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我に、まかせよ  作者: 熊谷 柿
第2章
7/18

 亀の胡伉ここうが連行されたのは、玉座の前だった。

 眼前には、王の孫権そんけんが奇妙なものでも見るような眼を向けている。

 静かな胡伉の後ろで、得意げな様子の顧譚こたん顧承こしょうの兄弟が拝跪はいきしていた。

「こりゃあ、本当に見たこともねえ亀だなあ……」

「左様で」

 孫権の傍らに侍る古老の張昭ちょうしょうでさえ、怪訝けげんの色を成した。

「とりあえず、食ってみるか」

 孫権は料理番に命じると、胡伉は煮られることになった。

 ところが――。

 どういう訳か、いくらたきぎを燃やしても大きな亀は煮える様子がない。そのしらせに、顔色を変えた顧兄弟も料理番の許へ走った。煮えたぎる湯の中、確かに大きな亀は生きていた。

「あ、兄上、こ、これは一体、どういうことでしょう……?」

「……俺にもわからん。こんな奇怪なことがあるのか?」

 顧兄弟には、たちま怖気おぞけが走った。

「兄上、こ、この亀は、もしや霊亀だったのでは……?」

「し、神獣のたぐいだったと言うのか――⁉ これはまずい。孫権さまにお伝えせねば」

 慌てた様子できびすを返した顧兄弟は、亀の様子と己らの見解を孫権に伝えた。

 相変わらず、孫権に侍る張昭は首をひねっている。

「ふむ」

 玉座の孫権は口許に手を添えると、束の間、何やら考え込むようにした。途端に瞳を輝かせた孫権は口を開いた。

諸葛恪しょかつかくはいるか? 諸葛恪を呼べ」

 かたわらの張昭が、皮肉に笑った。

「お呼びでございますか、大王さま」

 間もなくして現れたのは、清雅なたたずまいの諸葛恪と陳表ちんひょうだった。

 諸葛恪は既に二十歳を向かえ、宮廷で雑務をこなしている。この日、一緒に宮仕えをしていたのは、齢十九を数える陳表だった。普段から諸葛恪と陳表は、行動を共にすることが多かった。

「おお。誰かと思えば、顧譚と顧承ではないか。二人とも浮かない顔をしてどうした?」

 玉座の間に姿を現すなり、隅に端座した顧兄弟の存在に気付いた諸葛恪は、王の御前でもお構いなしで、二人に気さくな態度を見せた。

「おい、諸葛恪、王の御前だぞ」

 陳表に注意されてもなお、諸葛恪は二人に屈託のない笑みを見せていた。

「おめえの智恵を借りてえが、果たしてこの謎は解けるか?」

 不敵な笑みを浮かべて身を乗り出した孫権に、対座する諸葛恪は居住まいを正した。

「さて? 事と次第にもよりますが、まずは――」

 諸葛恪は、顧兄弟を一瞥いちべつすると、不気味な笑みを刷いて孫権に応じた。

「――私におまかせあれ」

 自信にあふれる諸葛恪を、老獪ろうかいの張昭は鼻で笑った。

「やっぱり、おめえはおもしれえな、諸葛恪」

 孫権は膝を打つと、満面の笑みで気をよくした。

 すぐさま料理番の許へ向かったのは、諸葛恪と陳表、顔が青ざめた顧兄弟、そして、呉王の孫権と張昭だった。

「ほう。こいつは凄え。沸騰した湯の中でも、全く煮えてねえじゃねえか」

 孫権は、感嘆にも似た声を上げた。

 濛濛もうもうとした湯気だけが立ち昇っている。湯が張られ、亀が入った大鍋の下では、確かに薪の業火が踊っていた。

 色を失っていたのは、顧兄弟だけではなく、料理番もだった。

 その様子を見遣った張昭は、諸葛恪に向き直ると冷めた視線で言った。

「これをお主に、どう任せればよいのかな、諸葛恪?」

 諸葛恪は張昭の言を聞くともなしに、人垣に割って入るようにして大鍋の中の亀をのぞき見た。それに続くように、陳表も諸葛恪の隣から亀を覗いた。

「ほほう」

 何かを察したような諸葛恪は、薄ら笑った。

「な、何かわかったのか、諸葛恪?」

 怪訝けげんな顔を向けた陳表に続き、すがるような瞳の顧兄弟も諸葛恪に寄り添った。

「大王よ」

 孫権に向き直った諸葛恪は、慇懃いんぎん拱手きょうしゅして続けた。

「あん?」

「この亀を発見したところの近くに、古い桑の木があるはずです。それを薪とすれば、たちどころに亀を煮ることができましょう」

 はっとしたような顧兄弟が顔を見合わせると、弾かれたようにその場を後にした。

「顧譚と顧承の奴、一体どうしたんだろ?」

 首を亀のように伸ばし、顧兄弟の後ろ背を見送る陳表の後方で、諸葛恪は冴えた瞳を大鍋の亀に向けていた。

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