最後の夏が終わる前に
第1話『いなくなったあの子』
浦賀町の夏祭りは、年に一度の大きな光だった。
海から吹く涼しい風に混じって、たこ焼きの香ばしい匂いや、金魚すくいの水音、笑い声が町のあちこちに広がる。
古い神社の提灯はゆらゆら揺れて、その明かりは夜の闇を優しく照らしていた。
真柴アオイは、人混みをかき分けながら、祭りの賑わいを眺めていた。
彼は祭りが好きだった。理由ははっきりしないけれど、みんなが楽しそうにしている姿を見ているだけで、少しだけ心が軽くなる気がしたからだ。
そのとき、アオイの目は屋台の並びの隅にある小さなスペースに留まった。
そこには、一人の少女が肩を震わせていた。
彼女の名前は羽山サキ。アオイのクラスメイトだ。
サキは誰にも見られたくないように、顔を手で隠して泣いている。
祭りの明かりが彼女の涙を照らして、ぽつぽつと光っていた。
アオイはその場に立ち止まった。声をかけようかと迷ったけれど、結局何も言えずに、その場を離れてしまった。
それが、この夏の夜の、ほんの小さな出来事だった。
けれど、あの日の出来事が――彼女の消えた、その翌日から起こることの始まりだったのだ。
屋台の明かりが遠ざかる中、アオイの胸の中には、どうしようもないもやもやが広がっていた。
サキの涙の意味がわからない。彼女が何を抱えているのかも。
ただ、あのとき声をかけなかった自分を責めていた。
「声をかけていれば、何か変わっていたのかな…」
ひとり呟いて、アオイは小さく肩をすくめた。
翌朝の町は、いつもと変わらない静けさだった。
でも、サキはもうそこにはいなかった。
彼女の家の前には、わずかな荷物と一枚の置き手紙が残されていた。
そこには短い文字でこう書かれていた。
『ごめんね。みんなには迷惑をかけたくないの。』
アオイはその紙を握りしめながら、ただ涙をこぼした。
それは、消えた彼女からの、最後のメッセージだった。
◇ ◇ ◇
第2話『置いていかれた気がした』
語り手:柚原リナ
サキがいなくなったって聞いたのは、日曜の昼すぎだった。
スマホの通知が鳴って、開いてみたら、クラスのグループLINEがざわついてた。
《サキって連絡つく?》
《昨日の祭りで見た人いる?》
《家に帰ってないってお母さんが言ってる》
最初はまた誰かの悪ふざけだと思った。
だけど、みんなが次々に「心配だ」「うちの親が警察に電話した」なんて言い始めて、さすがに背筋が冷たくなった。
私はスマホをぎゅっと握って、自分の指が少し汗ばんでいるのを感じた。
……うそでしょ。
昨日、ちゃんと会ってるのに。サキ、浴衣着て、髪をアップにして、いつもよりちょっと背筋を伸ばしてさ。
「今日のリナ、うなじ出てる」なんて笑ってたくせに。
祭りの夜のことが、頭の中で何度も巻き戻される。
——あの夜、私たちはちょっとケンカした。
ケンカっていうか、言い合い?
屋台の裏、うるさい音楽と焼きそばのにおいのすき間で。
「リナって、ほんとに何も気づかないよね」ってサキが言った。
「なにそれ。どういう意味?」
「ううん。ごめん。もういい」
そのまま、彼女はふわっと笑って、屋台の灯りの向こうに消えた。
なんかイヤな感じがして追いかけようとしたけど、こっちを見ないまま人の波にまぎれてった。
あれが最後だった。
午後、私はサキの家の前まで来ていた。
さっきからドアの前でうろうろしてるけど、呼び鈴を押す勇気が出ない。
誰かに「なんであんた来たの」って言われそうで。
サキのお母さん、たぶん私のこと、そんなに好きじゃなかったと思う。
というか、たぶん誰のことも信用してなかった気がする。いつも表情がかたいし、話しかけても目を見てくれなかった。
玄関に張り紙が貼ってあった。
「羽山サキに関する情報がありましたら浦賀警察までご連絡ください」
印刷された文字がすごく冷たくて、私の鼓動だけが大きく響いていた。
そのとき、ポストに一通の封筒が入ってるのが目に入った。
濃いグレーの封筒。役所のマーク。宛名は「羽山サキ様」。
え、役所? どうしてサキに?
