ACT15・ひとときの安らぎ
帰りのホームルームの時間。
光太朗の隣の席は空席だ。
「誰か、白崎の家に届け物をしてくれないか」
そんなことを言い出したのは担任の教師で、その手に紙が挟まったクリアファイルを手にしている。
クラス中の男子がにわかに色めき立つ。
意せずして憧れの女子生徒に合う口実が出来ると、クラスの半分が頭に思い浮かべていることだろう。
百合花の欠席の理由は、直接的な原因はアンチホープの道化師によるものだが、光太朗の身勝手な行動も含まれる。当然、それを言うわけにはいかないのだろう。
表向きの理由は体調不良だ。事実、まだ調子は良くないのだろう。
花の聖飾の行方はマギアスで、百合花は今は家で療養中とのこと。それを一織を通じて知った。
一方、教室では千載一遇のチャンスを逃してなるものかと、空気中に満ちる俺が俺がの無言の牽制。誰がこの緊張感(男子のみ)を打ち破るのかを窺っている。
そんな中。ひとりの男子生徒が挙手。
「先生、俺が行きます」
その手の主は、光太朗だ。
思わぬ伏兵に、教室中の男子共の視線が一点に集約される。
光太朗は、百合花に謝らなければないことがある。この届け物を理由にするのは卑怯な気がするが、この機を逃したら、ずっと言えなくなってしまいそうだ。
百合花が学校に戻ってきた時、果たして素直にそれが言えるのか。少なくとも光太朗は自信がない。
「・・・おお、神野か。そうだな、家もそう遠くないみたいだし」
その役目を任せようと決めたのか、光太朗の席までクリアファイルが回ってくる。
白崎家への届け物の役割が決まったところで、目に見えない緊張感の代わりに重苦しい絶望感に入れ替わったことを光太朗は気づいていない。
ホームルームを終え、授業から開放されたにも関わらず、何故か恨みがましい視線を光太朗へと向け、男子はまばらに散ってゆく。
「神野君っ!」
傍らから掛けられた声の主は、小清水を先頭とした数名の女子の壁。その威圧感に思わず光太朗は気圧される。
その中から小清水がぐい、と押し迫り。
「頑張ってね!」
男子とは真逆の、キラキラと笑顔を溢れさせ、光太朗を送り出したのだった。
白崎百合花の家は、閑静な住宅街にある、2階建ての一軒家だった。
玄関に続く2、3メートルほどの舗装された石畳を越えると、ようやく玄関が出迎える。
柄にもなく、少し緊張の面持ちでチャイムを押す。ちらりと横を見ると、そこには花壇に咲く花で彩られている。
しばらくの後、かすかに聞こえる物音。
「はぁい」
ガチャ、と扉が開かれ、中からひとりの女性が姿を現した。
突如来訪した、そして当然見た覚えもない光太朗にも穏やかな視線を向けている。
表情を明るくさせたのは、娘と同じ学校と同じ制服を見たからであろう。
女性の背丈は百合花と同じくらい。
年は、母の面影を遠い記憶の向こうに置いてきた光太朗にとって、自分の感覚は当てにならないだろう。だが、少なくとも若く見える。
黒く長い髪をまとめた房を胸元に垂らし、纏う雰囲気と瞳は光太朗の隣の席の少女と重なる。
「えっと、俺、白崎さんと同じクラスの神野と言います」
いつになく出る言葉が硬く重いのを光太朗は自覚。
「ああ〜。ゆりちゃんのクラスメイトさん?」
光太朗が出した、自分の素性を証明するようにカバンから出したクリアファイルを見て、百合花の母親は納得したように手のひらを合わせた。
「ゆりちゃん、体調も良くなったみたいだから、直接渡してあげてもいいわよ。ゆりちゃんもきっと喜ぶわ」
ここで渡すつもりで出したファイルを受け取るよりも先に、目の前の女性は世にも恐ろしいことを口にした。
そうか、その可能性を忘れていた。病み上がりで歩くこともまだままならないのなら、玄関先まで来るのは容易ではないだろう。
「さあさあ、遠慮なさらずに」
ぐい、と、百合花の母親はか細い腕にも関わらず、見た目に似合わぬ力強さで光太朗を玄関内に引っ張り込む。
「2階の奥の扉がゆりちゃんの部屋よ。プレートが掛かっているから、すぐに分かると思うわ」
百合花の母は鼻歌を歌いながら、ご機嫌で横手のキッチンに姿を消した。
2階に伸びる階段が、魔境に続く入口のように思えた。
光太朗は恐る恐る階段を昇り、伸びる廊下の奥に目をやる。
確かに奥の扉には、『ゆりか』と書かれたプレートが下げられていた。
光太朗はドアの前に立ち、向こうの様子を気配で窺う。
・・・変態かよ。
どんな顔をすればいい?第一声はなんて声をかけたらいい?
