ACT3・出動
昼休み。
光太朗は早々に教室から退避。何故なら、光太朗のクラス、2年1組の教室にはクラスメイトの数以上の人で溢れていたからだ。
教室はもとより、廊下には他クラスからの見物人が興味に満ちた視線を一点に集中させている。視線の先にはもちろん、転校生である白崎百合花がクラスメイトに昼食を兼ねた、パーソナルデータの収集という名の事情聴取受けている。
女子の集団は机を突き合わせ弁当を広げる中、百合花は登校途中で買ってきたと思われるコンビニおにぎりを持参していた。
光太朗の席も絶好のインタビューポイントであるからして、そこまで人波が侵食するのは時間の問題で。
自分の席が飲み込まれる前に光太朗は廊下に退避。しかし、廊下からも噂の転校生を見物する生徒が後を絶たない。
1時間目と2時間目の休み時間。2時間目から3時間目の休み時間。時間が進むにつれ人は増えていき、昼休みの今はこの有り様だ。
そこで光太朗は失念した。
今日は遅刻寸前だったため、コンビニに寄れなかった。なので今日は学食のつもりだったが肝心の財布がカバンに入れたままだ。
あの人垣を割ってまで取りに行く度胸はない。幸いスマートフォンはポケットの中に収まってはいるが、この学校の学食には電子決済などというハイカラなシステムはまだない。全ての会計のやりとりはおばちゃんによる人力で回っている。
昼飯抜きは決定か。光太朗廊下の窓枠でうなだれる。
コの字型の校舎の中央部はちょっとした中庭だ。弁当持参組は中庭に出て、複数のグループが昼食の時を楽しんでいる。その様子を恨めしそうに眺めながら、光太朗の耳には自分の腹の虫が鳴る音が聞こえた。
何気なくスマートフォンを確認。家に帰って何かを食う時間も無さそうだ。
そんな軽い絶望感に苛まれていると。
ぴこん。
聞き慣れない電子音と共に、右腕が振動する。何事かと見ると、右腕のリングの盤面が淡く明滅していた。
光太朗は蛇ノ目に教えられた、リングの変身以外の機能を思い出した。確か・・・。
右手指先をこめかみ辺りに当ててみる。
『おお、聞こえるか』
蛇ノ目曰く、骨伝導を利用した通信機器にもなる、と。蛇ノ目の声が直接響いた。・・・変な感じだ。
「・・・どうしたんだ、博士」
周囲には生徒がいる。光太朗は小声で応答。
『さっそく仕事じゃ』
「・・・俺、まだ学校なんだけど。事情があって、飯も食っていない」
もし仕事なら学校が終わったらいくらでも受けてやる。今は腹を満たす方法を模索している最中だ。
『今の時間帯はちょうど昼休みか?心配いらぬ。ヴァイパーなら瞬く間に終えるだろうよ』
仕事。ヴァイオレットバイパーの本来の目的。それはこの世を悪しき者から守るため。その抽象的な『仕事』の実態は、次の蛇ノ目の言葉で明かされるのだが、光太朗は自分の耳を疑った。
『銀行強盗が出た。すぐさま向かってくれ』
・・・はい?
「いや、そんなもの警察にでも任せときゃいいじゃねえか」
わざわざ自分が出る幕かよ。
『だからこそじゃよ!警察では解決出来ない困難を請け負う。ヴァイパーの力の見せ所じゃ!』
光太朗は思わずため息をついた。
なるほどね。警察よりも早く事件を解決して、ヴァイオレットバイパーの存在を世間にアピールし、抑止力にする、と。
光太朗には今のところ拒否権はない。事件を解決しないと、膨らんだ借金は1円も減らないのだから。
蛇ノ目から事件の場所を聞く。この街でも大きい銀行だ。
なるべく不自然に見えないよう、早足で階段を駆け下りる。
緊急事態があった時のみ変身を許されているが、学校であんな姿をさらす訳にはいかない。さらに、ここだと恥ずかしい高らかな叫び声が響き渡ってしまう。
屋上は昼食時のみ開放されているため、人もいるだろう。
なので、光太朗は校庭を無言で縦断するのであった。
一方。
教室では弁当を広げる女子生徒で百合花を囲む、という図式が出来上がっている。転校したての百合花を他クラスの好気の目から守る意味もあった。
「・・・神野君、帰ってこないけど、悪い事しちゃったかな」
おにぎりをかじりながら、百合花が女子に占領された元の主の席を見る。
早くも仲良くなろうと集まってくれたことには嬉しいが、そのために隣人が追いやられてしまったのは申し訳なく思っていた。
