表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我に、まかせよ  作者: 熊谷 柿
第3章
10/18

しょくの使者が現れても、食事を続けて挨拶しないってのはどうだ?」

 蜀から使者が派遣されてくる。蜀の南方に蟠踞ばんきょする異民族への遠征、その成果の報告にを訪れるという。

 使者を歓迎する宴席を設けることにした呉王の孫権そんけんは、次世代を担う若者に出席者を厳選した。これまでは、重臣の張昭ちょうしょう諸葛瑾しょかつきんなどが名を連ねたが、今回の宴席には、諸葛恪しょかつかく陳表ちんひょう張休ちょうきゅう顧譚こたんなどを初め、目付役として将軍の陸遜りくそんが顔をそろえた。

「また退屈凌ぎでございますか?」

 嘆息を漏らした陸遜が、あきれた調子で孫権に尋ねた。

諸葛亮しょかつりょうが寄越してきた奴が、どれほどの器か量ってみてえ。今回は、小うるさい張昭ちょうしょうもいねえことだし、おもしれえことになりそうじゃねえか?」

 嬉嬉ききとした孫権は、込み上げてくる愉快さを抑えられない様子だった。

 確かに、一国の王が提唱する冗談にしては、礼を逸する悪戯いたずらだった。しかし、人間観察が趣味のような孫権は、ときに度を越した冗談を用いて相手を評価するところがあった。

「承知いたしました。皆にもそう伝えておきましょう」

 孫権の人となりを知る陸遜は、精悍せいかんな顔に涼しげな笑みを浮かべると、潔くがえんじた。それは、蜀の使者がどのような態度に出ようと、諭すことのできる弁舌を有していたからに他ならなかった。

 宴席に姿を現した蜀の使者は、只者ただものではない気風を放っていた。峨冠博帯がかんはくたいに威儀を正し、飄飄ひょうひょうたる風姿の智者に見える。

「これはこれは、費禕ひいどの、待ちかねたぞ」

 孫権はひとり、御膳に手を付けるのを止めると、佇立して慇懃いんぎんな態度で拱手きょうしゅした。笑いを堪えたような孫権は、ちらりと群臣たちを見遣みやった。どれも平然と食事を続けている。

「ほう。これは、奇なことですね」

 呉の群臣たちの態度に、費禕は微笑を浮かべると、冷めた視線で一望した。

鳳凰ほうおう麒麟きりんは、霊獣としては同格。その鳳凰が現れれば、麒麟は食べることを止め敬意を払うものです。騾馬らば驢馬ろばたぐいはそれを知らず、食べ続けるようですね。無知とは哀れなものです」

 刹那せつな、その場は凍てついたかに見えた。

 すると、持っていたはしをぞんざいに膳へ叩きつけ静寂を破り、席から勢いよく立ち上がった若者がいた。諸葛恪だった。

「使者どのは、勘違いをされておるようですな」

 豪然たる物言いだった。諸葛恪は不敵に顔を歪めると、挑むような眼差まなざしを費禕に向けた。

「失礼ながら、現れた使者どのの風体は、騾馬や驢馬の類に映りました。ゆえに、我らは止むを得ずこのような態度を取っておるのでございます」

 諸葛恪の答弁に、思わず口の中のものを噴出ふきだしそうになったのは、幼馴染おさななじみの張休と顧譚、そして、陳表だった。どれも薄ら笑いを浮かべている。

「よく言うぜ、諸葛恪の奴」

「ああ。奴の屁理屈は、天下一品だからな」

「頼むから、事を荒立てて、僕たちまで巻き添えにしないでほしいよ」

 宴席は緊張が渦巻いている。事態の成り行きに顔を強張こわばらせる群臣たちの中、北叟笑ほくそえんでいる者たちを孫権は見逃さなかった。

 その孫権と同じように、肩の力が抜けた者たちを陸遜も見過ごすことはなかった。

 費禕から微笑が消えると、冷めた視線を諸葛恪に向けた。

「……貴方あなた、名は?」

「諸葛恪と申す」

 諸葛恪は、腕組みをすると胸を張った。

「諸葛……恪?」

 費禕は何やら考え込むようにすると、ぱっと笑顔の花を咲かせた。

「貴方が諸葛丞相の甥に当たる諸葛恪どの――⁉ いやはや、これは丞相に大層な土産話ができそうです」

 費禕は、冷ややかな視線はそのままに、笑みを携えて続けた。

「丞相が言っていたとおりのお方のようですね」

「…………?」

 諸葛恪は、怪訝けげんな顔を費禕に返した。

 突如、笑いをこらえきれなくなった孫権は、呵呵かかと大笑すると、頭を下げて費禕に無礼を詫びた。

「いやあ、すまねえ、すまねえ。蜀の丞相が遣わした使者の器を量りたくてな。無礼は俺の指示でやらせたことだ。許してくれ、費禕どの」

「そんなことだろうと思っておりました。しかし、これも諸葛丞相の忠告どおりでしたので、平然を装うことができました」

 費禕は、柔らかな笑みを孫権に返した。

「あの諸葛亮が寄越してきたほどの使者だ。あんたも近いうちに、蜀の中心人物となるんだろう」

 費禕は、うやうやしい態度で孫権に拱手してみせた。それを前に、孫権は蝟集いしゅうした群臣たちを一瞥いちべつしてから独りちた。

「あいつらにやらせてみるか」

 その後、費禕は盛大に持て成された。場が和むと、話題は蜀の南征から呉と蜀の違いにまで及んだ。

 相変わらず、諸葛恪が舌鋒鋭く費禕に論戦を挑んだ。援護するように、幼馴染の陳表、張休、顧譚が皮肉な笑みを浮かべていた。

 堂とした費禕は、諸葛恪の論説全てに整然と反論した。

 陸遜は、群臣の若者四人を代わる代わる冴えた眼差しで見据えた。その顔に笑みは浮いていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