ACT5・アフロディーテ1号
放課後、光太朗は蛇ノ目に研究所に呼び出された。昼間の出来事のデータを回収するためだと。
リングには逐一変身前、変身後のデータが蓄積されていき、今後のヴァイオレットバイパーの能力、機能にフィードバックされるという。なので、今後事件を解決した後はもれなく研究所に寄るように、と。
博士の研究所は住宅街を抜けた先にある、小高い丘に建っている。
平屋の一軒家に、それの横には鉄の作で囲われたスペースが有る。
そこには街中ならばゴミ屋敷と認定されるであろう、鉄くずや廃棄された家電製品が埋もれるエリアだ。
蛇ノ目の家は、正面から入ればごく普通の家である。外の瓦礫に目を瞑れば、誰の目から見てもきれいな一軒家だ。
研究所へは入口すぐそばにある地下に進む階段を下る。階段を隔てただけで、そこは鉄くずが雑多に散らばる掃除も馬鹿らしくなる部屋。
・・・それにしても、鼻をくすぐるこのいい匂いはなんだ?1階から感じていた匂いは、この鉄や機械だらけの部屋からは考えられない匂いだ。
「おお、来たな。光太朗」
蛇ノ目が嬉しそうにパソコンデスクから椅子を回転させる。
「さっそくだが、リングを寄越しなさい」
言われ、光太朗は右腕からリングを外す。それを蛇ノ目に渡すと、ケーブルに接続し、パソコンに繋ぐ。
間もなく小さい正方形のモニターに様々な文字の羅列が表示されてゆく。
リングには変身後のヴェノムスケイルと光太朗本体との連動率やら、四肢の駆動域などが記録されるらしいが、聞いたところでわからないので聞き流す。
転送されたデータと格闘しながら、蛇ノ目はひたすらキーボードを打ち込む。節くれだった指先でもそのタイピング技術は早く、淀みない。
「どうだ。学校は」
なんだ、そ会話に困った末にひねり出したような話題は。
「・・・俺のクラスに転校生が来た」
取り立てて上げるトピックはそんなものしかない。
「おかげで転校初日にそいつを吹き飛ばしそうになったぞ」
あの時は肝が冷えた。一度ならず2度までも。
「それはまた漫画みたいな話じゃのう」
その半分はアンタのせいだぞ。
「そのような繋がりも何かの縁じゃ。大切にするが良いぞ」
蛇ノ目はキーボードを叩きながらも、その言葉は優しい。
「そうじゃ。そこにお主の洗濯物を畳んでおいた。持って帰れ」
洗濯物?
見ると、そこには白いワイシャツとボクサーパンツ。Tシャツがひとまとめになって畳まれていた。
そうなのだ。
前回家に帰ってから気がついたのだが、身につけていた衣服が色や形は同じなのだが、自分自身の持ち物ではなかったのだ。トラックに激突して瀕死の重症を負ったのに、服が無事である理由はない。
「お主が着ている衣服はサービスじゃ。くれてやる」
見た目で決めつけるのは良くないが、蛇ノ目は洗濯も縫い物もするタイプには見えない。研究に没頭し、この部屋すら出ないイメージがある。
ここで疑問が湧き出る。
この地下が足の踏み場もないほど派手に散らかっているのに、1階はまるで住んでいる人間が別人なのではというくらいにきれいに整頓されている。研究所の整理整頓にこだわらない人間が、あんな埃ひとつない部屋を維持できるだろうか。
「・・・ありがとう、博士」
光太朗は戸惑いつつも、畳まれている衣服を手に取る。近くで手にとって見ても、新品と変わらない。
「はは、構わんわい。どうせ繕ったのはワシじゃあない」
・・・え?じゃあ、一体誰がこの服を直したんだ。
この家には研究所を含め人の気配はいなかったように思う。同居人はいなさそうだが。
すると。
階段から何者かの気配がする。
軋む足音が近づき、研究所の扉が開く。