「白崎さん、神野君のこと気にしているよ」
「さっき言っていた、朝に会ったって、どういうこと?」
百合花と光太朗の出会い頭の話は、女子にとって恰好の話のタネであるらしい。
「ホント、偶然だよ。学校に来る前に会ったんだ。まさか同じクラスだとは思わなかったけど」
「ええっ!?それって運命じゃん?」
声のトーンを1段階高くした誰かが叫ぶ。そんな、と百合花は笑って誤魔化す。
「神野君って、いつもひとりで近寄りがたいけど、黙っていたらカッコいいもんね」
何?アンタも神野君推しなの?というやり取りを横目に、百合花は朝のことを回顧する。
・・・そうか、だからか。
彼の手に触れた時の感覚。何より・・・。
「白崎さん?」
ぼうっとしていたところを指摘され、百合花ははっとなる。
「あ。そういえは私飲み物無かった。どこかで買えない?」
数秒の不自然な硬直を誤魔化しつつ、百合花は席を立つ。
別のクラスメイトがカバンからお茶のペットボトルを差し出した。
「これあげるよ、まだ開けてないし。それに、今はまだ買いに行けそうにないし」
廊下の外には未だ別のクラスの生徒が。
「あ、ありがとう」
百合花はペットボトルを受け取る。
と。
百合花の視線が窓の外に向けられる。すると、校庭を誰かが走っていた。百合花はその後ろ姿に見覚えがあった。
(・・・神野君?)
校門を通り過ぎるまで、百合花はその影を目で追っていた。
「博士、着いたぞ」
ヴァイオレットバイパーへとすでに変身を終えた光太朗は、身を潜めながら小声で応対。
件の銀行から数十メートル離れた建物の屋上。
『良し。中の様子を探れ』
蛇ノ目との通信を兼ねたメットの横を指でなぞる。すると、メットの中の映像の比率が変化する。
蛇ノ目から説明された戦闘能力以外の機能は、筆舌に尽くしがたいものばかりだ。この、肉眼では視認出来ないような距離の様子を探る機能もそうだ。
倍率を拡大させても画質が変化することは無い。なお、メットを通じて周囲の様子も蛇ノ目の元に届いている。
「おお・・・」
その光景に光太朗は素直に驚くも、改めて視界の奥を見る。
男女問わずの制服姿の銀行員。そして居合わせた客がその顔に不安と恐怖を貼り付けたまま、フロアの一角に集められ、その身を震えさせている。ご丁寧に全ての人質の手足が後ろでに拘束されているようなので、自力での脱出は不可能であろう。
傍らの床には、何やら人型の機械の塊が転がっている。おそらく警備、警護用のガードロボットだ。銀行に限らず、採用している企業は多いと聞く。
『特殊なチャンネルを通っている妨害電波が飛んでおるな。それによりガードロボットが機能不全に陥っておる』
本来なら、現代技術の塊であるガードロボットはその程度の妨害電波などものともしない性能を誇るはず。ただ、それをも上回る悪知恵を働かせる輩もいる。今回の件はまさにそれだ。
『まったく、技術は正当に使ってこそじゃ』
蛇ノ目はご立腹だ。
が、銀行の周囲はすでに赤いパトランプが明滅するパトカーが数台と、警察官が数十人。ガードロボットを封じたところで、犯人は逃げられるはずもない。まともな思考を持っているのなら、考えもつかないはず。だが、まともではないから犯罪を犯すのだ。皮肉にも、犯罪を助長する技術が今の時代には無数に存在する。
規制線の張られた外側は警察官の数を上回る野次馬で溢れている。物々しい金属製の盾を構える警察官を横目に、光太朗は再度視界に銀行内を収める。
「・・・犯人らしき奴が見えないな」
従業員と一般客。あからさまに怪しい第三者の姿はどこにもない。
『裏手に回ってみてくれ』
耳元で蛇ノ目の指示。光太朗はそれに倣い、身をかがめながら目的のポイントに向かった。
銀行の裏手は駐車場になっており、ここも警察官の手が回っていないはずもなく、表と同様の数の制服で囲んでいた。
駐車場はといえば、普通の車が並ぶ中、黒塗りのワゴンが一際目を引く。
窓もスモークと怪しいことこの上ない。だが、この状況では逃げ切れる確率は限りなく低い。改めて自分が出る幕はないと思うのだが。
その時だ。
「爆弾だ!」
誰かの声が響く。
その穏やかではない単語に、警察官の動きに緊迫が走る。
次の瞬間。
