ACT14・侵食
思えば、全ての出来事はこの公園で始まった気がする。
百合花は光太朗の正体を知ったあの公園にいた。ベンチに座り、薄暗くなる空を見上げている。
ここに光太朗が来る保証はない。ここに来たのは気まぐれ。確信にも満たない予感に過ぎない。
空から気配がする。
紫色の鎧が地面に土煙を起こし、飛来。次いで、まるで重力を感じさせない足取りで別の影が着地。
紫色の鎧を纏い、傍らには赤い髪の無表情。
光太朗とアフロディーテだ。
「神野君!」
紫色の鎧が砕け、宙に溶ける。その横顔は、光を捉えない無空を形作っていて。
大人しくて、無口な人だと思っていたが、感じる印象はまるで違う。
それこそ生身なのに、その身体には人を遠ざける鎧を纏っているようだ。
「・・・アフロディーテは研究所に戻っていてくれ」
光太朗の言葉に、表情の無い目が一瞬百合花を捉え、
「了解しました」
それだけを言い残し、来た時同様高く跳躍し、茜色の空に消えていった。
公園には言葉を放つのも躊躇われるほどの静寂が流れる。
「・・・どうして」
それは何度目かの問いかけだろうか。
答えは同じく返ってはこない。光太朗の答えと意志は硬く、決まっているのだろう。
「博士に神野君のこと、聞いちゃった」
光太朗がヴァイオレットバイパーの力を得るまでの経緯。光太朗の背景。
初めて光太朗が反応を示した。
怒りでも、悲しみでも、どの感情でもない目が百合花を見る。
「関係ない。俺は全ての悪を排除するだけだ」
頑なまでの、光太朗の決意。
「・・・そんなの、悲しすぎるよ」
誰かを守るためだけに捧げるだけの人生が幸せだとは思わない。ならば、光太朗自身の幸せはどこにあるのだろう。
それで話は終わりだと言わんばかりに光太朗は歩き出す。百合花の横を通り、出入り口に差し掛かったところで異変は起きた。
「・・・うう、っ?」
光太朗の呻き声と共に、周囲の気圧が変わり、景色が一変した。
百合花はすぐにその異変に気がついた。
『闇晶空域』
アンチホープによる、水晶花からのエネルギーを抽出する時に用いる術。
だが、アンチホープの道化師なら花の騎士に術そのものが通用しないことを分かっているはず。
・・・ならば、狙いは!
振り返ると光太朗が地面に膝を付き、その表情に苦悶を浮かべている。
そして、その胸に咲く異質なる物体。
黒い、氷で作ったような花の彫像が刺さっている。
人間の水晶花から奪ったエネルギーを、道化師の術で反転させ、アンチホープに都合のいいエネルギーに変換させる現象。
名を黒晶花という。
百合花が驚いているのは別の意味でだった。
黒晶花現象に侵された人間は漏れなく意識を奪われ昏睡する。ヴェノムスケイルがその効果を防いでいるのだとしても、生身の状態でさえ意識を失わない理由にはならない。
それでも光太朗は苦悶の表情を浮かべ、息は荒く、身動きひとつ取れず、胸から飛び出る黒い花に視線を落としている。
「・・・何だ、これは」
「動かないで」
光太朗を庇いながら、百合花は周囲を伺う。
公園に立つ街頭。その頂点に誰かがいた。
その正体を百合花は知っていた。それは学校に現れた黒衣と同じ姿をしていたからだ。
「素晴らしい!」
誰に語るわけでもなく、黒衣は歓喜の声を上げ、手の中に宿る禍々しい黒い塊に目を向けていた。
黒晶花から抽出し、圧縮した人間のエネルギーの塊、黒晶核。それが、シェイドを産み落とす力となる。
「その者の水晶花の輝きは群を抜いている。闇晶空域に居ながら砕けることのない精神力!稀に見る逸材だ!」
百合花は怒りの表情を浮かべ、道化師に向き直る。
「その黒晶核を今すぐに返しなさい!」
にやり、とフードで見えない口元が歪む。
「その願いが今までに通ったことがあるか?」
「そうだな。そのために我々がいる」
いつの間にか百合花の足元にニアが現れ、鋭い視線を黒衣に向けている。