今からでも戻って、小清水に代わってもらうべきか。それとも、ファイルをドアの下から差し込んで、帰ろうか。
いくら考えても答えは出ない。
諦め、軽くドアをノックする。
「はあい。・・・ママ?」
聞いた声が扉の向こうから聞こえてくる。少し聞かなかっただけなのに、何年も会っていなかったような錯覚に陥る。
数秒の間。
がちゃ。
ドアの向こうから姿を現したのは、薄いピンクのパジャマに身を包んだ、白崎百合花その人だ。
制服姿でも、私服でもない。ましてや花の聖飾を纏っているわけでもない。
百合花の顔は血色が良く、健康的に見えた。光太朗が最後に見た姿は、激戦の跡がその顔に残っていたからだ。
百合花は目の前に光太朗の姿を認めると、血色の良かった顔はすぐさま灼熱の赤に変わる。
そして、高周波のような悲鳴と共に、勢いよくドアを叩き閉める音が廊下に貫通する。
「な、な、な。何で神野君がっ!?」
ドアを一枚隔てても、しっかりと聞こえる。その声には混乱も含まれている。
「あー・・・。学校から、プリントとか」
「えっ?加奈ちゃんが持ってきてくれる、って」
恐らく小清水が百合花の元に『プリントを持って行く』とだけ伝えたのだろう。誰が、という部分は省いて。
扉は開く様子はない。下の母親にでも渡して帰ろうか。
と。
ぎぎ、とゆっくりとドアが開き、未だ赤みの引かない百合花の顔が覗かせた。何故か恨みがましい目を向けながら。
光太朗はここがチャンスとばかりに半身とクリアファイルを部屋の中にねじ込むことに成功した。ドアを閉めることの叶わなくなった百合花は、差し出されたクリアファイルを手に取り、
「あ、ありがとう」
それで話すことが最後かのように、ドアを閉めようとするのを、光太朗は手で扉を抑え、制した。
「待ってくれ」
光太朗の目的は届け物だけではない。
顔も見たくないのか、百合花はうつむいたまま光太朗を見ようとしない。
「俺は、これを渡しに来ただけじゃない」
百合花の身体がぴくん、と一瞬だけ震え、ドアノブを引こうとする力を弱めてくれた。
その時。
「あら。廊下でお話なんかしてないで、部屋に上げてあげればいいじゃない」
背後から、トレイに湯気の立つ紅茶の香りと、お菓子を乗せた百合花の母がふたり姿を不思議そうに眺めている。
「ま、ママ。・・・でも」
自分の部屋には入れたくないのだろう。
謝って、帰る。許してもらえなくてもいい。そのために来た。
「ほらほらまあまあ」
そう言いながら、百合花の母は光太朗の背中越しに、空いてる手で扉に手を賭け、強引に開かせる。
そして、目の前にいる相手が娘のクラスメイトだろうがお構いなしに、光太朗の背中ごと身体で押し込んできた。
光太朗の二の腕辺りに柔らかくも跳ね返りのある感触を押し付けられ、それから逃れようとすると、まんまと百合花の部屋に誘われることとなる。
「はい。よろしければどうぞ」
手にしたトレイ一式を娘に押し付けた。
「ごゆっくり〜」
柔和な笑顔を残しながら、ぱたん、とドアの閉まる音。
しばらく、なんとも言えない緊張と静寂がふたりの間に流れる。百合花は恥ずかしそうにトレイを手にしたまま固まっている。
「ご、ごめんね。強引なマ、お母さんで」
百合花はトレイを部屋中央の小さなテーブルに置く。
座って?と、百合花が促し、小さなテーブルを挟んで、座る。
「俺には母親の記憶がないから、良くわからない。これが普通か、そうでないのかも」
言ってから、しまった、と思った。
「そっか」
と、百合花は薄く微笑む。光太朗の独白を優しく包み込むように。
光太朗はクリアファイルを改めて百合花に差し出す。
「・・・具合は、どうなんだ」
自分がその原因のはずなのに。反吐が出る。
「うん・・・。一織ちゃんが助けに来てくれたのが早かったから、なんとかなった」
一織には礼を言わなければならないな。夜宵にも。
