ACT6・風雲急を告げる
正義のヒーローというのは、存外金のかかる仕事のようだ。
蛇ノ目は科学者という表の仕事は秘密裏にしているらしく、世間的には機械の修理業と名乗っているようで。
庭にある高く積まれた機械の山が、その片鱗を伺わせる。
だが街からは離れており、蛇ノ目自身の怪しさもあって、依頼に訪れる人は皆無らしい。蛇ノ目の正体を知らなかったら、光太朗は近づかなかっただろう。
なので、ヴァイオレットバイパーとして出撃する際は、ロボットや機械を利用した犯罪者を相手取る場合は無力化した後、根こそぎ鉄の塊にして持ち帰る。
銀行強盗と戦った際、妨害電波なんやらという機械を持ち帰ろうとしたのはそういう訳だ。
それらはすべて金策のためで、ヴァイパーの整備や調整に充てられる。
研究所に目をやれば、財政難なのは語らずともわかる。
光太朗の破壊したパソコンモニターは未だ旧型の間に合わせだし、ベッドのボロさも相変わらずだ。
心配のタネは金銭面だけでなく、ヴァイパーの存在が目撃されることが増えてきたことだ。アレだけ派手にやって、存在が割れるのは時間の問題だろうが、光太朗自身は日の目を浴びてきたと思う。それがどうにも具合が悪い。
悪人から街を守る正義のヒーロー。それは光太朗のクラスでも話題の中心に上がることがある。それに加えて、ヴァイパーの正体に付いての議論が交わされていることもしばしば。何でも『紫仮面』なんて呼び名がついているらしい。まあ、ヴァイオレットバイパーと名乗ったことは一度もないので、それは仕方のないことだろう。正体が割れる行動は謹んでいるつもりなので、バレることはないとは思うが。
クラスでも日陰の存在でいることが図らずも助けになっている。
今日も不埒な悪党をしばき倒して、用途のわからない機械の塊を研究所に持ち帰り、それをアフロディーテが力任せに引きちぎっていたところだ。家事や医療ロボだけでなく、解体業も兼ねる万能ぶりだ。
日課となったデータを回収したリングを返却された光太朗は、夕食を御馳走になった後(生姜焼き定食)、その足で帰宅の路。
夕暮れの色が濃くなり始めた頃、帰宅途中にある近所の公園が目に入る。
ブランコ、シーソー、滑り台位しかない手狭な公園。子供の頃は無限に遊べていたような気がする。いつから純粋な心を忘れてしまったのだろうか。そんなセンチメンタルな気分にさせてくれる。
そんな公園には珍しく人の気配がした。今時こんな時間まで遊ぶ子供がいることを珍しく思い、光太朗はなんとなく通り過ぎざまに目をやる。
公園内には女の子がふたりいた。だが、光太朗の予想とは違い、女の子は公園の遊具で遊んでいるわけではなかった。
ふたりの女の子は公園の中央付近にシンボル的にそびえ立つ木を見上げていた。
光太朗は遠巻きに、釣られて視線を向ける。緑が茂る、ごく普通の木だ。
その様子を奇妙に思い見てしまっていたのがいけなかったのか、ふたりの女の子の内、ふいに視線を向けた片方と目が合ってしまう。
その女の子は何故か頭に葉っぱや、衣服に僅かな土汚れを纏っている。
・・・もしかしたら、何かトラブルかも知れない。普通に考えたら穏やかな恰好ではない。
光太朗はゆっくりと公園内に足を踏み入れた。目が合った方とは別の、もうひとりの女の子も振り向く。
ふたりの女の子は、年の頃は小学生の5、6年生。
最初に目が合った方は、活発そうなで目の大きい女の子。
隣には、その女の子の対義語のような腰まで届く黒髪で、現れた光太朗を不審な表情でその目を向けていた。
公園でふたりで遊んでいたら、突如見知らぬ男が現れた。そんなふうに見えるだろう。
近くに来て分かったが、服が汚れている女の子は怪我をしているわけではないようで。
「どうかしたのか?」
しかし、トラブルという線は消えたわけではないので、聞いてみる。
「・・・あれ」
活発そうな女の子が、指を木の上に差し向ける。
少女の指先の方向。木の上、数メートル先の枝に乗るように、一匹の猫らしき動物の影がある。
・・・なるほど。
「怪我をしているのかも。さっきから動かないんです」
少女の服が汚れている理由が分かった気がした。猫を助けようと奮闘した後なのだろう。木を登ろうとした失敗の跡なのは想像に硬くない。