ニアの背中が円状の光を放つ。円の中心部から花香剣が飛び出し、百合花はそれを空中でキャッチ。
「カラフル・コネクト・ルミナース・・・!」
変身の呪文を唱え、百合花の纏う衣服が反転する。ホワイトリリィへと変化した百合花が、花香剣を構える。
「どれ、ひとつ試してみようか。強き輝きを放つ心の力を!」
黒衣の持つ黒い塊から雫が垂れるように、漆黒の一筋が地面ヘと落下。
地面の中を透過するように染み込んだそれが一瞬の静寂を作り、
「顕現せよ。我が傀儡よ」
黒衣が呪いの言葉を紡ぐと、雫が溶けた地面が、黒い波で蠢き。
信じられないことが起きた。
その現象自体は驚嘆に値するものではない。いつもの道化師の手口だ。
人型のシルエットが地面から盛り上がり、出現。そのシェイドの姿は、見知った形をしていた。
「・・・ヴァイオレット・・・バイパー?」
それはまさしくヴァイオレットバイパーと同じ姿をしていた。ただし、色は黒く、禍々しい。一定の黒さをなしておらず、斑のように色を変えながら。
「成功だ!より強固な黒晶核の精製!我が計画に必要なパズルのピース!」
黒衣は、実験に成功して喜ぶ研究者のような歓喜を見せる。
「シェイドの姿や能力は、奪った黒晶核の依代に左右される」
黒衣の態度にも冷静に、ニアは目の前の異変を解析する。
「気をつける百合花。あのシェイドは今迄とは違うぞ」
ニアでさえ、目の前のかりそめの人形を危険視する。
「・・・どけ、俺がやる」
なおも抗おうと、光太朗が膝を震わせながら立ち上がろうとする。その姿に猫目を丸くさせたのはニアだ。
「信じられん。黒晶花に侵されながらも意識を保っていられるというのか」
驚愕の表情で光太朗を見上げる。
「これはいい!無尽蔵のエネルギーを有する稀有な個体!」
黒衣の興味の視線が光太朗に刺さる。まるで宝を目の前にしたかのような喜びすら感じる。
立ち上がるのもままならない光太朗の前に、百合花が立ちはだかる。
「安心して。・・・私が神野君を守るから」
ニコ、と百合花は光太朗に笑いかける。
それを、光太朗はどこか遠い場所で起きている出来事のように思えた。自分の手が届かない、まるで、かつての自分が見ているかのような。
情けない。
光太朗は息も絶え絶えに、伸し掛かる重圧に耐えきれず、膝を突く。
自分は全ての脅威をこの世から消すと誓ったばかりなのに。
クラスメイトを戦わせるような事はしたくない。
光太朗は自分の右腕に左手を添える。リングをひねろうとして、止まる。 リングがなのか、手の力がなくなっているかはわからない。まるで腕が石化したのではないかというくらいに、重く、硬い
変身もままならない。何のためにここにいるんだ。自分の不甲斐なさが憎い。
戦うのは自分だけでいい。傷付くのは自分だけでいい。そう思っている。それは今この瞬間も変わらない。
「試運転といこうか。・・・やれ」
黒衣が眼下の傀儡に命令する。
ゆらりと両腕が揺れ、地を蹴った黒いヴァイパーは、一直線に百合花へ飛ぶ。
刃を生む花香剣を差し向け、百合花も飛ぶ。
空中で剣と黒いヴァイパーのこぶしが切り結ぶ。
すれ違いざまに放った花香剣を、黒いヴァイパーは腕でガード。入れ違いに放たれたハイキックを、今度は百合花が刀身を盾に受け止める。
「ぐ、ううっ!」
凄まじい圧力。
次いで放たれる弾丸のようなパンチをかろうじて返した刃で受け止めるも、百合花の身体が大きく弾き飛ばされ、光太朗は息を飲む。
「くそ!俺に戦わせろ!おい!お前の相手は俺だ!」
クラスメイトを襲っている相手が、自分から生まれたヴァイパーろ寸分違わぬ姿。これが黙っていられるか。
「無理だ。本来ならこの空間であることも含め、力を奪われてなお意識を保たれていることが異常なのだ」
ニアの鋭い目が光太朗を向く。
「それほどまでに貴様の水晶花の輝きが強く眩いことを示し、皮肉にもシェイドは強大な力を持って生まれてきた」
