第10話:聖なる夜は、赤と白の猛毒カラー!
12月。 街は浮かれていた。 枯れ木にはイルミネーションが巻き付けられ、商店街にはジングルベルが鳴り響く。 人々は口々に「聖なる夜」を祝い、愛を語らい、ケーキやチキンを貪る。
だが、私――菌田きのこの視点で見れば、この光景は全く別の意味を持つ。 街中に溢れる「赤」と「白」のコントラスト。 赤い服に、白い髭の老人。 これはどう考えても、**『ベニテングタケ』**への集団崇拝だ。
「ふふふ……素晴らしいわ。人類がこれほどまでに、猛毒キノコの色を身に纏って祝う日が来るなんて。サンタクロースの正体は、シベリアのシャーマンが摂取していた幻覚キノコ(ベニテングタケ)だという説もあるけれど、まさにその通りね」
白い息を吐きながら、私はマフラーに顔をうずめた。 私の心臓は、寒さで凍えるどころか、発熱植物「ザゼンソウ」のように熱を帯びていた。 なぜなら、今年のクリスマスは、神木先輩と一緒に過ごす約束を取り付けたからだ。
先月の文化祭での「粘菌融合事件」。 あの一件以来、先輩と私の間には、奇妙な連帯感……というか、諦めに似た信頼関係が生まれていた。 先日、私が「クリスマスの生態系観察会を生物準備室でやりましょう」と誘った時も、先輩は引きつった笑顔でこう言ったのだ。
『……うん、いいよ。どうせ一人だし。……それに、菌田さんが一人で何かやらかして、理科室を爆破させるよりはマシだからね』
監視役兼、パートナー。 理由は何でもいい。 重要なのは、聖なる夜に、密室で、二人きりになれるということだ。
◇
12月24日、放課後。 冬休みに入っているため、校舎にはほとんど人気がない。 私は生物準備室を貸し切り(顧問の先生には「カビの越冬実験です」と嘘をついた)、完璧な飾り付けを行っていた。
テーマは**『森の腐敗と再生 ~サイケデリック・クリスマス~』**。
部屋の中央には、クリスマスツリーの代わりに、巨大な**「朽ち木」**を鎮座させた。 枝には色とりどりのオーナメント……ではなく、乾燥させた「キヌガサタケ」のレースや、「タマゴタケ」の鮮やかな傘を吊り下げた。 そして、部屋の照明を落とし、あちこちに配置した「ヤコウタケ」の緑色の光でライトアップする。
「完璧だわ……。厳かで、どこか妖しげな光。これぞ聖夜のミサにふさわしい空間」
ガチャリ。 ドアが開く音がした。 「……菌田さん? 入っていい?」 「どうぞ、神木先輩! 歓迎します!」
先輩が入ってきた。 私服のダッフルコート姿。マフラーに顔を埋め、少し寒そうにしている姿が、胸が苦しくなるほど愛しい。 先輩は部屋の中を見渡し、数秒間フリーズした。
「……すごいね。魔界のクリスマスかな?」 「森のクリスマスですよ。ようこそ、私のテリトリーへ」
私はくるりと回ってみせた。 今日の私の衣装は、もちろん「サンタコス」だ。 ただし、市販の安っぽいサンタ服ではない。 真っ赤なワンピースに、白いフェルトで「ドット柄」を縫い付けた、特製**『ベニテングタケ・サンタ』**だ。
「どうですか先輩? 毒々しいでしょう?」 「うん……可愛いけど、食べたら死にそうだね」 先輩が苦笑する。 「可愛い」と言った。今、さらっと「可愛い」と言った! 私の脳内でドーパミンという名の胞子が爆発的に拡散する。
「さあ、座ってください。パーティーの始まりです!」
◇
理科実験用の机に、料理を並べる。 今日のメインディッシュは、私が三日三晩煮込んだ**『トナカイ(の餌)シチュー』**だ。 トナカイが好んで食べる「ハナゴケ」をイメージし、様々なキノコと香草を煮込んだ緑色のシチュー。
「……色はすごいけど、匂いは普通のシチューだね」 先輩は慣れた手つきでスプーンを手に取った。 以前なら「毒だ!」「魔女の鍋だ!」と叫んで逃げ回っていたのに。今では、まずは匂いを嗅ぎ、安全確認をしてから口に運ぶというルーチンが確立されている。 これは、飼い慣らされたということだろうか。それとも、私が先輩色に染まったのかしら。
「いただきます……うん、美味しい。キノコの出汁が効いてる」 「でしょう? 体が温まるように、ショウガとカプサイシンも抽出して入れましたから」 「菌田さんの料理、見た目は最悪だけど味はいいんだよね……悔しいけど」
二人きりの食事。 薄暗い部屋、発光キノコの淡い光、そして実験器具の触れ合うカチャカチャという音。 ロマンチックだ。 一般人には理解不能かもしれないが、私たちにとっては、これが「日常」であり「特別」なのだ。
食事が終わり、いよいよメインイベントの時間。 「先輩、クリスマスといえばケーキですよね」 「ああ、さすがにケーキは普通の……ブッシュ・ド・ノエルとか?」 「正解です! よくわかりましたね!」
私は実験台の下から、巨大な盆を取り出した。 そこに鎮座しているのは、長さ50センチほどの、茶色くてゴツゴツした円筒形の物体。
「ジャジャーン! 特製ブッシュ・ド・ノエル(本物)です!」 「……え?」 先輩の笑顔が凍りつく。 「本物って……まさか」
私はナイフを取り出した。 「フランス語で『ブッシュ』は丸太、『ノエル』はクリスマス。つまり『クリスマスの丸太』です。なので、裏山から**『コナラの原木(本物の丸太)』**を切ってきました!」 「食べ物じゃないじゃん!! 木じゃん!!」 「表面にチョコレートクリームを塗ってありますが、中身は正真正銘の木材です。そして見てください、ここ!」