「一織ちゃん、知らない人に話しかけられても答えてはいけないわ」
活発な子とは一転、もうひとりの少女は警戒心を解かないままで、光太朗を鋭い目で見ている。まあ、いきなり現れたら不審人物に思うだろう。
光太朗は視線を再度上に上げる。猫は下の様子を知ってか知らずか、尻尾を空中で泳がせているのでそちらも怪我をしている訳ではなさそうだ。
公園の中に年上は光太朗ひとりだけ。ここで家に帰ればこの少女は猫を助けるために無茶をするかも知れない。
木のそばにはベンチが有り、それを覆うように枝から伸びた葉が日陰を生む屋根代わりとなっている。
光太朗はベンチにカバンを置いてから乗り、ジャンプ。手を伸ばして、手近な枝を掴む。
懸垂の要領で身体を揺らしながら、伸びる枝に足を掛けつつ、上へと登っていく。あまりに容易く昇ると怪しまれるかも知れない、所々時間をかけつつ、上へ。
例の猫の乗る枝付近に到達。足を別の枝に掛けて、と。
猫は人馴れしているのか、突如顔を覗かせた光太朗に対しても臆すること無く鎮座を続けている。
この時初めて気がついたが、目的の猫は右半身が黒毛、左半身が白毛という珍しい毛並みをしていた。光太朗は動物に特段明るい訳では無いが、こんな毛並みの猫は見たことがない。
尻尾をゆらりと振り、枝の上での安らぎの時間に対する闖入者にも、特段の驚きを見せることはない。
首輪は・・・、付いていない。野良猫か。
猫の関心を引くように、指先を動かしながら、なるべく驚かせることがないように。
手で触れようとしても身を引く様子もない。なので、その猫の領域に足を踏み入れるのは容易だった。
もふ、と柔らかい感触と体温が伝わる。・・・猫ってこんな手触りが良いものだったのか。
「ほら、下に降りるか?」
思わず人に対して接するように声を掛けながら、両手で猫を包もうとした瞬間。今まで動くことのなかった毛の塊がスッ、と四本脚で立ち上がり、済ました瞳がこちらを向く。
「気遣い感謝する。我は無事だ」
そう言い残し、猫は軽やかな足取りで木の枝を渡り、器用な跳躍で地面へと降り立つ。尻尾を揺らしながら、茂みの中へと消えて行った。
女の子ふたりも、その行く末を目で追っていた。
ひとり呆気にとられているのは光太朗で。遠くで夕暮れに鳴くカラスの声で我に返る。
半ば夢見心地のまま木の上から降りる。
「猫、大丈夫だったみたいだね」
活発な方は安堵に胸を撫で下ろし、
「残念ながら、これくらいで私達の信頼を勝ち得たとは思わないことね」
黒髪は相変わらず辛辣な言葉を光太朗に投げつける。
少女たちの様子から見ると、どうやら頭上の猫の声は聞こえてはいなかったようだ。
「・・・おう」
活発な方の女の子がわざわざカバンを手にし、それを光太朗に手渡してくれる。その行動すら黒髪の方は不満らしく、厳しい目つきでカバンが光太朗に渡るところを見ていた。・・・危機管理能力があるのは結構。
片方だけが頭を下げて謝意を示す中、ふたりの少女は公園から立ち去った。
ふたりの影が公園内から消えたところで、光太朗は先程まで猫がいた枝の方を見上げる。
「・・・喋ったよな」
まさか。
猫が人の言葉を離すわけがない。普通の鳴き声の、都合のいい聞き間違いだ。人智を超えた存在は、蛇ノ目の発明品だけで十分だ。
帰ろう。いつまでも夢に浸っていても仕方がない。
足を踏み出した瞬間、何かが視界をかすめる。
ベンチの裏手に目をやると、そこには不釣り合いなものが落ちている。・・・何か、ぬいぐるみのような。
そこに転がっているのは、星の形を象ったぬいぐるみだった。
・・・あの女の子の落とし物だろうか。
ここに長らく落ちていた形跡はない。割ときれいな状態だったから。
拾い上げてみると、それはまさに綿の詰まったぬいぐるみの柔らかさで。落ちていた面を軽く払ってから、改めて見る。
全体的に角のない星の形に、丸い目が2つ乗っかっている。だが、何かに耐えるような真一文字に引き絞った口元は、お世辞にも小学生女子が好むようなデザインには思えない。自分の感覚がおかしいのだろうか。
ぎゅむ、とぬいぐるみを親指で押して見る。すると。
『ぎゅぺっ!』
何かに押しつぶされたような苦悶のような声が聞こえる。押すと声が出るぬいぐるみなのだろうか?
