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病を患っていたという。
蜀へ向かう諸葛喬を見送ったのは、僅か四年前のことだった。その実弟と相見えることは、もうなくなった。
諸葛家で最も肩を落としたのは、諸葛恪だった。呉と蜀を兄弟それぞれで牽引し、近い将来、好敵手となるであろう相手は、弟の喬だと信じていた。
西暦二二九年――。張昭や諸葛瑾ら重臣たちの進言により、孫権は皇帝を僭称すると、丹陽郡の健業へ遷都した。王から皇帝に栄進した孫権だったが、その立ち振る舞いは何ら変わるところがなかった。
日々、肩の落としようが酷くなる諸葛恪を見かねた皇太子の孫登は、皇帝となった父の孫権に生まれて初めてせがんでみせた。
「諸葛恪の落ち込み様は、目も当てられぬほど。諸葛恪は、我が四友であり兄同然の存在。何とか助けてやりたいのです」
眼光の力強さに、孫権は息を飲んだ。四友を付けて以来、覇気の片鱗が見えつつあった。
「おめえはどうすりゃあ、諸葛恪が活力を取り戻すと思う、孫登?」
孫権は、不敵な笑みを浮かべると、孫登の培った力量を試すように質した。
「諸葛恪は、難問であればあるほど活力を増す人です。要職に就け、それを生き甲斐とさせるのはいかがでしょう?」
呵呵と大笑した孫権は、孫登の著しい成長に目を細めた。
「言うようになったじゃねえか、孫登。おめえの頼み、聞いてやるよ」
孫権は快く肯んじると、すぐさま諸葛恪を節度官に抜擢した。緻密な事務処理能力が要求される食糧や兵糧管理の要職である。併せて、末弟の諸葛融を騎都尉(軍事を取り仕切る官職)の任に就かせた。
しかし、その抜擢は、思いもよらぬところから反論を呼ぶことになった。
豪壮な邸の一室で、ひとりの壮漢が書状に冴えた眼差しを落としていた。今や、上大将軍の地位にあった智勇兼備の陸遜だった。
「恥ずかしながら、我が甥の恪は大雑把な性格。軍事の要となる糧穀を扱わせるのは、国のためになりません。足下から陛下にこの旨をお伝えになり、転任させることを願って止みません」
差出人は他でもない、蜀の丞相、諸葛亮だった。
陸遜は、その書状を一読すると深い溜息をついた。陸遜にとって諸葛亮は、尊敬に値する好敵手だった。その諸葛亮が態態書状を寄越していた。
これまで諸葛恪の人となりを見てきた陸遜も、その指摘に異を唱えることができずにいた。人を人とも思わないような口振りも心配の種だった。
意を決した陸遜は、小細工することなく、諸葛亮からの書状を孫権に見せることにした。
「おいおい、隣国の人事に口を出すってのか⁉ 親族が足を引っ張るような真似すんのが許せねえってか!」
「事を成すのは人です。御存知のように諸葛亮は、諸葛恪と直接会った訳ではありません。恐るべきは、諸葛亮。諸葛瑾との手紙の遣り取り、使者の費禕から得た情報で、諸葛恪という人物を分析しております」
孫権は、皮肉な笑みを陸遜へ向けた。
「随分と諸葛亮の肩を持つじゃねえか。先年の敵は、今日の友ってか?」
「甥にも叔父のような才覚があることは承知しています」
真摯な瞳の陸遜は、孫権に諭すように続けた。
「ですが、諸葛恪はまだ若い。糧穀の取り扱いに不備があり、兵を養うことができなくなれば、同盟国とはいえ諸葛亮は呉に牙を剥くでしょう。身内の失敗に乗じ侵攻に及ぶことになるが良いかと、諸葛亮は暗に言っているのです」
「…………」
陸遜の言を真剣に聞いた孫権は、嘆息を漏らした。
「わかったよ。おめえがそう言うなら、間違いねえだろ。諸葛恪は領兵(兵士の指揮)の役に転任させる」
孫権の判断に、陸遜は安堵して拱手した。




