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我に、まかせよ  作者: 熊谷 柿
第2章
6/18

 西暦二二三年――。

 山の色が紅くなり始める季節だった。

 十八歳になった顧譚こたんは、兄がりどころのような弟に弓術の腕前を披露するため、四つ下の顧承こしょうを伴い、丹陽たんようの山中へと狩りに出向いた。

 獲物は何でもよかったが、どういう訳かその獲物と遭遇しない。自然と二人は、山中の奥深くまで足を踏み入れることとなった。

「兄上、兄上! 早く、早く!」

 突如、慌しい声を上げたのは顧承だった。

 顧譚は、手招く弟に急ぎ駈け寄ると、顧承が指差したところに視線を遣った。

 すると――。

 そこにいたのは、一匹の大きな亀だった。見れば、頭に鹿のような角を生やし、神木に水脈を打ったような甲羅の後ろで蓑毛みのげなびかせている。首を高く掲げ、風を感じているようだった。

「な、何と神神こうごうしい。見たこともない亀ではないか……」

 目をいた顧譚は、その亀にしばらく見入った。

「兄上、世にも珍しい亀を大王さまに献上することにしてはいかがでしょう? きっと、お喜びになるのでは? 何か恩賞があるかもしれませんよ」

 ひらめいたとでもいうように、顧承は目を輝かせて兄の顧譚に提案した。

 このとき既に、孫権そんけんは漢のみかどである献帝けんていより王に封じられていた。

「それは名案だ。ただし、あの大きさだ。我ら二人ではとても運びきれまい。今日は、木にくくって帰るとし、明日、やしきの従者を連れてまた来るとしよう」

 顧譚と顧承の兄弟は、獲物を結わえるために持参した縄を使って、近くの大木に大きな亀を幾重にも縛りつけた。

「これでいい。思いもよらない収穫だったな」

「はい、兄上。恩賞がたのしみですね」

 嬉嬉ききとした二人は、足取りも軽く山を下りていった。

 顧兄弟が去り、それは陽が沈んだ頃のことだった。

「……胡伉ここうよ、どうして捕らえられた?」

 突如としてしゃべったのは、亀が縛りつけられている大木だった。

 すると、それに応じたように、胡伉と呼ばれた大きな亀も喋り返した。

「不覚にも遊びほうけて時を忘れていた。だが、心配は無用じゃ、施明しめい

 大木を施明と呼んだ亀の胡伉は、落ち着き払って言った。

わしは、煮られることになるだろうが、神木のたきぎを使っても煮殺すことはできまいて」

「…………」

 大木の施明は、押し黙った。しばらくすると再び口を開いた。

「近頃、呉には諸葛恪しょかつかくという博識が出てきた。必ず苦しめられるはずだ。何か助かる術はないのか?」

「…………」

 黙りこくったのは、亀の胡伉の番だった。一度、胡伉は嘆息すると続けた。

「施明よ、あれこれ言っても無駄なようじゃ。わざわいは、既に御主にまで迫っておる」

「我らの平穏を奪うのであれば、必ずや報いねばなるまい」

「うむ。致し方あるまいて」

「…………」

 それっきり、胡伉も施明も黙り込んでしまった。

 明くる日――。

 十人ほどの邸の従者を引き連れた顧兄弟が、再び胡伉と施明の前に姿を現した。

「何と神々しい。見たこともない珍しい亀だ」

 従者たちは、どれも目を見張って驚きの声を上げた。胡伉を縛り、二本の長い棒に括りつけると、棒を肩に担いでは隊列を成して運んだ。

 胡伉も施明も、依然として押し黙ったままだった。

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