だが、もう一度推しても、先程のような声は出なかった。
・・・いや、こんな所でぬいぐるみで遊んでいる場合ではない。
これはあの女の子どちらかの落とし物かも知れない。今から終えば間に合うか?
ふたりが友人ならば、どちらに渡っても別に構わないだろう。
光太朗はぬいぐるみを抱えつつ、女の子が去って行った方向へと駆け出した。
夕暮れの中、商店街は賑わいを見せている。
アテがあった訳ではないが、人の気配の方へ向かってみれば、近場の商店街にたどり着いた。
そして、目当ての人物は割とすぐに見つかった。
ランドセルはひとつしか見えなかったので、黒髪の方とは途中で別れたのだろう。
なるべく不審者に見えないように近づき隣に並ぶと、女の子の方から驚きの表情を向けた。
「これ、君のか」
光太朗は早々に手の中のものを少女に見せた。
すると、光太朗の手の中のものを見てすぐさま自分のランドセルを確認。大方ランドセルに付けていたのが取れた、そんな所だろう。
「ああ!ウサポ!」
女の子は愛しそうに光太朗の手の中のぬいぐるみをすくい上げる。そして、心底大切そうに胸元で抱き止めた。
「良かった・・・」
女の子は光太朗を見上げ、
「わざわざありがとうございました!・・・大切な、友達なんです」
物を大切に思う気持ち。いつから当たり前だと思えなくなってしまうのだろう。
「お兄さんは優しい方ですね!」
ふいに女の子がそんな事を言った。
「公園で猫さんを助けたこともそうだし、今もウサポを届けてくれました」
なんとなく収まりが悪く、光太朗は頭を搔く。
「本当に、ありがとうございました!」
抱き寄せた『ウサポ』にもわざわざ頭を下げさせる動きをさせて、女の子は終始笑顔を振りまきながら去っていった。
商店街から漂う美味しそうな匂いは魅力的だが、鼻を捕らえる誘惑を断ち切り振り返ったところで、背後から衝撃音が鳴り響く。
突然の事で鼻白むも、すぐに異変を理解し、光太朗は身構える。
視線を向けると、商店街を突き抜けようとする乗用車が看板を有する柱に激突している所だった。
砕ける支柱が首をもたげる。看板の重さを支えられず、支柱がくの字に折れる。
下を歩くは、今しがた別れた女の子。それだけではない。そこは商店街を行き交う人で溢れている。
鉄の重りとなった看板が重力にしたがって、折れ曲がる。直撃すれば、ただでは済まない。
驚きに目を見開いた少女。何が起きたのかわからず、その身をただ固まらせている。
・・・くそっ!
『光太朗、ヴェノムスケイル変異の反応あり。何があった!』
「緊急事態だ!」
叱咤に近い言葉を伝える蛇ノ目にそれだけを告げると、光太朗の身体を紫色の装甲が覆った。
私用での変身は禁じているんだろ?だが、これはその範疇だ!今使わないで何が正義のヒーローだ!
力を込めた脚で地を蹴ると、光太朗は上空から落ちる鉄の塊を左手だけで受け止める。そして、右手と身体で少女を庇うように、守る。
一瞬の出来事に、道行く人は呆然としていたが、やがて誰かの悲鳴とともに騒ぎが大きくなる。
女の子は放心したように自分を守る影を見つめている。
女の子を安全なところに離し、車を確認。
中年のおばさんが運転席で目を伏せている。バカなことを考える輩ではなさそうだ。不注意から来る事故か。
歪んだドアに指を引っ掛け、引き抜く。ドアは容易く引き剥がれ、中の様子を伺う。
・・・気絶しているだけのようだ。
シートベルトも引きちぎり、そっと座席から救出。開けた場所に寝かせる。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。このまま留まるのは具合が悪そうだ。状況に混乱や同様を見せている者だけではなく、冷静に光太朗にスマートフォンのカメラを向けている人間もいる。
もう一度、女の子の無事を確認すると、光太朗はそのまま跳躍。
建物の高さも飛び越え、商店街を後にした。
一時的な退避場所にしたのは先程までいた公園だ。
光太朗は変身を解く。紫色の金属片が、夕闇に溶けるように剥がれてゆく。
思い返すのは、思わぬ事故の起きた商店街だが、怪我人も見た限りではいなかったようだし、後は警察に任せよう。
息を吐きながら、公園を出るべく入口に踵を返した時、光太朗は身を強張らせた。
背筋が冷たくなり、汗が全身から吹き出す。
光太朗の視線の先に居たのは、無表情でこちらを見ている白崎百合花だったからだ。