好奇心が喉までこみ上げてきて、思わず手が伸びそうになったけど、ぐっとこらえた。
今、勝手に触ったら、それこそ最低だ。
帰り道、私は海の方へ歩いた。
祭りの翌日の海は、屋台のゴミの匂いがまだ残ってて、あんまり気持ちよくなかった。
サキがいなくなるなんて、思ってもなかった。
彼女はいつだって、私の隣にいてくれるって、勝手に思ってた。
ちょっと厳しくて、たまに皮肉っぽくて、でも優しくて。
サキがいることで、私は自分の立ち位置をわかってたのかもしれない。
いなくなって、やっと気づくなんて、ずるいよね。
置いていかれた気がした。何も言わずに、先に向こう側に行かれたような。
──「リナって、ほんとに何も気づかないよね」って。
ごめん。
ほんとに、気づけなかった。
次に会えたら、ちゃんと聞くから。
あのとき、なにを言おうとしてたのか。
どうして泣いてたのか。
──だから、戻ってきてよ。
それだけでいいからさ。
◇ ◇ ◇
第3話『おまえのいない場所で』
語り手:カズト
あいつがいなくなったって聞いたのは、月曜の昼だった。
教室の隅っこでスマホ見てたら、チャットに誰かが書いてた。
《サキ、もう引っ越したんだって》
《なんか置き手紙あったらしいよ》
最初はまた“誰かの大げさな噂”だろうと思ってた。
サキは、そういうの、よく巻き込まれるやつだったから。
目立つくせに群れないし、キツいこと言うくせに優しいところあるし。
変に周りに気を遣わせるやつ。……俺も、そうだった。
でもその夜、親から「羽山さん、突然いなくなっちゃったらしいわよ」って聞かされて、ようやく実感がわいてきた。
母さんの口ぶりが、ただの「転校」とか「引っ越し」とは、ちょっと違ってた。
「なんか…色々あったんじゃない? その、家庭の事情とか」
その言葉に、俺の中で何かが引っかかった。
……あれは、祭りの夜だった。
屋台の裏で、サキが誰かと話してるのを見た。
遠くからだったし、相手の顔までは見えなかった。
ただ、二人ともすげぇ真剣な顔してて、空気が張り詰めてた。
声をかけようか迷ったけど、結局やめた。
俺にできることなんて、何もない気がして。
あいつと別れたのは、一ヶ月前。
理由は簡単だった。
俺の方が疲れた。
サキは自分のことを話さない。
何考えてんのか分かんねぇし、距離感も掴めなかった。
「もっと素直になれよ」って言ったら、サキは黙った。
ただ、小さくうなずいて、「わかった」って言った。
それで終わりだった。
泣きもしなかったし、怒りもしなかった。
……その冷静さが、逆に怖かった。
俺の方が、勝手に逃げたんだ。
傷つけるのが怖くて。
深く関わって、自分の中に何か背負い込むのが怖かった。
でさ、いなくなった後に思うんだよ。
あいつ、ちゃんと誰かに「助けて」って言えてたのかなって。
誰にも言えないまま、全部ひとりで抱えてたんじゃねーのかって。
「ごめんね。みんなには迷惑かけたくないの」
──手紙の文面、見せてもらった。
ずるいよな、それ。
そんなの、何も言ってないのと一緒じゃんか。
いや、ずるいのは俺の方か。
気づいてたくせに、怖くて見ないフリしてた。
あの祭りの夜、サキの隣にいた“誰か”は誰だったんだろう。
なんであんな顔して、話してたんだろう。
あれが「最後の会話」だったとしたら──
俺はもう、二度とあいつに謝れねぇ。
「なぁ、サキ。……ほんとは、どこにいんだよ」
誰もいない海辺の道を歩きながら、そう呟いた。
波の音が、返事の代わりみたいに聞こえた。
◇ ◇ ◇
第4話『気づけなかった声』
語り手:ユウマ
姉ちゃんがいなくなったって、母さんの背中を見て気づいた。
月曜の朝、俺がリビングに行ったとき、母さんは椅子に座ったまま、じっとテーブルの紙を見つめてた。
入院から戻ってきたばかりで、まだ身体は思うように動かない。
でも、あのときの母さんの背中は……何も言わなくても、全部を語っていた。
テーブルの上には、見覚えのある文字。
あの、姉ちゃんの字。
『ごめんね。みんなには迷惑かけたくないの。』
短い、でも妙に丁寧な文字だった。
見た瞬間、全身から血が引いて、足がすうっと冷たくなった。
「……は?」
って、口に出してた。自分でも、意味わかんなかった。
その日から、家の中の音がごっそり消えた。