裏手の窓かどこかが開き、放物線を描きスプレー缶のような金属製の筒が駐車場の砂利へと転がる。
警察官が緊張感を張り巡らせる中、金属製の筒は両端から白い煙を勢い良く吹き出した。
警察は銃や盾で武装しているものの、有毒なガスだとしたらひとたまりもない。さらに、誰かが言い放った爆弾という単語。それがさらに警察に動揺を広げさせる。
白い煙が駐車場一帯を満たし、視界を奪う中、ふたつの影が疾走する。
どうやら投げ込まれた缶は爆発物でも、有毒なガスでもないようだ。ただ、警察官はみな一様にして目と喉の異変を訴え、咳き込む。
ばん、と扉の閉まる音が聞こえたかと思うと、フル回転のエンジン音が駐車場を飛び出す。
『小賢しい策を考えるものじゃな』
明らかな怪しいスモークワゴンはそのまま、それを囮に別の車を逃走用に据えていたという訳だ。
『追うんじゃ、光太朗』
ちなみに一連の犯人の動きは光太朗には見えていた。メットの機能により、煙の中の動きはくっきりと。犯人は、いかにもな黒尽くめの恰好のふたり組だった。
「分かった」
光太朗は未だ混乱に陥っている駐車場を後に、犯人の車を追うのであった。
爆走する車内には、歓喜の渦が巻いていた。
後部座席にはバッグに詰め込まれた札束の山。こんなに上手くいくとは思わなかった。
金回りに立ち行かなくなって絶望していたある日、こんな話が舞い込む。
銀行強盗。
普通ならわざわざ捕まりに行くような真似はしない。
だが、逼迫した生活と、成功すれば簡単に億万長者になれるという冷静ではない思考が男に犯罪に手を染めさせた。
依頼内容は実に奇妙なものだった。
必要な道具や車は全て支給された。実弾の込められた拳銃も、だ。
さらに奇妙なのが成功して金を手に入れても、それを依頼主に渡す必要がないということだ。すなわち、後部座席にある奪った金は、今車にいる運転手である自分と、それを手伝った助手席にいる男との山分けとなる。
これが歓喜でなかったら何なのだ。たった今、一生遊んで暮らせる金が手に入ったのだ。
後はトンズラして逃げ切るだけ。ここで事故ってみろ。今までの苦労がパーになる。真の成功は逃げ切ってから始まるのだ。
出来る限りの最高速度でアクセルを踏む。すっトロい車は追い抜く。
窓の外を過ぎ去る他の奴が哀れにすら見える。
一生を掛けて働いて得られる金はたかが知れている。
見ろよ。
俺の背中には莫大な金が乗っかっている!今まで苦汁を舐めてきた虫けらみたいな人生からの脱却!
後は、隣にいる奴を折りを見て始末する。同じような境遇らしいが、知ったことか。どうせ見知らぬ知り合いでもない野郎だ。
思わず高笑いが漏れそうになる。
「おい、後ろに変な奴が!」
そんなバラ色の人生の夢想と高揚感を引き裂くように、助手席の男がバックミラーに向けている表情を青ざめさせている。
運転席の男は助手席の焦りにも似た声に気づき、自身もルームミラーで後方を確認。そして、驚愕に目を見開いた。
全身紫色の、変な恰好の物体がこの車を追っていた。
驚いた原因は、この車に目星を付けられたという事実以前に、法定速度ギリギリで走る車を追えるほどの速度で走るそのスピードに、だ。
だが、運転手はすぐに冷静さを取り戻した。冷静でいなければならない。
あのバカみたいな色をしたスーツの中身が人間だとしたら、あんな速度で走れる訳がない。大方、銀行が雇っていたか、警備会社のガードロボットの追撃だ。
だったら、再び再起不能にしてやる。後部座席には金だけでなく、そのための機械も積んでいる。絶対に逃げ切ってやる。
「おい!アレを使え!」
運転手の叫びに、助手席は後部座席に積んである機械のスイッチをオンにした。
「くたばれ!」
ガードロボット等の機械の動きを寸断する妨害電波発生装置だ。
見事、背後の紫色の機械は崩れ落ち、バックミラーに映るそれは遥か後方に・・・。
とは、ならなかった。
「なんだと!?」
故障か!?ポンコツ掴ませやがって!場違いな怒りを溢れさせ、吐き捨てる。
特殊な妨害電波は自立式ロボットならば例外なくその動きを止めるんじゃなかったのか?
「くそ!飛ばすぞ!」
運転手が吠える。
額に焦りを滲ませながら、この先にあるバラ色の人生を目指してアクセルを踏み込んだ。