ニア自身も、これほどのケースは見たことがない。しかも、黒晶花に犯されてなお、気絶しない人間を見たのも。
「俺の身体をなんとかしろ。戦えるようにしろ。それくらいできるだろう。今までアンチホープと戦って来たんだから!」
憐れむようなニアの目。急かし、焦る光太朗は我儘、そして無様に映っていて。
「貴様のお守りをしながら戦えと?それは彼女の動きを鈍らせる。百合花に任せろ」
「俺が奴を叩く!俺が、戦わなきゃいけないんだ!」
震える膝に発破を掛け、立ち上がろうとする。だが、光太朗の身体自身がそれを許さない。
ニアの目が今までにないくらいに鋭く形を変え、
「自惚れるなよ!百合花は数多の戦いを乗り越えてきた!立つこともままならない貴様が加勢してどうにかなるものか!」
ニアの鋭くも憐れんだ目が光太朗に叩きつけられる。怒りを滲ませたその表情は、抑えの効かない子どもを諭しているようで。
「他人を信頼せず、無策で暴れまわることしか考えていない奴が勇者であるはずがない!命を粗末にする愚か者だ!」
ニアの叱咤に、鉛のように重くなる頭が地面に向く。情けない。ただただ自分が許せない。
「百合花!上だ!」
何かに気づいたニアが叫ぶ。
公園の遥か上空に座した黒衣が、片腕を真下に向かって突き出す。すなわち、百合花へと。
「かあっ!」
黒衣が吠え、開かれた手の平から黒い槍状の光が生まれ、それが無数に地面に向かって放たれた。
黒い槍は、狙いが百合花だけかのように、正確にターゲットに向かって飛来させた。
「くっ・・・!」
それを百合花は光の盾を生み出し、防御。だが。
「きゃあっ!」
巻き上げられる土煙が晴れる間もなく、前方から疾風のように押し迫る黒いヴァイパーの攻撃をまともにくらい、悲鳴と共に百合花の身体が地面に擦り付けられた。
一対一である必要も、義理もない黒いヴァイパーと黒衣が、同時攻撃を卑怯と罵るのはお門違いだろう。
「うううっ・・・!」
震える足に無理矢理力を込めて、光太朗は立ち上がる。
「無理をするな!貴様の身体はいつ意識が切れてもおかしくは無いんだぞ!」
身体にかかる負荷は、自分が一番よく知っている。ニアが、自分を咎めるのすら煩わしい。
足を、腕が少しでも揺れる度に意識が砕けそうになる。だけど、じっとしている訳にはいかなかった。
「素晴らしい!惜しいな、その力!もう一度奪ってみるか・・・!?」
黒衣の見えない目が光太朗に差し向けられる。
「まずいぞ。流石に2度黒晶花が咲いたら、命の保証はない!」
それは闇晶空域で意識を保てていることよりも異質で、未知の現象。
黒衣の手のひらが開く。黒い蔦のような物が伸び、光太朗へと走る。
それを阻止したのは百合花だった。息を切らせながら、花香剣で蔦を切断。
「させない・・・!」
顔だけでなく、身体、腕、足。
衣服が汚れても、怪我を負っても、見せる決意に陰りはない。
「なら、これはどうかな?」
黒衣の背後に、先ほどとは比べ物にならない数の黒い槍が生まれる。百合花の顔に焦りが生まれ、黒衣の背後から黒い雨が放たれた。
百合花は光太朗を守るように前に立ち塞がった。
その時、光太朗の意識が突如、切れる。薄れゆく意識の中、光太朗が最後に見た光景は、あくまでも優しい笑みを向ける百合花の姿だった。
長い夢を見ていた気がする。
身体を襲う不快な重圧が嘘みたいに消え去る。
意識が切れる前の出来事を夢の中で思い出し、光太朗の身体は飛び跳ねるように起きた。
そこには。
夕暮れが濃くなり始めた空。
時間はそれほど経っていないらしい。
闇晶空域は、ない。
身体も軽い。
そこに居たのは、一織だ。バニーセイザーの姿で、後ろ姿からは表情は伺えない。傍らには、夜宵。険しい視線を光太朗に向けている。
そして。
地面に倒れ伏せる、百合花。その側に寄り添うニア。そして、心配そうな表情のウサポ。
・・・一体、何がどうなったんだ?