ドライヤーの風の音も、スリッパのぺたぺたした足音も、
夜中にこっそり食べてたカップラーメンの匂いも。
全部、いなくなった。
テレビをつけても、ぜんぜん面白くなかった。
風呂の音がひとりきりだと、やけに響いた。
寝る前にスマホ見る気にもならなかった。
俺は、姉ちゃんとそんなに話すほうじゃなかった。
年が離れてたし、姉ちゃんはなんかいつも忙しそうで、近づきづらい雰囲気があった。
けど、たまに、優しかった。
俺がテスト前で寝落ちしてたときは、リビングに温めたカップスープをそっと置いてくれてたり、
体育のあとで筋肉痛って言ったら、湿布だけ黙って渡してくれたり。
気づくとそばにいて、でも、あんまり何も言わない人だった。
祭りの前の日、姉ちゃんが珍しく話しかけてきた。
「明日、行かないの?」
「人混みやだし、めんどい」
そう言った俺に、姉ちゃんはふっと笑って、
「行かなくていいよ。ああいうの、見せかけだけだし」
って、ぽつんと呟いた。
そのときは、何気ない会話だと思った。
でも、今思い返すと……あれ、なんかおかしかった。
いつもの姉ちゃんじゃない感じがした。
あれが「最後の会話」だった。
なんで、もっとちゃんと見てなかったんだろう。
なんで、「何かあったの?」って訊かなかったんだろう。
いなくなってから、やっと分かることがある。
あの夜、部屋のドア越しに小さく何かを呟いてたのを、
「独り言か」と思ってイヤホンつけた自分を、今ごろ責めてる。
姉ちゃんは、誰にも頼れなかったのかもしれない。
親にも、友達にも、元カレにも、そして──俺にも。
今、俺の机の引き出しには、あの手紙のコピーが入ってる。
母さんが捨てようとしてたのを、こっそり隠した。
あれが、姉ちゃんの最後の「声」だから。
なあ、姉ちゃん。
今どこにいるの?
何をしてるの?
誰かと一緒?
それとも、ひとり?
……あのとき、ドアを開けていれば、何か変わった?
今さら訊いても、もう遅いのにさ。
◇ ◇ ◇
第5話『沈黙のあとで』
語り手:カズト
サキがいなくなって、町はいつの間にか日常を取り戻したように見えた。
だけど、それは表面だけで、本当はみんな知ってるんだ。あの夜、何かが起きたって。
俺も、あの夜のことを忘れようとしてた。
だけど、どうしても、気になってしょうがなかったんだ。
あの空き地で、サキは誰と話してた? あれはただの偶然だったのか?
でも、考えても答えなんか出なくて、何日も悶々としてた。
学校ではサキの話はタブーになってた。
誰も名前を出さない。代わりに、小声の噂話だけが廊下に漂ってる。
「親が夜逃げしたらしい」とか、「実は彼氏と駆け落ち」とか。くだらない。
あいつがそんなことするわけないって、俺は知ってた。
――少なくとも、俺が付き合ってたときは、そんなやつじゃなかった。
「なあ」
俺は、放課後の昇降口で、アオイを呼び止めた。
「話、してもいいか」
アオイはちょっと驚いた顔をしたけど、うなずいてくれた。
ふたりで町の外れの公園まで歩いた。小さなベンチに並んで座る。
「祭りの夜、サキ見たんだ」
俺の口から出たのは、それだけだった。
ずっと胸の奥にしまってたものが、ようやく言葉になった。
アオイは静かに耳を傾けてくれた。
「誰かと話してた。男か女かもわかんなかったけど、ただ……雰囲気が変だった」
アオイは少し考えてから、口を開いた。
「そのとき、声は聞こえた?」
「全部は聞こえなかった。ただ、“それじゃ困る”って声が聞こえた気がする。低くて、固い感じの」
思い出そうとすると、体がざわついた。
「その人、サキの家族とか……じゃないよな」
アオイがぼそっと言った。
「母親は……あいつ、入院してたって噂だったよな。でも最近、戻ってきたらしい」
「戻った……?」
「うちの親、役所で働いてるんだけど、聞いたことあるって。退院はしたけど、療養中でほとんど寝たきりらしい」
「じゃあ、家のことは……」
「サキが全部やってたんだって」
アオイの声に、怒りみたいなものが混じってた。
しばらく無言が続いた。
ベンチの向こうで、誰かの自転車のベルが鳴る。
「だからって、消える理由にはならない」
俺は呟いた。
「もっと、誰かに言えただろ。俺にも、リナにも」
言ったあとで、自分でも嘘っぽく聞こえた。
