表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我に、まかせよ  作者: 熊谷 柿
第3章
11/18

 諸葛恪しょかつかく陳表ちんひょう張休ちょうきゅう顧譚こたん――。幼馴染おさななじみ四人に、王の孫権そんけんから特命が下された。

孫登そんとうが十六になった。あれは俺と違って優し過ぎる。知略もなけりゃあ、武略もねえ。まだまだ乱世は続くだろうが、このままじゃあ、王の座を譲るに心許こころもとねえ」

 孫登――。孫権の長子であり、呉の太子でもあった。

 玉座の孫権は、拝跪はいきした諸葛恪、王表、張休、顧譚を眼前に据え、不敵に顔を歪めた。

「おめえらは、呉の名家の御曹司おんぞうしこぞって育ちがいい上に、それなりに知略と武略も兼ね備えている」 

 孫権は、猛虎のような眼光で四人を貫くと言った。

「おめえらに孫登を預ける。孫登を育てろ」

 それからというもの、幼馴染の四人に太子の孫登が加わり、五人で行動を共にすることが増えていった。

 孫権のような暴威は、微塵みじんも感じられない。常に柔らかな笑みを携えている。孫登は、父親の孫権が気に病むのもうなずけるほど優しい心の持ち主だった。どこへ向かうにも、民が整備した田畑を荒らす訳にはいかないと、必ず遠回りするような青年だった。

 これを乱世の王にまで育て上げるのが四人の使命となった。

 漢書などの講義は張休が行った。諸葛恪が務めてもよかったが、父親の序列を考えると、張休が担うのが妥当であろうという四人の見解だった。

 張休の講義を、孫登と陳表が肩を並べて真剣に聴講していた。その後ろに座した諸葛恪と顧譚が退屈そうに欠伸あくびをしている。孫登の飲み込みは悪くないように見えた。

 武芸の講師は陳表だった。

 類稀たぐいまれな温室育ちが如実にょじつだった。孫登は、木剣さえ握ったことがないようだった。張休と顧譚でさえ愕然がくぜんとするほどの剣術の素人しろうとだった。

 どこまで厳しく指導したらいいのか、四人に迷いが生じた頃だった。

「私に遠慮なんかしないで。本当の弟だと思って接してよ」

 にこにことした孫登が、四人を前にして言った。

 確かに、太子という立場に臆するところがあったのは四人も納得していた。

「俺たちの弟になるということは、泥にまみれるということだが?」

 諸葛恪は、試すような視線を孫登に向けた。

「泥に塗れることを知らなければ、王となっても民の気持ちがわからない。張休が講義で言っていたよ」

 四人は顔を見合わせると、それから本当の弟のように可愛がった。互いの身分など構わず寝食を共にし、冗談も言い合うようになった。

 そんなある日――。

 五人で丹陽たんようの山中に狩りへ出向くことにした。

 相変わらず、孫登は遠回りする方を選んだ。

 孫登に見本を見せてやろうと、張休と顧譚、そして、陳表は、弓矢を片手に張り切って山中に足を踏み入れた。

 やれやれ顔をさらした諸葛恪は、孫登を伴うようにして山中へと入った。

 奇妙なほど山中は静かだった。既に陽が沈み掛けているというのに、誰からも獲物を仕留めたというしらせがない。そろそろ帰路に着く刻限に達しようとしていた。

 それは、諸葛恪と孫登が、山間に差し掛かったときだった。

「わっ!」

 諸葛恪は、声を上げた孫登を振り返った。

 突如、木立の裏から子どもが手を伸ばし、孫登を引きずり込むように引っ張っている。見れば、その子どもの眼球は全て黒く、肌は透けるように青白い。

 すぐさま孫登に駈け寄った諸葛恪は、孫登に伸びた手を掴むと、力任せに子どもを引っ張り出した。その子どもは、ぐったりしたようになると、溶けるように消えてしまった。

 眼前の事態に驚愕きょうがくした孫登は、息を荒げて諸葛恪に眼を見張った。

「し、諸葛恪は、神通力でも持っているのか――⁉」

 諸葛恪は口辺に笑みを刷くと、弟を諭すような口調で言った。

「これは、山間に住まう渓嚢けいのうというあやかしだ。人を見ると、手を伸ばして木の中に引きずり込もうとする。その場所から引き離せば、いとも簡単に死んでしまうがな」

「そのまま、引きずり込まれたらどうなるの……?」

 渓嚢のように青ざめた孫登が尋ねると、諸葛恪は不気味に笑った。

「その身はこの世から消え、新たな渓嚢となるだろう。このことは、白沢図はくたくずに収載されている。お前はまだ、それを知らなかっただけだ。学ぶことは多いぞ、孫登」

 孫登が晒した驚きの形相ぎょうそうに、大笑した諸葛恪はきびすを返して山を下り始めた。

「諸葛恪……。凄いや!」

 瞳を輝かせた孫登は、諸葛恪の後ろ背に羨望せんぼう眼差まなざしを向けると、それを追うように駈け出した。

 世間より、諸葛恪を初めとする四人が、太子四友と称えられ始めたのは、それからのことだった。

 西暦二二八年――。諸葛恪は二十五となっていた。

 たくましくなった孫登もよわい十九を迎えていた。

 太子四友の下に、ひとつの訃報ふほうもたらされた。誰もが耳を疑った。中でも諸葛恪は、力が抜けたように膝から崩れ落ちた。

 しょく丞相じょうしょう諸葛亮しょかつりょうの養子となった諸葛喬しょかつきょう夭折ようせつした。齢二十四だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