重苦しい空気を引き裂いたのは、ニアだった。
「・・・一旦、百合花をマギアスに連れて行く。花の聖飾の修復もしなければならない」
百合花は動かない。
一步、光太朗が近づく。
それを許さない、ニアの切り裂くような唸り声と、拒絶の瞳孔。
「近づかないでもらえるか!」
一織の身体がびくん、と震える。
「・・・貴様を身を呈して守った結果だ。貴様の黒晶花も解けた。一織が来てくれなければ危なかった!」
ニアの毛が逆立ち、怒りに震えている。
「我は思い違いをしていたようだ。そうだな、貴様の言う通り、貴様は百合花と肩を並べる、いや、その資格すらない!」
何も、言葉が出てこない。
何か、熱いものが喉を逆流する感覚。
ニアが百合花に寄り添う。すると、ひとりと一匹の身体が光の粒子に包まれ。
今の瞬間まで、地面に倒れていた百合花の姿が、消える。
辺りを吹きすさぶ、虚しい風。
この胸糞悪い、我儘なくだらない心もいっそ吹き飛ばしてくれたら良かった。
「・・・お兄、さん」
一織が心配そうに呟く。だが、決して触れることのない距離を保ちながら。
どうすればよかった?
変身も出来ない。動くことも出来ない。戦うことも出来ないのだ。
「貴方はヒーローには相応しくない男のようね」
突如、そんなことを口にしたのは夜宵だ。
「や、夜宵ちゃん」
諌める一織の言葉にも、夜宵の言葉は鋭い。
「どうすればよかったんだよ。・・・どうすればよかったんだッ!」
叫び、こぶしを地面に打ち付ける。
鈍痛が光太朗の身体を貫く。
小学生の女の子に喚き散らし、情けない。
だけど、どうしようもなかった。あの状況を打破できた案があるならご享受願いたい。
「貴方が、昔の一織と同じ間違いをしたからよ」
・・・言っている意味がわからない。
出会ったばかりの間柄だ。ふたりの昔話など知るはずもない。
「以前、私は一織ちゃんの後を追うようにスターセイザーの力を手に入れたわ」
夜宵の目が伏せられ、記憶を辿るように語り始めた。
「私はこれで一織ちゃんに追いつける。一織ちゃんと肩を並べて戦える。そう思ったわ」
夜宵が一織を見る。一織もそれに応えるように夜宵に視線を向けた。
「けど、一織ちゃんはいい顔をしなかった。それは決して私のことを足手まといとか、心もとないと思っているわけではなく、後発である私が戦いに身を置くことを案じて遠ざけたの」
それはまるで、光太朗が百合花に思っていたことと同じで。
「大方、貴方も同じことを百合花さんに思っていたのではなくて?」
見透かされていた。だが、そんな単純な話ではないのだ。
戦闘経験は確かに百合花の方が上だろう。それどころか、光太朗は一織にも劣るかも知れない。
相手が誰だろうと、知った顔が傷つくのが耐えられないのだ。
だが、その考えが誤りであると知る。現実に、百合花は傷ついた。
「あの時貴方がするべきことは、変身し、共に戦うことじゃない」
夜宵は息を吸い、一拍。そして。
「百合花さんを、信じて待つことだけよ」
「・・・そんなことで、あの状況がひっくり返ったとでも言うのか」
そうは思えない。
あの時必要だったものは、絶対的な力。光太朗の加勢だったはずだ。
「そうよ」
夜宵は何の疑いも無く言い切った。自分の放つ言葉に、疑いすら抱いていない。
「だって、私たちはそういう存在だから。信じる誰かのためならば、大切な誰かのためなら限界以上の力を引き出せるのよ。それは強大な的に立ち向かえる力になる」
「信頼する誰か、だと?俺と白崎はそんな関係じゃない。命を賭ける間柄じゃない」
ただの同じような力を持ったクラスメイトにすぎない。ただの隣の席に座る女子に過ぎない。
「ふふ、そうかしら」
光太朗の言葉に、夜宵は小さく笑う。それは嘲るようなものではなく、年相応の笑顔に思えた。
「少なくとも、百合花さんは貴方を助けるために命を賭けたわ。それが全てではなくて?」
水晶のようなふたつの瞳が光太朗を見据える。
意固地になっていた。使命に囚われていた。
自分の思いが、考えが全てだと愚かな思い違いをしていた。ニアの言う通りだ。
胸に渦巻く、黒い何かが穏やかに解けて行くのを、光太朗は不思議に感じていた。
それが悪くなく、心地いい、とも。