「博士、お食事の準備が整いました」
そこから顔を覗かせたのは・・・。
「おお。分かった、アフロディーテ」
蛇ノ目はその現れた女性のことを知っているようだ。
いや、光太朗は直感的にその女性がただの人間ではないと感じた。
身長は180前後とやや長身。看護師のような衣服をモチーフとした衣服だが、所々を何故かケーブルやパイプが走っていて、目の覚めるような赤い髪の毛を腰元までに伸ばしている。
光太朗がその女性を奇妙に感じた要因は、およそ日常生活では動きにくそうな衣服もそうだが、顔である。
生気のない無表情さは、人形と言われても不思議ではなく。何より。
まるで鉄板を継ぎ接ぎしたような鋲が、頬に並んでいたからである。それを流行ファッションと認めるほど、光太朗は疎くないつもりだ。
少なくとも蛇ノ目の奥さんには見えないし、どの家族構成にも当てはまりそうにない。
光太朗の怪訝な表情を察したのか、蛇ノ目がカラカラと笑う。
「そうか、お主には紹介しておらなんだな」
まるでこの研究所の住人のような口ぶりだ。
蛇ノ目は椅子から立ち上がり、女性の肩をポンと叩く。
「彼女の名は『アフロディーテ1号』。大方頭の済に思い描いておるのではないか?何を隠そう、ロボットだ」
蛇ノ目の言葉が本当ならば、その女性に感じた雰囲気は光太朗の違和感と合点する。
表情のない顔。その顔は機械的に冷たい雰囲気を宿し、服に連なる謎のコード類。
「洒落た言葉で言うのなら、メイドロボと言ったところかの。好きじゃろ?メイドロボ」
悪いが光太朗にはそういう趣味嗜好はない。
「ほれ、挨拶せい」
もう一度蛇ノ目がアフロディーテの肩を叩くと、光のない無垢な瞳の中心が光太朗を捉える。
「・・・はじめまして。アフロディーテ1号、です」
驚いた。
声こそ合成音声のような作り物感はあるが、見た目に囚われなければほぼ人だ。この部屋に来るまでの動き、動く首、時折見せる瞬きなど、遠間から見れば恰好が少し特殊な女性で収まる。
人のシルエットを模しただけの銀行のガードロボットと比べると、雲泥の差だ。蛇ノ目は伊達に科学者を名乗っている訳ではなさそうだ。
「前回までは彼女の充電のタイミングと重なって紹介することが出来なかったからのう」
この家に蛇ノ目以外の人間がいないと思いこんでいたのは光太朗の方だったのだ。
「ちなみにお主の手術を執刀したのも彼女じゃ」
「・・・え?」
驚愕の事実。
「失敗の許されない手術では、精密な動きが可能な機械が一番じゃ。ジジイの震える手では人の腹を裂くことなどままならんて」
光太朗は思わずアフロディーテの顔を見る。
「お使いから家事手伝い。何でもこなす自慢のロボットじゃ。将来的にはワシの介護もさせるのじゃ!」
思い返してみれば、確かに蛇ノ目は自分が執刀したとは言っていなかった。・・・半分は正解で半分はそうではない、という根拠。
とは言え、相手がロボットでも助けられたのは事実だ。
「・・・ありがとう、アフロディーテ」
光太朗が小さく礼を言うと、アフロディーテは頭を小さく動かし。
「どういたしまして」
と、感情の抑揚もなく、機械的な返事で返したのだった。
「博士。用意したお食事が冷めてしまいます」
アフロディーテが言うと、蛇ノ目は今思い出したようにポンと手を打った。
「おお、そうじゃった」
蛇ノ目は光太朗へと向きなおる。
「昼に呼び出した時、昼食の時間だったじゃろう。すまなんだな。あの後何も口にしておらんのじゃったら、家で食っていくか?」
さっき1階で感じた美味そうな匂いは料理の匂いだったのか。
