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「蜀の使者が現れても、食事を続けて挨拶しないってのはどうだ?」
蜀から使者が派遣されてくる。蜀の南方に蟠踞する異民族への遠征、その成果の報告に呉を訪れるという。
使者を歓迎する宴席を設けることにした呉王の孫権は、次世代を担う若者に出席者を厳選した。これまでは、重臣の張昭や諸葛瑾などが名を連ねたが、今回の宴席には、諸葛恪、陳表、張休、顧譚などを初め、目付役として将軍の陸遜が顔を揃えた。
「また退屈凌ぎでございますか?」
嘆息を漏らした陸遜が、呆れた調子で孫権に尋ねた。
「諸葛亮が寄越してきた奴が、どれほどの器か量ってみてえ。今回は、小うるさい張昭もいねえことだし、おもしれえことになりそうじゃねえか?」
嬉嬉とした孫権は、込み上げてくる愉快さを抑えられない様子だった。
確かに、一国の王が提唱する冗談にしては、礼を逸する悪戯だった。しかし、人間観察が趣味のような孫権は、ときに度を越した冗談を用いて相手を評価するところがあった。
「承知いたしました。皆にもそう伝えておきましょう」
孫権の人となりを知る陸遜は、精悍な顔に涼しげな笑みを浮かべると、潔く肯んじた。それは、蜀の使者がどのような態度に出ようと、諭すことのできる弁舌を有していたからに他ならなかった。
宴席に姿を現した蜀の使者は、只者ではない気風を放っていた。峨冠博帯に威儀を正し、飄飄たる風姿の智者に見える。
「これはこれは、費禕どの、待ちかねたぞ」
孫権はひとり、御膳に手を付けるのを止めると、佇立して慇懃な態度で拱手した。笑いを堪えたような孫権は、ちらりと群臣たちを見遣った。どれも平然と食事を続けている。
「ほう。これは、奇なことですね」
呉の群臣たちの態度に、費禕は微笑を浮かべると、冷めた視線で一望した。
「鳳凰と麒麟は、霊獣としては同格。その鳳凰が現れれば、麒麟は食べることを止め敬意を払うものです。騾馬や驢馬の類はそれを知らず、食べ続けるようですね。無知とは哀れなものです」
刹那、その場は凍てついたかに見えた。
すると、持っていた箸をぞんざいに膳へ叩きつけ静寂を破り、席から勢いよく立ち上がった若者がいた。諸葛恪だった。
「使者どのは、勘違いをされておるようですな」
豪然たる物言いだった。諸葛恪は不敵に顔を歪めると、挑むような眼差しを費禕に向けた。
「失礼ながら、現れた使者どのの風体は、騾馬や驢馬の類に映りました。故に、我らは止むを得ずこのような態度を取っておるのでございます」
諸葛恪の答弁に、思わず口の中のものを噴出しそうになったのは、幼馴染の張休と顧譚、そして、陳表だった。どれも薄ら笑いを浮かべている。
「よく言うぜ、諸葛恪の奴」
「ああ。奴の屁理屈は、天下一品だからな」
「頼むから、事を荒立てて、僕たちまで巻き添えにしないでほしいよ」
宴席は緊張が渦巻いている。事態の成り行きに顔を強張らせる群臣たちの中、北叟笑んでいる者たちを孫権は見逃さなかった。
その孫権と同じように、肩の力が抜けた者たちを陸遜も見過ごすことはなかった。
費禕から微笑が消えると、冷めた視線を諸葛恪に向けた。
「……貴方、名は?」
「諸葛恪と申す」
諸葛恪は、腕組みをすると胸を張った。
「諸葛……恪?」
費禕は何やら考え込むようにすると、ぱっと笑顔の花を咲かせた。
「貴方が諸葛丞相の甥に当たる諸葛恪どの――⁉ いやはや、これは丞相に大層な土産話ができそうです」
費禕は、冷ややかな視線はそのままに、笑みを携えて続けた。
「丞相が言っていたとおりのお方のようですね」
「…………?」
諸葛恪は、怪訝な顔を費禕に返した。
突如、笑いを堪えきれなくなった孫権は、呵呵と大笑すると、頭を下げて費禕に無礼を詫びた。
「いやあ、すまねえ、すまねえ。蜀の丞相が遣わした使者の器を量りたくてな。無礼は俺の指示でやらせたことだ。許してくれ、費禕どの」
「そんなことだろうと思っておりました。しかし、これも諸葛丞相の忠告どおりでしたので、平然を装うことができました」
費禕は、柔らかな笑みを孫権に返した。
「あの諸葛亮が寄越してきたほどの使者だ。あんたも近いうちに、蜀の中心人物となるんだろう」
費禕は、恭しい態度で孫権に拱手してみせた。それを前に、孫権は蝟集した群臣たちを一瞥してから独り言ちた。
「あいつらにやらせてみるか」
その後、費禕は盛大に持て成された。場が和むと、話題は蜀の南征から呉と蜀の違いにまで及んだ。
相変わらず、諸葛恪が舌鋒鋭く費禕に論戦を挑んだ。援護するように、幼馴染の陳表、張休、顧譚が皮肉な笑みを浮かべていた。
堂とした費禕は、諸葛恪の論説全てに整然と反論した。
陸遜は、群臣の若者四人を代わる代わる冴えた眼差しで見据えた。その顔に笑みは浮いていなかった。




