解
亀の胡伉が連行されたのは、玉座の前だった。
眼前には、呉王の孫権が奇妙なものでも見るような眼を向けている。
静かな胡伉の後ろで、得意げな様子の顧譚と顧承の兄弟が拝跪していた。
「こりゃあ、本当に見たこともねえ亀だなあ……」
「左様で」
孫権の傍らに侍る古老の張昭でさえ、怪訝の色を成した。
「とりあえず、食ってみるか」
孫権は料理番に命じると、胡伉は煮られることになった。
ところが――。
どういう訳か、いくら薪を燃やしても大きな亀は煮える様子がない。その報せに、顔色を変えた顧兄弟も料理番の許へ走った。煮えたぎる湯の中、確かに大きな亀は生きていた。
「あ、兄上、こ、これは一体、どういうことでしょう……?」
「……俺にもわからん。こんな奇怪なことがあるのか?」
顧兄弟には、忽ち怖気が走った。
「兄上、こ、この亀は、もしや霊亀だったのでは……?」
「し、神獣の類だったと言うのか――⁉ これはまずい。孫権さまにお伝えせねば」
慌てた様子で踵を返した顧兄弟は、亀の様子と己らの見解を孫権に伝えた。
相変わらず、孫権に侍る張昭は首を捻っている。
「ふむ」
玉座の孫権は口許に手を添えると、束の間、何やら考え込むようにした。途端に瞳を輝かせた孫権は口を開いた。
「諸葛恪はいるか? 諸葛恪を呼べ」
傍らの張昭が、皮肉に笑った。
「お呼びでございますか、大王さま」
間もなくして現れたのは、清雅な佇まいの諸葛恪と陳表だった。
諸葛恪は既に二十歳を向かえ、宮廷で雑務をこなしている。この日、一緒に宮仕えをしていたのは、齢十九を数える陳表だった。普段から諸葛恪と陳表は、行動を共にすることが多かった。
「おお。誰かと思えば、顧譚と顧承ではないか。二人とも浮かない顔をしてどうした?」
玉座の間に姿を現すなり、隅に端座した顧兄弟の存在に気付いた諸葛恪は、王の御前でもお構いなしで、二人に気さくな態度を見せた。
「おい、諸葛恪、王の御前だぞ」
陳表に注意されてもなお、諸葛恪は二人に屈託のない笑みを見せていた。
「おめえの智恵を借りてえが、果たしてこの謎は解けるか?」
不敵な笑みを浮かべて身を乗り出した孫権に、対座する諸葛恪は居住まいを正した。
「さて? 事と次第にもよりますが、まずは――」
諸葛恪は、顧兄弟を一瞥すると、不気味な笑みを刷いて孫権に応じた。
「――私におまかせあれ」
自信に溢れる諸葛恪を、老獪の張昭は鼻で笑った。
「やっぱり、おめえはおもしれえな、諸葛恪」
孫権は膝を打つと、満面の笑みで気をよくした。
すぐさま料理番の許へ向かったのは、諸葛恪と陳表、顔が青ざめた顧兄弟、そして、呉王の孫権と張昭だった。
「ほう。こいつは凄え。沸騰した湯の中でも、全く煮えてねえじゃねえか」
孫権は、感嘆にも似た声を上げた。
濛濛とした湯気だけが立ち昇っている。湯が張られ、亀が入った大鍋の下では、確かに薪の業火が踊っていた。
色を失っていたのは、顧兄弟だけではなく、料理番もだった。
その様子を見遣った張昭は、諸葛恪に向き直ると冷めた視線で言った。
「これをお主に、どう任せればよいのかな、諸葛恪?」
諸葛恪は張昭の言を聞くともなしに、人垣に割って入るようにして大鍋の中の亀を覗き見た。それに続くように、陳表も諸葛恪の隣から亀を覗いた。
「ほほう」
何かを察したような諸葛恪は、薄ら笑った。
「な、何かわかったのか、諸葛恪?」
怪訝な顔を向けた陳表に続き、縋るような瞳の顧兄弟も諸葛恪に寄り添った。
「大王よ」
孫権に向き直った諸葛恪は、慇懃に拱手して続けた。
「あん?」
「この亀を発見したところの近くに、古い桑の木があるはずです。それを薪とすれば、たちどころに亀を煮ることができましょう」
はっとしたような顧兄弟が顔を見合わせると、弾かれたようにその場を後にした。
「顧譚と顧承の奴、一体どうしたんだろ?」
首を亀のように伸ばし、顧兄弟の後ろ背を見送る陳表の後方で、諸葛恪は冴えた瞳を大鍋の亀に向けていた。