私が指差したのは、丸太の側面からポコポコと生えている、茶色い傘たち。 「この丸太に、半年前からシイタケ菌を植え付けておいたんです! ちょうど今日、食べ頃になるように温度管理しました。つまり、**『シイタケ狩りができるケーキ』**です!」
「発想が斜め上すぎるよ!! ケーキ入刀じゃなくて、収穫祭じゃん!!」 「さあ先輩、採れたてのシイタケをどうぞ! そのまま焼いて食べましょう!」 「甘いクリームがついたシイタケを!? 絶対合わないよ!」
先輩は全力でツッコミながらも、私が差し出したハサミを受け取ってくれた。 そして二人で、チョコレートまみれの原木からシイタケを収穫する。 プチン、プチン。 キノコを摘む感触が、指先に伝わる。
「……なんか、これ楽しいな」 先輩がポツリと言った。 「クリームがついたシイタケ、意外と可愛いかも」 「でしょう? 異種交配の美しさです」
私たちは収穫したシイタケをアルコールランプで炙り、醤油を垂らして食べた。 理科室に広がる、醤油の香ばしい匂い。 外は雪が降り始めているかもしれない。でも、ここは温かい。
◇
楽しい時間は、胞子のように儚く過ぎ去る。 片付けを終え、私たちは帰る準備をした。 時刻は午後7時。 学校を出て、駅までの道を並んで歩く。
空からは、予報通り白い雪が舞い降りてきていた。 街灯に照らされ、キラキラと輝く雪片。 それはまるで、空から降る巨大な胞子のようだ。
「ホワイトクリスマスだね」 先輩が白い息を吐く。 「はい。空気中の微生物たちが、氷の結晶核となって降ってきているんですね」 「君は本当にブレないな……」 先輩が苦笑し、そして立ち止まった。
「……菌田さん」 「はい?」 先輩がポケットから、小さな包みを取り出した。 「これ……クリスマスプレゼント」 「えっ!?」
私は目を見開いた。 まさか、先輩からプレゼント? 私が用意したのは、あのシイタケ原木だけだったのに。
「あ、開けてもいいですか?」 「うん。……高いものじゃないけど」
震える手で包みを開ける。 中に入っていたのは――ガラス細工のストラップだった。 モチーフは、赤くて白い水玉模様のキノコ。 ベニテングタケだ。
「……これ」 「雑貨屋で見つけてさ。君っぽいなと思って」 先輩が照れくさそうに頬をかく。 「君のせいで、僕もすっかりキノコグッズに目がいくようになっちゃったよ。……責任取ってよね」
ドクン。 心臓が、今までで一番大きく跳ねた。 責任取ってよね。 その言葉の意味を、深読みしてもいいのだろうか。 菌糸を伸ばして、絡め取ってもいいのだろうか。
「……先輩」 私はストラップを胸に抱きしめた。 「ありがとうございます。一生、大切にします。標本箱の一番いい場所に飾ります」 「いや、携帯につけてよ」
先輩が笑う。私も笑う。 雪が静かに降り積もる。 この時間が、永遠に続けばいいのに。 菌類のように、時間をかけてゆっくりと分解されながら、ずっと一緒にいられたらいいのに。
けれど。 先輩が、ふと真面目な顔をして空を見上げた。
「……来年は、受験かぁ」
その言葉が、冷たい風のように私の胸を刺した。
「え……」 「僕ももうすぐ3年生だからね。年が明けたら、本格的に予備校に通うつもりなんだ」 先輩の声が、少し遠くに聞こえた。 「だから……今までみたいに、放課後に遊んだり、変な実験に付き合ったりする時間は、減っちゃうと思う」
当たり前のことだ。 先輩は2年生。私は1年生。 学年の壁。進路の壁。 先輩には先輩の未来があり、そこには必ずしも「私」が含まれているわけではない。
「……そう、ですよね」 私は明るく振る舞おうとしたが、声が震えた。 「先輩は頭がいいですから、きっといい大学に行けますよ。ヤマブシタケもたくさん差し入れしますし!」
「はは、頼りにしてるよ」 先輩は優しく笑って、私の頭に積もった雪を払ってくれた。 「でも、会えなくなるわけじゃないからさ。……たまには、息抜きに付き合ってよ」
その優しさが、今は少し切ない。 「たまには」。 毎日のように追いかけ回し、巻き込み、菌糸を絡ませてきた日々が、終わろうとしている。
駅の改札前。 別れの時間。
「じゃあ、また新学期に」 「はい。……メリークリスマス、先輩」 「メリークリスマス、菌田さん」
先輩の背中が改札の向こうに消えていく。 私はガラスのベニテングタケを握りしめ、その場に立ち尽くしていた。
冬の寒さが、身に染みる。 キノコは冬、地上から姿を消す。 でも、死んだわけではない。土の中でじっと春を待ち、菌糸を伸ばし続けているのだ。 私も、待てるだろうか。 先輩が受験という長い冬を越えるのを。 それとも――。
「……嫌だ」 小さな声が漏れた。 「離れたくない……もっと、深く侵食したい……」
私の恋は、まだ「胞子」のまま空中を彷徨っている。 着床し、発芽し、立派な子実体になるには、時間が足りない。 来年になれば、先輩はいなくなってしまうかもしれない。
焦りが、胸の中で黒いカビのように広がり始めていた。 ホワイトクリスマスの夜。 私は初めて、キノコ以外のことで泣きそうになった




