適
領兵の役の任に就いた諸葛恪は、周囲の心配をよそに兵士たちをよく遇した。幼少の頃から陳表と剣術の稽古をしてきたことがここで生きた。
弁舌に長けた文官風情が、予想に反し先頭切って木剣を振る。この姿勢が兵士たちには受け入れられた。
諸葛恪に少し遅れて、陳表も領兵の役の任に就いた。孫権の心遣いのようだった。無理もない。依然として、諸葛恪は落胆している日々のようだった。
孫権から呼び出されたのは、諸葛恪と陳表が二人で指揮を執りながら、五百の兵士と調練に勤しんでいる折だった。
「親衛軍の兵士が、宮廷で盗難を働きやがった。疑わしい奴は捕らえたが、一向に口を割ろうとしねえ。何か口を割らせるいい智恵はねえか、諸葛恪?」
孫権は、憤りを通り越し、不貞腐れたような態度で諸葛恪に質した。
諸葛恪は、皇帝の前で拝跪してもなお、どこか上の空だった。
「ああ、そういうことであれば、おまかせください」
「ほ、本当か――⁉」
孫権は、弾かれたように玉座から立ち上がった。
「あ、はい。こいつに」
諸葛恪は、隣で同じように拝跪した者を指差した。
陳表だった。突如の指名に、驚きの表情を晒している。
「ぼ、僕――⁉」
「こいつが領兵の役の任に就いてからというもの、その働きを見ていますが、陳表は兵士の心を掴むのが巧みです。陳表に一任すれば、必ず解決するでしょう」
諸葛恪の顔に不敵な笑みが浮いた。その瞳は、冴えた光を放っていた。
「おもしろそうじゃねえか。どんな方法を使っても構わねえ。やってみろ、陳表」
不気味な笑みを浮かべた孫権が、猛虎のような威風を放ちながら言った。
陳表は言われるがまま、渋渋と捕捉されている兵士の許へ向かった。
ひとりの偉丈夫が、手と足に枷を掛けられている。訪れた陳表を睨み付けていた。
「あ、あの……名は……?」
陳表は、恐る恐るその兵士に尋ねた。鋭い睥睨が返ってきただけだった。
「……そうだよね。こんな状況じゃ、話す気にもならないよね」
陳表は、近くの廷尉に指示すると、兵士の手枷と足枷を外させた。
「付いて来て」
柔和な笑みで、陳表は兵士を誘った。先立って歩く陳表に、兵士は逃げる様子もない。付いて行った先は、宮廷内の豪奢な浴場だった。普段であれば、皇族しか使用できない。
「一度入ってみたかったんだよね。さあ、貴方も入った入った」
陳表は、裸一貫になると湯に飛び込んだ。それを見た兵士も、ゆっくりと湯に浸かった。
身を清めた陳表と兵士は、孫権の浴衣を勝手に着込んだ。
陳表は、庭園の見える一室に兵士を誘うと、宮廷に仕える宦官に豪勢な酒食を用意させた。
「親衛軍だっけ? 皇帝の警護も大変だよね。何か不満でもあるの? 言いたくなければ、言わなくてもいいけど」
兵士に盃を持たせると、陳表は酒を注ぎ入れた。
「さあ、食べよう食べよう」
目の前の豪華な食事に、陳表が箸を伸ばしたときだった。
「……施明と申す」
そう名乗った兵士が、涕泣していた。
「親衛軍の兵士となってから、ここまで歓待されたことはない」
「……そうなんだ」
陳表は、優しげな視線を施明に向けた。次の言葉を待つようだった。
「俺のように不満を持つ者が、他に三人いた。そいつらに、宮廷内にある宝物、孫臏の兵法書を盗み出し、腹癒せに騒ぎを起こしてやろうと嗾けた」
「孫臏の兵法書? 何故、孫臏兵法……?」
「遷都の折、宝物庫には孫臏の兵法書が眠っていると耳にした。盗み出した孫臏の兵法書は、諸葛恪どのが盗んだことにするつもりでいた。知識に貪欲な諸葛恪どのならば、真実味を帯びると思った」
唖然とした陳表は、盃を呷ると気を取り直して言った。
「盗みに入ったはいいが、事が露見しそうになると、他の三人によって施明どのが犯人に仕立て上げられたということか」
「……申し訳ございませぬ」
施明は、深々と頭を下げた。




