実
「あの亀は、一体何だったんだい?」
木剣を上段から勢いよく振り下ろしながら、陳表が諸葛恪に尋ねた。
この日の宮仕えを終えた諸葛恪と陳表は、諸葛家の庭園で日課である剣術の鍛錬をしていた。
「あれは、妖しだ」
陳表の隣で、模倣するように木剣を振り下ろした諸葛恪が、詰まらなそうに言った。
「あ、妖し……?」
動きの止まった陳表が、目を剥いて首を傾げた。
「ああ。一度、古文書で読んだことがある。古来より丹陽の山中には、亀と桑の妖しが住まうとあった。互いの足りないところを補填し合うようにしてな。確か、胡伉と施明、そう呼ばれていたはずだ」
諸葛恪は、何度も上段から木剣を振り下ろしながら陳表に説いた。
「何か、悪さをする妖しなのか?」
「…………」
動きを止めた諸葛恪は、肩の力を抜いて木剣を下ろすと、陳表に真摯な瞳を向けた。
「本来、人に悪さをする妖しなどない。人が妖しに悪さをしているようなもの。胡伉と施明は、顧譚なんぞに見付かったのが禍したのさ」
「じゃあ、大王に言った亀を煮る方法というのは……?」
諸葛恪は微笑を刷くと、再び木剣を上段に構え振り下ろした。
「俺は、古文書に書かれてあったことを言ったまでだ。奴らにとって本当の禍は、俺が古文書を読んでいたということかもしれぬな」
「ふうん」
再び、陳表も上段から勢いよく木剣を振り下ろし始めると言った。
「不思議だ」
「何がだ?」
木剣で風を斬る音が鋭い。真顔の陳表は、思わず胸中の声が外に出た。
「一度読んだことは忘れないのに、いくら稽古しても、剣術はなかなか上達しない」
「黙れ」
乾いた風が、二人を撫でるように吹いた。
次の日――。
顧兄弟は、邸の従者を総動員し、丹陽の山中から一本の大木を伐採してきた。桑の木だった。それを薪にすると、孫権に献上した。
孫権は、その薪で火を焚き、再び亀を煮るよう料理番に命じた。孫権と張昭、そして、顧兄弟は、水を張った大鍋に入れられた亀を、固唾を飲んで見守った。
桑の薪の業火により、大鍋の水は忽ち熱湯となった。
たちどころに亀の肉は熟れ、遂に亀の胡伉は煮殺されてしまった。




