ふふっと笑って立ち上がった。 でも、その瞳の奥には、研究者特有の、静かで熱い光が灯っていた。
「……わかったわ。勉強になったよ」 サラさんは、自分のランチボックスを片付けながら言った。 「神木くんの味覚は、どうやら菌田さんの『菌』に、かなり深く順応しちゃってるみたいだね」
「え?」 「衛生管理の観点から言うと……これは**『汚染』**レベルかも」 サラさんは、悪戯っぽく、でも真剣な顔で私を見た。
「悔しいけど、今の私じゃ『あの中毒性』には勝てないわ。……でも、負けないからね」 「えっ?」 「もっと勉強して、健康的で、清潔で、それでいて神木くんが夢中になっちゃうような……最強のメニューを開発してみせるわ」
サラさんは、私に向かって手を差し出した。 「きのこちゃん。……次は負けないからね」
それは、宣戦布告だった。 でも、ちっとも嫌な感じじゃなかった。 むしろ、同じ研究者として、対等に認めてもらえたような気がして。
「……はい! 望むところです!」 私はその白い手を、自分の少し茶色い手で握り返した。 「菌類の奥深さ、もっともっと教えてあげます! 覚悟してくださいね!」
先輩が、二人の握手を見て、おろおろしている。 「えっと……二人とも? 仲が良いのはいいことだけど、僕の胃袋を戦場にするのは程々にしてね?」
カフェテリアの窓から、初夏の日差しが差し込む。 茶色と白。 正反対の二人は、先輩の胃袋を巡って、奇妙なライバル関係を結んだ。
私の受験戦争は、恋の料理バトルと共に、ますます加熱していく予感がする。 次はどんな菌で、先輩を驚かせていこうか。私の妄想は、梅雨の湿気のように膨らんでいくのだった。