あいつが誰にも言えなかった理由――きっと、あるんだ。
俺たちが知らなかった顔、言えなかった気持ちが、あの夜のサキにはあった。
アオイが立ち上がった。
「……サキ、戻ってこないかな」
「わかんねぇ。でも、もう少しだけ探してみたい」
俺も立ち上がった。
帰り道、空はどこまでも青くて、なんだかやけに遠かった。
◇ ◇ ◇
第6話『白紙の手紙』
語り手:羽山サキ/手記の断片
7月17日(月)
朝、ユウマが私を呼んだ。
でも私は返事をしなかった。
何を言えばいいのかわからなかったから。
母さんはテーブルの手紙をずっと見ていた。読んだかどうかはわからない。
もう、誰にも何も伝わらなければいいのに、って思った。
7月12日(水)
洗濯物を干していたら、左手が震えた。
昨日もその前も、そうだった。
洗い物をしていて、皿が一枚割れた。音が大きくて、母さんが目を覚ました。
私を怒った。
怒る力があるなら、自分でやってよ、って思った。
でも、口には出せなかった。出したら、崩れてしまいそうだったから。
7月9日(日)
昼、役所の人が来た。
「書類が不足しています」と言われた。
「もう一度提出してください」と言われた。
帰ったあと、台所でずっと泣いた。
泣きながら米を研いだ。
母さんは、あの人たちに笑ってた。
でも私は、笑えなかった。
7月1日(土)
昔、神社でお参りしたときのことを思い出した。
小さい頃、父さんと三人でおみくじを引いた。
父さんは「大凶」だった。
母さんが笑った。
私は「小吉」だった。
そのときのことを思い出した。なぜか、急に。
6月23日(金)
あの人に会った。
「このままじゃ、あなた潰れるよ」って言われた。
でも、私が潰れたら、ユウマはどうなるの?
誰がご飯作るの? 学校の連絡帳誰が書くの?
母さんはもう、家のことできないんだよ。
「助けて」って言えたら、楽になれる?
言えない。言えないよ。
言ったら、全部壊れるから。
(ページの下部にだけ、震えるような文字でこう記されていた)
「消えたいんじゃない。消えてしまいたいだけ」
◇ ◇ ◇
第7話『君がいた証』
語り手:真柴アオイ
夏祭りが終わって、何日も経った。
けれど、僕の中では、あの夜がずっと終わらないままだった。
サキがいなくなったあと、町の空気は少しだけ変わった。
表面上は何も変わらないように見えても、誰もそれに触れようとしなかった。
あの日見た、サキの涙の意味を、誰も知らないふりをしていた。
僕は、学校の図書室の裏手、誰も来ないベンチでぼんやりしていた。
風に舞って落ちた紙切れが、ふと足元に引っかかった。
「ん?」
拾い上げると、それは小さな、ノートの切れ端だった。
ところどころ薄れて読みにくくなっていたけれど、ボールペンで書かれた文字が見えた。
「わたしがいなくなっても、誰も困らない。
わたしがここにいる理由って、何だったんだろう。」
息が詰まりそうになった。
この文字、たぶんサキのものだ。
まっすぐな、でも少し不器用な字。
前にもどこかで見た気がする。
たしか、彼女が演劇部で台本を直していたとき、同じような字を書いていた。
「……こんなところで、何やってたんだよ」
心の中で、何度も問いかけた。
僕たちは、気づこうと思えば気づけたはずだった。
でも、「気のせいかもしれない」って、都合のいい言い訳でごまかしてきた。
放課後、ユウマに声をかけた。
「これ、たぶん……サキの。渡しておくよ」
ユウマは紙をじっと見つめていた。
何も言わず、ただ黙ってうなずいた。
彼の手が、ほんの少し震えているように見えた。
その手が、紙をそっと胸元にしまったとき、僕はようやく、少しだけ前に進めた気がした。
たぶん、サキは、誰か一人でも自分のことを見てくれていたら……
「消える」なんて選ばなかったかもしれない。
だけど、それはもう戻らない時間だ。
今さら、何かが変えられるわけじゃない。
だけど、見失わないようにしよう。
僕たちが一緒にいた時間を。
サキが、ちゃんとこの町にいたことを。
忘れない。
僕たちの、最後の夏を。
◇ ◇ ◇
第9話『置き去りの言葉』
語り手:柚原リナ
サキとケンカしたのは、夏祭りの前の週だった。
きっかけは、ほんの些細なことだったはず。