「アフロディーテの料理の腕は正確無比だ。何時、何を頼んでも同じ味が出る。これほど幸せな事はあるまい!」
蛇ノ目は力説。だが、光太朗はある懸念が拭えない。その不安を感じ取ったのか、蛇ノ目は笑いを噛み殺す。
「金のことなら心配するな。そこまでの守銭奴ではないわい」
どうだか。
光太朗の身体に施された技術の数々は人智を超えたものなのは疑う余地はない。それに引き換えに背負ったのは、一生を掛けても返せる見込みのない借金だ。それに比べれば、料理の料金など可愛いものだろう。
アフロディーテと蛇ノ目に連れられ1階に向かう。相変わらず地下とは次元そのものが違うような清潔ぶりだ。埃ひとつ落ちていないし、何より足の踏み場がある。
廊下を抜け、台所を兼ねたダイニングに出る。そこには廊下の比ではない、芳しい香りで漂っていた。
テーブルにはすでに料理が並んでおり、目からして美味しさが伝わってくる。
湯気のたつ白いご飯。香ばしく揚げられたとんかつ。安らぎすら感じる椀には注がれた味噌汁。絵に書いたような見事なまでのとんかつ定食がそこには並んでいた。
「ほれ、さっさと座らんかい」
蛇ノ目は早々に席に付き、アフロディーテにお茶を要求。年季の入った湯呑みに緑色の液体が注がれたところで満足そうに頷いた。
光太朗も戸惑いを残しながらも、料理の並べられた対面に座る。
「お茶はいかがですか」
アフロディーテに尋ねられ、整理のつかないままに「お願いします」とだけ言うと、表情は変わらず僅かな逡巡の後、同様に湯呑みが差し出された。
「いただきます」
蛇ノ目は湯呑みで口を湿らせてからとんかつを一切れ口に運ぶ。
「んん!相変わらず完成された数式のような味じゃ!ケチのつけようのない完璧な仕上がり!」
満足そうに咀嚼する蛇ノ目。
光太朗の喉が鳴る。
箸を取る。
蛇ノ目と同じくとんかつを一切れ撮り、かじる。
・・・こんな美味しいとんかつを食べたのは、何時ぶりぐらいだろうか。少なくとも光太朗にそんな思い出はない。
堰をきったように箸を動かし、眼の前に広がる料理を貪る。
「ほほ。そんなにがっつかんでも逃げんわい」
呆れたような、それでいて優しさに満ちた蛇ノ目の目。
だけど、光太朗は箸を止めることは出来ない。こんなに美味しくて温かい料理を食べたのは何時ぶりか思い出せないから。
そんな懐かしい気持ちを取り戻すように、光太朗は目の前の食事を堪能したのだった。
空になった食器をアフロディーテが
流しに運び、テーブルにてしばしの高揚感に身を委ねている。
「ふー・・・。久しぶりに、年甲斐もなくわんぱくに食ってしまったわ」
蛇ノ目の食いっぷりは、およそ老人のものには見えない。
さらに。
「自慢じゃないが、ワシの歯は一度も歯医者の世話にはなっておらん」
と、自慢気を飛ばすほどだ。
「食うことは生きること。それはある種人間の使命でもある」
食後のお茶をすすりつつ、お腹を落ち着ける。
「お前さんが良ければ、何時でも構わん、飯を食いに来てもよいぞ」
それは光太朗にとってありがたい提案だった。
「・・・一つ聞いていいか」
蛇ノ目はお茶をすすりながら、目で答える。
「借金はそのままなのに、飯を施す。どういう考えだ?」
蛇ノ目は笑う。
「簡単なことよ。被験体の体調、健康を管理するのもワシの仕事よ。お主に倒れられても困るからのう」
・・・そんな事だろうと思った。
だが、自由に食事を出来る場所ができたのはありがたい。
「食後のデザートはいかがでしょうか」
横でアフロディーテが尋ねる。
当然のように光太朗は首を縦に振る。
蛇ノ目が光太朗を利用しようとするのなら、こちらも腹を満たすために利用させてもらう。
それだけだ。