第18.5話:帰還報告は公園で。お土産は「黒くて硬い愛の塊」
10月某日、夕方。
空港から電車を乗り継ぎ、私が降り立ったのは地元の駅だった。
改札を出た瞬間、東京の乾燥した秋風が頬を撫でる。
沖縄の、あのまとわりつくような湿気と強烈な紫外線はない。
懐かしい、けれど少し物足りない空気。
「……ただいま、私のテリトリー」
私は大きなボストンバッグを持ち直した。
バッグからは、微かに乾物特有の「出汁」のような匂いが漏れ出している気がするが、気にしない。
私には、家路を急ぐよりも先に、やらなければならない「納品ミッション」があるのだから。
駅前の小さな公園。
ベンチに、見慣れた制服の背中があった。
参考書を広げているけれど、時折顔を上げて、駅の方を気にしている。
神木先輩だ。
予備校の授業前、少しだけ時間を作ってくれたのだ。
「……先輩!」
私が声を上げると、先輩がパッと振り返った。
私を見つけた瞬間、その表情がふわりと緩む。
「おかえり、菌田さん」
その一言で、私の旅の疲れは吹き飛んだ。
ああ、やっぱりここだ。
南国の楽園も良かったけれど、私の本当の生育場所は、この少し疲れた顔をした受験生の隣なのだ。
「ただいま戻りました! 先輩、栄養不足で枯れていませんか!?」
駆け寄る私を見て、先輩は苦笑する。
「枯れてないよ。……でも、ちょっと寂しかったかもね」
不意打ちのデレに、私は危うく持っていたお土産を落としそうになった。
「そ、そうですか……。では、至急栄養補給を行いましょう!」
私は先輩の隣に座り、バッグのファスナーを勢いよく開けた。
濃厚な磯の香りと、土の匂い、そして漢方薬のようなスパイシーな香りが混然一体となって噴き出す。
「……うっ。なんかすごい匂いするけど」
「沖縄の生命力を凝縮してきました。はい、どうぞ!」
私が取り出したのは、直径30センチはある巨大な黒い円盤。
**『特大乾燥きくらげ』**だ。
カサカサと乾いた音を立てるそれは、どう見ても焦げたフリスビーか、謎の海洋生物のミイラにしか見えない。
「……これ、なに?」
「きくらげです。水で戻すと、プルプルの食感に蘇ります。血液を浄化し、乾燥した先輩の肌に潤いを与えます!」
「で、でかい……。枕にできそうなくらいでかい……」
「さらに、これ!」
次に突き出したのは、土がついたままの黄色い根っこ。
**『生ウコン』**だ。
「肝機能を強化し、疲労回復に効きます。すりおろして飲んでください。少し土臭いですが、それが大地の味です!」
先輩は、黒い円盤と黄色い根っこを両手に持ち、呆然としている。
通りがかりの小学生が「あのお兄ちゃん、ゴミもらってる……」と囁いて通り過ぎたが、無視だ。
「……ありがとう。すごいインパクトだね」
先輩が、しみじみと言った。
「電話で『石ころでもいい』って言ったけど、まさか本当に『木片』と『根っこ』が来るとは思わなかったよ」
「不満ですか?」
「ううん。……嬉しいよ」
先輩は、きくらげを愛おしそうに撫でた。
「この匂いを嗅ぐと、菌田さんが帰ってきたんだなって実感する。……君がいない間、無機質な部屋で勉強ばっかりしてたからさ。こういう『手触りのあるもの』が、すごく安心するんだ」
先輩の言葉が、私の胸に染み込む。
綺麗な箱に入ったお菓子じゃなくてよかった。
飾らない、ありのままの「素材」を選んでよかった。
「あ、それと……これも」
私はポケットから、小さな小瓶を取り出した。
**『星の砂』**だ。
「え、星の砂? 意外……可愛いのも買ってきてくれたんだ」
「勘違いしないでくださいよ。それはロマンチックな飾りではありません」
「えっ?」
「それは有孔虫という原生生物の死骸です。顕微鏡で見ると、幾何学的な構造が美しくて、生命の神秘を感じるんですよ」
私が早口で解説すると、先輩は「ぶっ」と吹き出した。
「あはは! やっぱり菌田さんだ。星の砂を『死骸』って渡す女子、君くらいだよ」
「事実ですから」
「うん。でも……綺麗だね」
先輩は小瓶を夕日にかざした。
オレンジ色の光の中で、無数の小さな星粒がキラキラと輝いている。
「これ、机に飾るよ。勉強に行き詰まった時、この『死骸』を見て、生命の神秘を感じることにする」
「はい。先輩も受験が終われば、抜け殻ではなく、立派な成体になれますから」
「例えが微妙だけど……頑張るよ」
先輩が立ち上がる。
予備校へ行く時間だ。
「じゃあ、行ってくるね。お土産、大事に食べるよ」
「はい! きくらげは水で戻すと10倍に膨らむので、容器のサイズに気をつけてくださいね! 台所が占拠されますから!」
「えぇ……気をつけるよ」
先輩は、黒い円盤と黄色い根っこをカバンに押し込み、笑顔で手を振って歩き出した。
その背中は、見送った時よりも少しだけ逞しく見えた。
私はベンチに座り直し、大きく息を吐いた。
東京の空気が、今はとても美味しく感じる。
先輩という湿り気を得て、私の心の中の胞子たちが、再び活発に活動を始めたようだ。
「……ふふ。さて、私も帰って培養実験の続きをしなきゃ」
離れていた時間は、私たちの共生関係をより強固なものにした。
秋は深まり、冬が来る。
受験戦争はこれからが本番だ。
でも、大丈夫。
先輩のカバンからはみ出したきくらげが、黒い耳のように揺れているのを見れば、どんな困難も笑い飛ばせる気がした。