彼女の言葉で目が覚めた。愚かだったのは自分だ。それで許されることではないだろう。
父親との誓いを歪曲し、間違った道に進み、最もしてはならないことをした。
用事を終わらせて、帰ろう。
「白崎」
「は、はいっ」
百合花は緊張の面持ちで身を正す。
「言いたいことを言ったら、すぐに帰る。聞いてくれ」
まだ赤みの残る顔に穏やかな物を宿す。
「ごめん」
光太朗は大きく頭を下げる。
「俺のせいで白崎は大きな傷を負った。悔やんでも悔やみきれないし、謝っても、許されることじゃないだろう」
恐る恐る顔を上げると、百合花は怒りでもない、悲しみでもない顔をたたえていて。
「年下の小学生にも怒られた。俺は何も分かっていなかった。それでよく誰かを救うと言えたものだと、自分でも呆れる」
夜宵の言葉が思い起こされる。信じる。それが出来なかった。自分の力しか認めていなかった。その力すら、自分で得たものではないのに。
「本当に、済まなかった」
再度、頭を下げる。
「言いたかったのは、それだけだ」
そう言って、光太朗は立ち上がろうとする。それを制したのも百合花の言葉で。
「良かった!」
それは、光太朗の思っていた反応ではなかった。
百合花は、笑っている。
まばゆく輝くような笑顔だ。
「初めて、神野君がこんなに喋っているの聞いた気がする」
それは皮肉ではない。心からの、笑顔だ。
百合花も立ち上がり、光太朗に向き直る。
「いつもひとりで避けていて、でもそれには理由があって。誰かが傷つくのが怖い、自分よりも人の痛みを考えられる優しい人」
言葉を選ぶように、百合花は言う。
・・・そんないいものではない。あの時は、捻子曲がった見当違いの正義感が自分の心を支配していただけだ。
「だから、神野君の水晶花はあんなに輝きを放っているんだね」
可笑しそうに、百合花は微笑んだ。
神野光太朗の水晶花は、まるで勇者のように雄々しく、暗闇を照らす道しるべ。天性の陽の塊だと百合花は言う。
光太朗はそうは思わない。
勇気?
違う。
自分はそんなにまともな人間ではない。
戦うことで、失うことへの恐怖をすり替えているだけだ。戦って、戦って、戦い抜けば、失うものよりも、助かる人間がいるのなら、それでいいと思っていた。
「今は、戦うことに関してだけでもいい」
光太朗の手が、優しいぬくもりで包まる。
「私、神野君の力になりたい」
なぜ、この少女はここまで強いのか。
傷つき、その要因となった男を赦し、前に進もうとしている。
それは生まれ持ったものなのか、花の騎士として戦い、成長し身に付けたものなのか。
それはわからない。
ただひとつ言えることは。
それが凝り固まった光太朗の心を清流のように溶き流し、それでなお、温かい気持ちで包みんだことだ。
優しくも、強い。そんな相反する熱。それが、どこか心地いい。
するり、と解けるように百合花が手を離す。どこか名残惜しいと思ったのは、気のせいだろうか。
「俺も、頼りにさせてもらって、いいか」
だから、そんな言葉が自然に口を突いて出た。
誰かが傷つくことを、以上に恐れていた。救うことに固執していた。そのせいで自分を閉じ込めていた。
それは自分の視野を狭め、自分の心をも推し固める。おかしな正義感だけに支配される。
その黒い心も、誰かと一緒なら分かち合える気がした。
「うんっ」
だから、百合花は光太朗の言葉に最高の笑顔で答えた。
再度、静寂。
百合花は冷静になると、ここは自分の部屋で、クラスメイトの男子がいる。
病み上がりの自分に届け物をしてくれたとは言え、この状況はあまりにもイレギュラーで。
体温が上昇する中、百合花が身体の熱とこの場をごまかそうと口を開いた瞬間。
「随分と楽しそうだな」
百合花の身体が、天井を突き抜けんばかりに飛び跳ね、絶叫を放った。
そのままベッドにダイブし、掛け布団でガードのポーズ。
光太朗はその声の主に覚えがあった。