掃除当番をすっぽかしたとか、部活の連絡が伝わってなかったとか、そんな程度。
なのに、あたしはなぜか、止まらなくなってた。
「だからアンタはさ、何でも一人で抱え込んで――!」
あのとき、どうしてあんな言葉をぶつけたんだろう。
ほんとうは、あたしが一番わかってたのに。
サキが、どれだけ無理して笑ってたか、知ってたはずなのに。
スマホのメモ帳を開いて、何気なく過去の下書きを見てたとき、ふと、ひとつだけ未送信のメッセージが目に留まった。
「ごめん、わたしも言いすぎた。ほんとは、もうちょっとだけ甘えたかっただけ」
……あたしが書いたんじゃない。
これは、サキが打ちかけて、そのまま送らなかったメッセージだった。
祭りの夜、あたしのスマホ、ずっと机の上に置きっぱなしだった。
サキが、触れたんだ。
送らずに、残したまま。
あたしは、指で画面をなぞりながら、涙が止まらなくなった。
「……バカだよね、あたしたち」
たったひとこと、「ごめん」って言えてたら。
たったひとこと、「大丈夫?」って聞けてたら。
きっと何かが変わってたって、今さら言っても遅いけど――
その夜、アオイとカズトとユウマと、四人で校舎裏に集まった。
無言のまま、風に揺れる紙灯籠を見つめてた。
誰も、最初は口を開かなかった。
でも、あたしはスマホを取り出して、そっとそのメッセージを読み上げた。
「……ほんとは、もうちょっとだけ甘えたかっただけ」
誰かが、小さく鼻をすする音がした。
「……ねえ、あたしたち、本当に何もできなかったのかな」
問いかけた声に、誰も答えなかった。
でも、その沈黙が、たぶん答えだった。
後悔だけじゃ、前に進めない。
それでも、後悔があるからこそ、立ち止まらずにいられるのかもしれない。
サキがいなくなっても、あたしたちはまだ、ここにいる。
この夏は、まだ終わってない。
◇ ◇ ◇
第10話『さよならじゃない』
語り手:羽山ユウマ
九月の風は、夏の終わりを連れてくる。
海の匂いも、少しずつ冷たくなって、季節がゆっくり変わっていくのがわかる。
でも、あの夏だけは、きっと一生、終わらないままだ。
サキがいなくなったあの日から、僕の時間は、ずっとそこに立ち止まっている。
ある日、家の物置の奥から、見覚えのない箱が出てきた。
サキのものだった。
古いノートや、書きかけの作文、小学校のときの写真――その一番下に、封のされていない手紙があった。
「これを見つけたなら、たぶんわたしは、いなくなってると思う。
ごめん。
でも、これは逃げじゃない。ちゃんと、自分の足で選んだ道。
わたしはこの町が好きだった。
でも、もう少し、知らない場所で、自分のことを見つけたくなっただけなんだ。」
息をのんだ。
「ほんとうは、誰にも何も言わないつもりだった。
でも、ユウマには伝えておきたい。
あの夏、最後の最後まで、一緒にいてくれてありがとう。
きっとずっと、忘れない。
だから――さよならは言わないよ。」
それだけの手紙だった。
消えた理由は、事件でも、病気でも、家庭の崩壊でもなかった。
ただ、彼女は限界だった。
誰にも壊れた姿を見せる前に、きちんと自分の意思で離れたのだ。
その夜、僕たちは、もう一度集まった。
校舎裏の、サキが最後にいた場所で。
火を灯した線香花火を囲んで、アオイが言った。
「やっぱりさ、これって“終わり”じゃないんだよ。
たぶん、始まりだったんだと思う。
サキの――それから、僕らの」
リナは、小さくうなずいた。
「ちゃんと見てあげればよかったって、何度も思った。
でも……これからは、自分の周りの誰かの“サイン”に、気づけるようになりたいなって思った」
カズトが、無言で花火を見ていた。
その横顔が、夏の終わりの空気に溶け込んでいた。
僕は、小さな声で言った。
「ありがとう、サキ」
誰に届くわけでもないその言葉が、夜空のどこかへと消えていった。
でも――不思議と、あたたかかった。
サキは今も、どこかで生きている。
それがわかっただけで、救われた気がした。
僕たちは、きっともう一度、会える。
それまで、恥ずかしくない自分でいられるように、ちゃんと生きていこう。
この物語は、
「いなくなった誰か」ではなく、
「確かにそこにいた誰か」の物語だ。
そして僕たちの――
最後の、でもきっと、始まりの夏の話だ。