Episode 9
シャワーで汗を流し、着替えてからダイニングルームに入ると、すでに”お父様”がテーブルについていた。
イライザの父、ウォーノック公爵は、ゲームには名前しか出てこない。つまり、転生後初めて顔を見た。これがまぁ、さすがイライザの父といった風体のイケオジで、グレーがかったブロンドに、彫りの深い端正な顔立ち。大人の色香がムンムンしている。
イライザの母親はもうすでに他界していることもあり、社交界でも大人気らしい。確かに、枯れ専じゃなくてもこの人に微笑まれたらクラっとくるかも。
そんなお父様は、亡き妻にそっくりなイライザにはデレデレだ。公爵なんだから再婚してもよさそうなもんなのに、生涯亡き妻一人を愛す、と、数多の縁談をお断りしているらしい。忘れ形見のイライザさえいてくれればいいと、とにかくイライザを溺愛している。
それだけ愛情を注いでいる娘がこの度婚約破棄されるという事態になり、お父様はかなりな火力で怒りを燃やしているのだ。そんなわけで、婚約破棄になって家族から責められるかもしれない、という私の心配は杞憂に終わった。むしろ、心配なのはリアムの方だ。
お父様の子どもはイライザだけ。公爵位を継げるのは男子のみなので、分家筋から養子を迎えるか、弟が二人いるリアムに婿入りしてもらうか、どちらかを結婚前に決める予定だったらしい。
婿入りする可能性もあったリアムを、お父様もそれなりに気に掛けていたようだから、イライザだけでなく自分も裏切られたという思いが強くて、それがさらに怒りを燃やす燃料になっているんだと思う。
「おはよう、イライザ。今日も可愛いね。ああ、クロフトンのバカ息子は、学園を追放しなくて平気かい?きっともう、顔も見たくないだろう?それとも、刺客を送って息の根を止めようか?」
うわー、不穏不穏!笑顔で不穏だから!
私が元婚約者リアムの婚約破棄の申し出を受け、すぐに承諾したのは、ヒロインのアンジーがリアムルートに入ったことを知っての、断罪ルート回避のためでもあったし、そこまでリアムへの執着がなかったからでもある。つまり、円満な婚約破棄なのだ。あくまで私とリアムの間では。
私の承諾を得て、リアムとリアムの父クロフトン騎士団長は、すぐ翌日にはお父様にお詫びに訪れた。婚約は家同士で決められていたことであるうえに、婚約破棄の理由が、リアムが他の女性を好きになったから、ということもあり、お父様は怒り心頭。静かに立ち上がって剣を抜こうとした時には、肝が冷えた。
「お父様、私は大丈夫ですわ!私はこの婚約破棄に納得しているのです!それに、リアム様のお相手のアンジーさんは、貴重な白魔法の使い手ですのよ。私、お二人を応援していますの」
相手は騎士団長だぞ!?返り討ちにされるわ!必死でお父様に縋ると、お父様はしばらく怒りに震えていたけど、何とか感情を飲み込んだようで、涙ながらに言った。
「イライザがそう言うなら、私は我慢するが…。辛いことがあれば、何でも言うんだよ」
我慢って。いや、泣かないでよ…。
「本当に大丈夫です。どうか、怒りをお鎮めになって。リアム様たちを祝福して差し上げてほしいのです」
私の言葉に、お父様は渋々剣を収めたのだった。本当にやめて。気が気じゃないから。
そんな悶着があったのが、つい昨日。まだまだ怒りの炎は弱まるところを知らないらしい。
「お、お父様、私は本っ当に大丈夫ですから。ね?」
リアムのことより、今日は魔法の実技の方が余程緊張するとも言えず、笑顔でお父様をとりなした。
お父様と朝食を取っていると、玄関前に馬車が止まる音がした。しばらくして、執事さん(ピエールさんというらしい)が書状を携えて足早にダイニングにやってくる。まだ会って数日だけど、ピエールさんがこんなに強張った顔をしているのは初めて見たかも。重要な書状なのかな?
「旦那様、王城からの書状にございます」
――王城?なんか、悪い予感がするんだけど…。気のせいだよね…?
書状を受け取り、目を通していたお父様が、呆然としたように呟く。
「イライザ。お前、パトリック殿下から求婚されてるぞ…」
「ごほっ!」
飲んでいたお茶で咳き込む。ああ、どうして悪い予感って当たるんだろう…。
リアムたちは、昨日お父様からもなんとか婚約破棄の承諾を得た足で、そのまま王城に向かい婚約破棄が成立したことを報告したようだ。そして王からも承認を受け、それを知ったパトリックがすぐに動いた、ということらしい。
いや、仕事早過ぎでしょう!私、昨日正式に婚約破棄が成立したばかりなんですけど!?翌日に求婚って、どういうこと!?
「今日、学園が終わったら、パトリック殿下直々にご挨拶にいらっしゃるそうだ…」
書状を読み終えたお父様は、何ともいえない表情を見せた。そうだよね、こんな急に王子から求婚なんて、お父様だって、気持ちの切り替えができないよね…。
「お父様、急なお話で驚かれていらっしゃいますよね?実は私も…」
「やったな!イライザ!!」
――ん?
「パトリック殿下なら、申し分ない!クロフトンのバカ息子と婚約破棄になってよかった!イライザを選ぶとは、パトリック殿下は本当に見る目がある!」
さっきの表情は、喜びを噛み締めてたの?お父様わかりづらいよ!それに、なんでそんなに前のめりなの?何度も言うけど、私、昨日婚約破棄になったばかりなんですけど!?
「あの方は聡明で、慈愛に溢れる人格者だ。知らなかったのか?私はパトリック殿下を王太子に推す一派の代表だぞ。第二王子派や第三王子派も少数存在するが、そんなもの塵芥だ。あの方なら、イライザを必ず幸せにしてくれるはずだ!こんなにめでたいことはない!」
塵芥て。私はお父様のリアクションに、呆気にとられることしかできない。いや、お父様がパトリックを王太子に推す一派の代表だなんて、初耳なんですけど…。
まさか、パトリック…沢渡部長はそれを知っていたの!?ああ、絶対に知っていそう。だって沢渡部長の情報収集力は半端ないもん…。
どこかで、外堀が埋まっていく音が聞こえた気がした…。