出窓に一匹の猫の姿。
「に、ニアっ!?いつから居たのっ!?」
「少し前からだ。具体的には君がそこの不埒者と手を重ね合わせた辺りだろうか。今までに見たことのない百合花の反応、興味深くもある」
見てたのっ!?と、百合花は顔の色のマグマのように沸騰させ、叫ぶ。
ニアが出窓から床へ降り立ち、すっ、と鋭い目が光太朗に向けられる。
「よくぬけぬけと百合花の前に姿を現せたものだな」
その表情は険しく、全てを切り裂きそうな空気を纏って。
「ニア!神野君は!」
「分かっている、全て見聞きした。彼の覚悟もな」
ニヤリ、と不敵な笑みをたたえて。
「忠告しておくぞ、神野光太朗」
しなやかであるはずの尻尾は、秘めた怒りを隠しきれていないのか、直立を維持している。
「金輪際百合花を悲しませ、傷つけるようなことがあれば、我は貴様を絶対に許さない」
たん、とニアは肩前足を床に軽く叩き、その鋭い煌きを強調。
「何千、何万とこの爪で貴様の顔を刻み、すり潰す」
覚悟しておけ、と、透き通る瞳が光太朗を睨みつける。
「ニア・・・」
ただし、そこに不穏な空気はない。
「分かった。俺はもう白崎を悲しませない」
「結構」
力強い言葉に、ニアは目を伏せ、得心したように頷いた。
一方の百合花は、熱に浮かされたように、口元に手を当て、固まっていた。
「百合花」
ニアがその名を呼ぶと、本人は身を跳ねさせた。
「花の聖飾の修復作業が完了した。共に花香剣の使用許可も下りるだろう」
よかったぁ、と百合花は安堵。
「あの消えた道化師の行方も、我の方で追っている。今は身体を休めておけ」
百合花を襲った道化師は、一織の加勢に不利を悟ったか、黒晶核を手にしたまま、退避。百合花をマギアスに連れて行った後、道化師の行方を追っていた。
「ところで」
堅苦しいニアの表情がわずかに穏やかに溶け、視線が皿の上のお菓子に注がれる。
「母君の作った菓子だろう。我もそれを欲する」
ニアの身体は、すでにテーブルの上に飛び乗り、ほのかに温かいクッキーの盛られた皿を凝視している。
「・・・こういうの、食ってもいいのか?」
「ニアは猫の姿をしているけど、人間が口にできるものは食べられるの」
猫の姿をしてはいるが、喋る時点で普通ではない。本人がそう言っているのだから、大丈夫なのだろう。
「ほれ、早くそれを渡さんか」
顎でくい、と光太朗にクッキーをよこせと促す。
光太朗は皿からクッキーを一枚取り、それを食べやすいように割って、手のひらに乗せ、ニアに差し出した。
ぺろりとそれを舌先で器用にすくい取り、咀嚼。
美味なり、とニアは目を細め、満足そうだ。
「神野君、猫の扱い上手だね。飼ってるの?」
「いや、動物には触れたこともない」
きっ、とニアは視線を鋭く尖らせ、百合花と光太朗を睨む。
「いいか、我は猫の姿を模しているが、決して猫などではない。そこらの気まぐれで気分屋の生物と一緒くたにするな」
クッキーを2枚程平らげ、光太朗の手のひらのカスまで綺麗に舐め取ると、ニアは大きく背をそらす。それがどう見ても猫の行動だとは言わないでおく。
尻尾を揺らし、ニアは出窓へと飛び乗る。
「では、光太朗。先の言葉、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
カーテンの奥に身を潜めた影は、確かにニアのシルエットを映していて。
ふわり、とカーテンがはためいた時には、そこにニアの姿は消えていた。
皿に残ったクッキーと、紅茶を一杯だけおかわりをして。その場は御暇することにした。
「明日には学校に行けると思う」
そんな言葉を背に、光太朗は部屋を跡にした。
1階で百合花の母に帰る旨を伝えると、
「また、いつでも遊びに来てね」
と、穏やかに見送ってくれた。
他人の母親とはいえ、その優しい佇まいは、どこか光太朗を懐かしい気持ちにさせてくれたのだった。




